黒田節の替え歌は、今年の1月に一度作った。http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra/d/20060107
最近、別の歌詞が頭に浮かんだので、忘れないうちに記録しておく。
1.
進学するたび 人が減る
学校は 元祖リストラで
ゆとりに反対 してみても
小さき人に 見破られ
2.
今日の仕事は 明日あるか
明日のことは 知らねども
一日ごとに 売られゆく
夢の夢こそ あわれなり
3.
ひとつかぎりの 命なら
過労死よりも 休みゃんせ
ひとつしかない 体なら
元気になれば 踊りゃんせ
*1 >ゆとりに反対してみても
狭義のゆとり教育のみならず、子ども・若者への登校強制圧力、子どもが学校に行かずに町を歩いているだけで取り締まる政策、ひきこもり対策という形での思想の自由やプライバシー侵害などを含みます。
>小さき人
子どもは小さい大人だ」とするP・アリエスの議論を受けたもの。
*2 >今日の仕事は明日あるか
派遣会社の営業も含めてわかりません。
>一日ごとに売られゆく
一日ごとに労働力商品として派遣元会社から派遣先会社へと売られてゆく様子です。
>夢の夢こそ あわれなり
文楽・曽根崎心中の道行きのシーンからの引用です。この2行は「一足ごとに消えてゆく 夢の夢こそあわれなり」からもじったもの。http://homepage2.nifty.com/hay/sonezaki.html
*3 たったひとつしかない命ならば、どうして過労死・自殺の前に休めないか。一個だけの体ならば、仕事を離れて踊れないか。現状を嘆きつつ、組織に滅私奉公する以外の人生を模索したい気分を描写してみました。
トラックバック用URL→http://d.hatena.ne.jp/e-takeuchi/20060201/p1
http://d.hatena.ne.jp/dslender/20060302
最近、別の歌詞が頭に浮かんだので、忘れないうちに記録しておく。
1.
進学するたび 人が減る
学校は 元祖リストラで
ゆとりに反対 してみても
小さき人に 見破られ
2.
今日の仕事は 明日あるか
明日のことは 知らねども
一日ごとに 売られゆく
夢の夢こそ あわれなり
3.
ひとつかぎりの 命なら
過労死よりも 休みゃんせ
ひとつしかない 体なら
元気になれば 踊りゃんせ
*1 >ゆとりに反対してみても
狭義のゆとり教育のみならず、子ども・若者への登校強制圧力、子どもが学校に行かずに町を歩いているだけで取り締まる政策、ひきこもり対策という形での思想の自由やプライバシー侵害などを含みます。
>小さき人
子どもは小さい大人だ」とするP・アリエスの議論を受けたもの。
*2 >今日の仕事は明日あるか
派遣会社の営業も含めてわかりません。
>一日ごとに売られゆく
一日ごとに労働力商品として派遣元会社から派遣先会社へと売られてゆく様子です。
>夢の夢こそ あわれなり
文楽・曽根崎心中の道行きのシーンからの引用です。この2行は「一足ごとに消えてゆく 夢の夢こそあわれなり」からもじったもの。http://homepage2.nifty.com/hay/sonezaki.html
*3 たったひとつしかない命ならば、どうして過労死・自殺の前に休めないか。一個だけの体ならば、仕事を離れて踊れないか。現状を嘆きつつ、組織に滅私奉公する以外の人生を模索したい気分を描写してみました。
トラックバック用URL→http://d.hatena.ne.jp/e-takeuchi/20060201/p1
http://d.hatena.ne.jp/dslender/20060302
TBしました。
氏の言わんとする「現代青少年における脳機能から見たアクセルとブレーキの変調。」は概ね正論だが
熊沢 誠氏(著)「若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/sim-explorer/explore-items/-/4623045935/0/249-1255779-7419529
で言及されている
「若年者の正社員=フリーター=ニートは地続きの存在であり、むしろ同一企業、類似した学歴であっても20代の正社員と50代の正社員との労働環境や労使関係の違いのほうが大きい」
という、若者論の分析がなされていないです。
50代の正社員は、入社より十数年は仕事の成果よりも、ある企業での全般的な仕事の技術の習得(教育機会も含めた)=つまり仕事の成果による給与や地位の違いは少ない、、、その後に40歳前後から専門分化した技術の習得と部下への指導=徐々に給与に違いが出てくる、、、それ以降成果主義という名の結果主義による売り上げ等による管理がなされる。が、その30年間企業による福利厚生の恩恵は受けることはできた。つまり20代は仕事の成果による給与や地位の違いは少ないため、同期入社といった意識ができ、ある種の連帯感も生まれた。(現在はかなり切り崩されているが、この連帯感は、退社することにとってかえって同窓会意識みたいなものをうみだす)
しかし、20代は、即戦力という名において、成果主義という名の結果主義による売り上げ等によって管理され、全般的な仕事の技術の習得(教育機会も含めた)が奪われている。
簡単に言えばこういった違いです。
>ひとつかぎりの 命なら
>過労死よりも 休みゃんせ
>ひとつしかない 体なら
>元気になれば 踊りゃんせ
私はこれをやりました。
でも、これをしながら(私のように両親が亡くなっている中で)収入を維持するためには、ある種の神業的な発想と行動力を必要とします。「社労士+税理士+司法書士」の試験範囲でしょうか。普通の人には(親の収入に依存しないとすれば)あまりにもストレスフルな方法です。
ご紹介の一冊目の本について。
なるほど、人が特定の行動をとる場合、脳のどこがどのように機能しているかを示すことはできる。しかし、それがどのような原因・背景のもと引き起こされるかまでは分からない、といったところですか。
同じく二冊目について。
要点を的確にとらえた紹介、ありがとう。
これは、実感とも一致します。今の若い世代のほうがより従属的・滅私奉公的な働き方を強いられていると、身近な正社員を見ていても、フリーターとして仕事している時にも感じます。
官公庁は相対的には民間よりもマシかもしれませんが、そこにも民営化・リストラ→従属的労働と不安定雇用の波が押し寄せています。
3番の歌詞は、ムリを承知で書きました。歌うときには、調子を変えて、相対音階のミとラの音をフラット(もとに戻す)にします。そうすると、ちょっと明るい調子になります。暗い歌詞だけに、最後に何か希望を持たせてバランスをとりたかったのです。
それから、これは音楽学の話しになりますが、古来、歌というものの持っていたと考えられる性質を受け継いだということもあります。
今、啓蒙されている民族音楽学者らの定説によると、世界的に見て、歌は神にささげるものでした。神への祈りにも似た気持ちでその古典風の歌詞を書きました。
それから、古来日本では、人は簡単に歌を作り、披露していたとの説があります。食べるものがない貧しい人が、客人に歌を作ってプレゼントした、という逸話も報告されています。貧しいわたしも、その伝統に習おうということです。それは、改革の名のもと。なんても新しければいいんだと言うことによって、人のいきにくい環境を作っているネオコン旋風への抵抗でもあります。
なお、日本では、その昔、ふだん人と面と向かって言えないこと(角が立つとか、政治的に危ないといった事柄)を、歌でなら表現してもいい、という慣習があったそうです。わたしも日本人だし、アイデンティティの帰属先、魂のふるさとのようなところは大切にしたい。ブログの記事の散文中に表現しにくいことも、こうして歌にすると表現できることがあります。やはり、文中で、「日ごと労働力商品として売り買いされる自分たちはかわいそうです」とか、言いにくいでしょ? だけど歌としてなら気楽に言えちゃうところがあります。
ヨーロッパでもどこでも、世界的に、歌っていろんな機能があるんです。無文字社会では、歌によって先祖の系譜を記録していく民族もある。歌は、今の新聞みたいにニュースを伝えるメディアでもあった。黒人霊歌のような、自由を求める歌もある。
最後の>踊りゃんせ というのは、サウンド・デモ(車にスピーカーを載せて、みんなで踊りながらやるデモのこと。)に行くイメージにつなげることもできます。それは、世直しのための歌や踊りと歴史的につながっています。
とにかく、3番の歌詞は、そうした複数の機能を持つ歌として書いたものです。Cunさんのご批判は明晰ですが、わたしとしては、「大方の人がそうできる。休んで踊りましょう」と言っているのではありません。
実はわたしも、「親福祉(ジャーナリスト・竹信 三恵子さんの言葉)」が使えているので、今「ニート」で生き延びているのです。本当に、明日のことは闇の中、責任なんて負えっこない? です。
きょろです。
生ごみにまみれた椅子に座っていた結果、不安神経症がひどくなり、(朝3時半に起きなければいけないため、睡眠障害のようになり)「やめよう!」と決心して次に受けた面接で受かって福祉関係の行政方面の嘱託の仕事につくことになりました。
金曜日に仕事を終えその足で面接に行き、夕方には採用と言われ「月曜日から着任するように」とのことで、ものすごくびっくりしています。
嘱託なので一年更新ですし、職場の命令系統はごちゃごちゃで仕事は大変。ここも辞めていく人は後を絶たないようです。
使い捨ては民間とか行政とか関係ありません。
なんでこんなに労働環境が悪いんだろう。
ストレスフルな職場ですが、まああるだけまし。
めげずに働こうと思っています。
と、近況報告が長くなりましたが、先日尺八と声明のコラボレーションのコンサートに行ってきました。声明というのは、仏教で仏様に捧げる歌なんだそうです。こっちは聴いていてもなんだか意味はまったくわからないのですが。
かわいがってもらっている和尚さん(こっちでは親しみを込めて”おしちゃん”と呼びます。)が出演されるというご縁で行ってきたのですが、心の安らぐ良いコンサートでした。歌は祈りなのだと素直に実感できました。
憂さを晴らすためだけのカラオケは苦手だけど、
こういうのはいいなと思いました。
そういう言葉があるんですね。親がセーフティーネット。
働かずに生きていけるならそれはそれでいいのではないでしょうか。
誰もそれを批判する事はできません。
言葉で、権利や義務や人間の生き方を強制しても、本人がそうだと思わなければ意味がありません。
自分を守ってくれるのは自分しかいません。誰も自分を助けてくれるわけではありませんし。よくご存じの通り、会社や政府に期待するだけ無駄です。
生きていく金を得るには、自分で働くか、政府や親に貰うか、盗むかの3通りしかありません。
そのどれを選ぶかの決定権は個々人にまかされています。3番目の盗むは法律で罰せられますが。
自分の今の現状は、昨日までの自分の生き方の結果でしかありませんし、将来の自分はこれから自分がどう生きていくかで決まります。
だから自分で勝手に意志決定をして生きていくだけのことです。何もしないということも意志決定の一つですし。
本当の自分は、今生きている自分の姿でしかありません。だから探しても見つかりません。
安定した収入を得ようとすればある部分の自由を捨てないといけないし、その自由を捨てたくなければ不安定な収入になる。どちらも自分で選ぶしかありません。
どうすれば良いか悩んでも、それは自分だけの話であって、他人からみれば関係のないどうでもいい話でしかない。
結局、生きていくことは自己の判断の結果(自己責任)であり、その結果に他者が干渉する世界でであれば自由な生き方はできない。
ずいぶん厚顔無恥な事を言うんですね。
日本人の大半は十数年前までの日本の状況を忘れてしまったようです。
>安定した収入を得ようとすればある部分の自由を捨てないといけないし、その自由を捨てたくなければ不安定な収入になる。どちらも自分で選ぶしかありません。
大嘘ですね。
十数年前までの日本において、自由と収入はバーターの関係ではなく、全く別のベクトルでした。(いまだって、バーターではなく、仕事を持っている人間の方が遙かに自由ですね)
経済のほぼ一方的な拡大によって、終身雇用が実質的なセーフティーネットとなり、個人を支えていました。仕事は個人の責任において勝ち取るモノではなく、常になんとなく与えられるモノでした。
しかし、バブル崩壊とともに、経営者と労働者、そして国が共謀して、当時の若者を雇用しないことによって、自分たちのセーフティーネットを守り、当時の若者を迫害したのです。
そして、あなたのような厚顔無恥な人たちが、今でも被害者を迫害し続けているのです。
フリーター問題とは、経済問題です。経済問題は個人で解決することは絶対にできません。
たとえば北朝鮮の人々が貧しいのは、個人が働かないからですか? 違うでしょう?
経済問題を社会責任と認識せず、自己責任だと言い張るなら、それは社会責任の放棄です。
まあ、「自分探し」だの「自由」など、週刊誌でいわれるような貧困なイメージでしかフリーターをイメージできないあなたに、何をいっても無駄なのでしょうけど。
>きょろさん
大変ですね。今度の仕事は嘱託ですか。
できれば、労働者派遣法のやさしい解説書かサイトを見て、ルールがどうなっているのかチェックしておくと、トラブルが起きたときなど参考になるかもしれません。この法律についてはまだわたしも勉強中です。一橋出版のブックレットを使って独学中です。
お寺で声明のコンサート! いいなあ。わたし、まだ声明をライブで聴いたことがないんです。うらやましいです。
声明はもともと仏教寺院の文化です。中国ではもう廃れてしまったのですが、日本と、韓国に残っています。
声明は、日本音楽のひとつの源流でもあります。そこから少しずつ変化して、平家琵琶などの語りものや尺八といった音楽が生まれました。その一部は今日でも残っているのです。
つらいときに音楽を聴くと、ふだんよりもいっそうきれいに聴こえたりしませんか? 苦労するのも悪いことばかりじゃないですよね?
とにかく、いい経験をされたと思います。
>とりさん
反対意見をいただき、ありがとうございます。ホント、このサイトの趣旨と真反対ですね。
なんでも自分ひとりでできるんですか? 無人島に住んでいるんじゃないですよ。自己中心、視野狭窄、自意識過剰をあおる文言を見るに、失礼ながらあなたの人格を疑いました。
2段落目はまあマシだとしても、あとはいただけない。全般的にメチャクチャなんですけど。
>自分を守ってくれるのは自分しかいません。誰も自分>を助けてくれるわけではありませんし。
根拠のないことを言わないでもらいたい。あなたは自分でも気がつかないうちに誰かに守ってもらった経験があるはずだ。知らないうちにあなたの家族が、友人が、同僚が、あなたをかばっている可能性については思い至らないのですか? ドストエフスキーの「地下生活者の手記」でも読んで出直してきてください。
>会社や政府に期待するだけ無駄です。
やってみなければ、わかりませんよ。
>生きていく金を得るには、自分で働くか、政府や親に>貰うか、盗むかの3通りしかありません。
>そのどれを選ぶかの決定権は個々人にまかされていま>す。3番目の盗むは法律で罰せられますが。
もうやめてください。これは自己決定論の意地悪な乱用・悪用です。たとえ違法であっても無罪性のある場合のことも考えてみてください。なぜ安易にこんなことが書けるのだろう。
>自分の今の現状は、昨日までの自分の生き方の結果で>しかありませんし、将来の自分はこれから自分がどう>生きていくかで決まります。
ふざけないでほしい。政府の政策は関係ないのですか? 政府でさえもコントロールできない景気は?
>本当の自分は、今生きている自分の姿でしかありませ>ん。だから探しても見つかりません。
いろんな角度からいって同意できない。
失業者は失業のままでいろと? 半失業者も?
職のある地域に移動することは罪ですか? 憲法にある移動の自由の秩序を国民自ら破壊せよと煽動してあなたに何の利益が? これは特定のグループに対するイビリです。
>安定した収入を得ようとすればある部分の自由を捨て>ないといけないし、その自由を捨てたくなければ不安>定な収入になる。どちらも自分で選ぶしかありませ
>ん。
これほど見事な詭弁をほかに見たことがありません。
自立できない雇用や賃金や職場の公衆衛生環境が自由? マスコミで叩かれまくりなのが自由?
あなたはよほど恵まれた環境におられて、苦労している人がいるということが分からないのですね。このサイトの過去記事、ならびにブックマーク先を見て、学習してもらいたい。
>結局、生きていくことは自己の判断の結果(自己責
>任)であり、その結果に他者が干渉する世界でであれ>ば自由な生き方はできない。
それではあなたはご自分の責任において生まれたのですか? そもそも責任って何ですか?
自由には責任が伴う。これには同意します。しかし、自由主義思想において、それを行使できるのは市民です。今のフリーターやプレカリアートらは、金銭の乏しさと社会的認知度の低さゆえに市民権のない状態です。人間扱いされないという点において、今の若者、フリーター、ニートらはまるで奴隷の立場にあります。
ガンバリズムで何でも解決するのならば、とっくの昔に問題なんかなくなっています。
自由主義思想は、他人の権利を侵す権利は認めません。また、ミルの「自由論」を参照してもらいたいのですが、福祉に反対だから自分は税金を政府に払わない、といったことは、自由というよりも放縦というか、論外とみなしています。少なくとも元祖自由主義哲学ではそうです。
どうやら、リバタニアリズム寄りの考えをお持ちのようですね。だったら。ご自分で道路も橋も作り、メンテナンスも自分でやってください。どうしてもムリな場合、頼れるのは地域社会まで。国も企業も手を貸しませんよ。
わたしは、それを政策として選ぶことを支持していません。
>赤木智弘さん
基本的にあなたとわたしの立場はいっしょです。
ただ、事実誤認があるので訂正を。
バブル期も、造船など不況の産業では、人員整理はありました。
終身雇用がセーフティネットになったのは、大企業に勤める大卒のホワイトカラーの男性だけです。ついでに言うと、日本人だったり健常者だったりする必要もありました。
中小零細企業は、バブル期でもリストラ・倒産はありました。女性たちはパートタイマーとして半失業で働いていました。
その他の点においては、あなたの意見に同意します。本当にとりさんの意見は厚顔無恥、傍若無人だと思います。
こんばんは
とりさんへのコメント相変わらずはぎれいいですね。
ワタリさんの日記への書き込みが最近無くてちょっと心配していました。
>終身雇用がセーフティネットになったのは、大企業に勤 める大卒のホワイトカラーの男性だけです。ついでに言 うと、日本人だったり健常者だったりする必要もありま した。
きょろは18年間子どもを育てるため、失業、半失業、被雇用(正規、非正規含む)ダブルワークなどさまざまに揺らぎながら働いて来ました。
そこでの実感はセーフティネットが機能するのは、ワタリさんの言うとおりに日本人で健常者で男で大卒の人たちだけです。
女性は常に景気の調整弁として、リストラされたり、賃金カットされたり。きょろは行政の言う「母子福祉」なんて最後の1年位しかもらえなかったし。でも社会全体の問題として捉えてもらえないんですね。だってその方が都合がいいと思っている人たちが政策の決定権持っているんだもん。こんな弱いものいじめのような社会は異常だと思う。
弱者に対して思いやりを持たない社会はやがて衰退してしまうんじゃないでしょうか。その前に何かできることがあるんじゃないか。これは社会のためにではなく、その中で生きていく一人一人のために何かできることがあるんじゃないか。きょろはこの頃そう考えています。
とりさんがここに来て何が言いたいのか良くわからなかった。
本人もご理解されていないのかもしれませんね。
ワタリさん。やさしい言葉ありがとう。
声明よかったですよ。ワタリさんは博学ですね。
きょろなんかおしちゃんに言われるまで「声明」のこと知りませんでした。もっと身近に聴く機会があればいいのに。
時たま長野の古寺廻りを母と一緒に「うつのリハビリ」と称してやっています。特定の信仰は無いのですが、お寺に行きそこに身を置くと、仏教文化のすばらしさに打たれます。また母との関係も以前より穏やかになりました。
労働法私も少し勉強します。
面接で「残業代はありません」とはっきり言われて「ああ、じゃ時間どおりに終わるんですね」と確認したのに定時で帰ってる人なんてきょろぐらいです。みんなサービス残業。正規社員と嘱託で仕事の重要性、責任に差はないのにね。
ワタリさんの今後のご活躍期待しています。
でも無理はしないでね。
まあちょっと考えれば、社長の息子が好きこのんで社長後継者を放棄して「自由」になることはできても、貧乏人が「自由」を売って(小金を得ることはできても)大金を得ることはできないでしょうね。その辺の不均衡・不公平がまさに問題なのですが。
そうしたことを考えれば100%自己責任的な物言いは想像力不足でしかないでしょうね。無意識と意識の関係のように、生まれたときに与えられた条件とそれからの自分の努力のどちらがより強く人生に反映されるかは分かりませんが、少なくとも経済面に限ってみればそれは明らかでしょう。医者の息子は医者という現実を見れば。
>きょろさん
俺も「弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く」的な世の中はヤバイと思っています。健常者も明日車に轢かれて障害者になるかも知れない。今は正社員だけど明日会社が潰れるかもよ?
そういう想像をしたときに、弱い者いじめがない社会ってのはまさに自分のためなんですがね。「情けは人の為ならず」って。
>面接で「残業代はありません」とはっきり言われて「ああ、じゃ時間どおりに終わるんですね」と確認したのに定時で帰ってる
強い!かなり格好いいと思います。俺も見習います。
>きょろさん
>声明よかったですよ。ワタリさんは博学ですね。
声明のコンサートをやっているお寺が近くにあり、和尚さんと知り合いというきょんさんもすごいですね。
ちなみにわたしは動物学か、そうでないなら音楽学をやりたいと小さいころから思ってきました。文科系のおしつけにさまたげられて頓挫しましたが、独学でできるかぎりのことはやっています。
>たいへんな状況ですね。g2005さんのおっしゃるとおり、あなたの強さには脱帽です。
ワタリは、以前それをやって、派遣先の会社の担当者から「もう帰ってください」って怒鳴られたことがあります。ホントは相手が労基法違反すれすれなんですけどね。
>g2005さん
>100%自己責任的な物言いは想像力不足でしかないでしょうね
そうです。全部自分の責任でなんてできないです。それに、政府や会社の自己責任は? だからといって、政府をリストラすることもできないし(苦笑)。
横レスですが。
>そういう想像をしたときに、弱い者いじめがない社会ってのはまさに自分のためなんですがね。
そうです。まったく同意します。それを実現することは、難しいけれど。こうした想像をやめるほうが文化適応、みたいになっているのはおかしなことです。
「残業代が無い」と言ってきたのは面接官からの発言だったんで(きょろの方から聞いた訳じゃなく)、「時間どおりに帰れるんですね?」と尋ねたら面接官が「はい、そうです」と言ったので、きょろは17時15分、遅番の時は21時には仕事を止めて帰ります。
けど回りはみんな帰らない訳で、正規社員はこの頃にはみんなラフな格好で(Tシャツに半ズボン!)12時頃まで働いている。そこを帰って行くのは結構勇気が要るけど、「あの人は定時に帰る人」っていうイメージをみんなに持って欲しいのと、あと安定剤も切れてきて、仕事に集中できないって言う事情もあります。
派遣ではなく直接そこの法人に雇用されているっていうことで、委嘱状には来年3月31日までは雇用します、って書いてあるのでまあ、その時再委嘱されない可能性はありますね。
だからその時のためにも少し勉強をと思うのですが、うちに帰ると疲れちゃってここのblog見たら薬が効いてきて寝てしまう。全然強くないきょろでした。