幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「統計学が最強の学問である」 西内啓著 "コレラ患者は水道会社の違いで起きていた”

2015-04-12 01:55:30 | 本の紹介
免疫の父 ジョン・スノウ
19世紀のロンドンで疫病コレラが四度大流行した。
急激な人口増加で都市の発達が追い付かず、狭く不潔な地域に粗末な家がひしめき、その家の中に貧しい人が押し込められ、下水も整備されないためにゴミや排泄物が地下室、道端といったそこらじゅうに貯めこまれていた。そうした「臭い地域」に住む臭い労働者たちの多くがコレラで死亡していたため、悪臭を取り除きさえすればコレラもなくなるのではいかと考えた。さらに、もっと果敢にこの汚物を取り除こうとした役人もいた。彼は街中の汚物を片っ端から清掃し、下水を整備し汚物を川へ流せるようにするという政策を取った。この役人が活躍したのは、主にコレラの一度目と二度目の大流行時の期間だが、彼らの努力にかかわらず、二度目の大流行(死亡者数約7万人)は、むしろ最初の大流行時(死亡者数約2万人)よりも大量の死亡者を出している。

ジョン・スノウという外科医がやったこと
・コレラで亡くなった人の家を訪れ、話を聞いたり付近の環境をよく観察する。
・同じような状況下でコレラにかかった人とかかっていない人の違いを比べる
・仮説が得られたら大規模にデータを集め、コレラの発症/非発症と関連していると考えられる「違い」について、どの程度確からしいか検証する。

          家屋の数    コレラによる死亡者  1万件あたりの死亡者数   
水道会社Aを利用   40,046    1,263        315
水道会社Bを利用   26,107       98         37

水道会社Aを利用している家では8.5倍も死亡者が多い。
「とりあえずしばらく水道会社Aの水を使うのを止める」
この考えを発表しえから30年後にドイツの細菌学者ロベルト・コッホはコレラの病原体である「コレラ菌」を発見し、コレラが水中に生息することや、コレラ患者の排泄物に含まれること、そしてコレラ菌を含む水を飲むことでコレラに感染することが証明された。
じつは水道会社Aと水道会社Bの違いは、前者がロンドンの中心を流れるテムズ川の下流から、後者はテムズ川の上流からそれぞれ採水しているというものだった。
残念なことにスノウの主張は「科学的でない」あるいは[確実な証拠がない]として学会や行政から退けられたが、彼の助言に従ってコレラに汚染された水の使用を止めた町ではぱったりとコレラの感染が停まった。 

感想;
データは語る。そのデータをどのように処理するか。データの処理の仕方により、意味がでてくることがよくわかる本でした。データを信じるか信じないかは時の為政者の判断になりますが、そこには謙虚さが求められるのでしょう。
これを読んでいて、戦時中陸軍では脚気で4,000人が死亡したが、食事説を採用して麦飯/パン食に切り替えた海軍ではほとんど脚気の患者はでなかった(パンを拒否した兵士などで発病)。海軍の結果があっても、陸軍は食事説を採用せず、責任者が拘り患者が続出した。陸軍の責任者の一人が、文豪であり陸軍軍医であった 森鴎外であったことを思い出しました。海軍の軍医の高木兼寛は当時最新の学問であった疫学調査から、食事の違いによる脚気の発病率に大きな違いがあることを発見し、食事を変えることで脚気を防ぐことに成功しました。陸軍の責任者は直接兵士を殺害していませんが、間違った判断に固執したために多くの死ななくてよい兵士を死なせてしまいました。残念ながら、陸軍の責任者は誰もその責任を取っていません。