快晴。
朝9時。
バイーア沿いの大通りを走る馬車に乗ってサン・ペドリートのフォコへと向かう事にする。
馬車の事を当地では「Coche(コーチェ)」と言う。
語学の本で「コーチェ」は「自動車」だけど、馬車が自動車並の頻度で使われているキューバでは当然コーチェは馬車なのだろう。
そういやコチェロといえば馬車の運転手だ。
馬車を指してカバーヨ(馬)と言っても、思った意味ではイマイチ通用しなかった。
今一度、辞書で調べてみると自動車も馬車もコーチェだそうだ。
しかし、通り過ぎる馬車はどれも満席で乗ることが出来ない。
しかたなく人力車(ビシタクシー)を拾う。
今回のチョフェは正直者だった。
サン・ペドリートのフォコまで5ペソでよいと言う。
気分が良かったからチップにリンテルニータ(LEDハンディライト)をプレゼントした。
パッと顔がほころんで、帰りにも拾ってくれるという。
大変ありがたかったのですが、時間がわからないのでお断りさせて頂きました。
9:25にサン・ペドリートのフォコに到着。
既にメンバーは揃っていた。
ファン・オスカール・デ・ラ・テヘラにファン・バウステ・グランダ、それにアンリス・カブレラ・オリスの3人。
それにアンリスの弟。
ファンとアンリスは国立カーニバル博物館のミュージシャンであり、ファン・バウステはキューバ国立民族舞踊団(コンフント・フォルクロリコ・デ・オリエンテ)のミュージシャンだ。フランスへも演奏しに行っている。
ファンはルンベロス・デ・オイのメンバーでもあるし、またアンリスはココジェのメンバーでもある。
写真:JuanOscarTejera
写真:JuanBausteGranda
写真:AnlisCabreraOris
今日は昨日なかったボンゴ、マラカス、それにカウベルを混ぜての収録。
リズムはボレロ、ソン、チャングィ、それにルンバのヤンブー、ワワンコー、コルンビア。
コルンビアはマタンサス、ハバナ、サンチアゴの各スタイルを演奏してもらう事になった。
エレメンタリーなものを目指していたのだけれど、はからずも本格的なものになりそうだ。
ちょっとしたリハーサルの後に収録。
とてもスムーズに済んだ。
収録後、サンペドリートの打楽器倉庫にある楽器を拝見させて頂いた。
写真:コンガの雄、サンペドリートのフォコで見つけた打楽器たち
Pilon
Fondo
Campana
お礼をしてサン・ペドリートのフォコをあとにする。
帰る途中、ファンの家に寄った。
彼の息子、オスカールを見るために。
既に8歳となっていた。
相変わらず大人しいが、打楽器奏者を目指しているらしい。
少し脱線するけれど6歳になった我が息子、クリスチャンは医者になりたいと言っていた。
写真:ファンと息子オスカル
そういえばムセオでのショーが、週明けの月曜日にはあるらしい。
ファンでさえもよくわかっていなかったから、スペイン語は難しいんだな。
宿に戻ると11時。
まだ、1日たっぷりと時間があるので、キューバの守護聖人を祭るコブレの教会へと今日こそ行ってみる事にする。
バスやカミオンの出るCalle4までは宿のある街の中心、セスペデス公園付近から歩いて30分ほどだ。
行く道すがら、宿の上にあるベラスケスのバルコニーに寄ってみた。
ディエゴ・ベラスケスによってスペイン人のキューバへの入植が開始された。
街の建設は1515年。
バラコアの建設に遅れる事3年。
キューバの首都として1523~56年の間繁栄し、そういうわけで最も古い時代に建設された都市のうちの一つである。
近所にあるベラスケスの家は1522年に建てられたそうだから、こちらもほど同年代の建設だろう。
バルコニーから眺める湾とシエラマエストラ山脈のはしっこの眺めが素晴らしい。
もはや見慣れた風景だ。
こちら見学だけなら無料、写真撮影は有料だ。
さて、バスターミナルに着いて切符売り場で尋ねるとコブレ行きは13時の発車だという。
しかし、12:20頃コブレ行きに乗らないかと声がかかり、先日切符売り場で聞いたように12:30ちょうどにコブレ行きのカミオン(トラック)は出発した。
トラックの荷台に乗っているものだから、結構揺れをキツく感じる。
コブレ教会までは市内から20km、5ペソ。
13:05、コブレに到着。
景色が懐かしい。
以前ここに来たのは確か2002年、5年も前の事だろうか。
キューバ人のこころのふるさと、コブレ教会。
5年前に来た時には、ハバナに住む知人に頼まれてコブレの砂を持っていったり、人形を買っていったりした。
御本尊「ビルヘン・デ・ラ・カリダ」
帰り道、偶然バスが通りかかったので、サンチアゴ行きかどうか運転手に確かめてからそれに乗り込む。
1時間待ちを覚悟していたので、これはラッキーだ。
まったく待つ事なくバスに乗る。
なんてリッチなんだ。
13:45発、14:20着。
歩く帰り道、スーパーに寄ったら、以前会ったことのあるルンバのミュージシャンから声がかかった。
確かバルバロって名前の。
少し疲れていたので挨拶も程々にスーパーをあとにする。
15:05宿に到着。
ブカネロを一本飲み干して、今度はカラバリへと向かう。
ジャイリンは明日の事で外に出ていたが、学校から戻ってきたチーチョがいた。
毎日8時から16時まで仕事だそうだ。
チーチョが「今回はいつ麦酒飲みパーティーをやるんだい?」と度々訊ねてくるので、ビールを買ってきてもらう。
キューバ人が買うと1本12.5ペソでアトゥエイが飲める。
以前ペソ払いでも結構麦酒を買っていたけれど、最近はダメなのかな、外国人。
3年前は10ペソだったから値上がりした。
色々話をしたけれど、ナイレのバンド、X-Alfonsoはやはり結構有名らしい。
特にビデオクリップ祭?の時には必ず登場するそうだ。
そう言えば、ついいつもキューバ人の発音を説明する時にキューバ=ハバナって感じで説明してしまうけれど、サンチアゴ人の喋るスペイン語では末尾の「S」が落ちない。
その点サンチアゴ人の方がハバナ人よりもインターナショナルだ。
ハバナ人、特にバリバリ下町みたいなハバナ人は
「2」を「ド」と発音する。
より一般的なのは「ドス」だ。
カタカナで「ドス」と書いても"dosu"ではなく、"dos"ですけどね。
しばらくしてジャイリンが家に戻ってきた。
鶏肉とパスタの盛り合わせ?をご馳走になる。
いつも申し訳ない。
明日出掛ける海岸がもう少し市街に近いブエイカボンに変更になった事を告げられる。
50人集めるはずが30人しか集まらなかったので、少ない人数で遠くへ行くのをタクシーの運転手が嫌がったらしい。
しかも6時ぴったりに出発するから、5:45までにここに来い、と。
いやー、朝は不得意です。
5:25には宿を出るつもりでないと危ないな。
それは通常なら寝る時間だ。
ま、頑張ります。
帰り際にチーチョのフィアンセがやって来た。
彼女は高校を卒業したばかりで、今は何もないそうだ。
なかなか朗らかで可愛らしい子だ。
いよいよリゾートが始まる。
・・・暗転。
今、ジャイリンがわざわざモト(バイクタクシー)に乗って宿まで知らせに来てくれた。
カミオン(トラック)が壊れたから、明日の海行きは中止になったって。
キューバでは日本以上に一寸先は闇である。
しかし中止のはずだったコンパルサは日曜日にはしるという。
こちらは嬉しいニュースだ。
さて、海行きが中止になった代わりに、チーチョとチャックと3年前に行った海に行こうか、と誘われて迷ったけれど、それを辞退する。
あの海は濁っていて、とても泳げたものではなかったからだ。
シボネイは?と聞いたら、シボネイ行きのカミオンに外国人は乗れないという。
3年前にはカミオンでシボネイに行ったのだけど。
3年前のシボネイ。
泳いでいるうちに、砂浜に置いてあった荷物を全て持っていかれたシボネイ海岸。
もっていかれるのを覚悟で持ってきた荷物だから、全く大したものは入っていなかったのだけれど、わずかな有り金全てとTシャツを持っていかれてしまったのはそれなりに痛かった。
無一文では街に帰れないし、上半身裸で街を歩くのも日本人にはふさわしくない格好だ。
あの時には、浜でフルーツを売っている兄ちゃんが帰るための1ペソを恵んでくれて、それから近所に住む見知らぬおじさんがTシャツを見ず知らずの私に貸してくれた。
益々キューバが好きになった瞬間。
さてジャイリン。
明日、彼女は子供のコンパルサのための服を繕うから、どちらにしても海には行けないという。
そんな事だけを私に告げて慌ただしく彼女は帰って行った。
ありがとう、ジャイリン。
さて、明日は何をしようか。
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cozy-corner~藤田浩司(ふじたこうじ/koji fujita)のblog
朝9時。
バイーア沿いの大通りを走る馬車に乗ってサン・ペドリートのフォコへと向かう事にする。
馬車の事を当地では「Coche(コーチェ)」と言う。
語学の本で「コーチェ」は「自動車」だけど、馬車が自動車並の頻度で使われているキューバでは当然コーチェは馬車なのだろう。
そういやコチェロといえば馬車の運転手だ。
馬車を指してカバーヨ(馬)と言っても、思った意味ではイマイチ通用しなかった。
今一度、辞書で調べてみると自動車も馬車もコーチェだそうだ。
しかし、通り過ぎる馬車はどれも満席で乗ることが出来ない。
しかたなく人力車(ビシタクシー)を拾う。
今回のチョフェは正直者だった。
サン・ペドリートのフォコまで5ペソでよいと言う。
気分が良かったからチップにリンテルニータ(LEDハンディライト)をプレゼントした。
パッと顔がほころんで、帰りにも拾ってくれるという。
大変ありがたかったのですが、時間がわからないのでお断りさせて頂きました。
9:25にサン・ペドリートのフォコに到着。
既にメンバーは揃っていた。
ファン・オスカール・デ・ラ・テヘラにファン・バウステ・グランダ、それにアンリス・カブレラ・オリスの3人。
それにアンリスの弟。
ファンとアンリスは国立カーニバル博物館のミュージシャンであり、ファン・バウステはキューバ国立民族舞踊団(コンフント・フォルクロリコ・デ・オリエンテ)のミュージシャンだ。フランスへも演奏しに行っている。
ファンはルンベロス・デ・オイのメンバーでもあるし、またアンリスはココジェのメンバーでもある。
写真:JuanOscarTejera
写真:JuanBausteGranda
写真:AnlisCabreraOris
今日は昨日なかったボンゴ、マラカス、それにカウベルを混ぜての収録。
リズムはボレロ、ソン、チャングィ、それにルンバのヤンブー、ワワンコー、コルンビア。
コルンビアはマタンサス、ハバナ、サンチアゴの各スタイルを演奏してもらう事になった。
エレメンタリーなものを目指していたのだけれど、はからずも本格的なものになりそうだ。
ちょっとしたリハーサルの後に収録。
とてもスムーズに済んだ。
収録後、サンペドリートの打楽器倉庫にある楽器を拝見させて頂いた。
写真:コンガの雄、サンペドリートのフォコで見つけた打楽器たち
Pilon
Fondo
Campana
お礼をしてサン・ペドリートのフォコをあとにする。
帰る途中、ファンの家に寄った。
彼の息子、オスカールを見るために。
既に8歳となっていた。
相変わらず大人しいが、打楽器奏者を目指しているらしい。
少し脱線するけれど6歳になった我が息子、クリスチャンは医者になりたいと言っていた。
写真:ファンと息子オスカル
そういえばムセオでのショーが、週明けの月曜日にはあるらしい。
ファンでさえもよくわかっていなかったから、スペイン語は難しいんだな。
宿に戻ると11時。
まだ、1日たっぷりと時間があるので、キューバの守護聖人を祭るコブレの教会へと今日こそ行ってみる事にする。
バスやカミオンの出るCalle4までは宿のある街の中心、セスペデス公園付近から歩いて30分ほどだ。
行く道すがら、宿の上にあるベラスケスのバルコニーに寄ってみた。
ディエゴ・ベラスケスによってスペイン人のキューバへの入植が開始された。
街の建設は1515年。
バラコアの建設に遅れる事3年。
キューバの首都として1523~56年の間繁栄し、そういうわけで最も古い時代に建設された都市のうちの一つである。
近所にあるベラスケスの家は1522年に建てられたそうだから、こちらもほど同年代の建設だろう。
バルコニーから眺める湾とシエラマエストラ山脈のはしっこの眺めが素晴らしい。
もはや見慣れた風景だ。
こちら見学だけなら無料、写真撮影は有料だ。
さて、バスターミナルに着いて切符売り場で尋ねるとコブレ行きは13時の発車だという。
しかし、12:20頃コブレ行きに乗らないかと声がかかり、先日切符売り場で聞いたように12:30ちょうどにコブレ行きのカミオン(トラック)は出発した。
トラックの荷台に乗っているものだから、結構揺れをキツく感じる。
コブレ教会までは市内から20km、5ペソ。
13:05、コブレに到着。
景色が懐かしい。
以前ここに来たのは確か2002年、5年も前の事だろうか。
キューバ人のこころのふるさと、コブレ教会。
5年前に来た時には、ハバナに住む知人に頼まれてコブレの砂を持っていったり、人形を買っていったりした。
御本尊「ビルヘン・デ・ラ・カリダ」
帰り道、偶然バスが通りかかったので、サンチアゴ行きかどうか運転手に確かめてからそれに乗り込む。
1時間待ちを覚悟していたので、これはラッキーだ。
まったく待つ事なくバスに乗る。
なんてリッチなんだ。
13:45発、14:20着。
歩く帰り道、スーパーに寄ったら、以前会ったことのあるルンバのミュージシャンから声がかかった。
確かバルバロって名前の。
少し疲れていたので挨拶も程々にスーパーをあとにする。
15:05宿に到着。
ブカネロを一本飲み干して、今度はカラバリへと向かう。
ジャイリンは明日の事で外に出ていたが、学校から戻ってきたチーチョがいた。
毎日8時から16時まで仕事だそうだ。
チーチョが「今回はいつ麦酒飲みパーティーをやるんだい?」と度々訊ねてくるので、ビールを買ってきてもらう。
キューバ人が買うと1本12.5ペソでアトゥエイが飲める。
以前ペソ払いでも結構麦酒を買っていたけれど、最近はダメなのかな、外国人。
3年前は10ペソだったから値上がりした。
色々話をしたけれど、ナイレのバンド、X-Alfonsoはやはり結構有名らしい。
特にビデオクリップ祭?の時には必ず登場するそうだ。
そう言えば、ついいつもキューバ人の発音を説明する時にキューバ=ハバナって感じで説明してしまうけれど、サンチアゴ人の喋るスペイン語では末尾の「S」が落ちない。
その点サンチアゴ人の方がハバナ人よりもインターナショナルだ。
ハバナ人、特にバリバリ下町みたいなハバナ人は
「2」を「ド」と発音する。
より一般的なのは「ドス」だ。
カタカナで「ドス」と書いても"dosu"ではなく、"dos"ですけどね。
しばらくしてジャイリンが家に戻ってきた。
鶏肉とパスタの盛り合わせ?をご馳走になる。
いつも申し訳ない。
明日出掛ける海岸がもう少し市街に近いブエイカボンに変更になった事を告げられる。
50人集めるはずが30人しか集まらなかったので、少ない人数で遠くへ行くのをタクシーの運転手が嫌がったらしい。
しかも6時ぴったりに出発するから、5:45までにここに来い、と。
いやー、朝は不得意です。
5:25には宿を出るつもりでないと危ないな。
それは通常なら寝る時間だ。
ま、頑張ります。
帰り際にチーチョのフィアンセがやって来た。
彼女は高校を卒業したばかりで、今は何もないそうだ。
なかなか朗らかで可愛らしい子だ。
いよいよリゾートが始まる。
・・・暗転。
今、ジャイリンがわざわざモト(バイクタクシー)に乗って宿まで知らせに来てくれた。
カミオン(トラック)が壊れたから、明日の海行きは中止になったって。
キューバでは日本以上に一寸先は闇である。
しかし中止のはずだったコンパルサは日曜日にはしるという。
こちらは嬉しいニュースだ。
さて、海行きが中止になった代わりに、チーチョとチャックと3年前に行った海に行こうか、と誘われて迷ったけれど、それを辞退する。
あの海は濁っていて、とても泳げたものではなかったからだ。
シボネイは?と聞いたら、シボネイ行きのカミオンに外国人は乗れないという。
3年前にはカミオンでシボネイに行ったのだけど。
3年前のシボネイ。
泳いでいるうちに、砂浜に置いてあった荷物を全て持っていかれたシボネイ海岸。
もっていかれるのを覚悟で持ってきた荷物だから、全く大したものは入っていなかったのだけれど、わずかな有り金全てとTシャツを持っていかれてしまったのはそれなりに痛かった。
無一文では街に帰れないし、上半身裸で街を歩くのも日本人にはふさわしくない格好だ。
あの時には、浜でフルーツを売っている兄ちゃんが帰るための1ペソを恵んでくれて、それから近所に住む見知らぬおじさんがTシャツを見ず知らずの私に貸してくれた。
益々キューバが好きになった瞬間。
さてジャイリン。
明日、彼女は子供のコンパルサのための服を繕うから、どちらにしても海には行けないという。
そんな事だけを私に告げて慌ただしく彼女は帰って行った。
ありがとう、ジャイリン。
さて、明日は何をしようか。
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