intoxicated life

『戦うやだもん』がお送りする、画日記とエッセイの広場。最近はライブレビュー中心です。

在日留学生の苦悩 ――公認されにくいマイノリティとしてのアスペルガー (後)

2009-11-30 | opinion
社会が悪いのか、自分が悪いのか。

自分にはできないというと「もっと努力しろ」と叱られる。努力したところで「どうしてそんなこともできないんだ」と返される。この板挟み状態を打開するためには、ASがいわば面従復背のような形で社会との関わりあいを維持するための方法=「ASだと悟られない」ための戦略を示すことが重要だ――これが、博士の方の意見であった。社会の側の変革に期待するのではなく、自分たちが適応するための術を身につけることに希望を見出そうというわけである。

就職活動になぞらえると、就活でうまくいく人・いかない人の違いは(面接時の)「コミュニケーション能力」の差にあるといわれるが、これに似た能力がASには欠如していることが多い。そこで重要なのは、あらゆるAS持ちの人に有効な「面接テクニック」を示すことだ――これが彼女のいう「適応戦略」のひとつといって差し支えないだろう。なお学術的にはゴフマンの演技(ドラマトゥルギー)やスティグマ論が参考になるとも言っていたが、このあたりはひとまず措く。

正論をいえば、どっちも変わらなければならないのだろう。社会とAS、両者が歩み寄ることを抜きにして、真の解決はありえない。もちろんこの博士の方のように、AS患者の立場に寄り添えば寄り添うほど、後者(社会の変化よりAS患者の適応を目指す)のアプローチを取るのも無理はないし、スタートとしては現実的な一歩といえる。

そこを理解したうえで、私なりの解決策として浮かぶのが「在日留学生」という制度である。一言でいえばこうだ。AS患者は「空気が読めない」。その読み方を習うためのテクストとして過去の日本人論を採用しようと、いうのである。いってみれば、AS向けに最適化された新しいテクストを作ること

もちろん、日本人ないし日本社会だけに有効な指針を作っても意味はないし、社会的差別を文化的要因のみに落とし込むような粗雑な議論に、学術的な価値があるとは到底いえまい。ただ現実問題として、日本社会にある(とされる)「空気」や「世間」に近いものは、程度の差こそあれ、あらゆる文化圏においても確認されるものではないか。

現に中島の学生だったインド人のK君は、「寒いので温度をあげてほしい」という意志を非言語的な動作(両腕をさする)によって表明している。文脈から見るかぎり、無意識に、「日本にいる」という感覚の外で起きた動作である。繰り返すように、こうした例はどの社会にでもある。日本の伝統的な人間関係の型といわれる「世間」「空気」には、あらゆる人間関係のありかたに関する重要な示唆がある。ASの支援を考えるとき、その適応戦略を文書化してまとめるときの先行研究としてこれらの概念を扱うことは、学術的にも決して間違いでないように思う。

もうひとつ重要なことは、適応するさいの心構えにある。中島と留学生との対話には「笑い」がある。日本文化に対する皮肉にも似た感情だ。ここに「自分をも笑える」滑稽さが加わるとき、アスペルガーは――陳腐な言い方をすれば――病気から個性へ、さらには文学へと昇華されるだろう。ハンセン病だって精神病だって、その悩みは文学となっている(漱石や太宰の後期作品を、松本清張『砂の器』を見よ)。AS患者の悩みが文学表現となるとき、アスペルガーはもはや公認されにくいマイノリティでも公認されたマイノリティでもない、ひとつの文学として成立するのだ。

日本にいるAS患者を在日留学生と呼ぶ理由はここにある。AS患者の方がこの拙文を読んでくれたとしたら、中島義道の前掲書を読むことからでも始めてみてはどうだろうか――社会という名の学校生活を。<おわり>


在日留学生の苦悩 ――公認されにくいマイノリティとしてのアスペルガー (中)

2009-11-29 | opinion
公認されにくいマイノリティを支援する立場の人々は、何を目指すのか。冒頭に述べた博士の方もその一人であるが、ASの場合「差別をなくせ!」と声高に叫ぶよりも、彼らに必要なのは「社会に適応するための戦略」なのだ、と彼女はいう。つまり、社会が変わる/を変えるより、自分たちが変わる/を変える手立てを、現実的な支援策として考えようというのである。

彼女としては、世界中のAS患者に有効な適応方略を示すのが目標らしい。研究としてやる以上、これは当然の姿勢といえるだろう(学術的にはゴフマンの演技論やスティグマ論が参考になるとも言っていたが、このあたりはひとまず措く)。しかし私には、公認されにくいマイノリティの筆頭であるアスペルガーの体験記を見るかぎり、彼らはどうも「日本的な<世間>と戦っている」という印象が強い。たとえば、AS界のアルファブロガーといっても過言ではない、とうふ氏のブログより。


上司がこんなことを言ってきた。
「飲み会は任意参加だから無理しないでいいよ。」

今の上司とは、表面的な関係のみ保っている状態だ。
定型な今の上司は、
自分の飲み会嫌いを知っているのでそう言ったのか、
自分に飲み会に来て欲しくないのでそう言ったのか、
判断に悩んでいる。

定型の「無理しないでいいよ」はどう解せばいいのだろうか。
<アスペルガー社会人のBlog> http://welladjust.exblog.jp/11901012/



コメント欄の、同じAS患者による共感や定型によるアドバイスなどもあわせて読むと非常に興味深いのだが、「周りの理解がないだけなのでは」と素朴に言いたくなる部分もある。もちろん現実にはそうなっていなから、こういったブログが人気を博しているのだろう。だが、日本ではKY認定されることうけあいでも、欧米などでは「個性」として受け止めてもらえる気がしないでもない(このあたりは印象論)。

ところで、こうしたやりとりに似た(と私が感じる)構造のエピソードが出てくる本がある。それが中島義道『英語コンプレックス 脱出』(NTT出版、2004)の以下のくだりで、中島が大学で担当していた留学生向けの授業“Japanese Human Relations”の講義最終日、東京見学をしたあとで浅草のレストランに入ったときのやりとりである。長くなるが、例は多い方が理解しやすいのでお付き合いいただきたい。


 じゃあ、A君、みんなの代表して、私に感謝の言葉を。日本では、心にも思っていないことでも、定型的な感謝の気持ちを告げることがとても大事なのです。

くすくす笑いが広がるなか、A君は紋切り型の言葉を連ねる。

 半年間のすばらしい授業と、今日のすばらしいご馳走に心から感謝します。涙が出てくる思いです。

「涙、出てないぜ!」「顔は笑っているよ!」というヤジが入る。さあ、乾杯しようと思ったが、タイから来た女学生の頼んだ飲み物(ミルクコーヒー)だけが遅れてしまい、みんな早く乾杯したいのに、とあせっている。いい機会だからと、私は説明する。

 こういうとき、Sさん、あなたには何の落ち度もないけれど、日本では「すみません」と言うのが普通です。「すみません」とは、“Excuse me.”のように、自分の責任を認めるという意味ではなく、こういう事態になってしまって自分の気持ちが「済まない=澄まない」ということ。心がにごっていて居心地が悪いということを表しているのですから。

すると、Sさんは間髪入れず「すみません」と言ってぺこりと頭を下げる。みんなどっと笑う。ふと見ると、インドから来た消極的なK君が両腕をさすり、エアコンの操作ボタンのほうを何度も見ている。

 K君、寒いんでしょう? 温度、もっと下げてもらいたいんでしょう?

K君はうなずく。そこでまた実践講義。

 日本人は、自分が寒くても他の人は違うかもしれないと思って、なかなか言い出せません。そんなとき、それとなく態度で示し、ほかの人が気づいてくれるのを待つというやり方は、反感を買うことがなくかなり有効です。いまのK君のやり方はそれですね。ずいぶん一生懸命日本文化を学んだね。

そこで、みんなげらげら笑う。こうして、何でも勉強の題材になるのである。(後略)
<pp.208-210>



中島が留学生たちに教えた「日本文化」は、具体的には「上座・下座」「ホンネ・タテマエ」「義理・人情」「恩」「甘え」「恥」「根回し」「先輩・後輩」「コネ」「学閥」「談合」「村八分」だという。講義名にもある通り、伝統的な日本文化の概念を使った“Japanese Human Relations”、すなわち人間関係の学である。ちなみに上述のとうふ氏の悩みは「先輩・後輩」か「ホンネ・タテマエ」、あるいは「空気」というより包括的で大きな問題系に属する悩みといえるだろう。<つづく>


在日留学生の苦悩 ――公認されにくいマイノリティとしてのアスペルガー (前)

2009-11-28 | opinion
アスペルガー症候群(AS)の患者支援を研究している博士の方と小一時間話す。これが――語弊があるかもしれないが――すこぶる面白い。勧めていただいた人気のある患者のブログを読んだら、これまた面白い。

アスペルガーの症状についてはこちらを参照されたいが、強引にまとめれば知的障害のない/少ない自閉症、となるだろう。話のやりとりが一方通行になってしまう、会話の間がわからないなど、定型(いわゆる健常者)と比べて対人コミュニケーションにおいて生じる齟齬が大きいため、社会生活を送る上で困難をきたす(当然個人差はある)。

ここで、ASの問題を私なりに整理してみたい。アプローチとしてマイノリティという言葉を用いるが、もちろんASの人を社会的少数者ないし弱者と定義することにも異論はあろう。ひとまずということでお許し願いたい。

社会的マイノリティには、大きく分けて三つのパターンがあるように思われる。(1)公認されたマイノリティ、(2)公認されないマイノリティ、そしてその中間領域にあたる(3)公認されにくいマイノリティ、である。以下、順に説明していく。

(1)公認されたマイノリティとは、すでにある程度の社会的認知が広がっており、政府をはじめとする公的機関からの支援体制が(曲がりなりにも)整っている状態にある少数者のことを指す。わかりやすい基準をいえば「社会の教科書に載っているかどうか」。水俣病、ハンセン病、アイヌ人などがこれに含まれる。

(2)公認されないマイノリティは中島義道の造語で、社会的認知はもちろん個人間の共感・理解すら難しい状況にある少数者のこと。現状では「悩み」「コンプレックス」として片付けられてしまうような問題である。中島が挙げるのは、身長150cmの男性や三流以下の大学に通う学生など。いうまでもなく、「拡声器騒音過敏症」もここに入る。

(3)公認されにくいマイノリティは私の造語だ。これは(2)と似て非なるもので、「名前は与えられているが、十分な社会的認知が得られていないために差別される少数者」といったニュアンスである。よって(2)から(1)への移行期にある少数者と呼んでもいいかもしれない。ASをはじめ、学習障害(LD)、過敏性大腸炎など、近年になってその存在が注目されはじめた諸症状がこのカテゴリーに入る。

まとめれば、ASなどの公認されにくいマイノリティは、医学的には認められていても社会的には認められていないために、あるいは社会的認知の浸透するまでの過程段階、いわば認知と非認知の股裂き状態にあるために、公認された/公認されないマイノリティ以上に難しい立場に立たされているのではないか、ということである。<つづく>

執筆中

2009-11-27 | ライフサイクル
修士論文執筆の追い込みが本格化。




11月20日
バイオ到着。文句なし。Office 2007入れてもさほど動作には問題なし。


11月22日
札沼線乗りつぶし。終着の新十津川までの列車は一日三往復のみだが、鉄オタ4名以外に乗り通した利用者はいなかった。新十津川駅から歩いてすぐ町役場があり、このバス停から約20分で滝川ターミナルに行ける。本数は休日でも一時間2、3本あり、滝川から特急で札幌に出られるので、三往復も納得である。役場のあたりは寂れた感じもなく、どこか首都圏の郊外のような雰囲気。むしろ滝川駅周辺が加速度的に寂れていく様子が痛々しい。


11月24日
ある博士過程の方と議論。アスペルガー症候群について。詳細別項。


11月26日
イタリア映画『輝ける青春』全編観る。学部の授業で四週に渡って視聴してきた、その最終回(計6時間)。

イタリア現代史をベースに、ある兄弟の青春の日々を描く。この二人は日本でいう団塊の世代にあたるので、学生運動やゲリラなどが背景となっている。元々は連続ドラマとしてテレビ放映される予定だったが、内容の過激さもあって映画として公開されることになったらしい。そのためか、ヨーロッパ映画にはあまり感じられない俗っぽさがあり、かえって好感が持てた。

詳細は伏すが、弟のマッテオの人生観とその変わり目がどこだったのか、月並みながら謎が残った。ラストの展開にはそこまで驚かなかった、という自分の印象から敷衍すると、ポイントはわりと早い段階、具体的には軍隊入隊のタイミングにあった気がする。次見るときは、兄のニコラ評するところのアキレスとのアナロジーでマッテオという人物像をとらえてみたい。

何度も見たくなる映画。


11月27日
北大公共政策大学院主催のセミナーを見学。スピーカーが北田暁大と聞いて。東浩紀が思想地図休刊を明言しただけに、何を語るか注目していた。詳細後日。

事業仕分けが最終日とのこと。各事業の要不要や良し悪しはともかく、関係各所の長たちによる多彩すぎるお金クレクレ言説を見られただけでも十分な成果といえようか(手をかえ品をかえ、とはこのことだと思った)。ノーベル賞受賞者が大挙して陳情するさまも滑稽だったが、廃止されると言われながら彼らのような直接行動も起こさ(せ)ず、マスコミ相手にクレクレと文句をたれるだけのリーダーが推進する事業など、価値なしと判断されてしかるべきだろう。


MUSIC:Hey/Pixies
久々に2005年の来日ライブ盤を聴いたら、もうアガることアガること。



積雪

2009-11-18 | ライフサイクル
11月13日
朝リハ。ニコ用新作再録(アングル変更)。


11月15日
九州場所始まる。魁皇は今場所10勝で千代の富士の最多勝ち星を抜く。大関陣のふがいなさを糾弾する声も多いが、ここまでくると偉大なる大関の偉業を目の当たりにできる(かもしれない)ことの興奮の方が勝ってくる。初日はいい滑り出しだ。下位では嘉風の調子がよさそうなので注目しよう。


11月17日
階上の住民(学生)に封書で二度目の苦情。ここ半月で深夜麻雀が3回。朝8時近くまでやられるのだからたまったものではない。


11月18日
VAIO Wシリーズの購入ボタンをついにクリック。祭りのあとのような寂寥感。買うか買わまいか迷っていた頃のあのトキメキよいずこへ…。
路面凍結のため、歩き方が北国仕様となる。




オイイイイイイイイ

2009-11-11 | ライフサイクル
表題はこちらから拝借。こういうコメント数のあまり伸びない動画にこそ価値がある。「もっと評価されるべき」とも思わないところが性悪ではある。


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11月3日

二日おいて再度の大戸屋ランチ後、北大クラークシアターへ。最終日のこの日、目玉は親子活弁士、麻生八咫・子八咫による活弁上映である。チャップリン、のらくろといったサイレントの名作を生の活弁で鑑賞するのはもちろん、『国定忠治』の名調子を会場全員で読み上げるワークショップも開催され、盛況だった。

父の八咫さんは、場慣れしているせいか(世界一周の船上講演なども行っているらしい)ノリが綾小路きみまろ風なのでやや興ざめしたが、『沓掛時次郎』のような「時代物だとおっそろしく生き生きしとったな」という同行者の弁に同感である。また北米留学経験のある娘の子八咫さんは、日英バイリンガル活弁士として将来が期待されているとのこと。「手のかからない子です」という父・八咫の顔は、厳しくも温かい。


11月5日

お湯らじ音源を聞き直す。毎度思うのだが、おみおくんはやよいちゃんの発言をスルーしまくっている。回線上の問題(タイムラグ)もあろうが、声の高さや話すタイミングがかぶっているのか、なぜか発話をうまく拾えない。なんでだろう?


11月6日

札幌シアターキノで打ち合わせ。「ボランティアとは志ではなく行動である」という格言を引用したくなるような場だった。なお、そんな格言は誰も言っていない。


11月7日

大学院の入試説明会、のお手伝い。入学希望者の若者と話すのが好きでいつも手をあげている。やりたいことや自分の考えのまとまらない人の相手をするのを楽しむ能力が潜在的にあるらしい(この手の作業を極端に嫌う人もいる)。今回は、まだ学部二年ながら向学心の高い青年と二時間ほど話し込む。


11月9日

「鳩サブレ」のハトとサンリオの「けろっぴ」の似顔絵をなぜか描かされる。いやわりと率先して描いた。その後、研究室の後輩(歳は向こうのほうが上)から『くるり鶏びゅ~と』、おおはた雄一『SMALL TOWN TALK』の二枚を拝借。カバーという作業の魅力を再認識させられる。『くるり~』では、9mmなんちゃらの「青い空」の次がユーミンの「春風」で、両者のアレンジ力の差というよりはアレンジの方向性が好対照だったのが印象的だった。


11月10日

リハ。カメラアングル変更などの実験を行う。知り合いの店員いわく「今日はダラダラな感じだね」。バラードの練習してただけなんだが…。


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なお近況はこちら(とか書くとツイッターでも始めたかのようだが、はてなブックマークなのである)。



MUSIC:All Apologies/おおはた雄一


雑記

2009-11-02 | ライフサイクル
10月19日

自由が丘「金田」。昭和11年創業の老舗である。とらふぐなどを食す。


10月20日

札幌モドリ。


10月23日

院生サークル立ち上げの説明会。勧誘のため、十数名の学生の前でgive&listenの重要性などを熱弁する。

夕方、某・元国鉄マン氏の取材。車掌業務の変遷について伺う。戦前生まれの方の話は発見に溢れている。


10月24日

上野幌でパークゴルフなるものを嗜む。新千歳空港からJRで札幌に向かうとき、老人が緑のコース上を動き回っているのをいつも窓から眺めていて、いいなあ、と思っていたのだ。友人三名で全36ホール(2コース)のコンペ、二連勝。


10月25日

研究室のハロウィンパーティ。元仕事着の白衣と聴診器(ビレヴァンにて購入)でエロ内科医に変装。まずまず好評であった。


10月26日

朝から腹痛に襲われる。大事をとって自宅静養。


10月27日

腹痛悪化。大学の保健管理センターへ。熱も39度近くあったため、念のため鼻に綿棒突っ込まれたあげく、検査結果待ちの間は仮設無菌室(その実はただの小型ビニールハウス)に隔離。インフルエンザという名の公開処刑である。

結果は陰性だった。が、その後数日間痛みは引かず。


10月31日

スタジオ後、ジュンク堂へ。『大阪万博』他マンガ三冊を購入。久々の大戸屋ランチで流し読み。

夜、ラジオ出演。


11月2日

小樽でも初雪。天狗山も冬化粧とあいなった。午後、某教授の手伝いバイト。