幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 梶芽衣子さん」 ”自分のやりたい方法で”

2018-03-12 01:40:08 | 生き方/考え方
ジーンズは初めてのゲスト。やっぱりはダメよ。やはりでないと。
28年間続いていた「鬼平犯科帳」。やはり終わりがある。
役は歳を取らない。かつらに収める髪の量が決まっている。同じ髪の毛を同じにしている。

1曲目プレスリー「ラヴ・ミー・テンダー」
初めて買った洋楽のレコード。父は料理人だった。父が渡米して料理していた。ラスベガス行ったら、プレスリーという歌手が金色の服を着て歌っていると手紙にあったので。
小さい時から聞いていた。
子どもの頃、アメリカの西部劇、ララミー牧場、私の履いているジーンズは子供の時から憧れていた。17歳でジーンズを買った。自分でプロジュースしなければならなかった。皆な同じじゃだめかなと思った。それでジーンズを履いた。アフレコを知らなかった。アフレコ現場で、合うわけないよねと思ってしまった。先輩たちが笑っていたので、「あなたたちは最初からできたんですか!」と言ったら、生意気な女優となってしまった。

大根を持って立たされた新人時代。浅丘ルリ子さんがお店に来て、私は嫉妬で見ている場面で、言われて大根を持って立っていたら、何で大根持っているだと監督に言われた。毎日泣いていたが人前ではなかなかった。

その後、女囚701号さそりシリーズ。“無言のヒロイン”が生まれた理由。女囚の話はできないな。このままだとできないな。このヒロインは声は要らないな。無言でいた方がすごさが出るかと思い、無言で良いなら出演すると言った。サソリは添え物だった。B級だったのがA級になった。映画の衣装は全て私だった。ヘアースタイルから私が考えていた。主役が主題歌を歌うのが定番の時代。
どう歌おうかと思った。(歌「恨み節」を聞いて)恥ずかしい。

タランティーノは梶さんの熱烈なファンだった。アルバイトしていた先で私の曲を知ってからファンになったらしい。「キル・ビル」に梶さんの歌が使われた。タランティーノが日本に来る条件に梶芽衣子に会わせろがあった。タランティーノが待っている部屋に入って来て、「キル・ビル」の映画見たか?
対談中の30分間ずっと手を握っていた。私の映画をすべて見ていてくれた。世界の有名関東からオファーが殺到したけど断って来た。日本語が好き。日本人だからいろいろな表現ができるが、英語だとその表現ができない。

感想
自分のやりたいことを主張され、それが個性として発揮され、良い結果につながったようです。
映画「女囚701号さそり」では言葉がなかったことがとても印象的でした。
それは梶芽衣子さんの発案だったと知りました。

映画「女囚701号さそり」は学生時代に見に行きました。
懐かしかったです。