2014年5月17日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
スペシャル前編30分 放送700回記念
劇的空間!ローマ・ヴァチカン ~天才たちが鎬を削った美の饗宴~
ヴァチカン宮殿にある「ラファエロの間」の一区画「署名の間」。
ローマ教皇ユリウス二世が書庫として使用したこの部屋には、ラファエロの手掛けた作品が四点のこされている。
そして、
今回の放送で焦点が当てられたのは、この《アテネの学堂》に描かれているひとりの女性について。
絵をよくみてみよう。
画面の右に描かれた、こちらを向いている男性は、画家の自画像であるといわれる。
そして、そのまま目を左にずらしてゆくと、同じようにこちらを向いたひとりの女性が描かれていることに気づく。
この女性、いったい誰なのか。
その謎を解く手がかりとなるかもしれない一枚の絵が、こちらである。
生涯独身だったラファエロ。
実は一度枢機卿の姪と婚約したのだが、彼女が夭折したため結婚には至らなかった。
彼女の死後、叔父の枢機卿はラファエロに他の女性との結婚を禁じた。
この枢機卿、ラファエロやその工房の画家たちのパトロンでもあったため、彼らにとっては非常に影響力の大きい存在であったのだ。
しかし「聖母子」の画家ラファエロにつねに霊感を与えてきたのが幾多の色恋沙汰であったことはほぼ明白な事実であって、それゆえ画家が枢機卿の言いつけを忠実にまもっていたかどうかは怪しい。
実際、この絵《ラ・フォルマリーナ》に描かれた女性は、ラファエロと結婚していたという説もあるほどだ。
画家の前でこれだけくつろいだ姿勢をとっているからには、相当に親しい関係であったことは間違いないだろう。
ちなみに「ラ・フォルマリーナ」とは「粉屋」、すなわち「パン屋」の意。
つまりはパン屋の娘だ。
結婚の一番の根拠となりうるのは、この女性の左手の薬指に、もともとルビーの指輪が描かれていたこと。
当時、婚約指輪にはエメラルド、結婚指輪にはルビーが一般的だったという。
しかしこんな(スキャンダラスな)絵が枢機卿の目に留まったら大変だということで、ラファエロの死後、彼の工房の画家たちは指輪を消したのだと、ある美術史家は言う。
決定的な根拠とまではいえないが、十分に考えられる説であろう。
そして、表立っては結ばれることのない二人の関係性が、《アテネの学堂》における二人の距離に反映されているとも考えられるのだ。
(もっとも、この説は《アテネの学堂》に描かれた女性が《ラ・フォルマリーナ》のモデルと同一人物であるという前提に立ったものではあるが。)
番組内での解説によると、《ラ・フォルマリーナ》のモデルの女性はラファエロの死後修道院に入り、そのときの記録には「未亡人」とあったということである。
ちなみに、《ラ・フォルマリーナ》と同一のモデルが描かれているとされる作品がこちら。
モデルの女性の断定については専門家諸氏に任せるとして、《モナ・リザ》の影響がこの絵に色濃くみられることだけは確実にいえるだろう。
最後に、ラファエロの墓碑銘を引用しておこう。
ラファエロここに眠る。彼が生きていたとき、母なる自然は彼に征服されることを恐れ、彼が死んだとき、母なる自然は自分も死ぬのではないかと恐れた。
(ゴンブリッチ 『美術の物語』 245頁より)
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