「オルセー美術館展 印象派の誕生 -描くことの自由-」
国立新美術館
2014年7月9日~10月20日
もともとは駅だったオルセー美術館が開館したのは1986年のこと(意外と最近)。
収蔵作品は原則として1848年から1914年まで(二月革命~第一次世界大戦勃発)のものであり、したがって1874年から本格的な運動が始まった印象派の作品群が必然的にコレクションの中核をなす。
1874年の第一回印象派展に出品されたモネの《印象・日の出》をもって誕生したとみなされる印象派は、その後スーラに代表される新印象派や、ゴッホやゴーギャンらの後期印象派へと次々に展開をみせてゆく。
モネ 《印象・日の出》
本展は「近代絵画の父」マネから、モネやルノワールといった印象派の画家、そして印象派の誕生を少なからず促したミレーやクールベら写実主義(レアリスム)の画家たちの作品に加え、同時代のアカデミスムの絵画も扱っている。
19世紀半ばから後半にかけてのフランス絵画の全体像を眺めるには格好の美術展といえる。
では、いくつかの展示作品をみていこう。
19世紀フランスのアカデミスムにおける中心的画家カバネル。
ナポレオン三世のお気に入りでもあったこの画家の代表作《ヴィーナスの誕生》は、発表するや絶賛の嵐だったという。
「ヴィーナスの誕生」と聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのはボッティチェリのあの傑作だろう。
西洋絵画史のなかで面々と受け継がれる「裸婦の系譜」は、19世紀フランスのアカデミーにおいても絶えることなく保たれており、実際ジェロームやブグローといったアカデミスムを代表する画家たちも「ヴィーナスの誕生」を題材とした作品を手掛けている。
ヴィーナスには"Anadyomene"(「海から立ち上る(もの)」の意)という添え名もあるように、神話上では海の泡から生まれ、貝殻に乗って浜辺まで風に吹かれてやってきたことになっている。
上の四点の作品をみてもわかるように、同じ「ヴィーナスの誕生」という主題を扱っているとはいえ、〈貝殻〉を描くかどうかは画家によって異なっている。
本展に出品されていたカバネルの《ヴィーナスの誕生》には貝殻は描かれていない。
・・・と思いきや、意外なところに貝殻があった。
額縁の四隅に貝殻があったのだ。
この意匠は画家の意図なのかそれとも後世の額縁職人の手になるものなのかはわからないが、面白いデザインである。
他に気になった作品としては・・・
印象派の誕生というのは写真技術の発達と軌を一にしているところが少なからずある。
カメラの普及によって〈対象をありのままにカンヴァスに写し取る〉ことの相対的な意義が下がった時代にあって、画家たちは絵画でしか生み出せない効果を模索してゆく。
ルノワールの本作をみてみると、枝葉の鮮明に描かれているところとぼやけているところが混在している。
風のそよぎを受けている部分では、ちょうどカメラの〈ピンぼけ〉のような効果が生まれている。
写真技術の発達に刺激を受けながら絵画も進歩を遂げていった、そうした時代背景が垣間見える気がする。
1997年公開のMr. ビーンの映画「ビーン」でも登場した通称《ホイッスラーの母》。
映画では「美術館学芸員」のビーンがこの名画をめぐって一大騒動を起こしてしまう。
詳しくは映画本編あるいは(削除されていなければ)こちらのYouTubeの動画を参照されたい。
招待講演をすることとなったビーン学芸員の「分析」も見どころである(参考)。
中学あたりの美術の教科書ではジャポニズムとの関連で印象深く扱われていたように思うが、それ以来は久しくみることがなかったのでどこか懐かしかった。
モネやルノワールら印象派の画家たちが好まなかった「黒」を支配的な色として積極的に使うあたりは、終生印象派とは距離を置いていたマネの画家としての矜持だろうか。
少なくとも、差異化を図ろうという意識は多少あったと思われる。
他にも、モネの《サン=ラザール駅》やミレーの《晩鐘》といった有名どころもみられる本展。
歴史をさかのぼれば、日本人の西洋絵画受容は印象派絵画から始まった。
その原点ともいうべき、やさしい導入だったように思う。
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