cozy-corner:藤田浩司(ふじたこうじ)のblog

ラテン系ドラマー、またあるときはピアニストのマルチミュージシャン藤田浩司(Koji Fujita)が送る、日々の記録

マタンサスを出発 30 junio 2007

2007-06-30 | 2007CUBA-音楽の旅-
 快晴。
 水は結局、宿の人が止めていたようだ。
 なぜ?
 8時まで待ったが、出ないのでたまらず階下のシャワーを借りようと思ったところ「1分待って」と言われ、自室の方でも水が出始めた。
 しかし、タンクを満タンにする前に水は止められてしまった。
 充分に水が使えないのには、何か理由があるのだろう。
 しかし、いずれにしても旅行者にとって断水は最も恐ろしい。
 例えば、あなたはトイレが流せない恐怖を味わった事がありますか?
 どちらにしても残念ながら、こちらの宿に長居は出来なかったな。

 そういえば、ここマタンサスで今回初めて蚊に刺された。
 虫避け、虫刺されの準備はハバナとサンチアゴ、それにカマグエイといったキューバ3大都市の中心にいる限りは必要ない。
 が、ここマタンサスやこれから行くバラデロでは必要だ。
 特に夜、バラデロのセントロにたくさんあるオープンテラスのレストランで食事をする時には。
 最近では電池式で携帯できる蚊取り器もあって、それが便利だろう。
 とはいえ一番効くのは昔ながらの蚊取り線香。
 いずれもバラデロにいる期間分の必要量を準備すればよい。

 リベルタ公園前で待つも、タクシーはなかなかやって来ない。
 10分ほども待っただろうか、一台の車から声が掛かった。
 闇タクシーだ。
 降りる時にお金の受け渡しをすると、彼にとっては都合が悪いだろうから乗車中にお金を渡す。
 ほどなくしてナショナル・バス・ステーションに到着。
20070630BusWaitingArea.jpg


 どうやらバラデロ行きのビアスールバスには間に合いそうだ。

 10:26。
 バスは遅れているようだ。
 する事もないので、アストロのバスを観察したりする。
 ユトン・バス(YUTONG BUS)だそうだ。
 この名前は中国製・・・ですよね?
 バス停前にコッペリアがあって、いつも混んでいる。

 10:35、突然にバスはやって来た。
 待合室にいれば、係の人がバスの到着を教えてくれる。
 慌ただしく乗ってすぐに出発。
 運賃は車掌に払う。
 ビアスールが30分も遅れるなんて珍しい。

 11:45ホテルに到着。
20070630Hotel.jpg

 ここまでのタクシーは2.4CUC。
 メーター制だ。
 景色が懐かしい。

 早速泳ぎに出掛ける。
 久々に見るバラデロ海岸はやはり真っ白できれいだ。
20070630VaraderoBeach.jpg

 泳いでみるが、今日は全く波がない。
 あれっ、いつもこんなに穏やかだったっけ?
 潮流の特に速いところもない。
 クラゲもいなければ藻も生えていない。
 珊瑚も全く見られない。
 時折小魚は見受けられるものの、ここは静かで巨大な海水プールのようだ。
20070630VaraderoAgua.jpg

 海岸線に平行して泳ぐなら、それぞれの好みに応じて適当な深さの場所がどこまでも続く。
 物売りも皆無。
 喧噪とパッションがキューバなら、この穏やかさもキューバだ。
20070630VaraderoBeach2.jpg


 1時間半ほど泳ぎまくってホテルの部屋へと戻り、シャワーを浴びる。
 さ、コッペリアに行くぞ。
 行ってみたら・・・
 ・・・コッペリアはどうやら改装中だ。
20070630Copperia.jpg

 残念。
 これは結構楽しみにしていたのだけれど・・・。
 キューバの有名なアイスクリーム店「コッペリア」は通常どこの街のでも混んでいて、列を作り1時間も2時間も待たなければ食べられないのだが、ここバラデロでのみは外人租界地だからキューバ人で混む事が殆どなかったのだけれど。

 仕方なくすぐそばのラピドに行った。
20070630ElRapido.jpg

 以前にはなかったブカネロの中生(500ml)があった。
 即注文。
 1杯1.2CUC。
20070630Bucanero%E7%94%9F%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AD.jpg

 日本に比べるとビールはまだ安い。
 しかし日本の最盛期には100円で飲めたものが、今や170円だ。
 これでは日本人旅行客が減って当たり前。
 初めてキューバに来た11年前、日本人にはほぼ全く会わなかった。
 それは観光客としてではなく、キューバ人の家庭に住んでいたせいであるかもしれないけれど。
 日本人を頻繁に見かけるようになったのはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブによりキューバブームが起こった頃だ。
 今回はまた日本人を全く見かけなくなった。
 この為替レートでは、来たくても来られない人が大勢いるに違いない。
 10年前の自分は、為替レートが1CUC=120円なんて世が訪れた時にはもう二度とキューバには来られないなと本気で思っていた。
 現在1CUC=138円。
 3年前には確か1CUCが107円、手数料込みくらいで両替出来たのではなかっただろうか。

 大通りを挟んで宿の筋向かいにあるスーパーは入り口にゲートが出来ていた。

 もう少し海沿いをブラブラする。

 以前よりもキューバ人が多いように感じたが、そのせいだろうか、ペソ払いの店も増えている。
 泊まっているホテルから海に向かった辺りにたくさん屋台が並んでいる。
 そのうちの一つの店の行列をつくり、ついついペソでピザを買ってしまった。
20070630PizzaTienda.jpg

 5ペソ。
 これはしかし美味しいです。
 生地から作って窯焼きだ。
20070630Pizza.jpg

 この5倍の値段はするラピドのピザは冷凍ものだから、そりゃあこちらの方が美味しくても納得だ。
 レストランによっては10倍、15倍の値段が付くけれど、はたしてこれを越えるものかどうか。
 少なくともこの価格差分の価値ある一品を出せるピザ屋はキューバには存在しないだろう。
 ペソ屋台万歳。

 16:00。
 バラデロでは滅多に雨が降らないけれど、それでもこの時期、午後にはやや雲が多くなってくる。
 快晴とはいかないけれど、よく晴れ渡っている。

 キューバ人の日帰り団体が多い。
 16時には帰りを知らせるチャーターバスのクラクションがいくつか鳴った。
 カミオンのチャーターもちらほらと見かける。
 カルデナス辺りから来ているのであろうか。
20070630Camion.jpg


 16:40。
 何やら急に黒い雲が押し寄せてきた。
 雨は降らない。
 ホテルから裸足で泳ぎに行ってみる。
 お昼過ぎよりもかなり潮が引いていた。
 かなり波立っている。
 推定海水温34℃
 夕方の海は、ぬるめの露天風呂にでも浸かっているような温かさだ。
 時々熱水の固まりが肌に当たる。
 推定40℃。
 なぜか葉っぱの浮遊物が多い。
 潜ってみれば昼間よりも魚影が濃く、白い砂浜にぴたりと合う、真っ白なアジ科の魚が作る群れがいくつも見られた。
 それからヒトデ。

 人は相変わらず多い。
 真っ赤っかに肌を焼いてしまった子どもが、明日の痛さを知らずにはしゃいでいる。
 上空を、三角の羽二枚と後ろにプロペラエンジンを積んだゴムボートが飛んで行く。
 そして私は浮遊物の多さに閉口して、今回は1時間と泳がずに浜に上がる。
20070630VaraderoBeachNuberado.jpg


 18時過ぎ、散歩に出る。
 雨が15分ほどパラッと降って、すぐに止んだ。
 以前よく行ったショッピングコンプレックスはキューバ人に占領されていた。
 もはやバラデロのセントロは外人租界地ではない。
 世の中、変われば変わる。

写真:近くのショッピングセンター入口付近
20070630ShoppingCentre.jpg


 20時。
 まだまだ夕方って感じの明るさだ。
 20:40。
 まだ空に青さは見える。
 街で見かける人の殆どはキューバ人だ。
 キューバ人観光客は日帰りばかりだから、大繁盛していたペソ払いの屋台群は軒並み店を閉じ、しかし、CUC払いの高級レストランには活気がない。
 人がいない。
 何より痛いのは以前あちこちのレストランに入っていた生演奏の団体が今回は一つも見あたらない事だ。
 これは大変残念な事だ。
 バラデロセントロは変わってしまった。

 超高級な雰囲気の一店に入ったが、客は私の他には誰一人いない。
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 調理にも40分ほどかかるという。
 そりゃそうだ、お客がいないから、たぶん一から始めるんだ。
 ここは確か以前はエアコンのよく効いた店のはずだったが、エアコンは止まったまま。
 味は良かったけれど、うっかりして1CUCボラれてしまった。
 そして結局、自分の他に客は誰一人現れなかった。
20070630Comida.jpg


 こうして、ペソで物を買うのが好きな私にはむしろ好都合な環境となってきたけれど、とにかくバラデロセントロは地元キューバ人のための行楽地へと変わってしまったようだ。
 これでは再開したとしてもコッペリアも長蛇の列だな。


藤田浩司-koji fujita-
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ルンバの本場、マタンサスへ 29 junio 2007

2007-06-29 | 2007CUBA-音楽の旅-
 結局、今回の移動もビアスールだ。
 バラデロにいったん出てから、タクシーでマタンサス市街に出る予定。
 以前はなかったサンチアゴ-バラデロ線。
 3年前までサンチアゴからバラデロまでの移動は、仕方なくトリニダに出て、そこでタクシーを拾ってバラデロへと向かうのが常套手段だった。

 1:30。
 予約通りにタクシーの迎えが来る。
 1:45、ビアスールとアストロの共同バスターミナル着。
 4CUC。
 ここカマグエイのバスターミナルでは預け荷物の重量を計る設備がない。
 また残念ながら荷物を預ける時、サンチアゴと同じように1CUCを請求される。
 今回もチップは出さなかった。
 これはどう考えてもおかしいもの。

 待合室にいると、結構頻繁にバスはやって来る。
 どうやらアストロのバスのようだ。
 以前はアストロのボロボロバスにピカピカのビアスールバスってイメージがあったけれど、今やアストロのバスもビアスールバスと同様にピカピカだ。


 バスから外に出てたばこを吸う客が多いから、待合室まで煙草臭くなり大変に不愉快だ。

 2:10にはいったん全てのバスがターミナルから離れていった。

 そう言えば、サンチアゴ-バラデロ線だとばかり思っていた路線は、サンチアゴ-ハバナ線がバラデロにも立ち寄るようになったものの様だ。
 便の終点はハバナだと告げられる。

 その後もアストロのバスはひっきりなしに到着する。
 ピカピカとは言ったけれど、どうやら中国製のバスのようだ。
 知らないブランドだが、安全性は大丈夫なのか。

写真:アストロは中国製ユトン
20070629Yuton.jpg

ちなみにビアスールのバスはベンツだ。

写真:ビアスールはベンツ
20070629Benz.jpg


 バラデロの行き先表示を付けたビアスールのバスは、2:35にターミナルへとやってきた。

 再び荷物管理室の黒人係員に呼ばれる。
 0.25CUCでもいいからチップをよこせとしつこく要求してくる。
 それをも断ると、彼は彼の仕事を放棄した。
 つまり荷物は客の手自らで運べと。
 それはそれで全然構わない。
 わざわざ預けた荷物を、荷物管理室から自分自身でバスの荷室まで運ぶ。
 彼、このビアスールにはふさわしくない男だな。
 腐ってるよ。

 なんと、行きのバスで世話になった乗務員フェルナンドが乗っていた。
 何とはなく心強い。
 2:45の予定が5分遅れ、2:50にバスはカマグエイを出発した。
 これで一安心だ。
 体がだるい。

 7:20。
 集落が大きいなと思っていたらビージャ・クララ州々都、サンタ・クララのターミナルに到着した。
 ここで朝食のために15分の休憩をとるという。
 ここでいったんバスを降りてみると変な取り決めがあって、一度外に出てしまうと出発の瞬間までバスには入る事が出来ない。

 ビアスールバスのシートピッチはやたら狭い。
 普通の夜行バスがもっているようなピッチではないと感じる。
 前席をリクライニングされると、決して大きくない私でも膝の辺りがキツい。
 しかし不運な席だった。
 上部にあるエアコンの吹き出し口が壊れて丸々穴になっていたものだから、冷風がびゅうびゅうと吹き付けいつもに増して寒かった。

写真:壊れたクーラーの吹き出し口
20070629%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%A9%B4.jpg

 ブラジルの長距離バスでもそれが常識だったけれど、ここキューバでも15分休憩と言われたら、その倍の30分間は停車しているようだ。

 7:50ちょうどにサンタ・クララのターミナルを出発。

 11:05バラデロ着。
 バラデロ付近の景色は相変わらず華やかできれいだ。
 ターミナルで電話をしていると、乗務員のフェルナンドがマタンサスへは同じ便でチケットを買い直せば行ける事を教えてくれる。
 11:20発で6CUC。
 タクシーの半額だ。
 なぜかこの便は自由席らしい。
 しかし、同じ便で同じビアスール、カマグエイのクーバツールではマタンサス行きの切符を求めたのに、それがダイレクトに買えないところがキューバだ。

 マタンサスまでは36km。
 今までバラデロから首都ハバナへと帰るタクシーで市街の縁を通った事はあったけれど、セントロの奥深くまで入り込んだのは初めてだ。
 マタンサスのターミナルでバスを降りてフェルナンドとお別れの挨拶をする。
 すぐに宿を紹介するという青年がやって来たが、フェルナンドがバスの中から「ダメだ、ダメだ」と合図を送ってくるので、不安になったから彼について行くのはやめにした。
 ガイドブックで見つけておいた宿に電話をかけて予約をした上、青年の呼んでくれたタクシーに乗ってその宿へと向かう。
 彼に何のメリットがあるのか、わけがわからない。
 タクシーの料金は宿に電話した時に相場を聞いておいたので、タクシーのチョフェは始め五割り増しを要求してきたけれど、すぐに割り増しなしの料金で納得してくれた。

 宿は街の中心、リベルタ公園から1ブロックの大変便利な場所にある。
 2つ部屋を持っていて1階はエアコン、もう一つはらせん階段を登った上にある風通しの良い部屋だ。
 風通しに飢えていたから、今回は思い切ってエアコン無しの部屋にした。
 3泊の予定。

写真:部屋の内部
20070629Quarto.jpg

写真:宿の螺旋階段
20070629%E8%9E%BA%E6%97%8B%E9%9A%8E%E6%AE%B5.jpg



 街に出ると、図書館の前でかわいい娘と話をする。
 携帯を持っていて、リッチで聡明そうな子だ。
 街の事について色々と話をしてくれる。
 せっかくだからと、写真を撮ってお別れする。
20070629BonitaDeMatanzas.jpg


 今度は黒人の青年がやってきた。
 彼の名前はダニエル。
20070629Daniel.jpg

 ロス・ムニェキートス・デ・マタンサスのディレクトールが知り合いだというので付いて行く。
 はたしてディレクトール、ディオス・デドゥの家はリベルタ公園からそう遠くはないところにあった。
 2007年にはクーバディスコの賞を取ったそうだ。
 ライブがないか聞いてみるが、日曜日からカナダへ演奏旅行に出てしまうという。
 残念だ。
 メンバーのイバンも一緒にいた。
 しばらくルンバのDVDを鑑賞させていただく。
 ダニエルと一緒においとまするが、彼はそのまますっと別れて自分の家へと帰って行った。
 不思議だ。

写真:ディレクトールの家の飾り
20070629CasaDeLosMunequitosDeMatanzas.jpg


 いよいよ何もなさそうなので、バラデロやハバナに電話して宿の予約を変更しようと公衆電話を探していたら、今度は白人の大学生につかまる。
 教会の中へと案内してくれた。
 キューバの守り神を祭ってあるという古い教会。
 カテドラル・デ・サン・カルロス・ボロメオ。
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 スペイン人による街の建設が始まったのと同時に1693年、この教会は建てられたと説明された。
 色々と話をしてみると、彼は日本についてかなり詳しい。
 キューバを旅していると、この国の人々の日本への関心の高さをしばしば感じる事がある。
 彼は続いて市場やサン・ファン川にかかる二つの橋などを案内してくれた。
 歩き疲れたので少しカフェで休憩する。
 彼は帰る時に、ガイドしたんだし、食べるのに困っている、いくらか金をくれないかと言った。
 それが外国人に声をかけてくる普通のキューバ人だと思っているけれど、今回はさっきの娘のように、何も要求しない人たちに多く出くわしている。

 彼と別れた後、テルミナル・デ・ナシオナル(ビアスールの発着所)まで歩いて行った。
 明日のチケットは買えなかったが、バスの時間は教えてもらった。
 バラデロ行きは10:05、14:05、20:05の3本だ。
 逆にハバナ行きは8:50、12:20、18:50の3本。
 バラデロの空港へはバラデロ方面行きのバスに乗る。

 バラデロとハバナの宿に日程の変更を電話で伝える。
 キューバで宿の予約はダイレクトが便利だ。
 エージェントを通すと変更等の融通が利きづらいし、またコミッションを取られる場合も多い。
 直接の次に良いのは、クーバツール等、キューバ国営のエージェントを通す事だ。
 この場合もコミッションは取られない。

 宿に戻り、大変申し訳ないけれど2泊キャンセルしたいと告げる。
 宿では快く対応してくれた。
 ありがたい事です。
 ロンプラに載っている、街中にある宿です。

 ノドが渇いたのでエル・ラピドに行ってみた。
20070629Rapido.jpg

 道中、そして店内で色々な人に話しかけられるが、この街の人々はなぜかまったくしつこくない。
 教育が良いのだろうか、それともマタンセーロ(マタンサス人)の気質なのかどうか。
 しかし、どうも英語を話したがる人が多いのには閉口する。
 問いかけられればそれは理解できるけれど、喋りたくない言語だ。
 戦後60年以上経った今でも喋りたくない言語だ。

 黒人と白人の二人組に引っかかる。
 途中、場所を代えてまで話し込む。
 これがまたビールを2本ほどおごってもらった。
 もちろん私も彼らにおごったけれど、対等だ。
 職業は何なのか聞きそびれたけれど、興味のあるところだ。

 宿に帰るとみんな寝静まっているようだった。
 申し訳なく思いながら呼び鈴を鳴らす。
 約24時。

 シャワーを浴びた。
 今回の旅で初めて水がなくなった。
 ここの部屋にはタンクが一個しかなかったので心配はしていたが、しばらく断水がなかったので油断した。
 3度のシャワーに一度の洗濯、それに3度ほどのトイレで断水だ。
 ちょっとキャパが少ないと思う。
 明朝になれば、また水道が供給されるだろう。

写真:シャワーの上付近に取り付けられた水タンク
20070629Tanque.jpg


 明日はいよいよバラデロだ。
 これはほぼ純粋な休暇に近い。
 本当はもう少し先の予定だったのが、今期マタンサスで音楽が聴けない事がわかってしまった以上、ここに長居してもあまり意味がない。
 早めにバラデロを通過して、ラテン音楽の首都、ハバナに予定よりも長居する事にする。

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カマグエイ3日目 28 junio 2007

2007-06-28 | 2007CUBA-音楽の旅-
 8:30に宿を出て旅行会社クーバツールへ。
 快晴。
 そして朝は風が涼しい。
 当地では早朝が一番気持ちの良い時間かもしれない。
 クーバツールに来てみると、まだお店は閉まっていた。
 ウインドーの掲示によれば、開店は9時、12時からお昼休みを1時間はさんで17時までの営業だった。
20070628Cubatur.jpg


 今日は珍しく宿の朝食を頼んである。
 9時から遅い朝食。
 チーズもハムも美味しい。
 キューバの目玉焼きとか、マヨネーズを付けてパンを食べたり、11年前ハバナに住んでいた頃を突然思い出して懐かしかった。
 食は急に過去の記憶を呼び覚ます事がある。
 カフェオレにパンをつけて食べたりもしたっけな、あの頃。
 100%生オレンジジュースも今回はじめて頂いた。
 フルーツの盛り合わせもいい感じだ。
 これは案外お値打ちだ。
 宿にもよるのだろうけれど。
20070628Desayuno.jpg


 アストロバスの事務所やクーバツールに、宿の人が問い合わせをしてくれる。
 が、どちらも電話に出ない。
 9:50。
 宿の人によれば、昨日はフィエスタだったから、飲み過ぎてまだ寝ているのだろう、なんて言っている。

 仕方がないのでもう一度クーバツールへと出掛ける。
 まだ閉まっている。
 昨晩見かけたロス・トラバハドーレス広場付近のイスラスールだかインフォ・ツールだかにも行ってみた。
 バスチケット取り扱いの掲示はあるものの、ここでは売っていないと言う。
 もしやと思い、宿の目の前に建つグラン・オテルでも聞いてみた。
 ドアマン曰く、普段はバスのチケットを取り扱っているが、今日は売り子さんが病気でお休みとの事。
 おそらく昨晩のフィエスタで二日酔いでもしているのだろう。

 ついでに通りすがった銀行で日本円の両替は扱っていないか、尋ねてみた。
 インデペンデンシア通り沿いのバンコ・フィナンシエロでは扱っているという。
 これで市中に4つ、銀行を見つけた。

 宿に戻ると主人アンヘルの叔父さん、アリスティデが再びあちこちに再びあちこちに電話をかけてくれる。
 バスのオフィスにかけても、鉄道のオフィスにかけても電話をあちこちに回される。
 あるいは話し中。
 話し中が多いのは、どうもオフィスの電話を私用で使いまくっている様子だ。
 キューバではこの手の問題が数多い。
 最悪の場合、帰りたくても帰れない。
 オフィスの怠慢により。
 よって予約は早め早めにしておくべきだ。

 電話はようやくアストロにつながったけれど、ガイドブックとは話が違い、外国人はアストロバスには乗せられないとの事。
 トレン(鉄道)へはつながらない。
 どうやら今はサンチアゴーバラデロ間にビアスールの便があるらしい。
 仕方なくそれに乗る事を決断した。
 カマグエイ午前2:45発バラデロ行き、25CUC。

 出発するには厳しい時間だけど、ここは一つ前向きに、もう一度カマグエイのコンパルサが見られる事に感謝しよう。

 そういえばアリスティデは自分の事を「アリスって呼んでくれ」と言っていたけれど、彼をアリス九号(字が出ない)のアコーデオン奏者として迎え入れる事は出来ないだろうか。
 それとも誰かやってみないか、ビジュアル・ラテン。
 結構新しいと思うけどな。
 コンガ奏者にはサンチアゴからアンリスを呼んでやってくれ。
 ガタイが良くて真っ黒でコワモテの本格派、最高です。


 換金しに街に出る。
 バンコ・フィナンシエロはマセオ広場に面してあった。
 大体どこの街でもこの銀行だけは日本円を扱っているようだ。
 レートは先週よりほんの少し良い。
 頑張ってくれ、日本。
 あの頃、1CUC=84円ほどで換金出来た頃、もう二度とこんな時代はやって来ないだろうと思っていたけれど、やはり二度とは来ないのだろうか。
 20070628現在、1CUC=138円の換金レート。
20070628BancoFinanciero.jpg


 帰りがけに一応クーバツールに寄ってみたら、午後にはオープンしていた。
 今夜のバスを予約する。
 宿の人は予約しなくても大丈夫と言っていたけれど、これで完璧に安心だ。
 出発の30分前にはターミナルに着いているようにとの事。
さらにマタンサスまでタクシーでつなぐと36km、10-15CUC位かかるだろうとも教えてくれた。


 さらにドーニャネリというケーキ屋に立ち寄り、1.5Lの水を一気飲みする。
 水を飲むのは久々だ。
 キューバに着いてからというもの、マジ殆ど全ての水分がビールだ。
 たまには純粋に水が恋しくなる。
 お茶でも良いのだが、当地に甘くない飲料は存在しない。
20070628Agua.jpg


 17時。
 強風と共に雷雨は今日もやってきた。
 もしかしたら今日のコンパルサも中止かもしれない。
 コンガの太鼓にとって雨は大敵だ。
 この季節、毎日夕方には雨が降るらしい。
 とすると、やはり当地でこの季節にコンガのパレードが見られたのは奇跡に近い事なのか。
 天候次第というのは不安なものだ。


 カルナバル。
 仮装して行列を作り、踊りながら道を流れてゆくコンパルサ隊。
 それを煽るのは強力なリズムを打ち刻むコンガの楽団。
 大太鼓が刻む2種類の、強拍に特徴のあるリズムに呼応して、さらにもう1種類のボンボがアウフタクトを特徴的に刻む。
 2/2拍子だとして、小振りのレドブランテは8分を刻み、カンパーナ(鉦)に見立てた車のホイールは4分や8分を全員のユニゾンで刻む。
 これがコンガ・カマグェヤーナのベーシック。

写真:Bombo
20070628Tambor.jpg

写真:Redblante
20070628TamborPequeno.jpg

写真:Campana
20070628Campana.jpg


 当地のカルナバルで、ルンバと呼ばれているもう一方のリズムは6/8拍子だ。
 センセーロ(鉦)がルンバ・クラーベと頭打ちを刻む。
 ボンボはハバナのコンガと同じように、真ん中の音符にアクセントをおきながら1小節に4分音符3つを刻む。
 サパート・サリドールは馬の足音の様にスラップとオープンを2発ずつ、交互にアフタービートを刻む。
 こちらは2/2で表記した方が適当な感じだ。
 大体キューバには2/2で表記するべきか、6/8で表記するべきか、迷うようなリズムが大変多い。
 トレス・ドスはまた別のアフタービートのリズムを刻み、それら打楽器のリズムに乗ってトランペットやトロンボーンがメロディーを賑やかしく奏でる。
 それからキントはアドリブだ。

 まだたったの1度聴いただけでそんなに詳しくはないけれど、言葉にしてしまえば当地カマグエイのカルナバルで聴かれるリズムはそんな感じであろうか。


 雨は早めに止んだから、今夜は走るかな、コンガのパレード。
 期待を胸にふくらませて、とりあえず街に出る。
 晴れ間も出てきたし、これは案外期待できる・・・かも。

 出掛けに宿の人達と写真を撮ったりしていたら、やたらと会話が弾んでしまい、その間にビールやグァバのジュースをたらふくご馳走になってしまう。
 アリスはやたらと洒落好きだ。

写真:左アンヘリート、中央筆者、右アリス
20070628Angelito%26Alistede.jpg


 早めに出掛けようと思っていたものの、結局は宿に長居してしまったけれど、そうこうしているうちにコンガの音が聞こえてきたのでそれを聴きに外へ出る。
 マセオ通りの終点辺りでは、一昨日見た出発地点以上に人が集まっていた。
20070628Conga.jpg

 色々な人の話を総合すると、終着地点のカリダ広場が一番盛り上がるらしい。
 しばらくこの場所で見た後、6/8タイプのコンガ隊の横に付いて、私もカリダ広場に向けて走り出す。
 道々すごい人の数。
20070628Conga2.jpg

 昨日道を尋ねた時に聞いた、プエンテ(橋)をも渡る。
 しかし、疲れたのでカリダ広場までは行かなかった。
 途中2/2タイプのコンガにも付いてゆき、リズムを堪能した。
 遠くで聞いた時に、頭打ちだけだと思っていたボンボはよく聴くと、あいだに細かなリズムを刻んでいた。

 22:30頃にパレードは一段落した。
20070628Bandera.jpg


 帰り道、「カンビオ」と言う名前の酒場に寄る。
 モヒートを頼んだ。
 ここは革命前まで、宝くじの販売で有名だった場所だそうだ。
 雰囲気のある、良いバーだ。
20070628Cambio.jpg

 そういえば、今日は夜になるまでアルコール類は飲まなかったな。


 シャワーを浴びたら25時。
 もちろん今夜1泊分は払った。
 荷造りをも終えて、ただタクシーが来るのを待つ。


藤田浩司-koji fujita-
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カマグエイ2日目 27 junio 2007

2007-06-27 | 2007CUBA-音楽の旅-
 朝、目覚めるとアパゴン(停電)だった。
 今回初めての停電だ。
 以前は停電しない日の方が珍しかったけれど、ここ数年は随分と電力事情が好転しているようだ。
 気が付いてから10分と経たないうちに復旧する。

 カマグエイのカルナバルは6月24日、サン・ファンの祝日に始まって6月29日、サン・ペドロの祝日で終わる。
 サンチアゴでも6月24、29の両日には必ずコンガが走ると言っていたし、オフシーズンの6月末は音楽を聴くのに狙い目かもしれない。
 マタンサスでも何かが起こるような予感。


 よく晴れた空。
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 9時半、昨日会った打楽器奏者のアンドレスが突然私を訪ねてきた。
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 キューバンリズムについての著作物を私に売りたそうだったが、残念ながら既に知り尽くしたものばかりで興味の持てる事柄は記されていなかった。
 しかし、せっかくだからと一緒にエル・ラピドへ飲みに行く。
 エル・ラピドとは、キューバにおけるファストフード店だ。
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 色々な話をする。
 個人的に外国人相手に打楽器を教えても、ギャラの60%は事務所に持って行かれてしまう話は興味深かった。
 また、彼はカマグエイのサンタ・ルシア海岸でもよく演奏しているらしい。
 カマグエイまで来る外国人に打楽器を教えるなら、キューバン・パーカッションのベーシックよりもカマグエイ独特のリズム、例えばカマグエイが持つ2つのコンガなどを教える方が需要があるのではないかと彼にアドバイスした。
 ベーシックを習いたい向きは、たぶんわざわざカマグエイまでは来ないだろう。
 きっとハバナかサンチアゴに留まると思うからだ。

 また全く別の話であるが、国内での移動はタクシーよりもレンタカーした方が安いのではないかという話もあった。

 これも道草話。
 外国人に部屋貸しをしている家は結構お金持ちに見えるのだけど・・・という話をしたら、そうでもないよと言う。
 部屋貸しは政府認可のもとで営業しなければならないのだが、それには1部屋毎に月100CUCを税金として政府に払わなければならないそうだ。
 お客は毎日入るわけではないだろうから、それは結構大変なのかもしれない。
 流行らないところは廃業してしまうとの噂も耳にした事がある。

 ちなみに彼は音楽事務所に属してサラリーマン生活を送っているが、月給は並のキューバ人の2倍ほどだそうだ。


 エル・ラピドを出て、今度は彼の家へとお邪魔させて頂く。
 教則本の音源を聴かせてもらったり、楽器をデモンストレートしてもらった。
20070627AndresBongo.jpg

 彼の家のある地区にはミュージシャンが多く住むらしく、近所の道沿いに野外ライブの特設ステージがしつらえてあった。

 その後、奥さんが子供を連れてやって来た。
 3歳になるそうだ。
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 いつの間にか13時を過ぎてしまったので、今夜ピアノが聴けるライブハウスで会う約束をして、荷物をまとめるためにおいとまさせていただく。

 これから同じ市内の新しい宿へ小移動するために。


 宿と宿の間はそう遠くないのに、重い荷物を運ぶとなると結構遠くに感じる。

 今日初めて部屋に通されたけれど、思った通りの素晴らしい部屋だった。
20070627CasaDeAngelito-Cama.jpg

 まず、今まで泊まった中でもエアコンの効きがダントツに良い。
 エアコンはLG製なのだが、よくあるキューバの、ガーっとうるさいエアコンに比べたらずっとまともだな、これは。
 その他、冷蔵庫、扇風機、プライベートバス、窓付きで換気も出来る。
 インテリアはウッディにまとめられている感じだ。
20070627CasaDeAngelito-Woody.jpg

 部屋を出てすぐのおしゃれなパティオにはプライベートなバル(バーカウンター)までしつらえてある。
20070627CasaDeAngelito-Bar.jpg

 実際ここで生ジュースを何杯もごちそうになった。
 今はマンゴージュース。
 部屋に通された時には既にエアコンが効いていて涼しかったし、まぁ日本ではそれも当たり前ですが、キューバでは初めての事だ。
 そういったホスピタリティがこの宿は素晴らしい。
 ここは流行って当たり前だ。
 こちらの財布のヒモもついついゆるくなる。

 商の精神。
 価値あるものを、それを欲しいと思う人達に届ける。
 経済の発達した現代では、音楽家といえども商才がなければ生きにくい。
 私たち音楽家は一見しただけでは価値の付けづらいものを売り物としている。
 それだけに売り方にはかなりな工夫が必要だろう。
 ただひたすらに売り込みをかけるだけが良いとは思わない。
 いかにそれに満足してもらえるか、を追求すれば、音楽そのものの他にも色々と大切なものがある事に気が付くはずだ。
 今回は彼の見せてくれたホスピタリティにそのヒントを感じた。
 とはいえ、しかしその前提として、価値あるものを創り出す能力を磨いておかなければならない事は言うまでもない。
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 さて街に出ようとするも、昨日に引き続いて突然のスコール。
 しばし足止めを食う。
 カマグエイもこの季節、ハバナと同じように雨がよく降るらしい。
 サンチアゴやバラデロはそうでもない。

 時間を持て余す中で、思い出したからタクシーのアルフレッドに電話した。
 留守だった。


 雨は止まないけれど、再び街に出た。
 結構強い降りで、為す術もない。

 久々にまともな量の肉を食べる。
 ポーヨ・フリート(フライド・チキン)1/4。
 ナイフとフォークがプラスチックで食べ辛い。
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 18:30。
 カーニバルのパレードが通る道へと向かう。
 今日は通りに人がまばらである。
 コンパルサを準備する人たちも全くいない。
 嫌な予感が膨らんでゆく。
 はたして道行く人に尋ねると、今日のコンパルサは中止になったとの事。
 雨を恨む。
 マラカに次いで、雨での中止は今回2度目。
 弔いでも色々と中止になったし、今回はやたらと中止になるコンサートやライブが多いな。
 とはいえ、それを残念がるより、今は昨晩ああやって偶然にもカマグエイのカルナバルと出会えた事に対して感謝する事にしよう。
 カルナバル体験はたったの一度だけとなってしまったけれど、それでも心に残ったものは大きい。


 帰り道、この街には尖塔が2つあるのをみつけた。
 だからコンパルサ隊の出発地点だと思っていた場所はマルティ広場ではない。
 距離や方向の感覚からしておかしいな、とは思っていた。
 市街中心マセオ通りからはレプブリカ通りをどこまでも真っ直ぐに北へと上り、鉄道駅を越えたさらに先の辺りだ。


 21時半、アンドレスと約束したプラサ・デ・ラ・カリダに面してあるというライブハウスへと向かう。
 プラサ・デ・ラ・カリダ・・・カリダ広場なんて、手持ちの地図には載っていないので、道を尋ねながらそれを目指す。
 しかし・・・それは橋の向こうで、歩いていくと40分以上かかると言われて行く事を断念する。

 生演奏の音が聞こえてきたので、ついフラフラとそちらへ行ってみると、ロス・トラバハドーレス広場で野外ライブが繰り広げられていた。
20070627Banda.jpg

 コメディあり、サルサあり、メレンゲもダンソンもボレロも、さてはロックっぽいものまで何でも有りのステージだ。
 もちろんダンサー付き。
 キューバのライブはどこで見てもハズレが非常に少ない。
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 途中、立ち疲れたのでティニマというカマグエイのビールを飲みに行った。
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 ・・・あの味だ、あのまずかったディスペンサーダ(生ビール)の味と同じ・・・。
 残念だった。
 本当は水が飲みたかったのだが、カマグエイでは小さいペットボトルの水を見つけるのが難しい。
 観光客が少ないせいかもしれない。
 地元の人はわざわざ買ってまで水を飲まないという事だろう。

 ライブは23:30を過ぎてもまだ続いていた。


 宿に帰るとタクシーのアルフレッドから伝言があり、電話をかけ直す。

 曰く、本当は5人乗せて行きたかったのだが、あと1人集まらない。五割り増しで払ってくれないかとの事。
 丁重にお断りした。
 あとで宿の主人に聞いみても、それは法外な値段だった。

 急展開。
 明日は朝イチに代わりのトランスポーテーションを探さなければならなくなった。
 アストロのバスも、汽車もマタンサスまでは一日おきに1本しかない事は知っている。
 さてどうなるのだろうか・・・。

藤田浩司-koji fujita-
DrumStudio LA FIESTA

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cozy-corner~藤田浩司(ふじたこうじ/koji fujita)のblog

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コンガ・カマグェヤーナ 26 junio 2007

2007-06-26 | 2007CUBA-音楽の旅-
 バスは3:45にカマグエイに着いた。
 あれっ?クーバツールでは5:30頃の到着って聞いていたのに・・・。
 これは早過ぎます。
 しかもターミナルではなく付近の道路で降ろされ、仕方なく歩く。

 この時間にして、どういうわけか既に人通りが多い。
 狂ったように早駆けする馬車が一台、脇を通り過ぎて行った。
 カマグエイは人口30万、キューバ第三の都市にして牧畜と精糖業の中心地だ。
 また、文化の街でも学園都市でもある。

 バスターミナルへと歩く途中で車から声が掛かる。
 「ハバナへ行かないか?」

 いやいや。
 宿を探している事を伝えると、一緒に探してくれると言う。
 彼の名はアルフォンソ。
 シエンフエゴ市に住み、カマグエイに彼女がいる。
 明日の午後、私をマタンサスに連れたがっている。
 客を乗せれば帰り道のガス代が浮くからね。

 偶然なのだが、今、カマグエイはカーニバルの真っ最中だそうだ。
 これはラッキーかも。
 しかし、こういった期間は宿探しには不便だ。
 また、宿泊も普段より高い。


 宿はすぐに見つかった。
 市内の中心にあるロス・トラバハドーレス広場から3ブロックのところだ。
 邸宅はコロニアルな雰囲気で立派だが、客室はベッドとエアコンのみのシンプルな作り。
 バス・トイレはシェアだ。
 ・・・これで20CUCは正直高いと思ったが、そこはこの時間に着くと立場が弱い。
 やはり宿を探すのは、お昼過ぎから夕方までに限る。
 都市間の移動は出来ればそれくらいの時間に着くように心がけたい。

 車窓から垣間見えたカマグエイの街は既に歴史を感じさせてくれた。



 朝。

写真:宿のパティオ(中庭)。中々コロニアルです。
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 やはり早朝着だとまだ暗いから1泊分余分に持っていかれる。

 タバコを見せてもらった。
 コイバの24本入り、小さい方が15CUC、大きい方が40CUCだと言う。
 お爺さんがタバコのマエストロだから工場から何箱かもらえるそうだ。
 この値段が高いか安いかはたばこに全く興味のない私にはわからない。

 何か服を売っていないか?と宿の主、アルバに聞かれた。
 外国人の中にはそうやって物売りをするものもいるという。
 そうか、ではいずれリンテルニータ(LEDライト)を誰かに売ってみる実験をしよう。

 ダンナがコーヒーを入れてくれた。
 とても人が良さそうだ。
 しかし、正直なところ、宿はこのファシリティにしてこの値段では高いだろう。


 街に繰り出してみる。
 商業地区はハバナより、サンチアゴよりよっぽどきれいだ。
 キューバではないみたい。
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 お店でペソ払いの生ビールを飲んでみる。
 ・・・相変わらずマズい。
 馬の・・・のようだ。
 1杯6ペソ。 
 ディビサ払い、クリスタルのディスペンサーダはまあまあなのだが。
 ティナヒートという瓶入りオレンジジュースも6ペソ。
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 グラン・オテル前のCafeteria La Ragazzaというお店。

写真:ラガッサ
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 街角のそこここでポスターを見かけ、ここカマグエイでは6月24日から29日までサンファンのお祭りがある事がわかった。
 コンガのパレードも時には走るらしい。
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 商業地区は非常に活気があり、首都ハバナや第2の都市サンチアゴよりも物資が豊富だと感じた。

 また街が非常にきれいだ。

 街一番の繁華街にカサ・パルティクラルを見つけたので、どんなものか見せてもらう。

写真:カサ・パルティクラル(部屋貸)の入り口
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 あいにくと満室で部屋は見せてもらえなかったが、とても良さそうだ。
 同じ階の部屋の前にプライベートなバルまである。
 明日には一室空くそうなのでいくらか聞いてみた。
 同じ料金でプライベートバスや冷蔵庫が付いている。
 またここは今、泊まっているところよりも繁華街だ。
 明日はこちらの宿に移動する事にした。
 目抜き通りに立つグラン・オテルの目の前の家。

写真:宿の屋上はこんな感じ
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 初めての街では一発で当たりの宿を見つけるのはかなり難しい。
 それは運に左右される。
 それに大荷物を持ってぶらぶらと宿を探すのにも限度があるから、初めての街の初めての宿ではまず一泊のみとして、一度荷物をほどいてから街をぶらつきつつもっと良い条件の、別の宿を探すようにしている。
 結構どこの国のどこの宿でも気軽に部屋を見せてくれるものだ。

 豚の丸焼きをパンに挟んだボカディートを売っていたので食べてみる。
 なぜか量をサービスしてくれた。
 これは美味しい。
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 ブカネロの生ビールを見つけたので立ち飲みに寄るとカヒータ(弁当)の箱を作っている人と仲良くなった。
 庶民の3倍稼いでいるそうで羽振りがよい。
 ビールを何倍もおごってもらった。

写真:箱折り職人と。
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写真:ブカネロ生のディスペンサー
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写真:お店の前の広告塔
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 隣の席には当地、カマグエイのミュージシャンがいた。
 Conjunto Los Agramontinosの打楽器奏者、アンドレス・マルティネス。
 彼に、今晩19時に走るというカマグエイのコンガのリズムについて色々と教えてもらった。
 それはサンチアゴのものともハバナのものとも違うようだが、どちらかと言えばハバナのものに近い。

 そうか、今晩はコンガが走る!
 当地が今、カルナバルの真っ最中だとは知る由もなかったが、これはラッキーだ。

 カマグエイには6つのコンガチームがあるそうだ。
 1.La Estrella
 2.Los Comandos
 3.Los Letono
 4.La Forola
 5.La Haroyadora
 6.・・・6つ目は彼らも思い出す事が出来なかった。


 特設の野外バルを出て、郊外に尖塔が見えるから、そちらへと足を進める。
 すると、突然のスコール。
 しばし軒下で雨宿り。

 10分か15分ほどで雨は止んだので、再び尖塔に向けて歩き出す。


 あった。
 それはマルティ広場に面してそびえ立っていた。
 しばし見物する。
 珍しいキューバン・ゴシックの教会、ヌエストラ・コラソン・デ・サグラド・ヘスス。
写真:ヌエストラ・コラソン・デ・サグラド・ヘスス
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写真:遠景
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 再び繁華街へ。
 2週間で200mlのシャンプーを使いきったので、それを買いに。
 キューバでは日に4度水浴びする事も珍しくないから、シャンプーもすぐになくなってしまう。
 そこは涼しく快適な、ロサンゼルスのようなわけにはいかない。
 水洗いだけにすればいいじゃん、って話もあるけれど、それはなんだか気持ちが悪い。
 売り子さんに話をして、自分に合ったものを選んでもらう。


 タクシーのアルフレッドに公衆電話から電話をかける。
 電話は3つ目にしてようやく使えるものがあった。
 しかし、この電話もなぜか自分の声ばかりが大きく聞こえて、相手の声が小さく聞き取りづらい。
 結局のところ、マタンサス行きは明後日でもOKだそうだ。
 14時出発の約束をする。



 夕方になったので、いよいよカーニバル見物にと出掛ける事にする。
 コンパルサの人たちの後を追って歩いて行くと、いつの間にかそれぞれのチームが準備している地点に到着した。
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 それは中心市街から鉄道を越えた、さらに先だった。

 時間を追うに従って、じわじわとコンパルサのメンバーや観客が集まってくる。
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 パレードの開始時間は18時とも19時とも言われていたけれど、結局は19時半頃始まった。
 もうすんなりとは宿に戻れない程に、道路は人で溢れ返っている。
 最後尾チームの出発地点はどうも先ほどの尖塔があったマルティ広場の辺りらしい。(・・・これはまちがいだったとあとでわかる。確かに尖塔はあるが、マルティ広場のものとは別の尖塔だ)

 時にはブラジルばりの、電飾されたオープンカーが踊り子を乗せて走る。

写真:電飾された車
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写真:踊り子さんに手が伸びる
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 カマグエイのコンガは初めて聴いたけれど、今回3種類ほどに聴き分けることが出来た。
 1つはハバナのコンガでも使われるようなボンボのパターンに乗って、しかし6/8拍子を刻む速いコンガ。
 それから勇壮な低音太鼓の頭打ちが印象的なリズム。
 さらに2つ目のものと非常に似通っているけれど、より8分音符を強調して連打するリズム。
 もしかしたら2つ目と3つ目のものは、同じ名前のリズムのちょっとしたバリエーションかもしれない。
 その2つ目と3つ目のものは基本的にはミドルテンポだが、急激にどんどんと速くして踊りを煽ることもある。
 3つともカマグエイのコンガに特有のリズムだ。

写真:コンガの太鼓
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 コンガのパレードは始まってから2時間ほど、21時半頃に終了した。
 今回、当地カマグエイがカルナバルの真っ最中にある事を到着するまで全く知らなかったので、非常に運が良かったと思う。


 パレードが終わる頃、ロス・トラバハドーレス広場付近でムラータに声をかけられた。
 マリア、25歳大学生。
 細身でなかなか活発そうなお嬢さんだ。


 その後、明日泊まる予定の宿に、何時にチェックイン出来るか確認しに行く。
 13時にはOKとの事。
 グァバの100%生ジュースをご馳走になる。
 おまけにロンまですすめられたが、これは辞退させて頂いた。
 自宅を拝見させてもらったけれど、これ以上はないってくらい豪華な作りだった。
 正真正銘のお金持ちだ。


 それから小一時間ほど話をして宿へと戻る途中、偶然に再びマリアと遭った。

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サンチアゴ・デ・クーバ最終日 25 junio 2007

2007-06-25 | 2007CUBA-音楽の旅-
 快晴。
 空気が乾いて、風がやや涼しい。
 しかし、サンチアゴはハバナに比べると、ずっと天気が良い。

 朝9時前に宿を出る。
 まず歩いて1分ほどの市場脇にあるカデカに行って持ち合わせが少なくなったペソを作る。
 その後、トローバで本日ライブの時間を確認。
 パティオで15時からって言うから、時間通りに始まるのなら見に行くけれど、スタートは大抵遅れるし、遅れるとムセオと時間がかぶるから、今回はもうトローバでのライブは見られないかも。

 ペソ払いのラス・コルンナスで朝ご飯。
 パン・コン・ビステクにレフレスコ。
 本当は生ジュースが飲みたかったのだが、今朝はなかった。


 その後、カラバリへと足を運ぶ。
 ジョアングラが欲しがっていたリンテルニータ(LED懐中電灯)を届けに。
 しかし、あいにくと留守だった。
 カラバリが留守なんて初めてだ。

 仕方なく繁華街へと引き返す。
 する事もないので、お店を冷やかしてまわる。
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 売り子さんがポーズをとってくれて面白い。
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 アディダスの模造品が多いが、それはないだろうってデザインでいっぱしの値段だ。
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 信じられない。
 香水なども知らないブランド目白押しの上、かなり高価だ。
 サングラスがほしいのだが、メキシコに遠く及ばずモノがない。

 途中、ロス・オヨスのコルネッタ・チーナ(チャルメラ)奏者に声をかけられた。


 宿に戻ってしばらくするとジョアングラが息子のファンカルロスと共にやって来た。
 リンテルニータを受け取りに。

写真:ファンカルロス17歳
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 しばらく雑談をしてお別れ。


 する事もないので、久々に部屋でビールを1本開ける。
 最近発売されたブカネロマックス。
 アルコール6.5%。
 ビールにしてはやや強い。


 再び宿を出て散歩する。
 トローバの前を通ったら今晩は私のお気に入り、セプテート・サンチアゲロのライブが入っていた。
 もう今回は見る事が出来ない。
 残念だ。

 ムセオは閉まっていたけれど、16時にオープンだと言われた。

 銀行で為替を見たら、どうも市内の目立つ銀行では日本円の両替は扱っていないようだ。
 持ち込みはカナダドルが有利なのかな?
 きちんと計算したわけではないが、一瞥してそんな気がした。
 また、ある銀行ではユーロとドルのみ手数料として10%を頂きますとなっていた。
 やはり万が一、外貨を持ち込むならCAD、カナダドルか。

 メインストリート、アギレラ通り沿いのカデカはいつも混んでいる。
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 ペソへの両替は湾に下る途中にある市場前にあるカデカ(両替所)がスムーズだ。

 カフェは一杯0.45ペソ。
 これにカップ一杯のロン(ラム酒)を混ぜた物は0.60ペソ。
 安く酔いたい向きには良いかもしれない。

 ソフトクリームは1ペソ。
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 とても小さいけれどね。
 味はまあまあのものもある。
 主にバニラ、イチゴ、キャラメル、チョコレートの風味のものが売られている。
 が、キューバでアイスクリームを食べるなら、やはりコッペリアだ。

 スーパーで売られている製品は相変わらず見栄えがしない。
 今時ソニー製ブラウン管の大きなテレビが12万円くらいする。
 充電器なども高い。

 やはりおみやげは日本で安くてキューバで高い電気製品にかぎるな。
 あるいはボールペンをくれないかってよく言われるから、これもおみやげとして良いのかも。


 16時近くなったので国立カーニバル博物館へと足を運ぶ。
 ファンや、収録で世話になったアンリスがいた。

 たくさんの観客。
 ファンによれば、月曜日はいつもフランス人で混むそうだ。
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 今日はまた前回とは出し物が微妙に変わっている。
ルンバ・ワワンコーで始まって、トゥンバ・フランセサのマソン、フレンテと続き、タホーナ、バタなどが続いて、シメはコンガだ。
 きっちり1時間のステージ。

写真:トゥンバフランセサ「マソン」の踊り
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 ステージが終わった後、請われてファンに日本語の単語をいくつか教えた。

 その後、ムセオすぐ目の前のカサ・デ・アルテックスへと一緒に飲みに行く。
 ダンソンやソンを演奏するバンドが入っていた。
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 隣の席に韓国人の娘がいたので声を掛けてみる。
 ジヌという子で、ラテンアメリカを半年くらいかけてまわるそうだ。
 28歳。
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 色々と韓国の音楽事情を聞いてみる。
 やはりキューバ音楽と言えば、韓国でもブエナビスタ・ソシアル・クラブらしい。
 カシーノを上手に踊っていた。


 宿に帰ると既に掃除中だった。
 エアコンを結構使ったからって、今回は電気代を余分に請求される。
 また、ここは14時のチェックアウトだった事を今更知る。
 仕方なく宿の前の階段に腰掛けて、こうして時の過ぎるのを待つ。

 今日は朝から賑やかだな、と思っていたら、家の主人ファンカルロス40歳の誕生日だそうだ。
 かなり豪華なフィエスタだったように感じられた。


 さて、時間になったのでタクシーを探しにセスペデス公園に来る。
 立派なタクシーがバス停まで3CUCだ。
 やっぱりな。
 行きのタクシーはボッていた。
 ほとんど誰もが何かにつけて旅行者から余分に金を巻き上げたがる。

 珍しくおなかが空いたので、ターミナルの外に出てジャムとチーズのパンとピザを食べた。
 こうして長年の生活で染み着いた貧乏性はいくつになってもなかなか抜けるものではない。
 その一方でさっきはファンやアンリスに何杯かおごったんだけどね。
 ジヌはなぜかおごられたがらなかった。
 私たちより先にお店にいたから、実際お腹一杯だったのかもしれない。


 20:40。
20070625Viazul.jpg

 ターミナルに戻るとようやくタキージャ(切符売場)に人がいた。
 街中のクーバツールで予約したチケットを搭乗券と交換してもらう。
 荷物預かり所ではなんと天秤式のはかりが健在だった。
 しつこく計っているが、今回は絶対に20kgを超過していない自信がある。
 しつこく計った挙げ句に多めの重量を言う。
 挙げ句、問題ないからチップをよこせと。
 サンチアゴのターミナルのみ、なぜかいつも必ず1CUCほど荷物を預ける時にチップを要求される。
 今回は腹に据えかねたのでチップは渡さなかった。
 もしかしたら荷物が到着地のカマグエイまで届かなかったりして。


 ビアスール社のバスは定刻の2分前に発車した。
 早いのは、ちょっとでもどうかと思うけれど。
 ぎりぎりに来たら乗り遅れるじゃない。
 そして車内は相変わらず寒い。


 さて、カマグエイ・・・キューバ第三の都市。
 初めて訪れる街。
 キューバ最大の区域に歴史的建造物群が広がる街。
 また、豊かな産物がある街でもある。
 どんな出会いが待ち受けているのだろうか。

20070625%E5%AE%BF%E5%89%8D%E3%81%AE%E9%81%93.jpg


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サンファンの日、カラバリ・イスアマの収録とコンガのパレード 24 junio 2007

2007-06-24 | 2007CUBA-音楽の旅-
 快晴。

 9:25に宿を出発。
 約束の撮影時間前にスタンバイしておきたいから早めに出掛ける事にした。

 今日収録するカラバリ・イスアマはキューバ最古のフォコ(民族音楽集団)だ。

写真:Carabali Isuamaのメンバーと
20070624Carabali%E3%81%A8.jpg


 そう言えば、昨晩思い付いた。
 スペイン語と英語でもブログを綴ってみよう。
 語学を磨くためにも。
 外国語で例えば手紙を書くと、相当な数の単語を覚えるから、これは自分にとって有益な事だと思う。
 もちろん毎日というわけにはいかないと思うけれど。
 週に一度でも。
 間違いを見つけたら直ちに訂正個所を知らせてくださいね。
 これを読んで下さっている方々のうち、相当な数の方が語学に堪能なはず。


 カラバリには9:45到着。
 ささっと準備をし終えるも、メンバーがなかなか集まらない。
 あと二人がやって来ないという。


 ようやくメンバーが揃って演奏が始まったのは11時過ぎだった。
 収録は一度始まってしまえば順調に進む。
20070624Carabali%E5%89%8D%E5%8D%8A.jpg


 カラバリの歌と演奏は三部構成になっている。
 ゆっくりめのマルチャ、少し速めのマルチャ、それにオッビアだ。
 順番はあまり重要でないらしい。

 私はいつもオッビアから始まるものとばかりに思っていたが、今回オッビアは三番目に登場した。
 また、オッビアのみ伝統的な(フランス系?)衣装を身にまとう。
20070624Yoangra.jpg



 収録を終えた後、チーチョの彼女のお婆ちゃんが詩人だから吟じさせてくれと言ってきた。
 ビデオに撮ってあげたけれど、なかなか良い感じだった。
動作に照れがなくて良い。


 カラバリのジャイリンにアルムエルソ(昼食)をご馳走になる。
 ポーヨ・コン・コングリ(鶏肉に豆ご飯)、それにギネア(甘くて小さいバナナ)、それからバティド・デ・マンゴー。
20070624Almuerzo.jpg

 このマンゴージュース、大好きです。
 一度飲んだら止められない。
 ポーヨ・コン・コングリ、キューバでは一番食べる機会が多いかも。
 どこで何を食べるのが好きかにもよるけれど、鶏肉は大体いつもある。

 もう、超おなかいっぱいです。


 昼食後、音楽学者グラディス・ゴンサレス女史の家へと遊びに行く。
 カマグエイについて色々と教えてもらった。
 黒人はハイチ出身の人が多いそうだ。
 また、国内ではオーケストラが有名らしい。
 色々な物が穫れて豊かな土地のようだ。
 また、アカデミックな雰囲気も感じた。
 それから市街地からそう離れていないところに日本人のコミュニティがあるそうだ。
 ちょっと楽しみになってきたぞ、カマグエイ。

 それから彼女はユネスコに関わる仕事をしていて、今、このカラバリ・イスアマを世界文化遺産にするべく働いているそうだ。
 トゥンバ・フランセサの次はカラバリが指定されるとよい。


 カラバリの家に戻ると、突然嫌な知らせが入った。
 ジャイリンのお婆さんが亡くなったとの事。
 84歳だったそうだ。

 彼女と弟のチーチョは急遽そちらへ向かう事となった。

 そしてコンガのパレードへはジョアングラ達が連れて行ってくれる事になった。
 

 15時半となったので、いよいよコンガのパレードを見に行く。

 今回はパレードの出発地点まで見学しに行った。
 到着してみると、まだ行進しないでロス・オヨスが演奏している。
20070624Coaga%E5%87%BA%E7%99%BA.jpg

20070624CongaUp.jpg

 しばらくハバナのコンガを聴いていないから、コンガと言えばこのオリエンテ(東部地方)のものがまず頭に浮かんでしまう。
 ロス・オヨスとは、カーニバルのコンペティションで何度も優勝している伝統あるコンガのチームだ。
20070624LosHoyos.jpg

 しばらく見た後、引き返しがてら今度はマルティ大通りで走るコンガのパレードを人の波に埋もれて楽しみ、さらに続いて、知人の家のバルコニーから道に繰り出してくるカーニバルのパレードを見物としゃれこむ。
20070624Coaga%E5%A4%A7%E9%80%9A%E3%82%8A.jpg

 ここから行列を見下ろすのは2度目だけれど、やはりすごい迫力だ。
 演奏と共に、住居の谷間を人々が河のように流れてゆく。
20070624Conga%E4%BB%8A%E5%B9%B4%E3%82%82%E4%BA%BA%E3%81%A7%E5%9F%8B%E3%81%BE%E3%82%8B.jpg

 始めのコンガ集団に知人のエミリオがいた。
20070624Emilio.jpg
 主にバタを使った古いかたちのコンガを演奏していて興味深い。
 あとに続いて先ほどのロス・オヨスがやって来た。
 時に流血を伴う捕物帳も見られてエキサイティングだ。
 上から下へ、人と音楽がうねうねと流れ下ってゆく。
20070624Conga%E5%8E%BB%E3%81%A3%E3%81%A6%E8%A1%8C%E3%81%8F%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%B3%A2.jpg


 一通り見た後、さらにしつこく先回りして今度は路上から楽しむ事にする。
 見ている途中で突然スコールがやってきた。
 あえなくコンガは雨のため、ここまで中止。
 コンガで使用する太鼓は生皮を使っているから当たり前だ。
 雨の中では皮が湿って音が出ない。
 とても残念だ。

 しかし、今日は充分過ぎるほどコンガを堪能した。

 ちなみに日本で言うところの楽器のコンガは、スペイン語ではトゥンバドーラと言う。
 コンガとはキューバのカーニバルで演奏される音楽の名前だ。
 仮装して行列するからコンパルサとも言う。


 コンガを見終えてカラバリの家で雨宿りさせてもらう。
 ジョアングラの息子、ファンカルロスや好青年マウリシオと話が弾む。
 今度は近所のおばあちゃんが誕生パーティーを開いているからって、その会場へと連れていってもらう。
 飾りがすごいから是非とも写真に撮れよとの事。
20070624%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%8D%A7%E3%81%92%E7%89%A9.jpg

 神様への供え物は確かにゴージャスな感じだった。
 白いオバタラ、黄色いオチュン、青いイェマヤ、赤いチャンゴ、などなど。
 私もそれに祈りを捧げて、その後食事を頂いた。
 パスタにケーキにちょっとした揚げ物にレフレスコ。
 全く食べきれないなと思ったけれど、根性で食べきった。
 今日は食べ過ぎの日だ。
 日曜日だし、サン・ファンのお祭り日だから仕方ないかな。
 いや、仕方ないなんておそれ多い。
 食事を頂くのはありがたい事です。


 宿に戻ったら、もう20時近かった。
 結局一日出ずっぱりだったな。
 これからデータの整理をしなけりゃ。


 ・・・データを整理し終えたら23時半。
 ここいらへんは辛いところだけど、DVDを作ろうとしている今回は仕方のないところ。

 しかし弔いによって音楽体験する事がまったく出来なくなりかけて、一時は暗澹たる気持ちになったけれど、こうして結局コンガは聴けたし、カラバリも聴けたし、案外ダメージは少なかったかな。

 明日はカマグエイへと発つ日だけれど、音楽が復活する日だからたっぷりと堪能しよう。
 午前中にカラバリ、お昼はトローバ、夕方にはムセオ・・・かな。

 そして夜にはバスで出発だ。


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カレトン・ブランコ海岸 23 junio 2007

2007-06-23 | 2007CUBA-音楽の旅-
 快晴。

 結局はカラバリの彼らとは別にシボネイ海岸へ出掛けることにする。
 外国人はトラックに乗れないと言われたが、さて、最近の実勢は如何なものか。

 キューバ。
 貧乏旅行者にももう少し門戸を拡げればいいのにと思う。
 以前は広かったのだが、民泊が禁止になり、トラックに乗る事が禁止になり、最近では外国人が必ず必要とする兌換ペソへの換金手数料を大幅に引き上げられた。
 ブエナビスタのブームも一段落して、キューバへと行く人が減っているようにみえるけれど、ここのところのキューバは貧乏人にとっては行きたくても行けない国になってしまっているのではないのかな。

 昔は良かったね。


 11時頃宿を出る。
 海に行くには遅すぎる時間だ。

 セスペデス公園を越えたところで急に気が変わった。
 そうだ、ジャイリンお勧めのカレトン・ブランコ海岸へ行ってみよう。
 そちらの方が停留所も近所だし。

 Calle4へ行くのは止めて、宿のある丘からすぐ下に降りたアラメダ大通り沿いにあるセラノ・バスターミナルへと歩く。

 カレトン行きのバスは10:45に行ってしまった。
 タキージャ(切符売り場)で聞いてみると、カミオン(乗り合いトラック)はあるだろうという。
 バスターミナル前であてどもなく待っていると、チビリコ海岸行きのトラックがやって来た。
 これに乗って途中で降りればカレトン・ブランコ海岸だ。
 5ペソだが、あいにくと細かいのを持っていなかったので車掌に20ペソ札を出してお釣りをもらおうとすると、「ベインテ・サブローソ!(20ペソ!素晴らしい!)」と言って指定席を作ってくれてしまった。
 別に20ペソ払うのはそんなに痛くはないけれど、根っから平民根性が染み着いているので、余分なお金を使って座っていた人を立たせてその空いた座席に自分が座るのは辛かった。

 この車掌がまた道中、品のない会話を浴びせてくる。
 隣の軍人は閉口していた。
 柔道にかけて「一本」はすごいが、キューバには「ウチママ」(内股、ではない)というすごい技がある、とかしようもない事を言う。
 わかる人にはわかりますね(笑)。


 ようやくカレトン・ブランコ海岸に着いた。
 キャンプ場併設の小さな海岸だ。
 チビリコ海岸まで行ってしまおうかとも思ったけれど、これに1時間45分、往復で3時間半乗るのにはかなりな根性が要求される。

 カレトン・ブランコ海岸には海水プールなどもあり、結構賑わっている。
 波は荒い。
 サンチアゴ周辺の海岸は有名なシボネイもそうだけど、結構波が荒い。
 潜ってみれば、シマシマの熱帯魚やベラ類、それにアジ系の魚、サヨリ系の魚などが見られた。
 東から西へ流れる海流が強い。
 珊瑚は殆ど見られない。
 基本、岩礁だし、とてもキューバ最大のリゾート、バラデロ海岸のような風情はない。
 岩礁でも珊瑚が発達していれば、それは砂浜海岸以上にとても面白いのだが、ここは珊瑚もそれほどではない。

 外人は全くいないようだ。
 シボネイのような物売りもいない。

 もしかしてサンチアゴ市街からちょろっと海へと遊びに行くのならシボネイ海岸の方が面白いかもしれない。

 シボネイの方が近いし、賑やかだ。
 珊瑚礁もシボネイの方が発達している場所がある。
 ただし・・・シボネイではこの時期、「ピカ」と呼ばれる海中生物が発生して、人によっては泳いでいるうちに刺されるようだ。
 ちなみに私は刺されたことはないが、一緒に行った仲間は刺された事がある。

 さて、1人で泳ぐときのスタイルだけど、以前シボネイ海岸に置いておいた荷物を持って行かれてしまった事もあるし、全て持ち泳ぐ事を基本としている。
 コインはポケットでOK、紙幣もチャック付きのビニール袋に入れておけばそうそう濡れることはない。
 その他の日焼け止めやティッシュ類、タオルはビニール袋に入れて口を閉じ、着ていたTシャツでくるんで巾着袋に入れ、肩に掛けて泳ぐ。
 ビニール袋の浮力で巾着袋は海面に浮いている事もあって、中の物は濡れない。
 Tシャツは濡れるのを覚悟。
 Tシャツを着て泳ぐのも日焼け止めになって良い。
 足はテーバ等の水陸両用スポーツサンダルをはいたままだ。


 キューバ人が海岸ではしゃぐなか、かなり本格的に2時間ほど泳いで海岸をあとにする。

 停留所で待つも、なかなかカミオンはやって来ない。
 30~40分待っていたら、サンチアゴからやって来たカミオンがここで転回した。
 そうなると、せっかくバス停で順番に並んで待っていたのに、もうそれは関係ない。
 早いもの勝ちの世界だ。
 帰りのカミオンは、行きのそれよりかひとまわり大きい。
 そのせいなのかどうか、こちらは一人3ペソと格安だ。

 カミオンの客室は全て鉄で出来ている。
 座席も鉄なら、背もたれも鉄だ。
 道路状態も良くないし、うっかりすると背骨などに損傷を負いそうである。

 帰りの終着地点はサンチアゴの鉄道駅前だった。
 宿至近のセラーノ・バスターミナルまでは行かない。


 宿に戻ってみたら16:45分だった。

 シャワーを浴びてカラバリに行こうとするも、なんとサンチアゴで初めての雨。
 雨が止むのを部屋でじっと待つ。


 ほどなくして雨が止んだので、カラバリの家へと出掛ける。
 チャックがいた!
 しばし再会を喜び合う。
 しばらくして息子のジャンカルロスもやって来た。
 初めてみたけれど、口が達者だ。
 3歳。
 チャックも頭の回りがとても早いから、彼も賢いだろう。
 彼は3年前の、私のバンドのメンバーの名前さえも全て覚えていた。
 なぜ?
 驚異的な記憶力だ。
 ヨウヘイ・タカサキは来るはずだったんだけど、流れちゃったんだと伝えておいた。

 しかし、チャックが2年前に早くも離婚していたとは・・・
 キューバ人にとってそれは日常茶飯事ではあるけれど。

 その逆に、この8月に結婚するチーチョのフィアンセは私と同じ5月5日が誕生日である事が判明。
 1989年5月5日。
 ゾロ目だから、何かご縁があるかもしれない。

 ビールを飲みながら、とめどもなく話が続く。


 明日は午前中にカラバリの撮影を済ませた後、彼らと昼食を共にして、そのあと飲みながらコンガのパレードを見る事になっている。
 やはりサンファンの日はこうでなくちゃね。

 サポーテのジュースをご馳走になる。

写真:サポーテの実
20070623Zapote.jpg

 こちらサンチアゴでサポーテと呼ばれているものをハバナではマメイと言う。
 関東のイナダが関西でハマチになるのと一緒だな。
 とはいえ最近はハマチが全国的に優勢なようだ。


 帰りがけに3年前はドル払いだった、セスペデス公園から1ブロックのところにあるLos Columnasへとご飯をしに寄った。
20070623LosColumnas.jpg

 ミルノベシエントスとは逆に、なんとこちらはペソ払いになっていた。

 タマリンドのジュースを飲んでみた。
 それからフライド・チキン。
 以前より安いけれど、安い分、量が少なくなった。
 私にはちょうど良い感じだ。

写真:チキンはてっきり単品かと思いこんでいて、ご飯をもう一皿頼んでしまったの図
20070623%E9%B6%8F%E8%82%89%E3%81%A8%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89.jpg


*注:この日は盗難が怖くてカメラを持ち歩かなかったので、海の写真は一枚もありません。残念!



写真:街の中心、セスペデス公園にて
20070623ParqueCespedes.jpg



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ラテン打楽器のDVD収録 21 junio 2007

2007-06-21 | 2007CUBA-音楽の旅-
 快晴。
 朝10時にキューバ国立カーニバル博物館の前で、館の首席打楽器奏者ファン・オスカール・テヘラ”Nino”と待ち合わせる。

 彼は時間前に来ていた。
 さすがだ。
 マキナ(タクシー)でサン・ペドリートのフォコへ向かう。
 3CUC。

写真:サン・ペドリートのフォコにて
20070621SanPedrito%E3%81%AB%E3%81%A6Juan%E3%81%A8.jpg

 3人の奏者でDVDを作ることになった。
 今日の収録リズムはポピュラー系のダンソン、ボレロ、ソン、デングェ、チャチャチャ、ピロン、モザンビーケ。
 それにコンガやティンバレス、クラベス等を演奏するための基本テクニック。

 彼らがリハをしている間に録音レベル等を設定し終える。

 横着してそれをのせたままテーブルを運んだら、R-09の三脚を床に落とした。
 初めて使ってみた今日、早速壊すとは・・・。
 さすがだ。
 このローランドR-09は大変コンパクトなのに24bit48kHzの高品位で録音できる優れたアイテムだ。
 今回のようにマルチ録音を必要としない場合、重宝する。
 しかし別売の三脚はもろい。
 負担のかかる脚の接合部がプラスチックなのはどうかと思う。
 これで約5千円。
 そう言えばこの3~4月にロサンゼルスで買ったスーツケースもトロント-ハバナ便でチャックを壊された。
 スーツケースは大体1旅行しかもたない。


 さて、収録は非常にスムーズだった。

写真:DVD収録風景
20070621DVD%E5%8F%8E%E9%8C%B2%E9%A2%A8%E6%99%AF.jpg

写真:3人の奏者と一緒に
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 が、嫌なニュースを聞いた。
 来週月曜まで歌舞音曲が禁止になったという。
 重要人物の喪に服すときは歌舞音曲の禁止、日本だけではなかったか。

 だから今日はムセオも休みだという。
 いや、困った。
 音楽の都、サンチアゴにいながら何も聴くことが出来ないとは・・・。
 カラバリのDVD収録もダメかもしれない。
 楽しみにしていた6月24日、サンファンの祝日に走るコンガのパレードも喪に服すため今年はなくなってしまったとの事。
 昨日まではあるよって話だったのに、残念だ。


 宿に帰ってデータの整理をする。
 帰りはコーチェ(馬車)に乗って帰ろうかと思ったらどれも満員で乗れない。
 仕方なくまたビシタクシーのお世話になるが、セスペデス公園まで入れないくせに2CUCは高いな。
 キューバ人なら1人10ペソだ。


 無駄だとは思ったが、帰ってすぐにトローバがどうなっているか見に行く。
 残念だが、店の扉にはやはり月曜まで閉店との張り紙がしてあった。
 道でムセオのダンサーにも会ったし(つまり彼女はオフ)、やはり月曜までどこにも音楽はないようだ。

 何のためにキューバに来たのか。
 その殆どは音楽を体験するために、である。
 なのに今日、木曜日から来週月曜日まで、つまりサンチアゴに留まっているあいだじゅう音楽がないなんて。
 殆ど意味がない・・・。
 しばし脱力。

 運命とは時に気まぐれで計算が立たない。
 思った通りには物事は運ばない。
 目的地までの辻々で回り道するものである。

 さて来年、再来年のキューバはどんな顔をして私たちを迎え入れてくれるものか。
 それは誰にもわからない。
 世界は一瞥普遍に感じられるが、しかし、ちょっとした出来事によって激変する。

 ここは潔くあきらめてリゾートするか。

 待て待て、とりあえず明日には大切な仕事がある。


 夕方カラバリのフォコへと出掛ける。
 今年はカラバリ、一度も見ることが出来ないかな・・・。

写真:カラバリのフォコへと向かう道
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 果たして・・・

 どうやら週明けの月曜日には音を出しても良いらしい。
 「Hasta Lunes(月曜まで)」に月曜は含まれないのか、ふーん。
 月曜日・・・サンチアゴに到着したその日に、カマグエイへと移動するバスの切符を買ったが、始め月曜の朝便を予約しようとしたのを考え直して夜便にしたのが、偶然に正解となった。
 月曜の出発は22:00だから、時間は充分にある。
 月曜朝9時に約束する。
 このDVDによって、彼らがもっと世に知られる事となったらよい。
 キューバ最古のフォコ、カラバリ・イスアマ。

 ジャイリンにマンゴーやパイナップルをご馳走になる。
 それから少しして、夜、ピザをちょい高めのレフレスコとご馳走になる。
 結構美味しい。
 フルサイズ、10ペソだって。

 今回おみやげとしてLEDライト(発光ダイオードのハンディライト)を持っていったのだが、結構重宝するらしく需要が多い。
 これで商売しようかな。
 ちなみにこちらではリンテルニータと呼ばれています。
 仕入れは日本で0.7CUCくらいだけど、換えの電池が8個も付いているから、もしかしたら10CUCくらいで売れるんじゃないか。
 いや、チーチョに聞いてみたら電池だけでも1個1CUCくらいはするし、12CUCでも売れるだろうと言っていた。
 100個売りさばけば、単純に1200CUCくらいの利益が上がる。
 約16万5千円・・・悪くないじゃん。
 もっとも最近はこれくらい持っていてもすぐなくなってしまいますが。
 円はここのところのキューバでは使いでがない。
 私の場合、観光が目的で来る人とは使い方が違うけれど。
 寄付が多いんだ。
 個人で支えられる人数には限りがあるけれど、近しい人の何人かに。

 しかし彼らには、色々なところへ連れて行ってもらえたり、演奏を聴かせてくれたり、ご馳走になる事もしばしばだから、寄付と言ってもあながち一方的なものではない。
 だからちょっとお金の使い方が違うだけ。

 ジャイリンの誕生日が23日(土)で、なんとカミオン(トラック)をチャーターして近所の人を50人ほど引き連れて海に行き、お祝いをするそうだ。
 それに招待を受けた。
 もちろん行きます。
 期せずしてリゾート行きが転がり込んできた。
 目的地はPlaya Caleton Blanco。
 この8月に結婚する弟のチーチョのフィアンセはもう一つ先のBoca de Los Riosがいいって言っているけれど。
 シエラマエストラ山脈が海岸に落ちるところ、市街地から西へ湾の向こうを海岸づたいに40kmほど行った辺りか。
 楽しみだが、朝6時半までに来いと言う。
 果たして起きられるだろうか。

 そういやチーチョのフィアンセは18歳、大学入学前だって。
 ちょっと早くないか。
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カーニバル博物館 20 junio 2007

2007-06-20 | 2007CUBA-音楽の旅-
 昨晩早く寝てしまったから、今朝は6時に目が覚める。
 この宿では、昼間はエアコンの効きが悪くてやや暑いが、夜はエアコンを付けっ放しで寝るとさすがに寒い。


 今回キューバを訪れた最大の目的は、カーニバル博物館の打楽器奏者、ファン・オスカール・テヘラと共にラテンパーカッションの基礎を納めたDVDを作ることである。
 昨日はムセオ(カーニバル博物館)が閉まっていて残念ながら会えなかったが、今日は会えますように。
 そういえば、この4月に見つけた新刊でボニアティージョが表紙になっている本に、彼の写真も載っていたっけな。


 そうだ、せっかく早起きをしたのだからコブレに行ってみよう。
 コブレ教会とは、キューバ人にとって最も重要な聖地なのです。
 コブレに行く事を誰かに伝えると、よく「コブレの砂を持ってきてくれよ」と言われる。


 快晴。
 バイーア(湾)の方に鉄道駅やバスターミナルがあるので、まずそちらへと出掛けてみる。

写真:バイーアに面した通り
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 が、道行く人々に訪ね、ターミナルで訪ね、コブレ行きのバスは市街地反対側のターミナルから出ている事を知らされる。
 もしかしたらそうだったよなって、薄々わかってはいたけれど、あちらは遠いから出来れば行きたくなかった。

 ビシタクシーという名前の人力車でコブレ行きのバスがあるCalle4へ向かう。
 $3。
 近い割にいい値段だ。
 途中馬車と競争させる。
 下り坂では人間の方が速い。

写真:人力車の背中から
20070621%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A%E3%81%AE%E8%83%8C%E4%B8%AD%E3%81%8B%E3%82%89.jpg

写真:人力車の運転手と
20070621ChofeDeBisiTaxi.jpg


 バスターミナルに着いてみると、肝心のバスは発車してしまったばかりだった。
 うん、真っ直ぐこちらに来ていれば間に合ったものを・・・
 コブレ行きのバスは8:00,9:00,10:00にあるようだ。
 次はグッと時間が開いて12:30。

写真:バス時刻表の掲示
20070621HorarioDelBus.jpg


 ムセオに行くことが先決事項なので、今日はコブレに行く事をあきらめる。
 12:30に街を出てコブレへ行ったら、カーニバル博物館のライブパフォーマンスには間に合わなくなってしまいそうだ。

 徒歩での帰り道、ムセオに寄ったら今日は16:00からショーがあるとの事。
 ファンが健在であることもわかった。

 ついでにトローバに寄ってみる。
 午前中はまだ何もやっていなかったが、午後からは演奏が目白押しの模様だ。

 ・・・12時から演奏が始まるはずだったが、13時を過ぎてもまだ始まらない。
 仕方なくそこいらをブラブラして戻って来ると、ようやく演奏は始まっていた。
 ソンの故郷、カサ・デ・ラ・トローバ。
 気持ちの良いリズムにのって、肉声が場内に響く。
20070621CasaDeLaTrova.jpg

写真:トローバにて
20070621CasaDeLaTrova%E3%81%AB%E3%81%A6.jpg


 いったん宿に戻って、今度はすぐにカーニバル博物館へと向かう。

 いたいた!
 ファンが階段から手を振っている。
 久々の再会を喜び合う。

写真:カーニバル博物館にてファンと
20070621Museo%E3%81%AB%E3%81%A6Juan%E3%81%A8.jpg

写真:Juan Oscar De La Tejera
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 早速仕事の話。
 収録内容や場所の話、etc...。
 明日10時にここで落ち合って、コンガの雄、サン・ペドリートのフォコで収録する事になった。

 ファンはサン・ペドリート地区の出身だ。

 ショーが始まった。
 やはりファンのプレイはすごい。
 ショー自体、ダンスや音楽も多彩だ。
 場所柄、衣装がチープなのが残念だ。
 その点、首都ハバナでは数倍豪華だ。
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 ショーを見終えて、久々に懐かしのレストラン、1900(ミルノベシエントス)に行ってみた。
 ・・・絶句。
 前々から噂はあったが、ついにCUC払いに変わってしまった事を知る。
 食事は以前に比べて約10倍の値段を提示された。
 飲み物は10ペソ→1CUC。
 円安と通貨切り上げを換算すれば、飲み物については3年前までに比べてそれでも3倍ちょっとの値段。

 思わず注文するのを止めて飲み物だけ頼んだら、どこからかチーフがやって来て今日はペソ払いでも良いという。
 辺りを見渡してみると私の他に客が誰もいない。
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 カマレロ(ウェイター)に「何でだよ?」って尋ねてみたら、「今、他にお客さんがいない。私たちも稼がなければならない」との事。
 ラッキーだ。
 だけど、もうここにはそう易々と来る事は出来ないな。
 愛用のレストランだったので、寂しくはあるが、その値段を払うなら他に良いところがたくさんある。
 ちなみにこの後レストランを探してみたところ、ペソ払いのところをいくつか見つけた。

写真:レストラン、ノベシエントスの鶏ご飯
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写真:レストラン、ノベシエントスのトマトサラダとアトウェイ
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 宿へと戻る。
 今回の宿、ファンカルロスの家はバルコン・デ・ベラスケスの裏手にあり、街の中心、セスペデス公園からわずか2ブロック離れたところに位置する。

写真:ベラスケスのバルコニー
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写真:セスペデス公園にて
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 トローバへは3ブロック、ムセオへは5ブロック、どちらへ行くにしてもせいぜい歩いて5分とかからないだろう。
 トローバに次いで有名なチボリ地区にあるカサ・デ・ラス・トラディシオネスへも6ブロック程だ。
 カラバリの家へは少し遠いが、それでも徒歩12分くらいのものだろう。
 トゥンバ・フランセサの家へは歩10分くらいか。
 ロス・オヨスへは歩15分。
 チボリのフォコへもパドレ・ピコ通りの階段を上った先、すぐ近くだ。
 クトゥンバの本拠地へも3ブロック、5分以内だな。
 たまにお世話になる事があるプラサ・デ・マルテに面したパティオ・ロス・ドス・アブエロスへはちょっと遠いがそれでも多分徒歩15分以内。
 ちなみに宿側のセスペデス公園と、このプラサ・デ・マルテにはさまれた間が最も賑やかな繁華街だと思う。
 それからサン・ペドリートへはバイーアへと下って馬車を拾えば、さほど遠くもない。

 馬車!コーチェ!
 キューバでは馬車が公共の交通機関として普通に使われている。

写真:馬車
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 その他、中距離の輸送ではカミオンと呼ばれるトラックなども一般的な公共交通機関だ。

写真:カミオン
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 ちなみに馬車はいつでもOKだが、カミオンへは車掌の機嫌が悪いと外国人は乗せてもらえない。
 近頃サンチアゴで流行っているのはバイクタクシー。
 客は一人しか乗せられない。
 こちらは外人でも10ペソ。
 市内ならどこまで行っても10ペソ。

 ま、市内ではカリブの家のみが重要な音楽の場所のうち、トロピカーナとかホテルのショーとかの高価な場所は別として、歩いていくのが辛いところだろうか。


 22時少し前にカサ・デ・ラス・トラディシオネスへ行こうと宿を出る。
 狭くて、音楽の響きがリアルで、ある意味トローバ以上に面白い場所なのです。
 コロナ通りを確か112番地くらいまで下って右へ折れ、数区画先を今度は左に入ってすぐの場所にある。

 いざ行ってみたら・・・
 ・・・閉まっていました。
 初めてです。
 上で警備の人が何かが壊れたとか言っていたけれど、よく聞き取れなかった。


 今回はアンラッキーが多い。
 ハバナではマラカが洪水で中止、ラスベガスのルンバも大雨で行きそびれ、サンチアゴに到着したら今度は追悼の為にムセオもトローバも演奏なし、カラバリがリハ日だったのに中止・・・そして今回。
 見られるはずだったものを5本も落としてしまった。
 そんなだから今回はいつもの旅よりも睡眠時間多めで、健康には良いかもしれない。


 明日はいよいよ仕事中の仕事だな。
 午前中からファンとラテン打楽器の基礎を収めるDVDの制作だ。
 そして晩にはカラバリと打ち合わせ。
 濃い1日が待っている。

写真:夜のサンチアゴ・デ・クーバ教会
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藤田浩司-koji fujita-
DrumStudio LA FIESTA

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cozy-corner~藤田浩司(ふじたこうじ/koji fujita)のblog

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