goo blog サービス終了のお知らせ 

近況報告。

・・・のつもりではじめたのですが・・・。
ゼミについては、学科公式ブログで報告しています。

ハガレン。

2010-11-30 20:24:45 | 芝居とか映画とか。
まとめて貸していただき、読みました。
難しくてわからないところも多いのですが、
ラストを読んだ結果、正統派児童文学だなあという印象でした。

(エルリックの話とお父様の話がいま一つきちんとかみ合っていないというか、
ゲド戦記の1巻と3巻を一緒にやっちゃった感じがしましたけど。)

児童文学も予定調和以外の結論を持ち込むようになった現在、
予定調和に拍子抜けしたという面も無きにしも非ずですが、
現代においてペースを乱されず、それをやっちゃう作者を尊敬しました。

個人的には、「真理」を手放して地に足つけて・・・という道を選んだ
エルリック(少年、最後大人びたところがまた児童文学)よりも、
賢者の石を使ってでも生き残り、国づくりというある種の
権力に居直る選択をしたマスタング(大人)の行く末の方が気になります。




「美女と野獣」。

2010-11-13 22:07:57 | 芝居とか映画とか。
四季劇場夏の杮落とし公演『美女と野獣』に行きました。

95年から98年まで赤坂でやっていたあと、実に12年ぶりの東京公演!
(当時は、ディズニー映画を再現した衣装に脱帽し、
今では当たり前の電飾や火花で感動したものですが・・・。)
旅のついでに、ウエストエンド(英)、ブロードウェイ(米)でも見ましたが、
どうも私はこの演目が好きみたいです。

「ミュージカル化」の具合がたいへんまとまっているというか。
時計やロウソク、ポットを舞台でどうやって?という問題をクリアし、
ある意味オールドファッションな豪華絢爛衣装と古典的なまでの
ショータイム(モノたちのディナーショーと村人のマグカップダンス)に
新しい衣を着せてしまったのがとても好き。
(「ライオンキング」はちょっとエキゾチックに走りすぎて…。数回で満足。)


一応「ディズニープリンセス」の中に入ってるこのお話は、
女の癖に読書好きなために変人扱いされるベル(ただし美女設定)が
野獣を愛するというもの。

シンデレラとか白雪姫といったディズニー映画で女らしい肉体で描かれる
「純粋な心の優しいプリンセス」たちは、王子様に見初められ幸せになります。
(シンデレラも白雪姫も、しばしネット上で書かれているように、
完全に受身ではなくて、ちゃっかり靴を置いてきたり、小人を家事で味方したりと、
王子を着実に手に入れるしたたかな女と見ることもできますが、
異性愛規範とジェンダー規範に忠実な女子像であることは間違いなし。)

それに対して、美女と野獣は、女子規範から外れている主体的な女性が、
自ら主体的に愛するというところがちょっと異色の「プリンセスストーリー」です。
もちろん、ベルはお姫様というよりお母さんキャラとも言え、
カップリング成立でハッピーエンドという点で見ても、
異性愛規範とジェンダー規範を反復しているわけで、
やっぱり「プリンセスストーリー」なわけですが。

ところで、この話の主役は実は野獣なのでした。
そう考えれば、他人を思いやれないお子ちゃまな男子が
知的でお母さんタイプのしっかり女性を愛して変わる
(その結果愛される)という話でした。
これまた男性側のある種の異性愛ファンタジー・・・。

完璧すぎるプリンセスとプリンスの話は古臭く感じられるけれど、
そこから少し外れた男女のプリンセス願望・プリンス願望は
まだまだ現代日本のそこここにある!という話なのかもしれません。

(私自身は、「不思議の国のアリス」と同じ感覚で好きなので、
空想癖のある女子設定とディズニーらしい曲線美を持つキャラたちが好きなだけで、
野獣とのカップリング(異性愛成就)はどうでもいいみたいです。
王子に戻ると萌えなくなってがっかりするしw)


公演については、今回も色々もにょもにょですが、
派手だし大はずしはない演目なので、
基本的に英米ではクローズしてしまったこれを
上演してくれるだけでありがたいです。





「エリザベート」。

2010-10-17 19:32:49 | 芝居とか映画とか。
オーストリア=ハンガリー帝国の皇后エリザベートの生涯を描いた
ウィーン発のミュージカルです。

ここ10年くらい、ブロードウェーでは受けないウィーンのミュージカルが、
なぜか日本では受けているのですが、その先駆けとも言うべき作品。

破天荒ゆえに死に誘惑されるエリザベートを描くのに、
その死(der Tod)をロックスターのような男性として擬人化してしまった
(性と死の欲動?)ところがポイントです。
さすがフロイトのお国。

ただ、ウィーン版では本当にそれだけだった「トート」に、
宝塚版が(抽象名詞の擬人化が日本には馴染まないからと)
「死神」「黄泉の帝王」という設定を付け加えて
死と皇后のラブストーリーという話にしてしまい、
今回見た東宝版はそれをそのまま男優をつかってやっているので
色々ひずみがある感じに。ビジュアルもすごいことになってるし。
(他にも端役でいいはずの役に見せ場があったりするので、
見づらい原因に。役者の見せ場をつくるための戯曲をつくる宝塚と
システムが違うのだから、変えればいいのになあといつも思います。)

死が皇后とその周りの人々、帝国そのものの回りをうろつき、
ついには破滅に追いやっていく感じがするウィーン版の方が、
私は話としては好きです。
帝国の滅亡(そして、それをもたらした民衆の動きの先に
予感されるナチスドイツという別の破滅)というテーマまで
盛り込んでいる以上、ラブストーリーに矮小化するのはちょっと、と。
(ただし、オペラ由来の演出には「ぽかーん」とするところも多いので、
日本版の演出からラブストーリーを抜けばいいという感じかな?)

2年前は武田真治トートが、色気がありつつ死がちらつく不気味さを
表している気がして、すごく好みだったのですが、今回は降板。

今回見た城田優トートは「死は悠然と待っている」という解釈のようで、
「欲動」というまでに誘惑してくる感じがなく、
ラブストーリーという設定とも矛盾するので、
私はちょっと楽しめませんでした。
(しかし、若いしビジュアルがよいし、歌もきれいなのですごい。)

半音続きの難しい曲を歌いこなせて、
ままならないものを抱えているエリザベートや
色っぽく誘惑してくるトートがそろわないといけない戯曲。
役者がうまくはまったときはすごくおもしろいコンセプトの話なのに、
うまくはまらないとその扮装が微妙な気分になってしまうところが、
この作品にはまりきれない理由かも。

http://www.tohostage.com/elisabeth


「アイーダ」。

2010-09-13 15:43:49 | 芝居とか映画とか。
合宿の前あたりの話。
初演から6年でやっと東京に来たというのに見そびれていた
ミュージカル「アイーダ」に駆け込みで行って来ました。

←色好きにはたまらない配色。

ディズニープレゼンツでエルトン・ジョン作曲なので、
オペラのアイーダとは大本が一緒なだけの別物です。

私はもうあまりこの劇団に期待していないのですが(苦笑)、
ブロードウェー作品なので、演目は見たくて・・・、
と思ったら、今回は、期待してなかった分、キャストの感情に導かれて
けっこう引き込まれて見ました。まあ満足。

しかし、マトリックス風?カンフー系ダンスあり、
ヨガとかバリ舞踊を想起させるようなダンスありでした。
エジプトなのに・・・。

バリの影絵とか文楽を取り入れて大ヒットした
「ライオンキング」のときも思いましたが、
西洋じゃないものは全部「オリエンタル」でひとくくりなのですよねw


うーん、お盆があけてから、
かかわってる仕事全部で動きがあり(休みに動く業界だからか)、
あっちの研究会、こっちのミーティングと落ち着かず。
合間にゼミ生の課題をチェックして・・・。
しかも、10日おきに2泊3日があるので、バタバタしてます。
先週は、7度目(!)の福井行ってきました。
そして、ひたひたとせまりくる新学期


「キャンディード」。

2010-08-10 18:16:19 | 芝居とか映画とか。
佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2010キャンディード
を見に行きました

言わずと知れた、ヴォルテールの小説を元にした
バーンステインのオペラ(かオペレッタかミュージカル)ですが、
ありえない出来事の連続で諸国を漫遊する荒唐無稽な物語
(言葉!言葉!言葉!)の果てに唐突に人間賛歌が浮かび上がるという、
ああ18世紀よねえという話。

私はそもそも、2004の宮本亜門の再演版ミュージカルを見て、
その18世紀的の平板さをを、役者をぐるぐる回らせる舞台装置と
コメディ調の演出でうまく処理していて、
なんかはまってしまったのですが。

6月に見た(のですw)ジョン・ケアード版ミュージカルは、
荒唐無稽な話に無理やり論理が通され、
深い成長物語のフォーマットで演じられてしまったので、
私としてはすごーく見づらかったのです。
舞台装置もあまり工夫がなかったし。

キャストも、勤勉で高偏差値(内部指向型)の
キャンディードとクネゴンデに、
妙な人間的深さをかもしだしてしまうパングロスで、
私には、「それでもこの曲と話好きだな」と確認した以上の
感動はありませんでした。
(ただ、亜門版で??となった人には、身近なフォーマット
だからわかりやすかったようです。)

そして、今回は、直弟子佐渡裕指揮なので、
オペラ版を見てみようというくらいで、
あまり深く考えずに行ったのですが、
なんと、舞台を戦後アメリカに移しての演出でした。
(演出、ロバート・カーセン。)

ウェストファリアはケネディ首相官邸、新大陸はニューヨーク、
エルドラドはテキサス、旧大陸に引き返してもなぜかラスベガス…。
舞台の周りには、50年代風のテレビ枠

つまり、すべてはテレビの中の出来事で、
映っているのは、ユダヤ人や共産主義者、同性愛者を抑圧し、
戦争に明け暮れ、映画に浮かれ、
オイルマネーをはじめとする巨額の金が行きかい、
テレビとジャンクフードを享受する保守的家庭が支配するアメリカ。
無理やりな展開も、テレビ的お約束とか、チャンネルを回している
と思えばおかしくない!

そして、そこかしこにちりばめられる、アメリカ批判。
しかも、5人の王のシーンが、元英米仏露伊の首相・大統領たちで
彼らが好き勝手やりながら偽善を言うのを揶揄する演出になっていて、
アメリカだけじゃないぞということも示唆。

最後に、テレビ枠から全員が前に出て、
「畑を耕そう」というのには、一定の説得力がありました。

なるほどなーと思いました。
18世紀的平板さは、19世紀型近代とはミスマッチだけど、
逆に20世紀後半とはベストマッチ

そして、それは、1957年のアメリカでこれを舞台化したいと思った
バーンステインの仕事を継ぐ作業とも位置付けられてます。

嗚呼、3公演しかなかったのが残念。もう1度見たかったです。

オペラの時代置き換え演出って
今まであんまりピンときてなかったけど、
音楽的素養がなくオペラの敷居が高い私としては、
音楽ではなく芝居として楽しめたのでよかったです。
キャストも歌は当然よい上に演技派ぞろいでした。
最近はオペラも太った人が歌を朗々と・・・じゃだめなんですよね


「告白」。

2010-06-30 18:55:39 | 芝居とか映画とか。
社会現象となり、学生がハイテンションに語っていたので、
ほうっておくわけにはいかなくなり、本を読み映画に行きました。
※辛口です。

本。

自意識による少年犯罪、少年司法の問題、モンスターペアレント、いじめ、復讐、
といったテーマをキッチュに配置して、それなりに面白く話をまとめたよね、
と読めたのは1話目だけで、
後にいけばいくほど、「典型的すぎる設定」を書き込みすぎて、
読んでいて気恥ずかしくなりました。
(重要人物の中学生がみんな「問題」ある家庭背景を持ち
「中二病」的思考をし、大人も自己愛に満ち溢れた人ばかり。)
書き込みすぎているので、ミステリーとしての構成美みたいなものが
あるわけでもありませんでした。

一気読みする程度にはおもしろかったけれど、正直今一つ。

先が知りたくて一気に読んでおもしろかった~というのが大半かもしれませんが、
ネットの感想を見ると、
しばしば「これはフィクションである」という留保を伴いながらも、
そこに「リアル」とか「社会問題を描いている」と何らかのリアリティを
感じて(そこで思考停止して)いると思われるものも散見されました。
粗雑な像に脊髄反射的に反応して消費する態度が瀰漫しているとしたら、
「社会問題」像や「子ども」「教育」像の構築・流通のありようとして、
それ自体が考察の対象とされるべきなのかなと思いました。

学生が「リアル」とか「考えさせられた」というときも、
(「おもしろかった~」で終わっているときも)
子どもや教育を語るときに典型的な前提があるような気もして、
それをもう一段反省してもらうために、
私は何をどう働きかけていかないといけないんだろう?と考えさせられました。

映画。

原作で書き込みすぎだったところを全カットし、
どこの昼ドラ?というベタすぎる設定はぼかすか変えるかで処理。
(HIVをそういう描き方して大丈夫?と思ったところも無難に修正されてました。)
そんな中島監督のセンスが光り、本より面白かったです。

映像を細切れにしたり、加工したり、わざとらしいカットを入れたりすることで、
現実をリアルに再現した映画ではないという距離感をかもしだし、
だからこそ虚構の中の一片のリアリティを観客に残すとでもいいましょうか。
「松子」や「下妻」ほどあざとくもなく、その距離感は原作よりは洗練されてました。

しかし、それでも、なぜメガヒットになっているのかは未だなぞ。

ちなみに、昼ごろ夕方の回をとりにいったら満席で、
結局21時の回にしてしまったのですが(それも満席に)、
その回の年齢層高めの客の反応としては「ふーん、まあ面白かったね」
というドライな感じでした。
昼の段階で、「満席」の表示に呆然としたり険悪なムードになっていたりする
女子大生集団が複数いましたが、そういう学生が多い回が
どういう反応だったのか知りたかったかも。



「アリス・イン・ワンダーランド」。

2010-06-14 00:29:24 | 芝居とか映画とか。
5月はばててたので、今頃やっと見ました。

ティム・バートン&ジョニー・デップの作品は、
一見したエキセントリックさのわりに
(いやこれも案外泥臭くて頭で考えたエキセントリックさなのだけど)、
オチは家族愛だったり成長だったりととてもモダンでナイーブで、
もう絶対微妙な気分になることはわかっていたのですが、
でも見たかったんですよね(苦笑)。
(だってひたすら子ども/大人問題を描いている人たちだから。)

で、今回、「チャーリーとチョコレート工場」のような奇抜さはなく、
ディズニーのアリスファンとしても映像を楽しめました。
(3Dは細かく切り替わるこの作品には不要かも、見づらかったです。)

が、話はやっぱり微妙な気分になりました。

原作は、荒唐無稽なところに子ども心に妙なリアリティを覚えたものですが、
後で考えてみるに、あれは正統派「少女もの」だったなあと思います。
自我がはっきりしていなくて流されたり急に自己主張したりと
体の大きさとともにころころ人格が変わり、自分が誰かわからなくなって
「不思議の国」にふわふわ浮遊するアリス。
そして、そんな「不思議の国」は夢でした、ちゃんちゃんというお話。

夢から覚めた先は書いてはいないけれど、
ウェンディーがネバーランドから帰ってきて、結婚して子どもを産んで
いつのまにかピーターパンが来てもその存在に気づけなくなるように、
夢の世界から戻ってきた少女は、母になるのでしょう。
母になることを猶予された少女時代の夢のような物語なのです。

さて、それに対し、バートンは、アリスを親が決めた結婚を迫られている
19歳にすることで、「少女から母へ」とは違う物語にしようとしています。
「アンダーランド」で、アリスは自分で決めて自分の道を歩んで行き、
最後には自分の意志で現実世界に戻り、求婚を拒絶します。

でも、それって「少女→母」路線を否定しただけで、
ひどく古典的な自立の物語では??と思うのです。
(もちろん「少女」は自立する代わりに妻=母になるというのを古典的と
すれば斬新なのかもしれませんが、でもやっぱり予定調和すぎかなと。)

自分で決めたといってもなんだかんだで預言書の通りの行動をしているし、
そもそも不思議の国をそんな道具的に使ってほしくないかなあ。
(不思議の国に不思議さがあまりなかったし。)
現実世界に戻って急に事業に乗り出すというのも、
時代設定を考えるとそっちのほうがよっぽど荒唐無稽で不思議かも。

「チャーリーとチョコレート工場」のチョコまみれシーンとか、
「スウィーニー・トッド」の切り裂きシーンとか(←トラウマぎみ)みたいに、
やりたかったんだねえ・・・というパワーもあまり感じられず、
なんか煮え切らない気分で映画館を後にしましたとさ。

いっそあの映像でベタにディズニーの実写版としてつくってくれたほうが(笑)。
なんだかんだで「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」が未だ一番好きです。
(ミュージカルだし、吹き替え版が二度おいしいし。)



「レベッカ」。

2010-05-05 20:38:23 | 芝居とか映画とか。
連休でした 
気持ちをかき乱されることもありましたけど(苦笑)、概ね楽しく過ごしました。




さて、今年は帝劇でリーバイ&クンツェコンビのウィーンミュージカルを
3作(日本人キャストで)上演すると盛り上げています。

第一弾、「レベッカ」を見に行きました。

不在の「完璧な先妻」レベッカをめぐるサイコサスペンスを
音楽で盛り上げていくって感じの芝居でしょうか。

第二弾、第三弾の「エリザベート」と「モーツァルト」は、
ご当地伝記ものに精神分析っぽいモチーフをちらっと入れて、
エンターテイメントにしているのですが、
レベッカは原作とヒッチコックの映画があるので、
特に趣向は凝らしていないのかな?

あんまり詳しくないけれど、
フェミニズム批評なんかでよく取り上げられる話だと思うんですが。
(1度も出てこないのに繰り返し人物像が語られるレベッカと
名前を1度も呼ばれない主人公「私」、とか。
家父長制を逸脱するも不貞の証とされる病に倒れるレベッカと
シンデレラストーリーに浮かれる少女から夫を守るただの妻になる「私」、とか。
案外女性的でへたれの夫マキシムとか。)

ほかの2作みたいに、そういうモチーフをキッチュにまとめあげてくれる、
ということはないみたいです。(私が気づいてないだけ?)

公演への感想としては、よく歌える人をそろえているよなあと思うものの、
もうちょっと緩急があると(芝居もだけどそれを載せるべき音楽に)
見やすいような。
2年前の初演のシアタークリエは小さいと思ったけれど、
帝劇はちょっと箱が大きすぎる気がしました。

「私」の大塚ちひろさんが少女から女(妻)になる過程を公演。
ダンヴァース夫人のシルビア・グラフさんもあたり役で素敵でした。
マキシムは・・・ウィーン版CDののUweさんの声が忘れられません。

ミュージカル レベッカ

プロモで見るとだいぶ昼ドラ的・・・。
まあウィーンミュージカルって、そういう大衆的なとこがいいんですけど。
ウィーン版のオペラ調演出だとそこまで昼ドラに見えないようなので、
一度ウィーン版を見てみたいものですが。


人生初宝塚へ。

2009-11-16 00:56:30 | 芝居とか映画とか。
お隣の日生劇場や帝国劇場にはしばしば出没しますが、
中高時代、女子校の演劇部だったりしましたがw
宝塚はなんとなく機会を逸していて。

少女研究などでどこか共有知のようになっていることもあり、
やっぱ1回行ってみよう!と、ついに足を運びました。

詳細は書きませんけど、
ああ、やっぱりあそこは「宝塚音楽学校」という「学校」なんだなあと。
そんな時空間を感じました

ジェンダー秩序に回収されてしまう前に花開く
「少女」なる存在に関する論考はけっこうありますが。
※例えば、今田絵里香『<少女>の社会史』とか
 渡部周子『<少女>像の誕生』とか。
 「古典」としては、本田和子の『女学生の系譜』ほか一連の少女研究など。

20代から30代半ばくらい(年齢非公表ながらトップのほうはおそらく)の「生徒」の
「少女」(宝塚乙女?)ワールドを、21世紀に楽しめるかどうかが、
はまれるかどうかの鍵のように思いました。
(個人的に、嫌いではないのですが、リフレクシブな部分がほしいです。
でも、リフレクシブになったら「少女」じゃないんですよね。きっと。)

(追記)11/19
直後、元花組トップスターの大浦みずきさんの訃報に接しました。
そして、ネット上に落ちている動画を拝見。
・・・プロのお仕事でした。
性別を超越したなんともいえない魅力とにじみ出るプロ意識。
ため息が出るような魅惑的な舞台でした。
そういう宝塚、見てみたかったです。


「レ・ミゼラブル」。

2009-10-25 16:37:14 | 芝居とか映画とか。
いわずと知れたヴィクトル・ユーゴーの大作(1862)のミュージカル化。
1985年にロンドンで公開され、世界中で様々な国の言葉で上演。
日本では、1987年初演で、もう20年以上断続的にやってます。

中2のとき、家族で見に行って、号泣しまして(←リアル中2病罹患中)、
それから芝居やミュージカルにはまっていったのでした。
それからウェストエンド(英)、ブロードウェー(米)含めて何度も見ており、
20回越えたあたりで数えるの放棄。

原作が壮大(新潮文庫で全5巻)な上、
複数キャスト制を採用していることもあって、毎回見所が違うおもしろさもあって、
学生時代は、このためにお金をためて、
2週に1回安い席で通いまくるとかあほなことをした時期もありました
(今期はさすがに1月半の間に1回、厳選していい席確保して行きました。)

1991年から見続けて、2007年からの今のカンパニーは、
気がつけば、キャストの半分が年下に・・・。
同世代の「レミゼ」になってきました

見所は、
ジャン・バルジャンの人生
 -1)ファンティーヌとの出会いとコゼットへの愛
 -2)ジャベールとの対決
マリウスとコゼットの恋(エポニーヌの悲恋)
市民の窮乏と学生の革命運動
ってあたりで、その日によってぐっと迫ってくるところが違うのですが、
やはり大きな印象を左右するのは学生革命。

※1832年の六月暴動をモチーフとしているのですが、そのあたりは、
まさに概論で話した社会学の誕生期のお話w
フランス革命→ナポレオン帝政期→ルイ18世による王政復古→七月革命と経て、
ルイ・フィリップが即位し絶対君主制から立憲君主制へと移行が進んだ時代で、
未だ参政権が制限されていて貧困問題にあえぐ労働者や農民による
暴動や革命が起きるようになった時代です。
1848年の二月革命に向けて小競り合いが続く時代。

原作は、ある意味身も蓋もない社会と人間のあり様を描くことで、
ヒューマニズムを感じさせるというロマン主義的なお話ですが、
お芝居は、作り手が1968年を体感した世代だったせいか、
原作では4巻の前半部でしかない学生の革命の話に多くの時間を費やします。
(内容も、身も蓋もなさが軽減され、美談が多くなっています。
それは、そこが観客動員につながっているので別にいいと思いますが。)

1991年に初めて見たときは、学生役の多くが、1950年代から60年代初頭生まれで、
1960年代を肌で知っていた世代だからか、何か骨太感がありました。
何かを真に築こうとしている印象がありました。

その後、1994年から2000年くらいのキャストはバブル世代というか、
なんか華やかな連帯という感じで、キャスト萌えしたり、こっそり色々なところで
展開されるサイドストーリーを見に行ったり、というオタク的見方を助長されました。
仲間内の盛り上がりに観客も混ぜてもらっているような楽しさがありました。

2003年からのキャストは、上演時間短縮で脚本が変わったせいもあり、
なんか色がないというか、(私は)ピンときませんでした。

ところが、2007年からの今回のキャストはいいです。
「下向け」と市民(労働者や貧民)が歌うシーンは胸に迫るところがあります。
革命も、蜂起して命をささげても何も変わらないかもしれないとわかっていても
それでもやるというような、出口のなさの中での決意を感じるというか。
なんか、ロストジェネレーションのレミゼというか、
格差の時代のレミゼの感じがしますw

あくまで私個人の感想ですが。
(2007年に見たときは自分がリアル求職中だったので、特に胸に迫った気もします。)

いずれにせよ、多様な世代と多様な個性の役者を受け入れ、
観客の個性とライフコースの諸段階と日々の感情で多様な見方を可能にする。
(メインストーリーに燃えても、サイドストーリーや役者に萌えてもOk!)
そういう
フォーマットになったからこそ、このお芝居は、25年も全世界で
上演され続けているんだろうなと思います。


このブログで熱く語るなという感じですが、
何年たってもオススメミュージカルです。


余談ですが、1990年代後半にイギリスで見たときは、
清潔な日本のキャストに比べて、ずいぶん体臭きつそうというか、肉食べてそうで、
こっちが本家なんだなーと思いましたが、
この春イギリスで見たときは、20代のキャストは日本とかわらんなーと思いました。
グローバル化?w

http://www.tohostage.com/lesmiserables/ (音注意)