幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「悲しみとともにどう生きるか」入江杏編著 "悲しみを生きる力へ”

2022-01-08 19:40:40 | 本の紹介
ノンフィクション作家・柳田邦男/批評家・若松英輔/小説家・星野智幸/臨床心理学者・東畑開人/小説家・平野啓一郎/宗教学者・島薗進

【まえがきーー入江杏 より】(抜粋)
「世田谷事件」を覚えておられる方はどれほどいらっしゃるだろうか? 
未だ解決を見ていないこの事件で、私の二歳年下の妹、宮澤泰子とそのお連れ合いのみきおさん、姪のにいなちゃんと甥の礼くんを含む妹一家四人を喪った。
事件解決を願わない日はない。
あの事件は私たち家族の運命を変えた。

妹一家が逝ってしまってから6年経った2006年の年末。
私は「悲しみ」について思いを馳せる会を「ミシュカの森」と題して開催するようになった。(中略)
犯罪や事件と直接関係のない人たちにも、それぞれに意味のある催しにしたい。そしてその思いが、共感と共生に満ちた社会につながっていけばと願ったからだ。
それ以来、毎年、事件のあった12月にゲストをお招きして、集いの場を設けている。

この活動を継続することができたのは、たくさんの方々との出逢いと支えのおかげだ。
本書はこれまでに「ミシュカの森」にご登壇くださった方々の中から、6人の方の講演や寄稿を収録したものである。

「不条理な喪失によって辛く悲しい思いに打ちひしがれている人が生き直す力を取り戻すには、(中略)喪失体験者が孤立しないでゆるやかにつながり合うことが、とても大切だ」――柳田邦男(第1章より)

「悲しみの中にいる人も、悲しみを知る者だからこそ、誰かを幸せにすることはできるし、自分自身が幸せを得ることもできるのだと思います」――若松英輔(第2章より)

「時に暴力的に作用する『大きな物語』や『マジョリティの声』に対抗するには、(中略)ただひたすらに個人の言葉を探し続けることが必要なのではないかと思います」――星野智幸(第3章より)

「重要なことは、ケアとセラピーだったら、基本はまずケアです。ケアが足りているならば、次にセラピーに移る。仮病でいえば、まずは休ませて、それでまだ何日も仮病が続くようなら、『仮病だよね』という話をしたほうがよいということですね」――東畑開人(第4章より)

「よく考えてください。被害者のケアを怠っているのは、国だけじゃありません。『準当事者』である僕たちですよ。僕たちは、ニュースで見た犯罪被害者のために、一体、何をしているのでしょうか?」――平野啓一郎(第5章より)

「社会がますます個人化され、『ともに分かち合う』ことがしにくくなっているが、宗教的な表象を引き継ぎつつ、悲嘆を『ともに分かち合う』新たな形が求められている。切実な欲求である」――島薗進(第6章より)

本より抜粋
柳田邦男さん
・山一證券事件で会社側の弁護士が被害者に怨まれ、夫人が殺害された事件を契機に、2000年にその弁護士を会長とする全国犯罪被害者の会が発足し、凶悪犯罪の理不尽な時効を撤廃する運動を展開するようになってからは、凶悪犯罪の遺族に対する公的な支援が、十分とはいえないまでも強化されるようになった。
・私は、全国犯罪被害者の会の活動に関心を向けるうちに、その活動は、単に凶悪犯罪の事項の撤廃を実現して、逃亡加害者に許しは絶対ないという社会がつくる目的だけでなく、遺族が平穏な人生を取り戻せるような温もりのある社会環境に構築を目指しているのだということに気づいた。
・絵本はすべての人のためのもの
・『ヤクーバとライオン』
戦士になるにはライオンを殺さなければならないという村のしきたりに反してライオンを殺さない若者の真の勇気を語る素晴らしい絵本です。
・亡くなった人たちが、人をつなぐ役割をしてくれる

若松英輔さん
・クリスマスは「親切と、許しと、恵みと、喜びのとき」であり、日頃近くに感じない人との間にも見えないつながりがあることを思い出す時だというのです。
・若松さんは『魂にふれる-大震災と、生きている死者』というご本の中で、フランクルの「人生に何かを期待するのではなくて、人生が私たちに何を期待するかが問題なのだということを学び、絶望している人間に伝えなけれエバならない」というところなんだと若松さんやおっしゃっています。私(入江杏さん)はその言葉に強く触発されまして、励まされるように、「伝えなくては」と思ってあちこち回っています。
・『クリスマス・キャロル』の話にありましたが、微笑みかけたり、声をかけることも十分「伝える」ことになる。
・死者を語るのは、単に死者の臨在を強調したいからではないんです。人々の中で「死者」という言葉の意味が変貌することが、死者を発見し、自分を肯定することだと伝えたいからなんです。
・生きている人間は幸せにならなくてはならない。あるいは、どこまでも幸せになっていい。それだけが死者の望みだと思うんです。

星野智幸さん
・「路上文学賞」
路上で生活している人が書くというだけでなく、路上的な場に人々が飛び出して開かれるお祭り、という意味も込めて、「路上文学賞」と命名しました。
・『悲しみを生きる力に-被害者遺族からあなたへ』入江杏著
「喪失のカレンダー」というものが紹介されています。喪失をロスとゲインで考える、貸借対照表、あるいは損益計算書のような捉え方です。この捉え方はおもしろいなぁと思います。
・「喪失」が実は力になる。
・京都に直指庵というお寺があります。そこには悩みなどを自由に綴ってよいノートが置いてあって、寺を訪れるたくさんの人がそこに文章を書いて自分を見つめるそうです。これまで書かれたノートの冊数は5,000冊だとか。・・・。それぞれの人が言葉にならないことを言葉にして書いていく。書いた人には、誰かに読んでほしい、誰かに伝えたい、という気持ちもあるのだろうと思います。

東畑開人さん
・居場所とは、何も気にせず座っていられる場所
『心理臨床と「居場所」』中藤信哉著
・僕のおじさんが「もう仕事辞めたい」と言った時、おばあちゃんが言ったのが、「座っていればいいのよ」だったそうです。そうしたら、おじさん、本当に会社に行って座ってるだけになったんですけど(笑)。でも、座ってるって大事です。
・ケアとは面倒くさいことを肩代わりすること
・セラピーとは手を出すのを控えること
・セラピーはニーズを満たすと言うより、ニーズを少し変更することです。
 ニーズを変更することを別の言葉でいえば、自立を促すことといえます。
 子どもが仮病を使っている時、ケアだったら、「休みたいのね」と言って休ませてあげる。セラピーだったら「これ、仮病だよね」と言って行くように促す。対応が正反対なんですね。
・アジールというのは駆け込んで逃げられる自由な場所、アサイラムというのは閉じ込められて、監視、管理される場所。
・『心理療法家の人類学-こころの専門家はいかにして作られるか』東畑開人著
真理療法家は医者とちょっと違うんです。医者というのは試験に受かって、ある種の訓練プログラムを受けるとお医者さんになれますが、心理療法家は自分自身が治療を受けるのです。・・・。心理療法家は自分自身が治療を受けることを通して治療者になっていく。治療する側と治療を受ける側というのが同じものを抱えている。
・『野の医者は笑う-心の治療とは何か?』東畑開人著
・犯罪被害者や遺族の心のケア
二つあって
一つはやっぱり、傷ついた分の怒りというものがあります。それはどこかに向かっていくわけです。
もう一つは、心のケアは基本的にトラウマに対する対処法なんです。
まず、生活が取り戻される。自分の近しい人たちがわかってくれている。専門家がやってきて心の中を触るのは、もっとずっと後の話なんです。落ち着いて普通に暮らせるようになって、周りが安心したぐらいの時、でも、自分の中にはやっぱり何か終わらないものがあるという時に、専門家のセラピーを受ける意味があるんです。

平野啓一郎さん
・東北でお会いした被災者の方に話したら、その人は、
「SNSがあるから被災者は自分で声を発すると考えるのは、違うのではないか。もちろん当事者は非常に苦しんでいるけど、それを文章として書き表わすことができるかどうかは全く別の問題で、現実が辛過ぎて文章に書くという状況ではない。だから、当事者でない人が関心を持って、そのことについて書いてくれるのであれば、それは非常に心強い」というようなことをはなされました。
・心から死刑は廃止するべきだと思った理由
一つは、警察の捜査に対する強い不信感です。実際に取材していて感じたことでもあり、いくつかの明らかに冤罪と思われる事件の捜査を見ていても感じることです。
もう一つは、「人を殺してはいけない」という絶対的な禁止に、例外を設けてはいけないという考えが自分の中で確かなものになったことです。人の命は、「場合によっては殺していい」という例外条項をつけていいものではない。
・死刑制度は、もし反対するにしても、被害者のケアの充実を第一に図っていかない限り、加害者の人権をどうするのかということに国民の感情的な理解がついていかないのではないかと思っています。本当は、人権概念の理解の徹底こそが重要ですが、しかし、感情的な問題も無視できません。
・『赦し』と『罰』は同じ機能を果たす
『人間の条件』ハンナ・アーレント著
人間というものは活動している限りは必ずエラーを起こす。それをみんなが一生担い続けながら生きていいこうとすると、社会は非常に不自由な世界になっていく。そこで赦しというものに意味があるのだと。
・学校でいじめが起きている時に、かわいそうなことをしているからやめましょうと諭すことも大事ですが、まず、いじめるということは相手の教育を受ける権利を侵害していることだから、やってはいけないことだ、と教えなくてはならない。人を殺すと言うのは、その人が生まれながらにして持っている、誰からも生命を侵害されることがないという権利を奪うことだからやってはいけないことだと教えなくてはならない。
・対立点からではなく、接点からコミュニケーションを始める

島薗進さん
・小林一茶『おらが春』
露の世は 梅雨の世ながら さりながら
・ダギーセンター
親や子どもなどの家族を喪った子どもたちと保護者たちがサポートを受けている。
ダギーセンターのグリーフケアの特徴は、悲嘆を抱える子どもや親が集える場をつくることにある。

感想
被害者遺族、災害被害者は生きていかなければなりません。
とても辛いです。苦しいです。死にたいと思う方も多いと思います。
その辛さや苦しみをもし生きる力にできたら、どれだけ大きく、素晴らしいものになる可能性を秘めています。
この本は、そのきっかけになるのではと思いました。
また、読んで考えているとワクチンのように実際に自分がその立場になったとき、前を向いて歩み出す一歩を少しだけ早く出せるのかもしれません。

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