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第26回お母さん食堂クッキング ”子どもを亡くした親のクッキングによるグリーフケア”

2023-04-19 19:57:57 | 社会
日時:2023.04.15 土曜
会場:新宿レンタルキッチン
参加者:生徒7人
(ほかアシスタント4人、ゲストスピーカー)
メニュー:チーズケーキ サブレ
ゲスト:近藤博子氏(がんの子どもを守る会理事。元同会のソーシャルワーカー)

今回ゲストスピーカーをお招きしました。みなさんと同じ体験をされた方です。当時は立ち上がれないほどの喪失を抱え、自宅にこもる日々がありました。あるとき、偶然目にした社会人大学を知り、少しでも外に出なければとご自分を奮い立たせて大学に入学。ソーシャルワークを学んでがんのこどもと家族を支援する仕事につかれた方です。

私は近藤さんと30年来のお付き合いですが、あるとき「子どもを亡くすことはそんなに悪いことなのか」と言われたことがありました。子どもに先立たれるほど大きな苦しみはないと思った私はこの話の続きを聞いて、ぜひ近藤さんの体験を皆さんに聞いていただきたいと思い、お招きいたしました。

近藤博子さん
「ドイツで知り合った同じ経験をした友人が、こんなことを言いました。"亡くなった子どもは幸運な子。幸運をもたらす子ども"です」と。
最初はこの言葉がよく分かりませんでした。これは私の解釈ですが、短い命を全うした子どもは親の生き方を通して同じ体験をした人の役に立つのではないかと。なぜなら人生は思い通りにはいかない、どうにもならないことがおきて、私はかけがえのない娘を亡くしました。でもこの悲しみを知っているから、その経験を持つ人との出会いが貴重だと思うのです。娘が亡くならなければ出会えなかった人、かけがえのない人たちとの出会い、この経験があるから、厚みのある人生を生かせていただいていると感じます。そのように思えるまでにはたくさんの涙を流して、時間もかかりました」 (途中省略)

みなさんの感想
明日死のう、勇気ないから自分から死ねないけれど、それでも5年が限界と思っていた。今日のお話を伺って、もう少し生きてみようと思った。

 まだ娘がいなくなったことを受け止められないけれど、近藤さんの言葉で「亡くなった子供は幸運をもたらす子供」本当に私の娘もそんな娘だったから。私もたくさんの人に娘のことを話したい。

 お子様を亡くされて、33年たつ近藤さん、わたし今47歳です。亡くなられたお嬢さんは私と同じ年。わたしが15歳のときにこのようなことが世の中にあるなんて知りもしませんでした。こどもをなくすことはそんなに悪いことなのか。。。すごく残った言葉でした。

 今のこの深く悲しい気持ちがいつまでもいつまでも終わることなく続くのではないか、と漠然と不安を抱えていますが、今日のお話から、未来に小さな希望の光が見えました。

 幸運な子ども"という言葉だけを聞くとドキッとしてしまうけれど、娘は不幸ではなかったし、娘は幸運な子どもであったと言える生き方をしたい、と思いました。

悲しみは消えないけれど、形は変わっていくこと、私も少しずつ感じています。近藤さんが過ごしてこられた年月に向かって私も歩んでいく事を想像した時、それは決してつらい道のりだけではないと希望をもらえました。

 まもなく二年という経験者ですが、深い悲しみのなかにあっても、近藤さんと同じように感じている面もあります。

感想
 坂上さん小児病棟で遊びのボランティアを国際医療センターで立ちあげた方です。
病院はボランティアが入るのは、感染の観点からとても慎重です。でも、子どもたちのお母さんからの要望で入り、子どもたちがガンなどの重い病気と闘っている中、遊んでいる時は笑顔になり、それを看護師さんたちが見て、病院に働きかけスタートしました。
 その活動が、順天堂大学病院小児病棟、東京医科歯科大附属病院小児病棟などへ広がりました。
 私は東京医科大で遊びのボランティアを8年ほどやりました。

 子どもは遊びたい。でも病院ではなかなか遊べません。
 東京医科歯科大には全国から、白血病や固形がんの子どもが入院していました。
そこに入院していた、よっくんとの出会いもありました。
 よっくんは11歳で亡くなりましたが、ステキな詩ををたくさん残しています。

 入院児と遊ぶボランティアはこのコロナで、中断してしまいました。
坂上さんは、お母さん弁当や、医療スタッフへの応援弁当などいろいろな工夫をして、支える活動をして来られました。
 しかし長引くコロナでそれもできなくなり、何もやることがなくなり、だったらと服部調理師学校に行き、調理師免許を取りました。
 子どもを亡くしたお母さんが、同じ境遇の仲間が集まる場所がない。そういう人へのグリーフケアがないと寂しく話されるのを聴き、グリーフケアのカウンセリングはできなけど、一緒に料理を作ることで、同じ境遇の仲間が集まれる、一緒に作りながら、一緒に食べながら、話をすることができる、それがグリーフケアになるかもしれないということで、お母さんクッキングを始めました。

 ボランティア事務所では、参加者2人、アシスタント1人、坂上さんの4人でお母さんクッキングをやられています。
 そして時に場所を借りて、多くの人の集まりも行っています。それが第26回お母さん食堂クッキングでした。

 深い悲しみがあると、食べることも二の次になります。そうすると栄養状態も悪くなり、元気も出て来ません。先ずは食べること。そこに注目した活動です。
 実際に参加された方の感想に、これまで味わうこともなくただ食べものを口に運んでいました。でもこのレシピで家でも作ろうと思い作りました。家族が久しぶりに食事を美味しく味わうことができましたとありました。

 知り合いと二人で申し込めます。一人の人は、坂上さんが探してくれます。
勇気を出して扉を開けてみると、そこには新しい意味づけのある人生が待っているようです。

 愛する子どもを亡くしたことで失ったことがたくさんあると思います。子どもを失ったことで体験したこと、出会う人がまた生まれてきます。そのためには扉を開けてみることなのでしょう。

 子どもを亡くして、その子どもの死を乗り越えて新しい活動をされている方もおられます。
近藤博子氏(がんの子どもを守る会理事。元同会のソーシャルワーカー)さんもそのお一人です。



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