フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

OFFについての覚書ーー登校拒否からプレカリアートへ

2006-04-21 19:21:03 | イベント/ミーティング
ある方からプレカリアート・オフ会について問いあわせいただきました。
そのときの返事の一部を紹介します。()内は、ブログ用の補足です。

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拝啓

○○ ○○ 様

お忙しい中、29日のOFF会についてお問い合わせいただき、ありがとうございます。 (中略)

思想も、(なんでも)いいですよ。 宗教・政治(自己開発セミナー・マルチ商法)とは無関係、とひとこと入れてなければ、人が引いてしまいます。

何をもって思想・信仰の「おしつけ」と見るのか。意見を発表するだけでおしつけじゃないか、という議論もあります。それは相手の反応をみながら、相手を傷つける侮辱にならぬようにしてくれればOKです。意見はいろいろある。自分の意見も他人の意見も尊重する、という柔軟性を大切にしたいということです。

万が一話がこじれれば、常識による配慮や話しあいによって解決していただきたいのです。それでダメなら、主催者が仲裁に入ることになるでしょう。もっと厄介な事態になれば、弁護士・警察などにお世話になるかもしれません。そうした事態にいたらないように、参加者各自の自覚・配慮を求めているのです。

こうしたOFFを主催するのは、わたしにとってはじめてです。 どんな方針でやるか、お話させてください。

まず画一的な正しい答えありき、スケジュールありきという官僚化した組合のようにはしません。そういうやり方によって、差別的な侮辱を受け傷つけられた若者や女性もいますので。

当然ながら、他の組織や個人の支援もなく、フランスのような大行動はできません。

まずは顔あわせです。そして、お互いがお互いから学びあうのです。自分たちの仕事、生活、心配事などなど。 すべてを知る権威はプレカリアートOFFにはいません。たとえてみれば、知識のポトラッチ・パーティー です。ポトラッチでひとり一品持ち寄るように、ひとりひとりがパズルのひとかけらを持ち寄る(あの職場めちゃくちゃ。家の圧力がウザイなど。)。 それは分断統治として強いられる自立を、連帯に変えてゆく試み です。

そうやって、視野を広げ、自分たちにとっての課題を見出すのです。 国の大学を出られた国の大学の先生が若者の心を研究する「希望学」はいかがわしい。国の権威は、個人やコミュニティが手にしにくいマクロなデーターを提供すればいいのです。
ファシリテーターはおきますが、彼(女)はすべてを知るものではありません。ファシリテーターの知ることは、参加メンバーの知らないことである。しかしメンバーが知っていて、ファシリテーターの知らないこともある。そういう前提にたって、自分たちのリアリティをいっしょに組み立てていきましょう。

当日、参加者のリクエストなどを聞かないとはっきりわかりませんが、カラオケも会場として考えています。いっしょに遊んで、何が好きかを知らないと、「不安定雇用はこうした状態にある」とプレカリアート内部にも、外部にも情報伝達できないからです。また、労働だけではなく余暇をも尊重したいのです。二宮金次郎風の勤勉主義を問い直す のです。
失業者の権利 として、何もしないでそこにあること を尊重したいのです。

労働への自由、労働からの自由の両方を尊重 するのです。

それは、主に80年代を通じて、自らの登校拒否/不登校を通じて、親の会やフリー・スクール/フリー・スペース/ホーム・スクールのネットワークの人々と共につちかってきた文化遺産でもあります。次の世に、よき文化を残したいと思います。なんでも新しければいいというオリジナル礼賛など相手にしたくありません。

当日、お会いするのを楽しみにしております。

                                                                       敬具

                                                                       ワタリ
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060419-00000219-kyodo-soci

ひきこもり自立支援施設で、事故があった。失業とか半失業のフリーターだって、ニートだとか甘えだとか決めつけられたら、こういう労働下宿みたいな空間に隔離されて、ひどい目にあわされるかもしれない。施設の外の人間は、施設の悪い条件で働く人と比べば恵まれていると言われるだろう。職場で労働条件を悪化され、家では非難・攻撃にみまわれるだろう。

労働と余暇への2つの権利を擁護する。入りたいときに仕事がないことの多い半失業者、不安定雇用者にとって、そしてすべての人の休んだり遊んだりする権利のためにも忘れてはならない論点だ。