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財務省「公文書」改竄 何が官僚たちを「官邸のイエスマン」に変えたのか?  ”佐川氏が何を大切にされるか”

2018-03-21 09:08:00 | 社会
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/財務省「公文書」改竄-何が官僚たちを「官邸のイエスマン」に変えたのか%ef%bc%9f/ar-BBKuijS?ocid=spartandhp#page=2 AERA dot. 大平誠,村上新太郎 2018/03/21

「忖度」や「慮り」という言葉遊びのレベルはとうに過ぎた。文書を改竄してまで守ってくれた最強官庁の職員は自殺や不審死を遂げ、責任者たるエリート官僚は証人喚問に追い込まれた。
 学校法人森友学園への国有地売却に絡む決裁文書が改竄された疑いがあることを朝日新聞が報じてから10日後、財務省が事実として認めた。そもそも昨年2月9日、やはり朝日新聞が、払い下げ価格が近隣国有地の10分の1という法外に安い価格だったことを報じたのが全ての始まりだった。それから1年余、いろいろなことが起きた。

●完全にひっくり返った
 安倍昭恵首相夫人が建設予定だった小学校の「名誉校長」と紹介されていたが、首相は早い段階でこの土地売却について、「私や妻が関与していたら首相も国会議員も辞める」と国会で答弁。それに呼応するように、財務省の佐川宣寿理財局長(当時)は、全て適法に処理した上で、森友学園側との交渉記録などは廃棄し、「売却価格を提示したこともないし、先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」などと答弁した。同学園の籠池泰典理事長(同)は小学校の設置認可申請を取り下げ、国会の証人喚問を経て同7月には妻とともに大阪地検特捜部に国の補助金を巡る詐欺容疑で逮捕、起訴され勾留されたままだ。佐川氏は国税庁長官に「適材適所」として栄転した。
 だが、改竄の発覚で180度ひっくり返った。旧大蔵省の解体につながった、証券会社などからの接待汚職事件(ノーパンしゃぶしゃぶ事件、1998年)など、不祥事は幾度かあったが、根本的に構造が異なる。
「総理大臣を守るためにインチキをやっているとすれば、次元も重みも全く違う。個人の汚職ではなく、政治体制の問題ですから。官僚は与党のシンクタンクであることは否定しませんが、それは政策に限ったこと。政局のサポーターには絶対になってはいけない。それを分かっていながら安倍首相は保身のために財務省を巻き込み、佐川氏がそれに協力したという図式でしょうか。安倍首相は弾劾を受けて然るべしです」
 こう断言するのは旧大蔵官僚として主計畑を歩み、官房長官秘書官を2度務めたあと政界に転身、蔵相と財務相を務めて2012年に引退した藤井裕久氏だ。佐藤栄作政権時代の竹下登官房長官秘書官当時にはこんなことがあったという。

●「政局とは距離を置け」
「田中角栄さんと組んで裏で佐藤降ろしの画策を始めようとした竹下さんは、私にこう言いました。『ここから先は政局の世界なんだ。もう君、帰っていいよ』と。それで私は巻き込まれずに済んだ。『政局とは距離を置け』と大蔵省の先輩にも言われたし、師である後藤田正晴元副総理にも『役人は公正中立でなくてはならない。そのためには政局に乗っかったらおしまいなんだ』と叩き込まれました。だから当然後輩にも伝えてきたし、役人にとっては身に染み付いた常識なんです」
 政局への関与という禁忌にからめ捕られ、公文書改竄にまで組織を導いた「主犯」は誰なのか。ひとり佐川氏という「能吏」に負わせて済む話ではあるまい。元大蔵官僚(97年入省)で法政大学教授の小黒一正氏は、佐川氏の理財局長時代の国会答弁のニュアンスに注目する。
「佐川さんの答弁がどんどん強い言い切り口調になっていった。その過程に何があったのか不思議です。局長クラスなら『現時点で把握する限りにおいては』『提出している以外の書類はないものと認識しております』という具合に留保条件をつけるのが常です。総理の答弁書と異なり、局長の答弁書は基本的に内部のみでもんでセットしますから。あの答弁を見た官僚経験者はみな『大丈夫なのかな』と感じたはずです」

 実はこの佐川氏や安倍首相の国会答弁の原稿に関わったとみられる理財局国有財産業務課の係長が1月29日に自殺とみられる不審死を遂げている。3月7日に自殺した近畿財務局の職員と合わせ、2人が尊い命を落とした背景は、徹底して究明されなければならない。

●「忖度」の水準を超えた
 今回の書き換えについて小黒氏は「国家財政や税制を担う誇り高い財務官僚を含め、通常の行政官が『忖度』で対応できる水準を明らかに超えている。何らかの政治的な圧力があった可能性もある」として、続けた。
「書き換えの前後の文書を見比べると削除箇所も多いし、物理的に何人もの行政官で詰めないとできないでしょう。決裁規則上は近畿財務局の中で閉じている文書が多いですが、本省に相談したことは明らかにしているので、書き換えは本省でも詰め、本省が指定して、近畿財務局でやったのかもしれない。いずれにしても数字のミスや事実関係の訂正でもなく、財務省が決裁文書を書き換えたことは今でも信じられません」
 新旧OB2人がそろってショックを隠せない、誇り高き財務官僚の「組織的犯罪」。14年5月に新設された内閣人事局が、各省庁の審議官級以上の幹部職員の人事を握ったことが、官僚たちを「官邸のイエスマン」に変えたのか。藤井氏が言う。
一極集中の同心円だと社会は悪くなる。複数核がある楕円形の論理が社会をよくする道。大平正芳元首相はこう言われていた。至言だと思います」
 こうしたOBの怒りに対し、佐川氏は国会の証人喚問で何を語るか。政府関係者によると、「捜査中なので何も言えない」に終始するしかないという。

●次は「麻生支配」なのか
 だが、世論や野党の追及は続き、綱渡りの政権運営は確実だ。自民党幹部は「安倍3選は完全に消えた。重鎮はすでに見切っている。出馬すらできないだろう」と言い切る。
「ポスト安倍」では岸田文雄政調会長が最有力とみられていたが、世間の知名度は一向に上がらず、「岸田総裁では選挙で勝てない」(自民党閣僚経験者)と、永田町では評判が芳しくない。
 その半面、復権の可能性が出てきたのが、12年の総裁選で党員票のトップだった石破茂・元地方創生担当相だ。注目度で他を引き離す小泉進次郎・党筆頭副幹事長が「石破応援で全国行脚するようです」(同)。
 改竄疑惑が報じられた翌3月3日、安倍首相は都内ホテルにある会員制ジムで汗をかいていた。居合わせた、安倍家と旧知の財界人が語る。
「すぐにいなくなり、2時間以上戻ってきませんでした。いつもより不在が長かったですね。母の洋子さんは、よく私に『相談事はいつも私のところ。最近は愚痴ばかりで、困ったものよ』と、こぼしています」
 前出の政府関係者は、「総理は麻生氏の言いなりのようで、次に誰が総裁になろうが、『麻生支配』でしょう。渦中の麻生氏が新キングメーカーになるとすれば、実に皮肉です」と、冷ややかだ。(編集部・大平誠/ジャーナリスト・村上新太郎)
※AERA 2018年3月26日号

感想
佐川氏の喚問が27日に決まったそうですが、「捜査中でお答えできません」との答弁になるのでしょうか?
まさに、佐川氏が”何を大切にされるか”なのでしょう。
今も安倍首相、麻生財務相のために発言されるかどうか?
お二人とも佐川氏を国税庁長官になったとき、適材適所、優秀な人材と評価されていました。
ところが今や、麻生財務相は”佐川”と呼び捨てです。
そして、全てを佐川氏一人でやったと責任を押しつけています。
歴史に刻まれる”佐川氏の評価”をご自分をどうされるのでしょう。
国民のためにご自分が何ができるか、の視点で今行動できるかでしょう。
それはまさに、”何を大切にされるか”だと思います。

「なぜ谷岡学長の会見は逆効果だったのか」臨床心理士が分析する  ”人格が問われている”

2018-03-21 08:50:00 | 社会
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/「なぜ谷岡学長の会見は逆効果だったのか」臨床心理士が分析する/ar-BBKu3CX?ocid=spartandhp#page=2 文春オンライン 岡村 美奈 2018/03/21

 この会見はまずいでしょう……と、テレビの前で思わず呟いてしまったのは、至学館大学の谷岡郁子学長の記者会見だ。谷岡学長は、日本レスリング協会の強化本部長で至学館大学レスリング部の監督を務める栄和人氏に対して、伊調馨選手へのパワーハラスメントで告発状が出されたことについて反論した。だが、これが完全に逆効果。共感よりも、世間の反感を買った。

「自分がどう見えるのか」に注意を向けていなかった

 芸能人やアスリートの会見と違い、組織のトップやリーダーにとって、会見の失敗は、自身だけでなく所属する組織の評判やブランドを損ねかねない。それぐらい、学長と日本レスリング協会副会長という立場にあればわかっているはずだろうが、会見そのものがパワハラに見えただけでなく、聞いているうちに、「学長によるパワハラもあるのでは?」という疑念が振り払えなくなった。
 ではなぜ、学長の会見はそんな風に見えたのだろうか。その理由は、発言内容だけではない。学長が「自分がどう見えるのか」、「発言がどう受け取られるのか」に注意を向けていなかったからだと思う。
 経歴を見れば、それも当然のことかもしれない。学長としての長いキャリア、政治家としての経験、日本レスリング協会副会長という立場から、誰もが自分の話を聞き、忖度されるという環境があったのだろう。でも会見は、組織内での発言や講演とは性質が違う。学長はそこに気がつかず、いつも通りマイクの前に座ったのかもしれない。
 まずは、感情の表し方だ。「怒りは沸点に達した」と発言した谷岡学長は、その怒りを冒頭から露わにした。公の場であれだけ怒りを露わにできるのは、日常的に人前で感情を露わにしているからであり、マイナス感情をぶちまけても、ぶつけても批判されない立場、許される立場にいるというイメージを与える。
 最初から怒りのパワーを全開させたのは、それによって場を支配しようとしたからだ。これはワンマン型のリーダーにありがちなコミュニケーションパターンだ。しかも、この発言によって、気持ちを落ち着かせ、感情を一度クールダウンしてから出てきたという印象がなくなり、怒りが沸点に達したまま会見を開いたように見える。感情をコントロールできないリーダーと思われても仕方がない。

© 文春オンライン かつては小沢一郎氏(当時は民主党代表)から出馬要請を受け、2007年参院選挙で…

本人は淡々と落ち着いて話しているつもりだろうが……

 話し方もマイナスだ。全体的にきつく尊大な口調で、時おり語気を強める物言いは、自分は偉い、自分が正しいと思っている印象を与える。独特の間や抑揚、芝居がかった口調も、人を見下したように思われやすい。おそらく本人は淡々と落ち着いて話しているつもりだろうが、聞いている側にとっては、感情のまま圧力をかけているように聞こえてしまう。
 そのような話し方で、栄氏について「その程度のパワーしかない人間」と発言し、声を荒げたのだから反発が出るのも当然だ。組織内では栄氏が部下という上下関係があるのもわかるが、「自分こそがパワーを持っている人間なのだ」という自意識の強さが表れたと言える。
 伊調選手の道場の使用についても、「私が使わせると言えば、いつでも使うことができる」と語気を強めたのも、自分が圧力をかけ、命令することができる立場を強調したにすぎない。パワーを持っているのは栄氏ではなく自分なのだと示したかったのだろう。自分を認めさせたいという欲求が、そこから垣間見える。権力や地位を持つ人間がそれを誇示すると、支配欲と高慢さだけが際立ってくる。結果、学長からは部下を擁護しよう、守ろうという姿勢が見えなくなった。

心理学者のポール・エクマンの言う「軽蔑の微笑み」

 仕草と表情は、無意識のうちに本音や感情を露わにするので、会見では要注意である。例えば学長は、威圧的な発言をしながら、顔を動かすことなく、何度も鋭く冷たい視線だけを素早く左右に走らせていた。このような場では、普通、周りの反応を見ようと顔を左右に動かすだろう。鋭く視線だけを素早く走らせるのは、周りの反応を気にせず、質問した相手をチェックするためにほかならない。常に細かい所までチェックし、すべてを把握しなければ気がすまないという、支配的なマネジメントスタイルが、その仕草から想起される。
 人について話す時は、表情の端に好き嫌いがにじみ出ていた。伊調選手について話している表情を見ると、好感を持っていないことは一目瞭然だ。「そもそも、伊調さんは選手なんですか」と言った時は、一瞬、眉間にシワを寄せて顔をしかめた。口調も高圧的。「選手でない人、五輪を目指すはずがない人」と言いながら、唇を横に引いて冷やかな笑みを浮かべた。この微笑みは、心理学者のポール・エクマンの言う「軽蔑の微笑み」に似ている。心の中にあるマイナス感情を、無意識のうちに微笑みで隠そうとしたものだ。

仕草や表情から本音を見抜いてしまう

「伊調さんを批判しようとは思いません」と言い終わると、唇を隠すように巻き込み、唇をなめた。この仕草も、そう言ったもののストレスが強くなったために表れたものだ。学長は自分がこのような仕草をしていることに、おそらく気がついていない。だが見ている側は、意識せずとも仕草や表情から本音を見抜いてしまう。
 栄監督の娘に対する報道には抗議するとしながら、伊調選手にはマイナス感情を示したことから、学長の弁にあった“えこひいき”の臭いさえ感じてしまう。中立性や公平性、そんな言葉も頭をかすめる。

 言葉使いも否定や決めつけが多いため、思い込みが強く、意見を押し付けるタイプだと思われる。語ったエピソードも「私が」と自分中心のことが多く、すべてに自分を優先させている印象だ。パワハラに対する調査も行わずにそれを頭から否定したことからも、論理より感情を優先させ、事実を見ずに自分の思い込みで判断を下すリーダーとみなされる。物議を醸した発言とマイナスイメージが強い表現の相乗効果で、谷岡学長の会見は反感を持たれたのだ。
 そんなリーダーが組織を率いる場面を想像すれば、自ずと組織自体に対するマイナスイメージも膨らんでくるというものだ。組織を代表して会見を行うなら、内容だけでなく、表現にも気を使わねばならない。
 謝罪会見などではマニュアルが作成され、政治家などにもメディアトレーニングが行われるのはそのためだ。感情的にならず冷静に落ち着いて、言葉使いには気をつけ丁寧に、手や身体の動きや表情に注意する。リスク・マネジメントが必要な局面は突然やってくる。そんなとき、谷岡学長を他山の石として、「見られている」感覚を忘れてはならない。

感想
学長は人格者でなくてもなれるんだとつくづく思いました。
それと世間一般の常識がなくてもなれる役職なんだと。

”実るほど頭を下げる稲穂かな”
一番大切なことを忘れておられるのではないかと思いました。

学長の決裁、学長が参加している会議、周りは大変だろうな。
学生が気の毒だな。
大学までもが、そんな学長の大学なんだと思われてしまいます。