フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

不安定雇用

2005-11-04 05:01:10 | 現状
 いまどきのおおかたの20代~30代は、不安定雇用のなかで生きている。つまり、いつ仕事がなくなるのか分からないのだ。

 ある友人は、給料は高いが、月によって収入にムラが多く、勤務先の乗っ取りに胃を痛めている。
 ある人は、四国から関西に出てきたのはいいものの、アルバイトでは自活したいのにできない。なので、やむをえず、田舎のおじいちゃんから仕送りしてもらっている。おじいちゃんは、親類に結婚など何か明るい話題がほしいと嘆いている。
 ある知り合いはヘルパーをしている。NPOの正職員だそうだが、あまりに給与・保障が低く、しかもそれが削減される傾向のなか、生活は楽ではない。
 別の人は、一人で生きようとして、くたくた・ぼろぼろになってしまった。
 特に田舎から都会に出てくると不利だ。そういう人は、パソコンを持つのが、京阪神に実家のある人にくらべて遅くばる傾向があった。
 ある人は、福祉だけでは食べられないので、一日だけ入れる通称スポット・バイト(伝統的な言い方では日雇い)の仕事に入っている。役所の監視の目を盗んでコッソリと、だ。
 失業、または反失業。まともな社会人とみなされない辛さ。社会的地位の低さや経済的な不安定さゆえに壊された友情や恋愛もある。先立つものが足りなければ、社交という楽しみからも切り離されてしまうのだ。(これは社会的排除のプロセスの始まりでもある。)
 
 フリーターのほか、ニートやひきこもりなどを叩く評論家たちは、そのへんのしんどさを何も分かっていない。あるいは、分かったうえで叩くことを楽しんでいるのだろうか。

 フリーターと呼ばれる不安定雇用で働いた経験から言うと、自分のなかの大事なものを奪われた気がする。
 あたかも芯を抜かれた状態だ。そう、今のわたしはまるで芯のない鉛筆のようになっている。似たような変化にさらされた人たちともこれまで職場や趣味の場所で出会ってきた。激しい労働と息も詰まる失業のなかで、疲弊し、弱体化されているわけだ。
 
 「当事者」であれ、非「当事者」であれ、何の「当事者」であれ、事情を知る人は知っている。不思議なことに、何らかの方法で分かる人には分かるのだ。直感、経験、科学的調査、ジャーナリステイックな取材、社会運動、日常の観察……どんな道筋からであれ、知る人ぞ知る実態がそこにある。

 不安定のなかでわたしたちは生き残るために必死だ。殺人的に忙しい生活のなかで、それでも品位ある人生を、日常のなかのわずかなうるおいを求めながら、ほとんど手に入らない。それどころか、年々ささやかな権利が削られていく。小さな幸福も幸運もすぐにどこかに行ってしまう。

 あるNPO新聞を作っている知人はこう言った。
「もう、最近の10代とか20代初頭くらいの人たちは、階層逆転なんてありえないと思っているからね。」
 ある、オタク評論サイトを運営する友人はこう言った。
「いまどきの十代から二十代の若い人たちは、粘り強さがなくなっている。専門学校で教えていると、そういう傾向が見えてくる。」「ある二十代半ばのわたしのメル友なんか、マンガとかアニメ・ゲームのオタク趣味があると、自殺せずにすむなんて書いてきていますよ。」
 それは自分も知っている。たった2、3歳でも若ければ若いほど、階層逆転なんて信じていない。男性よりも女性、都会よりも田舎など条件の不利なところの住人ほど、絶望や混乱が激しい。自信喪失に悩まされている。
 ネット・マスコミ・口コミなどの情報に振り回されながら、バランスをとって生きようとしている。
 
 厳しい雇用情勢は、予断を許さない。というか、どのように努力すればよいのか分からない。誰にも見当のつかない問題にわたしたちは直面している。

 まずそのことを認めよう。そこから出発するしかないのだから。

TB用URLhttp://d.hatena.ne.jp/Sbunaka/20051030