幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「小西美穂の七転び八起き」小西美穂著 ”準備を行う”

2019-03-15 01:50:00 | 本の紹介
・「3秒で心をつかみ10分で信頼させる聞き方・話し方」小西美穂著

・「この人(大平光代さん)の生き様を伝えることは、きっと多くの人に希望を与える」と確信した私は、約1年間にわたって大平さんに密着取材をして、未知を踏み外した少年少女のため、懸命に生きる彼女の姿を撮影しました。政策したドキュメンタリー番組がきっかけとなって書籍も出版されました。発行部数250マン部超という反響に、私は「伝える力」の大きさを改めて知ることになります。

・学生時代から、「いつかは国際的な仕事をしてみたい」と英語の勉強を続け、海外特派員のポストには、ずっと憧れていました。

・(ロンドンへの特派員)迷いの正体は、私が女性であるがゆえのものでした。30代は、女性にとって結婚や出産などのライフイベントと重なる時期です。任期は3年。赴任の話を受けたのがちょうど32歳の誕生日を迎えた頃でしたから、帰ってくる頃には35歳になっています。
背中を押してくれたのは、4歳年上の同性の友人です。

・ロンドン赴任の初日から仕事の予定は順調に埋まり、手持ちぶさたにならず、充実した毎日を送れていたのですから。それができた理由は、私は新しい場所に身を置く自分のために、それなりに準備をして行ったからです。

・“小さな成果”を準備する。そう考えて、出発前から雑誌や新聞記事を取り寄せ、現地の街ネタの収集を始めていたのです。そこで見つけたのが、ロンドンの有名な観光スポット「ビッグ・ベン」の時計を、古い1ペニーコインを使って調整している技師におじさんがいるという話。

・自分にしかできない仕事をつくる。もう一つ、チャンスを渇望していた時期に私が心がけていたのは、「かかってきた電話は必ず取る」ということでした。・・・。そして、諦めずに言い続けました。「私を現場に行かせてください」と。

・今ほど日本でサッカー人気が広がっていない頃のことです。ベッカム選手の存在は、当時の日本では一般的に知られていませんでした。・・・。ベッカム選手に関するリポート素材をまとめるため、週末を利用してはサッカーの試合に訪れて映像を撮ったり、彼の生い立ちを知れる本を読んでエピソードを集めたりして、準備を始めていました。・・・。ベッカム選手が足を骨折するアクシデントがありました。・・・。数週間後のワールドカップに彼が出場できるのか。ブレア首相(当時)までコメントして、イギリス中の注目を集めていました。彼のスター性にますます可能性を感じた私は、日本テレビの本社に電話をして、すぐにリポートできるネタとしてプレゼンしたのです。ポイントはこの、「すぐにリポートできる」ということ。・・・。「それ、面白いね。すぐ出せる? じゃ、送って!」ということで、早速、素材を送ってみると大好評。放送中の視聴率もよかったようで、「また次の素材を送ってよ」といったリクエストが絶えず、出せば出すほど、さらに注目が高まるような状態になったのです。・・・。大事なシーンの取材には「小西さん、行ってきて」と声がかかるようになりました。ほかの人が注目していなかったニッチなネタだからこそ、「私だけの仕事」になったのです。

・悲願のイラク取材
私が「現地に行きたい」と言い続けていなければ、「小西に行ってもらおう」という話にはなっていなかったとも思います。

・初めての東京、土地勘のない政治部へ
取材も原稿書きも、なにをやってもうまくいかずに時間がかかる。同僚には、ずいぶんと迷惑をかけました。・・・。30代半ばに、まさかこれほど勉強漬けの日々に引き戻されるとは思いもしませんでした。・・・。朝から晩まで必死の毎日。気づいたら1日にサンドイッチ1つしか食べていない、といこともざらでした。そして帰国後3か月で、5キロもやせていたのです。

・“女版・田原総一朗”をやってくれ
やはりこの時も、「まだ見ぬ世界に挑戦したい」という気持ちが不安に勝ったのです。

・放送の翌朝、私は報道フロアの自分のパソコンでなにげなく「視聴者メール」をいうフォルダをクリックしてみました。すると、開けても開けても講義のメール。すべて、私に関するものでした。
電話をかけた相手は、キャスターの大先輩である辛坊治郎さんでした。
・・・。「それな、勲章やで!」

・藤田さん(天才構成作家と呼ばれていた)のデスクに駆け込みました、「藤田さんに言われた通りにやったら、こんなにクレームが来たんですよ。一体、私はどうしたらいいんですか!」 悔しさで涙があふれてきました。机の上にあったハンカチを勝手に取って涙をぬぐい、私は怒りの矛先を藤田さんに向けたのです。
「小西はよくやってくれている。よくやっているから、批判も来るんだよ」
「私、このままでいいんですか」
「いい、いい。これからも批判はしばらく来ると思うけれど、気にせずそのままでいい。ただし、「公平じゃない」という意見がきたら、しっかり耳を傾けるようにしないといけない。それだけは気をつけて」

・一度断ってしまうと、同じチャンスは巡ってこなくなる可能性だってあります。「あの人は前もやろうとしなかったから、きっと次もやらないよね」とイメージがついてしまうからです。

・36歳・独身・女・正社員から契約社員へ
私は14年勤めた読売テレビを退社して、日本テレビに入社することを決断しました。有期雇用の契約社員として再スターでした。

・「やらなかった後悔」だけは抱えないように、いつでも、その時にできる全力を尽くしたいと私は思っています。

・強く願って、準備をすること。目の前にチャンスがが訪れたら、とりあえず挑戦してみる。私の信念とも言えるこの価値観をつくった原点を遡ってみると、お会いしたこともない一人の女性に行きつきます。ニューヨークで活躍した後に、乳がんで亡くなったジャーナリストの千葉紘子さんです。「The sky is the limit」(限界は 天高くに)

・つかめたはずのチャンスが目の前で素通りすることほど、悔しいことはありません。だから、準備を怠らない。すぐに走り出せるように、自分を整えていいたいと私は思います。そんな努力を、チャンスの神様はきっと見ています。そしていつかは必ず、チャンスが巡ってくる。願えば叶うと言いますが、私は「強く願って準備をすると叶う」と信じています。

・大学1年の秋から、英語通訳養成専門学校に週2回、通い始めることにしました。英語力は、のちのラクロス活動にも生きることになりました。すべての努力は、いつか必ずつながるものなのです。

・のちに顧問になる先生から、「女子のラクロスやりませんか」という誘いがあったのです。二つ返事で「はい、やってみたいです!」と答えました。
とはいえ、メンバーもおらず、練習方法も知らず、練習場所もありません。bないない尽くしのスタートでした。

・英語で書かれたルールブックの資料を取り寄せて、辞書を引き引き、自力で翻訳して、みんなに伝えました。
苦労した甲斐があって、他の大学が取り入れていない攻撃や防御のテクニック、効果的な練習法も理解できるようになりました。

・カナダ人コーチのパティ・スコットさんが全員のクロスにメッセージを書いてくださりました。私のクロスに書かれたのは、「Hard Work Pays Off」(頑張っただけ報われる)

・「チームをまとめるために必要なことは」と聞かれたら、私は「メンバー人ひとりが、心から面白がれるきっかけをつくること」と答えます。本当にやってみたいと思わないと、人は動きません。・・・。「ぜひ、これをやるべきです」と呼びかけるだけでは足りません。相手にも、そう思わせる材料やきっかけをつくらないといけないのです。

・一人ひとりに感謝の言葉を伝える。
キャプテンである私は、彼女の貢献に対して、できるだけ言葉にして感謝の気持ちを伝えていました。「あなたのおかげでチームがまとまっている。本当に助かっている。ありがとう」と、本人に直接伝えていたのです。

・「世の中に与えた成果」をほめる。

・合言葉「ナイスチャレンジ!」
人が成長するときに欠かすことのできない姿勢として、私はずっと胸に刻んでいます。失敗をしても、次の挑戦に生きればいい。

・私がサブキャスターを務めていた報道番組が終了
 ・心に広がったさみしさと不安
 ・「後ろ向き」スパイラルに襲われる
 ・41歳、もう必要とされなくなるの?

・さびしさを埋めるために夜の街をさまよった
 ・ひとりぼっちの41歳の誕生日

 ・不安になるのは、一生懸命生きている証拠
 ・素直に、なんにでも耳を傾けてみる
 ・こっちの世界で気分転換するのもありですよ

・向かった先は、話のプロを養成する学校「日テレ学院」を受講することにしました。

・見栄を捨てればラクになれた

・大丈夫。壁は乗り越えられる。

・迷ったら、求めて人に会いに行く。そして、全身で言葉を受けとる。

・チャンスが訪れたら、すぐにレスポンス
陣内貴美子さんの紹介で、今の夫と出会いました。当時、夫は31歳、私は42歳。年が大分下なので、恋愛対象にならないと思っていたのですが、初めて会った時に、「今度、ゴルフに行きませんか?」という話になり、「すかさず“行きましょう」。そうして、次に会う約束が成立したのです。機を逃さないレスポンス力は、婚活においてとても大事なように思います。

感想
この人の素晴らしさはやりたいことがあるとそのための準備を今から行っていることだと思いました。
準備できているから、チャンスが来た時に掴むことができるのでしょう。
そしてそのチャンスにチャレンジされたことが新しい自分の経験を増やし、能力Upにつながったのではないでしょうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿