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三島由紀夫 『午後の曳航』

2014-05-18 22:02:11 | 書籍(その他)

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午後の曳航
三島由紀夫
新潮社
1968年(改版)

美しくも冷たい、まさしく夏の盛りを過ぎた冬の海のような物語。
「夏」と「冬」の二部からなるこのストーリーは、日英米合作で映画化(1976年)され、またオペラ(1990年)にもなった。

ウィキペディアには司馬遼太郎氏をはじめとする評者のコメントがまとめられているが、そのなかで興味深かったのはドイツ文学者松本道介氏の次の指摘。

曰く、タイトルの『午後の曳航』(ローマ字読み:Gogo no Eiko)は詩的な響きを有しており、「独語訳英語訳の題名を見るにつけても『午後の曳航』という日本語を味わうことの出来る有難さを感じる」。

この評を読んで思い出したのが島崎藤村の詩の一節(参考:「千曲川旅情の歌」)。

小諸なる古城のほとり・・・

このフレーズをローマ字表記にすると以下のようになる。

Komoro naru Kojo no Hotori...

『午後の曳航』(Gogo no Eiko)同様、"o"を繰り返す効果によって、なんともいえないわびしさが増幅される。

また英国ロマン派の詩人コールリッジの有名な詩「老水夫の唄」の次の一節にも同様の詩的効果が認められる。

「ひとり ひとり ただひとり 大海原に ただひとり」
("Alone, alone, all, all alone, / Alone on a wide wide sea!", 232-33)

『午後の曳航』。
淡き夕べの水面に消える、航跡と青春。

さて、美術の話。
以前に映画「舟を編む」を扱ったときに絵画に描かれた船の例を何点か紹介した。
今回は海洋画の歴史について。

Wikipediaによれば、〈海洋画〉には厳密には二種類(maritime art / marine art)あり、前者は航海に携わる人間が描かれている必要があるが、後者は人間が描かれていなくともよい。

海洋画の歴史は古く、それこそ古代ギリシアやエジプトの時代から描かれてきたが、最初の〈隆盛〉が認められるのは中世・ルネサンスを経たのちのいわゆる「オランダ黄金期」の絵画である(参考:"Dutch Golden Age painting")。

17世紀のオランダは活発な国際貿易により目覚ましい経済発展を遂げ、それが豊かな文化を育成する土壌を形成した。
こうした時代背景を考えると、海洋貿易で空前の繁栄がもたらされた国家において海洋画が隆盛したのもむべなるかなといったところである。

そして次に海洋画の〈隆盛〉がみられるのはロマン派の時代である。
崇高(sublime)」の概念の広まりと相まって、この時代には人々の自然観(もちろん海も含まれる)が大いに揺さぶられた。

ロマン派期における時代のうねりがそのまま海洋画に投影されていると考えていいのだろう。
また船の描かれていない海洋画、すなわち先ほどの分類でいうところの"marine art"が初めて広く描かれた時代でもあった。

一点だけ作品を扱っておこう。
ターナーの《奴隷船》である。


ターナーはこの作品に自作の詩を付した。

Aloft all hands, strike the top-masts and belay;
Yon angry setting sun and fierce-edged clouds
Declare the Typhon's coming.
Before it sweeps your decks, throw overboard
The dead and dying―ne'er heed their chains
Hope, Hope, fallacious Hope!
Where is thy market now?

ターナーも激しい奴隷制反対論者であった。
英国の奴隷貿易廃止の歴史については、映画「アメイジング・グレイス」でも扱われている。


船―。
黄昏の海と哀愁の航跡。

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