幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「あなたを自殺させない 命の相談所『蜘蛛の糸』佐藤久男の闘い」中村智志著 ”ユーモアを忘れない!”

2021-01-03 18:48:18 | 本の紹介
・34歳で独立すると、不動産会社の社長になった。年商十億を超える企業にまで育てたが、長引く不況で2000年10月に倒産した。バンガローのような自宅も競売にかけられた。うつ病に苦しみ、自殺の恐怖にかられた。
だが、少しずつ立ち直ると、「戦後の経済を支え、地域に貢献してきたはずの中小企業の経営者の自殺を防ぎたい」と考えるようになった。

・佐藤が「蜘蛛の糸」をつくった2002年、秋田県の自殺者数は494人に上った。うち自営業者は89人もいた。それが、2012年には、自殺者が277人、うち自営業者は30人にまで減少した。
もちろん、佐藤一人の力ではない。秋田県庁も危機感を抱き、2000年から対策を取り始めていた。秋田大学の研究者たちも研究と実践をつなぐことに力を注いでいる。
秋田モデルは自殺者を減らした成功例としてよく知られており、日本の自殺対策を語るうえでは欠かせない。その秋田モデルの中核に、佐藤がいるのだ。

・相談者の声
 ・「困ったときに、わかってくれる人がひとりでもいれば、すごく、いいなと思う」
 ・「ガス止めてもらってありがと、水道止めてもらってありがとうって、そのおかげで私はこれだけ頑張れるって、そういう考え方よ、それがプラス思考といのうのよ」

・「ただ聞く、それを我々もやっています。ただし、可能性を示す。この人を生かしたいという気持ちをどっかに漂わせながら聞く。」

・「自分の運命の流れに逆らわねえようにしましょう。逆らってもがくから、悪いことが重なるんだべ、運命とたわむれてみれ」
この言葉は、佐藤が敬愛する良寛が遺した逸話が下敷きになっている。
<災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬるがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候>

・佐藤は倒産後に、アウシュビッツの収容体験を描いたヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を繰り返し読み、深い感銘を受けた。なかでも忘れられないのが、収容所で家族を殺されたフランクルが、極限状態でもユーモアを失わない姿だった。フランクルアは、ユーモアは自己を維持するための心の武器だと言っていた。

・倒産した。この日、佐藤は愛用の三年日記にこう記した。
<第3の人生のスターと日
1. 逃げないで、真正面から人生に対応しよう
2. 専門家(弁護士)に委ねる
3. 新しい人生をスタートさせる >

・日記に
1. 軽蔑された、その通りですと言おう
2. 冷たくされたら、自分の方から声をかけよう
3. 馬鹿にされたら、感謝しよう

・「失ったもの」
 社長業、自宅、会社、事業、社員、預金、株券、信用、友人、忙しさ
 「残ったもの」
 家族の愛、深い友情、自分、時間、ヒマ

・「左遷の哲学」伊藤肇著を読み明かした。重要な個所には蛍光ペンや鉛筆で線を引き、付箋を貼った。

・西郷隆盛にも影響を与えた幕末の儒家・佐藤一斉『言志四録』の言葉には特に救われた。
「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め」

・フランクルはまた、生死を分けたものとしてこうも記していた。
<収容所の中の人間に、ふたたび未来や未来の目的に目を向けさせることが内的に一層効果をもつことが指摘されているのである。・・・。これに対しての一つの未来を、彼自身の未来を信ずることのできなかった人間は収容所で滅亡して行った。未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのであった>

・やがて、佐藤の中で、ある決意が芽生えた。
「中小企業経営者の自殺を防止する機関を立ち上げよう」
中学時代に国語を習った恩師の永井隆一のもとを訪ねた。永井は秋田県教育長の教育次長も務めていた。
「それはとても大事なことだから、がんばりなさい。私が理事長になってあげよう」
地元経済界のリーダー、那波宗久が応援してくれた。
そして思いきって、知事面会に申し込んだ。秋田県では、知事面会と称して、知事が直接、県民からの提言や提案を聴く場を設けている。
こうして佐藤の構想は、知事のお墨付きを得た。
「佐藤さん、がんばってください。お願いしますよ」
倒産から1年と1か月が過ぎていた。

・佐藤は、NPO法人「蜘蛛の糸」設立にあたり、ふたつのことを決めた。
ひとつは、相談を経営者に限定すること。自分は精神科医でも法律家でもない。ただ経営者の気もちはわかる。仲間が自殺に追い込まれている地域社会に一矢を報いたい、という気持ちが強かった。もうひとつは、秋田県中心に活動すること。

・2002年6月14日にNPO法人設立の認可を受けると、秋田県のホームページに載った紹介を見た人がちらほらと相談に来はじめたのだ。
マスコミ報道も後押しした。6月29日付の毎日新聞秋田版が「社長さん 倒産に負けるな/立ち直り支援NPO 来月1日スタート」という見出して「蜘蛛の糸」の設立を報じると、7月13日には朝日新聞秋田版に「倒産企業の経営者 NPOがサポート」と載った。

・面談には三つのキーワードがある。
 ゆっくり。
 きっちり。
 じっくり。

・佐藤は、答えは相談者の内側にあると信じている。

・相談を進めるうえで、誰に対しても欠かさず除去する「危険因子」がある。生命保険だ。・・・。
生命保険の解約は自殺防止につながるだけではない。経営者は多額の生命保険をかけている例が多く、数百万円の解約金が戻ってくることもある。そのお金は当面の生活費や弁護士費用に充てることもできる。

・1997年に消費税が3%から5%に上がったことも、中小企業にはボディブローのように効いていたかもしれない。「金融機関の貸し渋りが引き金を引いたな。中小企業は資金が回らず、人間で言えば一気に血を抜かれたみたいになった。病人が点滴を抜かれるようなもので、たまったものではない」

・「法律(自殺対策基本法;2006年6月に成立し、その年の10月に施行)があるのとないのとでは大違い。私の活動が認められるようなったのも、基本法できてからです。それまでは、いくら新聞やテレビに載っても、どこか懐疑的に見る人もいたわけさ」 佐藤はこんな表現で基本法に感謝した。

・自殺対策基本法の成立までには、多くの人の力が尽くされた。特に大きいのは、民主党の参議院だった山本孝史と、NPO法人「ライフリンク」の清水康之の存在だろう。

・「兄のランドセル いのちの政治家 山本孝史物語」

・あしなが育英会の玉井義臣会長から(山本)に電話が入った。
「奨学金利用者に、親を自殺で亡くした子どもたちが増えてきた。自殺はうつ病だけが原因ではなく、社会的な要因が多い。国会でも取り上げてくれないか」
そこから山本の自殺対策をめぐる活動が始まった。

・「秋田モデル」の特徴として次の4点があげられる。
1. 県、秋田大学、民間団体、医師会等の「民」「学」「官」の連携が進んだ。
2. 自殺対策に熱心な民間団体が結成されている。
3. 広範な啓発活動とワンストップの相談体制を構築した。
4. 行政、大学、民間団体の役割分担が機能し始めた。

・2007年7月、秋田県は秋田県医師会と共同で「命の尊さを考えるシンポジウム」を開催した。ここでのポイントは「自殺をタブー視しない」「個人の問題ではなく、社会の問題としてとらえる」であった。県は翌年から本格的な事業として自殺対策をはじめた。
対策の柱は「情報提供・啓発活動」「相談体制の充実」「うつ病対策」「予防事業の推進」「予防研究」の五つ。

・(自殺)要因が芽生えてから亡くなるまでの年数は、中央値で5年、平均値で7.5年。男性なら3.8年、女性は8.1年。
・釜石を再訪する前、佐藤は相談に臨む心構えを書き出した。
1. ひたすら「傾聴」に徹する
2. 信頼関係の醸成に時間をかける
3. 他人の悲しみに土足で踏み込まない
4. 相談者が望まない相談をしない
5. 「生きる希望と勇気」を与える

・「まず、家族です。家族経営に徹して、家族が生きられることを考えましょう。この際、従業員のことは考えなくていいから。自分たちが立ち上がり、それから先に従業員だった人たちをまた雇えばいいじゃないですか」
この言葉が復活のきっかけになった。従業員の給料をどうやって払うのかばかり考えていたが、家族が食べていく分だけなら何とかやれる。菅野は気持ちがすっと軽くなった。

・「得意分野は何ですか?」
 「惣菜と弁当、それに冷凍食品です」
 「それなら、弁当だけに絞りませんか」・・・
 「私は最初は、前の規模に売り上げを戻すことだけを考えていました。あれもこれもと考えて何も前に進みませんでした。でも今は、まずは家族が行き抜くことを考えています。」

・佐藤は震災の年の夏、釜石で「天国と地獄」という話を聞いた。津波の難を逃れた店は、全国からの来訪者や地元の人でにぎわう。津波に店を流された人は「天国」店の繁栄を横目で見つつ、その店の客にもなる。

・(子どもたちへ)「私から皆さんへのメッセージ」として三つのことが書かれていた。
1. 自分のいのちは「お父さん」「お母さん」からいただいた「大切ないのち」です。そして、未来につながる「大切ないのち」です。
2. これからの人生には楽しいことがいっぱい待っています。大勢の友人を作って仲間と一緒に元気に成長してください。
3. 自分のいのちはたったひとつしかありません。自分のいのちと同じように友達のいのちも大切にしてください。

・佐藤は、人を自殺に向かわせる要素として、「原因」「職業」「年齢」の三つを挙げる。

・「10年経って900社ぐらいの相談を受けてきましたが、私は素人なんですね。でも、プロになろうとは思いません」

・「インドの宗教家に『我々の心配していることの98%は当たらない』って言葉があるのです」
「みなさんも、去年の今頃心配してたことってわかります?」
誰もが顔を見合わせ、首をひねった。
「わからないすべ? あたんがぼけて来たんじゃないですか?」
「ははははは」
「ということは、今の心配も来年再来年のうちになくなっちゃうんです」

・きんさんぎんさんのエピソードを持ち出した・
「有名になってお金が貯まるでしょ。『きんさん、そんなにお金と貯めてそうするの?』って聞かれて、『将来に備えるため』って答えたそうです」
「ははははは」

・長生きの秘訣を紹介した。
「五点あります。一つは小食です。あまり食べない。二番目は菜食。野菜を食べる。三番目は適度の運動。わかりますね。四つ目は、男の人はね、女の人に絶えず関心を持つこと。五番目は、女の人は、早く旦那と死に別れること」

感想
自分の会社倒産で多くのものを失いました。
そして自殺も考えました。
でもそこから、視線が自分のことよりも、同じように苦しんでいる仲間のいのちを救いたい方に向けられました。
佐藤さんの熱意が周りも動かして行ったのでしょう。
ご自分が倒産という体験があったからこそ、言葉にも重みがあり、かつ経験からの学びも役立ったのだと思います。

ユーモア、大切ですね。
忘れないようにしたいです。

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