intoxicated life

『戦うやだもん』がお送りする、画日記とエッセイの広場。最近はライブレビュー中心です。

DAYVAN COWBOY

2006-10-31 | ライフサイクル
①「僕は基本的に動物を信用しないことにしてるんですよ。」


学祭にいってきました。


百戦錬磨の芸人から出ることばは、やはり脳を強く揺さぶるものがあるのです。

たとえば、(おそらく『とんねるずの生ダラ』にて)富士山の麓で高度4000mからダイビングさせられた話。閉所、暗所、高所恐怖症の彼は、屁の止まらない状態からダイブした。パラシュートを開き、富士山を遠くに見た御殿場出身のタレントは「もうやめよう」と思ったという。しかし着地時、お尻(服)に尖った石が刺さっていたのに気付かず、楽屋で辞意を表明しようと心に決めて椅子に腰掛けた瞬間。下半身に激痛が走った反動でイスから飛び上がった彼を、スタッフ一同が大笑いした。ちなみに質問は「体を張り続けて、もうやめようと思ったことはありますか?」でした。


「ふとんを上にいっぱい乗っけられて「やめろよ!」といってた子供なんで…」「自分の短所を補ってくれる人と出会うことですよ」などなど、なにげない一言にも「ああーー、いいなあ…」と思わせるものがたくさんあった。そのすべてはとても言い表せないが、僕の心に深く刻み込まれた。七分丈の理由については、次の機会に。



②「もしかして 本当は気づいてるの?」


YUI熱、さめるどころかもはや沸点を突破している。


 アマヤドリノトチュウ いつまでも

 こうしてはいられない

 ずぶ濡れでもかまわない  ("skyline")



ここのところ心的焦燥が激しく、やけに寂しがりになっているので、こうした歌詞がセブンイレブンのおでんのようにますます体にしみこんできます。いろいろ昔のことを思い出したりもします。いろいろこれからのことを考えたりもします。



③「知る勇気をもて(サぺーレ・アウデ)」


懐古主義的傾向が自分の好奇心をかきたてています。


ポケモン赤緑をひっぱりだして、いちからやり始めています。ナンバーワンよりオンリーワンな「らいおんはーと」パーティを画策中。現在、ブースター(イーブイならふつうサンダーズだ)、イワーク(攻撃力が想像以上に厳しい)、ポリゴン(相対的に弱い)などのマイナーキャラに、「いかりのまえば」→「ひっさつまえば」/「はかいこうせん」が売りのラッタ、そして「ふぶき」でなく「バブルこうせん」にこだわったスターミーを加える予定。あと一匹はいつもならケンタロスだが、水対策もこめてエレブーを赤から連れてこようかと思っています。そのためにネットでゲームボーイカラー+通信ケーブルを買ったのでして。


また「わが友」ことロイヤル英文法を買い換えた。新版が出てもう数年が立つが、勉強しなおしの意味も込めて旧版に別れ。(レッテル貼りの要素が強いので個人的にはまったく好かんが)いわゆる「血液型判断」によれば、A型の人は下準備にこだわるなど几帳面なんだそうですが、英文法への愛にはそうした側面がなきにしもあらず。まだ「第二章 文型」までしか読んでいませんが、補語[complement]―付加語[adjunct]―修飾語(句)[Modifier]の見極めなんかは本当に楽しい。「こんなことわからんでも生きていけんのになあ」とつぶやきながらも、気づけば顔がニヤけていること多し。


比較的安易なことばで話そうと試みています。



MUSIC:
I can't say / YUI
Making Plans for Nigel / XTC
kate / spangle call lilli line


Debate exposes doubt

2006-10-27 | ライフサイクル
NHKから、函館五稜郭の映像が流れている。


泡盛を二杯飲んできた。


角川文庫の応募者サービスのブックカバーが届いた。プラスチックがプールのにおいがした。


買ったばかりのチノパンを脱ぎ捨てた。


そんな夜だった。


誰か、誰か、聞いて、くれないか。なんて。



MUSIC:
A Good Horse / the Cardigans
There Is A Light That Never Goes Out / Morrissey
会社をやめて旅に出よう/河口恭吾


From relay to relay

2006-10-22 | ライフサイクル
いま、『記録・天皇の死』(栗原彬他著、筑摩書房)という本を読んでいる。10月半ば、そんなある平日の午後。



JR・京王高尾駅から徒歩20分。銀杏に彩られた甲州街道を西に向かう。三つめくらいの信号に見えたる「武蔵野御陵前」の文字。



欅(けやき)並木の二車線道路。外苑などと同様、歩道は非常に広く作られており、放課後の少年少女たちが駆け抜ける。「陵南公園」の意味や、巡回する警察官のものものしささえ意識しないまま、高校生になってしまうのだろうか。



昭和聖徳記念財団により運営されるこの地域一体は、高尾の森と融合し、霞がかった空気感を味あわせてくれる。烏のさえずり、特にその高音部は、ディレイがかっていっそう響き渡っている。それ以外、何も存在意義を有しない。



門を抜け、手水鉢で手だけでなく顔も洗う。



玉砂利と杉の木の表参道が迎え入れる。しだれ松から覗く日差し。



10分弱。坂道を上りつめると、丸い墓に「大正天皇多摩陵」の石盤がある。近くにはほったて小屋がひとつ立っており、そこに警察がひとり。会釈をすると、退屈そうな顔で切り返す。とはいえ、その目は鋭い。



「貞明皇后多摩東陵」はそのすぐ右手にある。大正天皇のものと比べて、ややつぶれたおっぱいのような石墓だ。後ろ手に見えるの松木が、セクシーにうねる。



来た道を少し下ると、左手に武蔵御陵とのこと。ここには警官と宮内庁職員(皇宮警察?)の二名が監視。大正と昭和という二人の天皇、現代まで連なる日本史上における立ち位置の差が、ここにも鮮明にあらわれている。



「昭和天皇武蔵野陵」の文字と、石墓。奥行きが広く、金色に輝く菊の紋もきらびやかだ。表参道をまっすぐに上っていけば多摩陵に突き当たることから、武蔵野陵は側道にそって建立されていることになる(どちらが先に死んだのかを考えれば当然なのだが)が、―交差点の青看板にもあったように―参拝者にとっても「傍流」どころか「本流」であることは火を見るよりもあきらかだ。そのせいか。武蔵野陵を眺めていると、今冬に参拝した伊勢の外宮の雰囲気が醸成されていくようだった。



「香淳皇后武蔵野東陵」。やはりぺちゃぱい型。たをやめぶりの造形なのか?



後方から50歳~70歳の観光客が来る。二礼二拍手一礼の作法を互いに確認しながら、次々に首(こうべ)をたれていく。ツアー担当者も簡略して行う。大正天皇の墓には目もくれない。



表参道を下る。白髪の女性とその娘らしき女性の会話。「どうしてこういうところって砂利になってるのかしらね」「泥棒来るとわかるようにしてるんじゃない?」



かつて、―城内の道がうねうねしているように―玉砂利は「権力装置」のひとつだと教えられたことがある。城主のところまでにたどり着くまでには、多少長くて険しい道なりを通らなければ接見できないようにすることで、心理的な圧迫を与えるものなのだ、と。


しかし、本当に権力の可視化を目論んでなどいるのか?じつは、そういう詮索さえもあざ笑っているのではないのか?このように分析的に見てしまうこと自体が滑稽であり、想像力を奪っているだけではないのか?そんな分析をした自分が、また滑稽であると感じた。



「駅近道」の看板が見える。放屁し、コーデュロイの裾をまくりあげた。



15:45。秋の西日が、夢魔を膨らます。



MUSIC:すけべな女の子/くるり
 

渋谷

2006-10-15 | ライフサイクル
ついに走破!!!


時間にしてほぼ12時間。29この星集め、ここに完了(ひとつ未回収)。ここまで来るのにどれだけの汗とアルコールを流したことか…。


原宿

2006-10-15 | ライフサイクル
なんと代々木、スタンプを拒否!!!本気で殺意を覚えた。

怒りをエナジーに変え、12時間の労を爆発させる。ラスト1!