幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「ドイツ人が見たフクシマ-脱原発を決めたドイツと原発を捨てられなかった日本-」 熊谷徹著

2016-06-29 08:50:28 | 本の紹介
「ドイツ人が見たフクシマ-脱原発を決めたドイツと原発を捨てられなかった日本-」 熊谷徹著
福島第一原発の吉田所長
「この時期にには長時間にわたってベント、SR弁の開放、注水ができなかったために、死ぬことを覚悟した」
2号機が内部圧力に耐えられなくなり、爆発などによって激しく破損していたら、外界に大量の放射性物質がまき散らされる。その場合、強い放射能のために、作業員たちは1号機と3号機への注水作業、さらに4号機の核燃料のプールの冷却作業も中止せざるを得なくなる。
吉田氏は、事故調に対する証言の中で実際に「チャイナ・シンドローム」という言葉を使っている。
吉田所長も事故調に対する証言の中で、最悪の経過をたどった場合「東日本壊滅というイメージ」を抱いていたと語っている。

2011年3月11日に福島第一原発で起きた炉心融解事故は、メルケル(ドイツ首相)の原子力についての考え方を、180度変えた。彼女は、5カ月前に決めたばかりの原子炉の稼働年数の延長を凍結し、11年間で全ての原発を廃止することを決めたのだ。
メルケルは「日本ほど技術水準が進んだ国でも、このような事態を防げなかったことは重大だ」として、30年以上稼働していた7基の原子炉を直ちに停止させるとともに、原子炉安全委員会に対し、国内の原子炉が洪水や停電などの異常事態に対して、充分な耐久性があるかどうかについて、緊急検査(ストレステスト)を行うよう命じた。

ドイツはフランスや日本と異なり、地方分権を重視する連邦国家だ。このため州政府は原発の許認可にも、日本の県と比較できないほど大きな権限を持っている。
日本政府は原発建設を推進するために、電源三法に基づいて、原発のある地方自治体に多額の補助金を交付してきたドイツでは原発がある地方自治体に日本のような多額の補助金が注入されることはなかった。

ドイツの再生可能エネルギーの比率は、2000年からの15年間で約5倍に増えた。日本と異なり、「送電事業者は需要のあるなしにかかわらず、クリーン電力を買って送電網の流し込まなければならない」という強制性を盛り込んだことが、急拡大の鍵である。

ドイツ人の間には「気候変動による自然災害や旱魃のために最も深刻な影響を受けるのは、ドイツなどの先進国でえはなく、バングラデッシュやフィリピン、アフリカ諸国などの開発途上国だ」という、良心の痛みもある。

アンリツ保険の脱石炭宣言
「石炭に大きく依存している電力会社などエネルギー関連産業に対する投資を段階的に減らす」と宣言したのだ。「我々は長期的な投資家として、CO2をリスクとみなしている」

分散型発電が増加
バイエルン州の最南端・アルゴイ地方のヴィルトポルツリートという村は、再生可能エネルギーによる電力の完全自給に成功したことで、全国的に名前を知られている。
風力が55%、バイオガス28%、太陽光16%。

あるドイツの物理学者が私に言った。「私は原発の廃止に賛成だ。その理由は、原子力発電というテクノロジーが、廃棄物まできちんと考えずに、長年にわたり使われてきたことだ原子力発電は、最初から最後まで考え抜かれたテクノロジーでえはない」

原発の解体や使用済み核燃料の永久貯蔵処分には、どの位の費用がかかるのだろうか。電力業界では、これらの費用を総称してバックエンド費用と呼ぶ。
最終貯蔵処分場の選定委員長の1人であるミヒャエル・ミュラー氏は、少なくとも700億ユーロ(9兆1000億円)のバックエンド費用が必要との見方を明らかにしている。

感想
日本はもう福島第一原発のことを忘れているのではないかと思えてしまいます。
汚染水はまだ垂れ流しです。
最終処理の目途も立っていません。

一方、ドイツでは福島第一原発に敏感に反応して対処しているようです。
安倍首相がオリンピック誘致で「Under Control」と断言されていましたが、
実際は「Out of Contorol」です。

小泉元首相が原発の問題を再認識され、原発反対に活動されています。
廃棄物の処理も見通しがない状態で原子力開発が進みました。
原子力が安価というのは、その廃棄物や問題が起きた時のコストを抜きにした試算です。
東電が津波に弱いと指摘されていたにも関わらず、100億円の投資をためらったために、何兆円との損失が生じています。それは東電が負担せずに、国民、特に子どもたちが孫たちの子孫がずーと負担していくものになってしまっています。

福島第一原発をきちんと反省し、次に生かさないとまた同じ過ちを繰り返してしまうでしょう。