幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「生と死が創るもの」柳澤桂子著 ”自然から学ぶ”

2017-08-01 07:51:38 | 本の紹介
あしなが蜂の一種であるポリステス・ドミヌルスには、他の社会性の蜂とおなじように、女王蜂と雌雄の働き蜂がいる。雄の働き蜂は女王蜂に精子を提供してこどもを産ませ、雌の働き蜂が生まれた幼虫を育てる。
 精子を提供してしまった雄は、この蜂社会にとっては用のないものとなる。そのような雄が巣に戻ると、雌の働き蜂は巣の穴のなかに雄を頭から先に詰め込んで、餌を食べられなくしてしまう。このようにして、無用な雄がむだに餌を食べるのを防いでいるのだという。
 雄が巣に戻ってくると、ただちに雌の働き蜂は雄の触角に自分の触角を接触させる。次に雄を組み敷いて、かみついたり、刺したりして威嚇する。そうしておいてから、雄の頭を先にして巣の穴のなかに詰め込むのである。
 頭と胸を穴のなかに詰め込まれた雄は、くりかえし、雌にかみつかれ、腹を押し込まれる。このようにして、哀れな雄は餓死していく。
 雌の働き蜂は、雄を殺して幼虫に餌をたくさん与えることによって、自分のもつ遺伝子に近い遺伝子群をもつ蜂を増やすことができる。その結果、「雄詰め」の習性をもつ雌の方が有利に繁殖するのではないかと考えられている。説明はどうであれ、事実はそこに厳然として存在する。生命の世界の掟はきびしい。

一分間に心臓が何回打つかということを、いろいろなサイズの動物で調べてみる。ゾウからマウス(ハツカネスミ)までいろいろな大きさの動物の体重を計り、心拍数を測る。その結果、心拍数は体重の四分の一乗に比例するということばわかった。
 これは、体重が増えると心臓がゆっくりと打つようになるということを示している。四分の一乗に比例するというのであるから、体重が16倍になると心臓のうつ早さが半分になるということである。
 おもしろいことに、この法則は心拍数だけでなく、その動物のもついろいろな時間にもあてはまる。たとえば、その動物の寿命、妊娠期間、性的に成熟するまでの時間、大人のサイズになるまでの時間など、いろいろな時間が体重の四分の一乗に比例している。その理由はまだよくわからないが、とにかく動物は心拍数で自分の時間を測っているいるように見える。その動物のもつ寿命を心拍数で割ってみると、哺乳類では、どの動物でも一生のあいだに心臓が20億回打つということになる。心臓が20億回打つとその生物の一生は終わりなのである。
 私たちが子供だったころを考えてみると、おとなになってからよりもずっと一日の時間が長かったように思う。遊んでも遊んでも日は暮れなかったし、お昼寝をして起きても日は高かった。お祭りもお正月もなかなかこなかったし、楽しみな日のくるのをまつのはたいへんなことであった。マウスは五年間生きて、私たちが100年生きたのとおなじような感じをもつのであろうか。

感想
カマキリも交尾された後はメスに食べられるとか。
残酷というより、それがその種にとって、子孫を残す最善なのでしょう。

今を、ここを、大切にして生きることなのでしょう。
過去をあれこれ悔やむことより、将来をあれこれ心配するより、今できる大切なことをすることなのだと思います。
過去は今のためにあり、将来は今の結果ですから。


<取手中3いじめ>市教委、自殺隠す 「突然の死」と説明 "教育委員会は自己責任回避に”

2017-08-01 07:45:48 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170730-00000005-mai-soci 7/30(日) 7:00配信
一部を黒塗りにして取手市教委が開示した、2015年11月11日の臨時会合の議事録。自殺の事実が伝わることを懸念する委員の発言が記載されている=2017年7月29日、玉腰美那子撮影
 茨城県取手市で2015年11月、市立中3年の中島菜保子さん(当時15歳)が自殺した問題で、同市教委が自殺の直後、生徒や保護者らに自殺と伝えない方針を決めていたことが分かった。両親は死亡の5日後にいじめが原因と疑い調査を求めたが、市教委は自殺と伝えないまま生徒へのアンケートなどを実施。「いじめは無かった」と結論づけていた。

 毎日新聞の情報公開請求に市教委が開示した学校の緊急報告書などから判明した。菜保子さんは11月10日に自宅で自殺を図り、翌11日に死亡。学校が同日、市教委に提出した緊急報告書には「自殺を図り救急車で運ばれた」と書かれていた。ところが市教委は同日夜の臨時会合で、生徒らには自殺の事実を伝えない方針を決定。校長も12日の全校集会で「思いがけない突然の死」と説明し、その後の学校の報告書などでも「死亡事故」と表記した。生徒の自殺があった場合に開催する臨時保護者会も開かれず、自殺は対外的に伏せられた。

 両親の要望を受けた学校は15年12月、菜保子さんには触れずに全校アンケートを実施。市教委は3年生にヒアリングをした際、菜保子さんに触れたが、自殺とは明かしていなかった。

 市教委は16年3月、アンケート結果を基に自殺は「いじめによる重大事態に該当しない」と議決。直後に記者会見を開き、自殺があったと明らかにした。市教委は事実関係を認めた上で「遺族の意向と受験を控えた生徒らへの影響を考えた当時の判断は適切だった」と回答した。【玉腰美那子】

感想
虐めがあり、いつも決まったように教育委員会は「いじめがあったとは言えない」「いじめと自殺は関係があるとは言えない」と発言し、虐めの隠蔽や責任回避をしようとされます。

教育委員会の存在自体が疑問視されても仕方がないと思います。
今回は「受験を控えた生徒らへの影響・・・」ということであれば、受験が終わったら公表すればよいのにその後の公表もありませんでした。

教育委員会の委員の方は教育者としての誇りはないのでしょうか?
稲田元防衛相のこめんと「報告があったとの認識はしていない」と奥歯にものが挟まった言い方しか言えませんでした。
「報告がなかった」と言えば嘘になるし、「報告があった」と言うと、これまでの国会答弁が虚偽になるし。
責任ある立場の人は、自己責任を回避することが優先することのようです。
国民がしっかりとしていることなのでしょう。