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フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

気になるブログのメモ

2005-09-21 10:05:06 | Weblog
ブックマークに収められるサイトの数にも限界があるので、メモを。(↓ ブログの主張に全部賛同するとは限りません。念のため。)

↓ 太郎丸博のブログ

http://sociology.jugem.jp/

↓ 労務屋日誌(ブログ)

http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20050919

↓ もじれの日々(本田 由紀さんのブログ)

http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/

この人とは関係ありません

2005-09-20 23:35:38 | Weblog
この人とは関係ありません


杉田 俊介 さん

当ブログは、これよりいっさいこの人とは関係がありません。

杉田さんには一度だけ京都に来られたときにお会いしました。フリーターに関するMLと新設予定の雑誌についての説明のための面談でした。
その際、ネット上の共通の知人のプライバシー暴露をされ、戸惑いました。差別・人権にからむ薬暦・病歴が含まれていたからです。もし、新しく作る予定の雑誌でそのようなことをかけば、人権無視で裁判になる、最悪の場合出版差し止め訴訟も覚悟せねばなりません。知り合いの編集者に聞いたところ、出版業界でもひとつの作法として、人に許可なく実名や住所などの固有名詞は出さない、薬歴・病歴ならばなおさら書かないとのことでした。別の同人誌の編集者に話を聞いても、同人誌・ミニコミ業界でも基本的に同じとのことでした。なんとひどいことをやるのか、とおどろき、あきれざるをえませんでした。彼は同人誌活動をしており、分泌のプロをめざして大学院に在籍していたこともあったり、プロの編集者ともつきあいがあると言いますが、その発言の信憑性を疑わざるを得ないふるまいです。
また、リアル世界でもネット世界においても、人の行動や意見ではなく内面を勝手に決めつけ裁くがごとき物言いには苦しめられました。人の意見ではなく、人格・人生全部を否定・侮辱・罵倒するのです。他人をいきなり完全無視するような無礼な接し方にも、びっくりしました。
そのほか、いきなり、脈絡もなく「セクトだ!」「政治的だ!」などと大声でさわがれました。これは根拠なき中傷であり、ヴォイス・レコーダーの記録等がもしあれば、名誉毀損とか侮辱罪で裁判で争そえる性質のものです。いかにもケンカ腰の身振り・口調・物言いには恐怖を与えられました。いつも相手を威嚇するような雰囲気を作っており、精神的な苦痛を追いました。
そのほか道徳的な説教も多く、内面を勝手に決めつけられたり特定の方向へ誘導しようとする、まるで「心のノート」のような操作性は不気味でした。
さすがに人が腰をかけてゆったりと読書するスペースで大声で騒がれたときには「周りの迷惑になる。静かに。」と注意するといったんは落ち着いたのですが、その後わけのわからないいやがらせめいた行為がありました。
おそらく彼の手によりものと推定される民族差別・差別・職業差別をあおる記述がありました。また、個人的には母と祖母を侮辱する記述もこの人によるものでしょう。

その後、ブログを拝見したのですが、ある経済学者をネオコン派の「一匹」と表記するなど、他者への敬意も見えず、下品で乱暴な情報を発信しています。

わたしは、法律や慣習を無視し、差別や人権蹂躙に加担する人とはつきあいを切ります。杉田さん、もう絶対にこちらのブログにこないでください。書き込みを見つけ次第削除します。それでも同じ行為を続けるのなら、出るところに出ることになるかもしれません。

このブログについて

2005-07-09 22:38:08 | Weblog
 このブログで言いたいこともあらかた書いてしまった。これほど長く日本語の文章を書く力が自分にそなわっているとは、自分でも驚く発見だった。
 意見をきかれることなど考えられないフリーター生活のなかで、自分にはもう公の場で情報を発信する力などない、特に正社員の大学卒のホワイトカラーの人たちに届く声などないと、半ば決めつけていたことに気がついた。ところが、いろんな年齢や職業の方からコメント・トラックバック・メールで連絡をいただいた。自閉症の子をもつ親御さん、同じアルバイトやパートの方、正社員の方、引きこもっている人、ニートの人、いろいろな人と意見を交換することができた。なかには情報生産業の方までいらして、これにはビックリした。
 幼稚園受験も小学校受験もすべって、中学校受験はやらせてもらえなかった自分が、これほど多様な人々と語り合う言葉を隠しもっていたとは!
 多分、情報が出たのは、ほんのわずかだが通ったフリースクールのおかげだろう。そこでは、子どもたちのミーテイングによってカリキュラムや行事が組まれていた。兵庫のフリースクールに少しだけ通ったが、そこではスタッフ(通常の学校の先生)を雇うときに子どもの面接があった。子どもたちがNOと言えば、その人は雇われない。つまり、子どもたちに拒否権があるのだった。
 そこで、意見を言うことが奨励されていた。はじめは何を言えばいいか、どの提案に賛成すればいいのか、さっぱり分からず悪戦苦闘した。別の意見の持ち主と顔をつきあわせるのを苦痛に感じたこともあった。それでも、その対立や齟齬をうめたり、互いに尊重しあったりするここちよさも学んだ。意見と人柄が違うということも、寮に入っての共同生活によって多面的につきあうことによってよく理解できた。
 徹底した民主教育・自由教育が、わたしに開放のための文化行動を起こす回路を開いてくれた。
 また、そこは「知識よりも感情(A・S・ニールの本のタイトル)」を重んじる場だった。もしわたしが知識優先の学校教育を受けていたら、「わたしよりも頭がよくてよく勉強している人はごまんといる。わたしが何か言ってもムダだ。客観的に見てそうなのだから、何かを訴えても仕方がない」と諦念し、沈黙を保っていただろう。そして、自分よりも失業期間の長い人を見つけて、自分の自己否定の感情にも気がつかないまま相手を責めたりなじったりしていたかもしれない。ただ正社員になろうとしてばかりで、社会のシステムについて考える能力が「無能化(イリイチ)」されていたかもしれない。
 そうした、いわば去勢された状態にならなかったのは、自分を知ることを大切にして、世間体など気にするなとはげましてくれるフリースクールスタッフのおかげであった。あるいは、価値観をほぼ同じにする不登校親の会の関係者のおかげである。
 もしあのまま通常の学校や大学に通っていたら、わたしは不正に反対できないネオコン礼賛の人になっていたかもしれない。ちょっと交換価値が下がれば、使用価値もないと感じたり、危ないことに存在価値までないと信じ込むような短絡的な人になっていたかもしれない。そうならなかったのは、脱学校あってのことである。不登校という選択が、フリーターへの差別に反対する今のわたしの実存を作ったのだった。

ところで、このブログについて、ある掲示板にて興味深いご批判をいただいたので、この場で答えておきたい。
オリジナリティがない、というものだった。あなた自身の発見ではない、他人の発見・言及にオンブにダッコではないか、ということだ。

それについては、
1.これまでの発見を重ねると見えてくるものがある。ジグソーパズルを組み立てるようなものだ。この手のやり方で、シーア・コルボーンたちは環境ホルモンを発見した。
2.脱原発運動の主張においても、「脱原発系の学者の言うことは他人の発見の引用だらけ。オリジナリティがない」とする原発推進側からの批判があった。それに対して反対側は、誰の発見であっても科学的な発見は発見だと切りかえしている。わたしもこの立場をとっている。
3.オルジナリティは絶対なのか? 伝統芸能ではオリジナルは排除されるが。
4.そもそも動物学者志願だったブロガーでもあるわたしが、なぜ文系の大学人のようなルールに従う義理があるのか分からない。これは「当事者学」ではない。

の4つを反論としたい。

次に、メールをいただいたのだが、「ワタリさんは専門家ではないでしょう」というご意見について。
わたしは専門家を妄信していない。
どちらかといえば、フリーターに関するlay exspert(専門家ならざる専門家)http://www.atom-fukushima.or.jp/kentoukai/kentou-gaiyou/kentou-2.htmになりたいと思う。労働経済学者がフリーターについて分からないことがあれば、わたしのところに連絡・相談しにくるような存在になれればいいと思っている。科学者の共同体の外にいるからこそ見えてくる視点がある。せっかく登校拒否を体験したのだから、せっかく大学を出ていないのだから、その視点を大切にしたいと考えている。(7月25日リンク先追加しました。)

 もうひとつ、じかに会った方から伝えられて、返答に詰まったのにこんなのもあった。
「不当にフリーターを代表している」「フリーターを美化している」
その方は、たいへん不愉快そうに、怒ったような調子でそうおっしゃった。また、神経質で狭量な優等生タイプの人でもあった。
 そのことを鑑みるに彼は、いまどきの日本の中産階級的な価値に反するものを、部分的・表面的にはともかく、総合的には認めたり肯定したりしたくないのだ、とうかがえた。
 わたしはフリーターを代表してなどいない。フリーターもひとりひとり違って当然、正社員にしか分からない視点もあって当然。そのなかの一つの情報がこのブログだと考えている。
二つ目の批判は、おっしゃる意味が分からなかった。フリーターに関する悪口でも読みたいのなら、論壇誌「諸君」や「正論」(ともに保守反動系の月刊誌。若者叩きの記事がよく掲載される。)をどうぞ、としかいいようがない。また、仮にも人様に文章を読んでいただく以上、化粧をするのは当然ではないだろうか? つまり、多少の美化は多めにみろ、ということだ。これは常識の問題だ。口紅とまゆずみを描いただけで「不自然だ、素顔のあなたじゃない!」とか何とかキレられても何だか……。
 さらに、これまでさんざ否定的・同情的な情報が語られてきたフリーターの一人が、なぜ徹底集中して肯定的な情報を発信してはいけないのか? ほんのわずかの立場の偏りにも耐えられないのは優等生的な潔癖主義としか言い様がない。あるいは、彼は内心、フリーターを肯定したくないけれど、肯定的なエピソードや解釈や歴史・伝統を示されたので、にわかに反論もできず混乱しているのだろうか?
 わたしとしてはそう考えたのだが、読者はどうだろうか?

(2005.7.12訂正)
 それから、こんなひどい意見もあった。「あなた(たち)は、不幸自慢、不幸競争をしている」というものだった。
 彼は、フリーターのほかホームレス、身体障害者、引きこもりなどを一括して弱者と一くくりにして呼んでいた。それで、寄せ場や福祉の現場やシンポジウムで話を聞くと、みな一様に自分が一番不幸だと嘆いている、と語る。「ホームレスは社会で一番生きづらいフリーターは会社のなかでもっとも立場が弱い」といった話はすべて「不幸自慢」であり、不幸のチャンピオンを決める不幸競争である、そんなことをして団結をしないから差別されてばかりなのだ、と威圧的な父親のように説教をするのだった。
 これは、批判ではなく悪口である。社会全体の問題を、特定のグループの自己責任に転嫁する論理のすりかえである。
 彼は、「わたしはあなた(もしくは普通や標準とされている生活水準)と比べてしんどい」「この立場で生きるのは辛い」と主観的かつ客観的に訴えている声を、ただの〝仁義なき争い〟だと解釈することで、ネオコンの立場に肩入れしている。異様に距離をとった姿勢であり、人への共感がないようだ。
 さらに、それは社会の構造モデルについての議論でもある。その意義を矮小化しているのだ。
 それらの点を考慮するに、「不幸自慢(競争)」は、ひとりひとりの訴えを強引にステレオタイプ化し、価値を切り下げる、社会的弱者へのネガティブ・キャンペーンである。「当事者」らの権利への意思、よりよく多様でありうる人生への希望などの訴えはすべて切り捨てられる。
 彼は生真面目な優等生タイプで、非常に真剣な様子ともっともらしい文体で情報を書く。けれど、仮面の奥には、組織することや人を救うことによって支配欲・征服欲を満足させたいという黒い欲求が渦まいているように思われた。極端にまじめな態度や、尋常ではない冷たさと硬さ、それに個人の独自性への根強い拒絶反応は、本心をおおいかくすためのパフォーマンスに見えなくもない。
 この種のネオコン的な宣伝・広告に流されないように、自分の中の権威主義とか思考停止を点検しながら前にすすみたいと思わされる意見だった。
 
(訂正ここまで)

 このブログはここで終わる。後日、記事に小さな訂正や追加をするだろう。まだ書きかけのエントリーや入れそびれた注もあるからだ。また、2ー3のエントリーを追加するかもしれない。
だが、基本的にはここでおしまいである。
 パート2を建てるかどうかは、まだ決まっていない。不登校とか脱学校のブログもやる予定だし、何よりも賃労働をしないと生きてゆけないので、このブログはもうそろそろ終わらないといけない。

 少なくともあと3ヶ月はアカウントを取り消しません。ログを採りたい方はお早めにどうぞ。


 「大学出ていないのは文字の読み書きもできない」というのが〝世間の常識〟だという。
でもそんなことは今はどうでもいい。わたしは自分を知る行為をしただけだ。そこから世界を見渡せば、他の人とは別の視点がある。それだけのことだ。ほかの人が見えるものをわたしは見えない。けれど他の人に見えないものをわたしは見ることができる。ならばそれを書いてゆけばいい。
そうすると、同じような風景を知っている人たちからコメントやTBがやってきた。不思議な一致を楽しませてもらった。
 寄せられた声のなかに、フリーターなんて怠けだとか、死ねとかいったものはほとんどなかった。労働や失業や、宗教や科学技術や社会の問題を真剣に考える、ユニークな人たちからのメッセージがほとんどだった。もっとたくさんの苦情や中傷がやってくると思っていただけに、拍子抜けした。

 最後に、このブログは半分はわたしが書いて、あと半分は読者が書いてくれたのだと思っている。コメントやトラックバックの量だけではなく、質の面でそうだ。読者のあつい、労働や経済や日常生活への思い。それが、一日十数時間も寝てしまうこともあるーー多分医者ならばうつだと診断したであろうーーわたしを突き動かした。読者の意見や批判に、時には共感し、時にはしらけ、時には反発した。
 でも、そんなふうに感情が豊かになったときに、もっとも納得のいくエントリーが書けた。そうでないときは、気が抜けている。
 このブログを支えてくださった多くの方々に感謝したい。

 今度、いつフリーターについて情報生産のできる状態になれるか、見当もつかない。だが、生きていれば、いつかきっと戻ってきたい。

 閉店までねばって会話をしたりロムったりしてくれたすべての人たち、ありがとうございました。
それでは、失礼します。



 
 
 

 

ハラナさんへのTB

2005-06-30 20:22:40 | Weblog
(この記事はタカマサさんのブログ http://blog.drecom.jp/tactac/ へのTBです。)


はじめまして。ハラナってステキなお名前ですね。なんとなくconviviencialで。
コメントをいただき、ありがとうございます。

>佐藤博樹先生、「人はマニュアル通りに動くだけでなく、不良品を見分け、その原因を追及し、改善できる」として、「製造業の未来に人間は欠かせない」とみているという

記事になったものの紹介を見る限り、あいまいで楽観的な観測ですね。
実際には、一部の機械を作る人とメンテナンスをする人は確かに必要ですね。それから、大多数の機械と機械のつなぎの部分の仕事を人間がこなす、あるいは、まだ機械が導入できていない職場では当面人間が機械のかわりに働くということではないでしょうか。
一部の上流の仕事をする人たちは尊敬され、十分な給与を支払われるでしょう。ただし、大多数の人たちは、機械のアシスタントとして働くという不毛さ、次に新しい機械が普及したときには職を失うというリストラ圧力にさらされるでしょう。

(マクドナルドについて)
>その存在を許す社会の側が強いられる負担や危険はきわめて重大である点に、大衆はあまりに無自覚だ。

みながまったく気がついていないということはないと思いますよ。管見では、マクドナルドは体に悪い、雰囲気もよくない、割安とは思えないなどの理由によって、なるべく使わないようにしている、またはあまり使わなくなったと言う20代後半の男性を知っています。
また、社会運動かいわいでは、マクドナルドを解体したジョゼ・ボヴェ―-フランス農民運動のリーダー。ユネスコのシンポジウムでは、パネリストとして故・イバン・イリイチの隣の席に座った――は、有名人です。

>伊原亮司さんの『トヨタの労働現場』が えがいているとおり、現場労働は、「誰でもできる単純作業」でなどない。そういった「単純労働」に長期間たえられる心身がそなわっているという、実は平均以上の水準が、こともなげに要求されているのだ。

そうですね。わたしも長年「単純作業」と言われる現場を渡り歩いてきました。そこでは、「誰にでもできる仕事」はありません。異様なまでの従順さ、会社ムラの気配に溶け込むこと、体力や気力、ガマン強さ、仕事の意味や価値を問わない思考停止、給与や保障への無頓着さ、過労死・労災等を気にしない人命無視と健康軽視。公私混同を気にしない鈍感さ。
それは会社側からすれば、「自明の原理」になっています。それを守れないものは、「自然な社会人らしさ」がない、がんばっていない、世間の常識を知らない、などと罵られ、ときにはたやすくリストラされます。

アマゾンが地域経済を破壊しているとのご指摘、本当にそうですね。
大型書店は3Dアマゾンをめざしているようですが、どうなんでしょう。自分の知る限り、たとえば梅田の紀伊国屋書店など、店内が広すぎて迷子になる人が珍しくありません。また、店が広すぎて管理が大変なためか、古い本中心の品揃えになっています。
田舎・郊外の書店だと、ハラナさんのおっしゃるとおり効率よく売れる本しかおかなくなっていますね。
だけど、地域の独自の文化とか本とかがあるかといえば、田舎や郊外にはないんですよね。東京の、あるいはアマゾンの文化が一番幅が広くて充実している。 
そのへんが抵抗しにくい。新しいものは便利で、オープンで自由そうに見える。ところが実は、自分たちの生きる基盤を破壊するものであった。気がついたときにはリンク先はアマゾン。という難しさが、グローバル化、アングロサクソン化にはついてまといますね。
たとえばマクドやコンビニ・ファミレスも、主婦の労働を軽減させた功績もある。ただし、コンビニのキャッシュコーナーで割高な手数料を引かれ、またパートの忙しさによってそうせざるをえない状態が好ましいのか? 学校の権威を崇拝する儀礼も会社の労働も、もっと短く切り上げて、家族や友人と協力して家事をやったほうが「いい生活」じゃないか。手作りの食事の無限の多様性、栄養バランスのよさや、地元の生産者とのつながりのほうが大切ではないのか? 
マクドナルドとアマゾンに対抗する生活圏は、日常生活を新たに作り直す実験なくして形成できないでしょう。
具体的にどうすればよいかは、今の自分にはわかりません。ただ、個人や個々のグループが、試行錯誤をつみかさね、行政にバックアップさせるほかないのでしょう。




更新のお休み+調査・革命お断り

2005-03-11 04:42:21 | Weblog
 しばらく、不定期でこちらのブログの更新をお休みすることにしました。
昔の辛かった事や不快だったことを思い起こしてブログらしい長文に仕立て上げるのは骨の折れる作業なのです。このブログを更新するストレスも相当のものです。

 コメント・TBの管理にも時間と集中力が必要です。

 ちょっと1、2ヶ月くらいは休まないといけないかもしれません。もうコメント・TB、ならびにメ-ル、すべてにお返事できません。

 このブログのアカウントは取り消しません。エネルギ-が充電したら、再開します。

 それから、ジャ-ナリスト・研究者の方へ。調査はお断りします。2回ほどすったもんだがあって、どうして調査を断ったほうがよいのか、学習したので。
 いくつもの市民団体や労働組合関係者から、どれほど調査が論外的にダメであるか、とうとうと説教された理由が、いま明確に分かります。
 調査って言うのはやはり調査対象をつかまえて苦しめてしまうところがあって、必死に嫌がる人がいるのも分かる気がします。もちろん、相手も仕事ですから、そのへんをうまく言いくるめるスキルはしっかり持っています。相手が地位の高い方だと断りにくいのももちろん利用して、情報をとろうとします。そこで断ろうとすると何かと大変なのです。
 人の奴隷になりたくなければ調査は断れ。アクテイヴィストの面々に、お前はアホか、絶対に断れとこき下ろされ、恐怖と苦痛で泣き叫ぶ人まで目撃することになったのです。世界古典文学を引用されて論難されることも。危機感で息のつまる状態の人たちから、四方八方から叩かれて、壊れそうでした。
 一人目の調査の方は、わたしを狭い世界に閉じこめようとしたので、必死に逃げ去りました。
 二人目の調査者には、かなり危なっかしい、強引過ぎるほど強引なやり口で、つきあいを拒否してもらいました。残念なことに、そのときのわたしに使える(ように見えた)手段は他にありませんでした。
  とにかく、もうやりとりはないというので最近やっと開放されたのですが。
 そんなこんなで、調査だけはお断りです。これほど争いに争い、消耗するとは、

それから、革命というのもダメです。いずれ革命への恐怖も克服しないといけないのでしょう。それでも、以前「フリ-タ-を寮に入れて真人間に更正させる」という施設の方に目をつけられて、アルバイトなどやめて、まずそこの引き出し団体のオフィスに通い、革命をやろうなどと、生活破壊的なお説教を長期間にわたって受けときには困りました。読書暦の関係から、革命にはマイナスのイメ-ジのほうが強いですし。とにかく、革命をやりたい方は、わたしを誘わないでください。どちらかといえばわたしは、反革命だと思っています。
 もっとも、メ-ルをいただいた革命の方は、非暴力の革命を志す方だったと後で判明したのですが、恐怖心を克服できず、過剰防衛してしまいました。革命の協力者を求める方は、メ-ルを控えてください。

(2005/3/12 gooの規約に触れるおそれのあった部分を訂正しました。調査だけではなく革命を断る旨も追記しました。)
 





読者からのコメントとお返事再録

2004-12-15 23:10:39 | Weblog
 実は先日あるひとつの記事を削除しました。こちらのブログの趣旨について誤解されるおそれがあったためです。当然、その記事に書かれたコメントも同時に消えました。
 これは終身雇用幻想を打ち破る情報ですので、記事として再録します。




ネットカフェより (koo) 2004-12-05 12:49:53

明日から栃木で一番最初の研修です。ほとんどの人がいっぺんドロップアウト組です。18から50まで年齢もいろいろ、北海道から沖縄まで200人の同期。銀行時代や税理士試験勉強中のときとは異なる雰囲気みたいな、ものを味わってきます。



いらっしゃいませ (ワタリ) 2004-12-08 16:37:25

 Kooさん、いらっしゃいませ。たしか、一度目の転職で、また正社員になれたんでしたね。
 情報提供をありがとう。このブログに来る人にとって、「働くのって終身雇用だけじゃない」といういい例になったと思います。
 それにしても正社員って会社の研修が受けられて、いいな、うらやましいな~。
 そのうち会社もアルバイトや派遣を使い捨てでは効率が悪いので、活用策を考えてくれるといいのになぁ。いや、そうなるように訴えていかないといけないんだろうなぁ。
 たいへんな面もあるかもしれませんが、せっかくの研修、充実したものになるといいですね(^_^)。


みなさんへのコメントーー暫定的に時折復帰します

2004-11-26 23:36:25 | Weblog
 みなさん、レスがなかなかできなくて、すみません。
 体がときどきフリーズを起こしていて、郵便局にいけなかったりしています。それで、自宅のPC復旧はまだです。

 とりあえず今日はネットカフェより暫定的に復帰しています。これからの予定は未定ですが、
できるかぎり復帰したいと思っています。ときどき、できれば週に1回くらいは復帰したいのですが、できるかな?

 
 それから、杉田さん、その節はどうもご迷惑おかけしました。
 当方、関西在住なので、関東方面と東京方面の区別があいまいなんです。
 ここにおわびします。

 そのほかのみなさん、いろいろレスしたいこと、もともと書きたいことなど山のようにあります。後日あらためて報告します。

 それでは今日はこのへんで帰ります。終電が迫っていますので。

 

遅れてすみません

2004-11-11 20:53:32 | Weblog
 みなさん、たくさんのコメント・TBありがとうございます。

 他に書きたいことはたくさんあるのですが。またしばらくお休みをいただきます。

 自宅のPCがまだ直らないので、ネットカフェ代が負担なのです。

 いつになるか確約できかねますが、きっと、続きを書きます。
 実はまだ書きたいことの半分くらいしか書いていないのです。。だから、つづきは絶対に書きたいです。

 しばらくの間、お別れします。