cozy-corner:藤田浩司(ふじたこうじ)のblog

ラテン系ドラマー、またあるときはピアニストのマルチミュージシャン藤田浩司(Koji Fujita)が送る、日々の記録

こんな日もあるかな。 30 abril 2006

2006-04-30 | Brasil
朝、フルーツいっぱいのカフェダマニャン(朝食)を摂ったあと、雨の中、旧市街の方へと歩きで行ってみる。
目的は音楽情報収集。
旧市街にあるツーリストインフォメーションにはなにがしかの情報があるだろうと思って。

フォルタレーザ旧市街のツーリストインフォメーションは非常に親切であった。
新聞や一覧表を取り出して一々ライブをチェックしてくれる。
本日午後は2ヶ所の会場でサンバが聴けるようだ。
また、明日月曜日にはイラセマ地区にある埠頭の近辺でフォホーが聴けるそうだ。
それから、ここでもらえる観光マップがすごい。
まるで売り物のそれのように詳しい。
こんなに詳しい無料の観光マップにはめったやたらにお目にかかれるものではない。
通りの名前もすべて載っている。
さすがは国際観光都市、フォルタレーザ。

お礼を言ってインフォメーションを引き上げると、外は土砂降りの雨。
傘がまったく役に立たない。
しばらく歩いてはみるが、あまりのひどさに近くの古いショッピングモールへと非難する。
サルバドール以来、この晴天は多いというフォルタレーザでも雨に降り続けられ、なんだか気分までジメジメとしてくるようだ。

小降りになった隙を狙って宿に戻る。

午後二時頃、ツーリストインフォメーションで教えてもらったサンバが聴けるというラウンジを目指して再び外へ出ようとするも、思うように身体が動かない。
ここに来てサルバドール滞在後半からくすぶっていた微熱が一気に高熱とかわり出てきてしまったようだ。
残念だけど、今日はこのまま寝ている事にする。

夜半過ぎに汗がどっと出て、熱が一気に下がる。
やれやれ。
海外ではなぜか時として一晩だけ熱が出る事があるのです。

今も外は大雨。
こんな日もあるかな。

藤田浩司-koji fujita-
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バスで大移動 29 abril 2006

2006-04-29 | Brasil
昨晩20:30頃バイーア州サルバドールを出発したバスは、朝6時頃ペルナンブーコ州のペトロリーナとかいう街に着いた。
天気は曇り。
手持ちの地図にも乗っていなくて、ここはどこなのか乗務員さんに尋ねてみた。

ペルナンブーコ州ペトロリーナ市のバスターミナル
ペルナンブーコ州ペトロリーナ市のバスターミナル.jpg


この街で隣の母子は降りていった。


11:40にBrejo Satoという、セアラ州の街、そして12:10にMiraglesという街のドライブインに到着。

Miraglesのドライブイン
お昼に停車した町.jpg


フォルタレーザへと近づくに連れて天気が良くなってくる。
セルタンと呼ばれる乾いた土地のせいか。
セルタンではたとえ海岸地帯が雨期だとしても乾燥した気候が続くと聞いた事がある。

暇つぶしにドライブインの土産物屋など冷やかしてみると、CDのコピーされたものが1枚4ヘアイスで売られている。
こんなに堂々と違法コピーの商品が売られているのを目にするのはシンガポールで以来かもしれない。

しかし、この辺りは幹線道のはずなのに非常に道が悪い。
すれ違い困難な場合もあり。
千キロに21時間かかるのも納得である。

景色はいつの間にか乾燥地帯のそれとなり、短めの草が茂る草原の中にポコポコと熱帯の低木が生える。

セアラ州セルタンの田舎町
セアラ州セルタンの田舎町.jpg

乾きめの景色
乾きめの景色.jpg

ずっと草原が続く
ずっと草原が続く.jpg

到着予定時刻の17時を過ぎてもなおサバンナの中をバスは走り続ける。
人口192万の大都市が現れる気配はまったくない。

20時くらいになってようやく夜空に赤味が差し始める。
到着は近そうだ。
除々に道が広くなり建物が増えだし、その予感は確信に変わる。

21時。
予定時刻を4時間過ぎ、25時間かけてようやくフォルタレーザへ到着。

まずは次の目的地、ナタルへの切符を買ってしまい、それからタクシーを探す。
ツーリストインフォメーションは時間が遅いせいか見あたらなかった。

目星を付けたホテルはあったのだが、タクシーの運転手が良いホテルを知っているというので、走るにまかせてみる。
旅は予定外の出来事の方が面白いし、こうして土地の人の意見に耳を傾ける事はまた正解である事も多い。

当初泊まろうと思っていたイラセマ地区ではなく、メイレレス地区の一番イラセマ寄りに建つホテル、名前はなぜか「バーデンバーデン」。
その名前はどこかの温泉施設のようでもあるが、1泊60ヘアイスが運転手の紹介で55ヘアイスに。
エアコン、TV 、冷蔵庫、電話、それにカフェダマニャン(朝食)付き。
若干狭いものの、今まででの中では格段に快適な設備の宿、エアコンのおかげで乾いた空気がありがたい。
なるほど、カナさんが言うようにホテルも悪くないなと思った。
ちなみにベッドは広い。


着いて早々、23時頃雨の中フォホーを聴きにイラセマ地区へと足を運ぶ。
が、途中で宿へと引き返す。
なんだか体がだるかった。

今、外は暴風の大雨。
行かなくてよかったのかも。

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フォルタレーザへの長い旅 28 abril 2006

2006-04-28 | Brasil
そういえば一昨日、宿の女主人に宿泊を短縮する旨を伝えたら、宿泊代がキャンセルした分全額戻ってきた。
この信用のおける宿はポウサーダ・グローリアといい、ツーリストインフォメーションから1ブロック奥、ラランジェイラス通りに面して建っています。
オロドゥンの学校の二つ隣。
1泊5人部屋を一人で借り切って1日30ヘアイスです。



旅をしていると出くわすのは大抵は良心的で良い人と決まっている。
悪い人は0.1パーセントもいない。
これらの事実が、私を以て深く人間を信じさせる。

黒人については色々と言われるけれど、やはり良い人の方が圧倒的に多いのはまちがいない。
この宿、ポウサーダ・グローリアの女主人も黒人だ。



本日でこの街を散歩するのも最後となるので、歩いていけるところはくまなく歩いてまわる。
この街を散歩するのは最高だ。
あちこちに美しい教会があり、また坂の多さがその街角を絵にする。

この街が本場というカポエイラを見てビリンバウの音を聞くのも、これが最後だろうか。

奴隷市場のレストランでカポエイラをする子ども達
奴隷市場で見かけたカポエイラ.jpg




夜になって、いよいよ宿をあとにする。
ペロウリーニョ広場を下って右に折れ、あまり外国人のいない街角でタクシーを探す。
地図を見るとホドビアリア(長距離バスターミナル)までは、公共のバスが通る海側の道よりもこちらからアプローチした方がずっと近い。

首尾良くタクシーを拾う事が出来た。
とても感じの良い運転手で、始終話しかけてくる。
外国人を乗せるのは初めてだと言っていた。
やはりこちらの通りでタクシーを拾う観光客は少ないようだ。

丁度帰宅ラッシュと重なり、道路は大渋滞。
車は中々前に進まない。
20時のバスに乗る人は、18時過ぎの渋滞に気を付けた方がよいだろう。

しかしラッシュ時間、ブラジルでの車の運転には鬼気迫るものがある。
わずかな隙を狙っての割り込み合い。
また、そうはさせまいとする防御。
運が良い事に?私が乗ったタクシーの運転手はたいへん割り込み上手だ。

早めに宿を発ったので、バスの出発時間には余裕で間に合う時間になんとかホドビアリアへと到着。
タクシー代は17ヘアイスだったが、渋滞がなければ12ヘアイスほどで済むのではないだろうか。



さて、バスは定刻20時を30分ほど過ぎて出発、予定ではこれから約千キロちょっと、21時間の長旅である。
千キロといえば、私の住む千葉からは九州の入り口、門司くらいまでの距離である。
これを丸1日かけて走り通さなければならないのだから中々ハードだ。

隣に子供連れの女性が乗ってきた。
なんと、子供ととはいえ、一つの座席に二人で座るらしい。
案の定、足やら荷物やらこちらへとはみ出してくる。
やれやれ。

バスのシートには足台があり、また背もたれも深く倒す事が出来、中々快適である。
毛布も付いているから全然寒くない。
これは熱帯地方のバスでは非常に重要な事だ。
大抵冷房が効きすぎているからだ。
真夏の気候の中で真冬のように車内を冷やし、その中で嬉しそうに冬服を着て過ごすのが熱帯を走る長距離バスの常である。
コーヒーや水も飲み放題でトイレも付いているから、何かと安心。

バスは何時間か毎に、休憩のための停車をはさむけれど、これが10分と言えば20分、20分と言えば40分間必ず停車している。
このままのペースでは、まず定刻には着かないだろう・・・。

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サルバドールで聴いたフォホー 27 abril 2006

2006-04-27 | Brasil
朝から散歩してみる。
海岸の方へと下に降りるコメルシオ地区に行ってみた。
定食屋で「ダ・メ・スーコ・デ・フルータ・ポル・ファボール」(ほとんど全くスペイン語みたい・・・)と言ってミックスジュースをお願いする。
フルーツジュースと頼むと、なぜかミックスフルーツジュースが出てくる。
1.6ヘアルでコップ2杯分くらい。
プチ贅沢である。

これはアセロラのジュース
これはアセロラのジュース.jpg


晴れていた空が急に曇りだして、今日も雨が降ってきた。
サルバドールは毎日雨、雨、雨、雨続き。
一日中降る事こそ少ないものの、傘は手放せない。
現地サルバドールの人の話によると、丁度今、6月くらいまでは雨期だそうである。

出掛けには良く晴れていたので、油断して傘を持ってこなかった。

しかし、当地サルバドールでは、キューバのハバナやサンチアゴといった都市のようには朝から晩まで音楽に溢れているわけではないので、日中はやる事もなくとにかく良く歩き回る。
平均したら日に15キロは歩いているだろうか。



午後は顔なじみになった、ペロウリーニョからコメルシオ地区とは反対へと下った繁華な通りにある定食屋へとご飯を食べに行く。
今日は牛肉の定食。付いてくるものは鳥を頼んだときと殆ど全く変わらない。
サラダにキュウリがないと葉っぱ以外は全てトマトになってしまうくらいのものか。
今日もノビ・スキンを一本付けてもらう。

大体、海外にいると、必要な水分の殆どをビールで補ってしまう。
すぐ汗になって飛んでしまい、全然酔わない。



夕方、ブラジルに来てから二度目のインターネットをしてみた。
このマシンでは日本語が読める。
が、残念ながら和文を入力する方法がわからない。
メールの返事をアルファベットを使って出す。
西文、英文、それからニホンゴ。

そうしてインターネットをしていると、何やら打楽器集団の音が外から聞こえてきた。
夕方になると、この街の音楽はようやく動き出す。
昼間はカポエイラを伴奏するビリンバウの響きばかり。

聞きに行きたいのを我慢して、なおもe-mailを書き続けていたが、今度は愉快なフォホーの楽団の音が通り過ぎていったので、たまらずネットを中断して外へ飛び出す。
すでに楽団はいなかった。

そのまま宿に戻ろうとすると、ぽっちゃりとした黒人の売春婦に捕まった。
中々離れてくれない。商売だものね。
気が合いそうな、ほがらかで中々感じのよい子ではあったが、今回もご遠慮させて頂くことにする。




その後しばらくして、いよいよ待ちに待ったフォホーのライブを見に行ってみることにする。
会場はペドロ・アルカンジョ広場と言い、しかし広場とは言いつつも入り口が狭くパティオ(中庭)の様になっているので、場所が少々わかりづらい。

広場への入り口
ペドロ・アルカンジョ広場の入り口.jpg

ゆく道の途中、太鼓の音がするので寄り道してみたら、それはなんと少年少女たちのみの打楽器集団であった。
その指揮をとるのも少女。
演奏はつたないが、これはこれでよい感じだ。
おそらくプロの団体のユースなのだろう。
みんな楽しそうに演奏している。
時折シンプルなキメをはさむ。
大変わかりやすい音楽。
スルドーのパフォーマンスにどこか和太鼓に通じるものを感じる。



さて、会場に到着してステージを見渡してみれば、バンドはドラムの入った現代的な編成のようだ。
間もなく演奏が始まった。

彼らのフォホーはダンサブルに常にオンビートをキックでキメてくる。
「ドッド・ドッ、ドッド・ドッ」というように。
私にとってはさっき街角で聴いたフォホーの方が心地よかった。
これだけ拍のアタマを押さえられてしまうとどうも窮屈だ。
これなら「ドッドー・ドッドー」という、教則本にバイオンとしてよく出て来る形の方がもっと躍動感を感じさせてくれそうだ。

しばらく聴いた後、会場をあとにする。

しかし、これで私の聴きたいフォホーの音が益々鮮明になってきた。



会場を出て宿に向かって歩いていると、またどこからか太鼓の音が聞こえてくる。
今度の大人の演奏する打楽器集団。
こちらはさすが、演奏もしっかりとしている。
至近で聴いていると耳が痛い。
すごい迫力だ。
特にリーダーの叩くアドリブソロは、まるで雷であるかのように辺りへと響いてゆく。
スルドーが行進するかの如く拍を刻んでいる上で、小さい太鼓やスネアドラムがブラジリアンクラーベ、3:2ソンクラーベなどを刻む。
さらにそのビートに乗っかる形でリーダーの叩くアドリブが炸裂する。

しばらく見ていると、楽団はさらに下る坂道を下の方へと行進していった。

ふとした瞬間にこんな形で色々な音楽が舞い降りてくるサルバドールは、やはりエキサイティングな街だ。

楽団とは反対に、少し上に登っていくと今度はレストランの一角でギターの弾き語りをしていた。




話題は変わるが、私はどうもこの年にしてブラジルでは少年、青年に見られる。
ご年配の婦人などはまず百パーセント、私の事を少年呼ばわりする。
それによってみんな助けてくれたり、手加減してくれたりするから、得な事も多いけれど。
アジア人・・・外国人である私の年齢は、彼らにとってはどうもかなり不明なものであるらしい。

もう一つ彼らの認識について。
ブラジルに来て気分がよいのは、誰もが私に「ジャポネーズ(日本人)!」と声をかけてくる事。
これが他のラテンアメリカ諸国では、こうはいかない。
ほぼ百パーセント「チーノ(中国人)!」だ。
日本は中国の領土の一部だと思っている人も多い。
中文が声に出して読めなくて、なぜ?と不思議がられた事も・・・。

日本からブラジルへは移民の歴史があり、住んでいる日系人も他の国に比べればずっと多いからそうなのかもしれない。
どうもブラジル人にとって日本は親しみのある国のうちの一つのようだ。

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サルバドールの守護、ボンフィン教会へ 26 abril 2006

2006-04-26 | Brasil
昨晩から色々と考えたあげく、5月1日 月曜日までの予定だったサルバドール滞在を4月28日金曜日までにと3日間縮める事にした。

昨晩のスクリーンでみたオロドゥンのコンサートが思ったようなものでなかった事が大きいかもしれない。
オロドゥンの音楽は、少し私にはシンプル過ぎるように感じた。
とはいえ、こういったシンプルさは大衆にアピールする可能性をおおいに秘めているので決して悪いものではないと思う。
またオロドゥンの持つリズムは非常にファンキーでソリッドである。

しかし、複雑なシンコペーションが精密にからむキューバ音楽を聴き慣れてしまった私の耳に、それを存分に楽しむ事などはもう戻れない感覚であるかもしれない。
そして今はさらに北部の音楽を存分に楽しみたいという気持ちが強くなってきているので、こちらでの滞在を縮めた分、北部のリゾート都市ナタルへの滞在を増やしてみようと思う。これは日本からブラジル・サンパウロへと向かう飛行機の中で決めた今回の旅程では、訪問するつもりのなかったところではあるが。

そうと決めたら早速ホドビアリア(長距離バスターミナル)へチケットを買いに行く。
次の目的地、フォルタレーザ行きのチケットを買った。
4月28日20:00発レイト(寝台)145ヘアイス。

ホドビアリアから道路を横切った正面にイグアテミという大きなショッピングセンターがあるので、そこでお昼ご飯にでもしようかと思って行ってみる。
が、丁度お昼時で席を探すのが難しいくらい混雑していたので、あえなく撤退する。
人混みは非常に苦手なのです。


そのまま、あの有名なボンフィン教会を訪ねてみようと思い、Ribeira(ヒベイラ)行きのバスに乗る。1.9ヘアル。
13:25発、13:43ラセルダエレベーター前着。13:55ボンフィン教会前着。

サルバドールの守護教会、ボンフィン教会
ボンフィン教会.jpg

ボンフィン教会前のバス停へと到着しても雨は止まない。
教会のある少し小高い丘に登ると、ここには物売りが集団となって立ちふさがってちょっと面倒なところだ。
なんだかんだとボンフィンのリボンを手首に巻き付けようとしてくる。
このリボンを巻かれてしまうと、ものすごい物売り責めにあうこととなる。

しばらく教会の中やその周辺をうろうろした後、宿へと戻る事にする。
オニブスは下町コメルシオ地区を通り過ぎると、宿のある上の地区まで登る事を知っていたので、なるべく宿に近いところで降りようかと思い、そのままバスに乗っていたら次の停留所は思いのほか先の方で、目的地付近とは遠く離れてしまった。

バスを降りた後、道路にかかる案内標識を頼りに宿のあるペロウリーニョ歴史地区を目指す。

途中、定食屋の兄ちゃんに呼び止められたので、そのままお店へと入ってみる。

定食屋の兄ちゃんと
定食屋の兄ちゃんと.jpg

色々と話をするのだが、真の地元人、というか、外国人慣れしていないブラジル人と話をすると、いくらゆっくり喋ってくれといってもスピードは緩まないし、ごく普通にポルトガル語で話かけられるから、かなり聞き取りに苦労する。
サッカー、日本が何とか杯でどうしたとか、そんな事なのですが、私はその話題に疎かったため増々何の事かわからない。
こちらの話す事は大抵理解してもらえるのですが。

不意に「ガロータはどうだった?」と聞かれる。
どうやら女の子の事をガロータと言うらしい。
そう言えば先日、宝石商のヒタさんに「あなたはガトー(猫)だわ」とお世辞を言われた事を思い出した。
男の比喩が「ガトー」だから、女の子の比喩は「ガロータ」。
ヒタさんの話によると、ブラジルで猫は良い意味の喩えになるそうだ。逆に犬の比喩は悪い意味になるそうである。

ここでピンと来た。
ジョビンの名曲「イパネマの娘」のタイトルがもつニュアンスを今、突然理解出来た気がする。
それはただの女の子ではなく「ガロータ」なんだ。
子猫ちゃん・・か。

そうこうしているうちに、注文した鳥のフィレ肉定食の皿が次々に出てきた。
ブラジルもキューバも似たようなもので、定食はタイ米のご飯にあずきのスープ、フライドポテトにサラダ、それに主菜の肉料理。
これにご当地ビール「ノビ・スキン」を一本つけてもらう。

鳥のフィレ肉定食とノビ・スキンではなくスコール
鳥のフィレ肉定食.jpg


ようやく宿へと戻る。

夕方旧市街へと散歩に出たら、黒人の女の子が私に声をかけてくる。
スラッとした細身の、中々のガロータだ。
あまり気にもせず歩いていると、ずっとついてくるので近くの展望台で腰掛けて少し話をした。
「カポエイラはやらないの?」と言って、独特の回し蹴りを見せてくれたりする。
実はこの時、私は少し頭痛がして早く宿へと帰りたかった。
このガロータはよりによってこんな日に「ビールを飲みに行こうよ」なんて言い出す。

大変残念だけど、その場をおいとまさせて頂くことにする。
少し熱があるようだ。
今夜は街も静かなので、予定されていたアシェのグループのコンサートも中止になってしまったのかもしれない。

ガロータと話をした眺めの良い公園
ガロータと話をした公園.jpg

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サルバドールで見たホーダ・ド・ショーロ 25 abril 2006

2006-04-25 | Brasil
午前中から今度こそ自分の足で街を巡ってみる。
まずは黒人達の手によって建てられたというホザリオ・ドス・プレートス教会を右に見ながらペロウリーニョ広場を下り、降りきったところを左へ曲がる。さらにもう一度細い路地に入りずっと下っていく。すなわち、昨日ホナルド君に教えてもらった道を下りてコメルシオ地区という、ペロウリーニョの崖の真下にある街を散歩してみる。

ホザリオ・ドス・プレートス教会
ホザリオ・ドス・プレートス教会.jpg

コメルシオ地区
コメルシオ地区.jpg

電気屋でコンセントを分岐する三口タップを買った。
ブラジルのコンセントは日本やアメリカ合衆国の型のものも、ヨーロッパ系の丸い差し込みピンのものも両方させるようになっていてとても便利である。

一通り下の街をまわって有名なラセルダエレベーターに乗り、再びペロウリーニョへ。

ラセルダエレベーター
ラセルダエレベーター2.jpg

エレベーターで上ったところにある広場がリオ・ブランコ宮殿前のトメ・ジ・ソウザ広場。広場を抜け左へ進むとすぐ旧ブラジル総督公邸前の細長い広場、ここには噴水がある。目の前が横向きのバジリカ大聖堂。バジリカ大聖堂の正面がジェズス広場。左手にサンペドロ、ドス、クレゴリス教会を見ながら広場を進んだ正面はサン・ドミンゲス三世教会、右奥に見える広場に道路をまたいで入るとその正面が、黄金で名高いサン・フランシスコ教会だ。

リオブランコ宮殿
リオブランコ宮殿.jpg

一通り散歩して宿へと戻ろうとしたら、ツーリストインフォメーション前で、先日カンドンブレツアーでお世話になったツアー会社の、日本語も話せるジャクソン君とばったり会ったのでしばらく話し込む。

ジャクソン君と
ジャクソン君と.jpg

すぐ目の前にある、宝石店へ一緒に行ってみる事にする。
店の女主人、ヒタさんとは、偶然にも生年月日が全く一緒で意気投合する。
いろいろな宝石を見せては詳しく解説してくれるけれど、残念ながら石っころには、あまり興味がないのである。
それにうっとおしいじゃないですか、指輪とかブレスレットとかネックレスとか。
とはいえ、これだけエメラルドを中心に見せて頂くと、どんな石がより価値を持つものなのか、少しわかってくる。
ありがたいことである。

宝石店の入り口にて
宝石屋の入り口にて.jpg

宝石店の隣にある土産物屋の入り口にて
宝石屋の隣.jpg

そうこうしているうちに夕方が迫ってきたので、おいとまさせて頂く事にする。
そう、この後、ビラ・ベーリャ劇場で大変楽しみにしているホーダドショーロがあるのである。
少し遅れて17時半頃会場に着くと、すでにショーロは始まっていた。フルートに弦楽器三名、それに打楽器(パンデイロと横向きのスルドー?)といった構成。
こうして聞いているとフルート奏者、石井幸枝さんがショーロに惹かれるのもよくわかる気がする。
この編成の中でただ一人息のはいるフルートはひときわ艶やかで表現力があるように感じる。

今晩はステージでありながらもホーダなので、演奏者が次々と入れ替わる。
演奏者によるプレイの違いがよくわかるので、これがまた、ありがたい。
打楽器、スルドーもパンデイロも何人か出てきたけれど、色の黒い人ほどビートの切れがよく、また音がよく通る。
正確、不正確といったものではなく、ビートの躍動感といったものが全く違う。
打楽器は黒人に任せておけという事であろうか。

曲のテンポは非常にゆったりとしたものからとても速いもの、もちろん中庸なものとバリエーションに富んでいる。
今日の、この音楽は私の心にとても響く。

ショーロの音楽は、ヨーロッパの和声感覚とアフリカのリズムが上品に、絶妙なバランスでミックスされて非常に魅力的なものに感じる。
時にアドリブが混ざるが、長音階と二種の短音階を使ってアドリブするので、アドリブの苦手なクラシックの人にもこれはとっつきやすいのではないか。
逆に、ジャズをお勉強してしまった人にはオルタードやコンディミといった武器が禁じ手となってしまうので、辛いところがあるかもしれない。

ステージは一度入れ替わり、カシオトーンみたいなキーボードが二台出てきて、女性奏者二人による鍵盤でのショーロとなる。
しかし、どうも、あの安っぽい電子音は頂けない。
とはいえ、貴重なものを聴かせて頂いた。


ステージは、再び最初と同じ編成に入れ替わる。
気が付いてみれば、入った時にはガラガラだった客席が楽器を持ったお客さんで一杯である。
ショーロはリオだけのものではない、と実感する。
実際、今日の演奏は愉快で美しくて、素晴らしい。

宴もたけなわの頃、後ろ髪を引かれながらも会場を後にする。
なぜかというと散歩していた時に、野外ステージへとスピーカーを開けていたお兄ちゃんに今晩ライブがあり、雨天でも決行するという事を聞いていたからだ。
降りしきる雨の中、会場のジェスス広場へと行ってみると、何とPAが撤収されてしまっている。
さすがにこの雨ではやらないらしい。

今日は日が悪かったと思い、あきらめて宿へ戻ろうとすると、宿と一本違いの路地に人だかりができている。
何だと思って行ってみれば、オロドゥンのコンサートがあるという。
かなり迷ったけれど、この人混みの中で見ても楽しくないだろうと考えてパスすることにした。

オロドゥンの野外ライブ会場
オロドゥンの野外ライブ会場.jpg

私は例えば行列の出来る店の行列には決して加わらない。それなら空いている他の店で気分よく食べる。
並ぶの苦手なんです。

あきらめて帰る途中、今度は何やら集団で叩く太鼓の音がする。
何かと思い行ってみると、打楽器集団のパフォーマンスであった。

道ばたの太鼓集団
道ばたの太鼓集団.jpg

派手でわかりやすい。
このシンプルなわかりやすさは、大衆の心を掴むのではないか。
どこか、組太鼓のパフォーマンスとも似ているものを感じる。
キューバのリズムが持っているような複雑なシンコペーションはここにはない。
スルドーの作る大きな二拍子にのって、甲高い音のする太鼓たちが揃ってクラーベ系のリズムを刻む。
ときおりシンプルなキメを挟む。
すごい音量である。
生楽器なのに私の耳には痛い。

しばらく聞いた後、今度こそ宿へ帰ろうとする。
が、オロドゥン野外コンサート会場前の大スクリーンにLiveの様子が映し出されているのが目に入ってしまい、しばらく見続けた。
リズムの組み立ては先ほどの打楽器集団とほぼ同じである。

それは、私の思い描いていたオロドゥンとは少し違うサウンドだった。

しかしサルバドール、音楽に溢れた街である。

この後も明日アシェのグループ、そして明後日にはいよいよフォホーを聴く事ができる。
私はこのフォホーを特に楽しみにしている。

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サルバドールへ 24 abril 2006

2006-04-24 | Brasil
朝、街は本当に祭りの後の様子だった。
何か抜け殻のようである。
11:10発のコメルシアル、12ヘアイスでサルバドールへと向かう。
13:00着。

まずホドビアリア(長距離バスターミナル)にあるツーリストインフォメーションで音楽の中心地、ペロウリーニョ付近の宿を紹介してもらう。

ツーリストインフォメーションで紹介された宿というのは大抵当たりである事が多い。
紹介された宿へとタクシーで向かう。27ヘアイス。
宿はポウサーダ・グローリア、五人部屋を一人きりで借りて一日30ヘアイス、とにかく広い。

中々快適なポウサーダ・グローリア
ポウサーダ・グローリア.jpg


窓もあって室内は明るいし、眺めもよい。

宿の窓から眺めた風景
窓の外の景色.jpg

ラランジェイラス通り、オロドゥンの学校の隣の隣、この宿はペロウリーニョでは、何を聴くにも最高に便利な場所だと思います。

荷をほどいたらさっそく街へ出てみる。
突然勝手に観光案内を始める人が出てきた。
かなり怪しいけれど、面白そうなので、お供させる事にする。
と、言っても何か契約するわけでもなく、案内するに任せるだけなのだけれど。
彼の名は、ホナルド君、とても熱心に有名な教会やら、ラセルダエレベーターを使わずに下の街へと降りる道やら奴隷市場の地下にある奴隷がつなぎとめられていた所やら、いろいろと教えてくれる。
おまけに日本人の女の子まで紹介してくれた。

ちょっと怪しいガイド、ホナルド君
ちょっと怪しいガイド、ホナルド君.jpg

宿近所にある黄金のサンフランシスコ教会
サンフランシスコ教会.jpg

この先に秘密の抜け道が
この先に秘密の抜け道が.jpg

有名なラセルダエレベーター
ラセルダエレベーター.jpg

奴隷市場の地下・・・ここに黒人達はつなぎとめられていた。大変暗く、じめじめとした場所。
奴隷市場の地下.jpg

市場で教えてもらったカバサの実も興味深かった。
カバサの実.jpg

目的であったカンドンブレツアーまで案内してくれたので、それはせっかくなので予約していく事にする。

さて、本当はちょっと買い物がしたくて出ただけなのに、されるがままに観光地巡りを2時間ほどもしてしまい、じゃあと別れようとすると、案の定ガイド料を請求してくる。
100ヘアイスだと言うが、何とか10ヘアイスで納得してもらった。

ホナルド君とお別れした後、カンドンブレツアーの集合時間までほとんど時間が無くなってしまい、あわててシャワーを浴びに宿へ帰る。
シャワーを浴びた後、急いで集合場所であるツアー会社へと向かうが、迷いまくってなかなかたどり着かない。
そう、街を一巡りしたと言ってもホナルド君任せだったので、土地勘がまったく身に付いていなかったのである。
一巡りしてわかった気になってしまい、油断して、地図を全く見なかった。
この街、ペロウリーニョ歴史地区は、大きな広場をつなぐ道以外は登り下りが多く、また十字に交差しない道も多いので、少しわかりづらい所がある。

記憶ではペロウリーニョ広場に面してツアー会社はあったので、道行く人に「ペロウリーニョはどこですか?」と聞いても、誰もが「ここがペロウリーニョだよ」と言い、釈然としない。
後で調べてみるとよく写真に出てくるペロウリーニョとはペロウリーニョ広場の事であって、ペロウリーニョとはこの歴史地区全体を指すらしい。
冷静に地図を見てようやく進むべき道を見つける。
息せき切って、大汗をかきながら10分ほど遅れて集合場所へとたどり着く。
もうダメかもしれないと思ったけれど、間に合ってよかった。

ペロウリーニョ広場
ペロウリーニョ広場.jpg


もっと大きなものを想像していたが、私の他、ヨーロッパ系の女の子二人のみの小さなツアーである。

車で会場のあるファベーラの一角へと向かう。
カンドンブレの儀式が始まるまでガイドの説明が続く。

さて、儀式が始まった。
演奏する側は打楽器と歌である。
打楽器は3つのコンガ状の太鼓、それにアゴゴベルである。
3つの太鼓のうちミドルサイズはオンビートの、スモールサイズはオフビートでンッタカ、ンッタカとそれぞれ定型リズムを叩き、一番大きい太鼓がアドリブでソロをとる。
一番大きいけれど、音程は一番これが高い。
アゴゴベルはサンバを連想させるようなリズムを叩いているが、時折クラーベを叩いたりもする。

この人達はやはりヨルバだ。
3つの太鼓のコンビネーションが他のヨルバ系太鼓とも共通するものを持っている。
キューバのルンバはやはり中域、低域の太鼓が定型リズムを叩き、その上に高域を担当する太鼓のアドリブが乗る。
バタは両面太鼓で演奏されるからアドリブが最低域と最高域で構成されるが、コンセプトは変わらない。すなわち二つの太鼓が定型リズムを刻み、その上でもう一つの太鼓がアドリブを取る。
ベネズエラにはマラカイボ地区にチンバンゲレというリズムがある。
これもお父さん、お母さんと呼ばれる二つの太鼓が定型リズムを刻み、その上で子供と呼ばれる太鼓がアドリブを取る。


しかし、今見ているものは本当に儀式なのであろうか。
行われている最中に入り口からの出入りは激しいし、時にあくびや雑談している姿も見受けられる。
どうも私にはただのルンバ大会にしか見えない・・・純粋に演奏したり踊ったりするのを楽しんでいるだけのように見える。

時折見せるトランス状態も演技ですし、ちょうど3時間程見て、ますます盛り上がる儀式の場をおいとまする。


藤田浩司-koji fujita-
DrumStudio LA FIESTA

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「ミカレタの祭り」 23 abril 2006

2006-04-23 | Brasil
本日日曜日、午前中はまったく音がしないので、フェイラ・ジ・サンタナ市内を散歩してみる。
フェイラ・ジ・サンタナ市はバイーア州では州都サルバドールに続いて2番目に大きいそうである。
1回歩いただけではよくわからないけれど、しかしどうやら思いの外小さい町である様子。

午後1時くらいからトリオエレトリコの音が宿まで聞こえ出したので、宿を飛び出して見に行ってみる。
会場に一カ所常設ステージがあって、その前をトリオエレトリコの車が通る度に、エールを交わしあったり、一緒に歌ったりしている。

常設ステージの様子
常設ステージ.jpg

会場でビールを飲んでみた。
当地では、NovaSchinとSkolという銘柄がポピュラーなようだ。
Skolはマレーシアリゾートでよく飲んだので懐かしい。

昼間は昼間で、トリオエレトリコ以外にもマルシャのパレードが通った。

マルシャのパレード
マルシャのパレード.jpg

本物を見るのは、初めてだ。
また、これはかなりエキサイティングなリズムだ。


さて、夜になった。やはり夜の人手はすごい。

演奏する車の後に必ず一台、観衆を乗せた車が通り、その車の前部・後部にしつらえたお立ち台みたいな場所で踊り子さんが踊っているのだが、その格好がすごい。
もしかしたら前には小さな布が一枚あるのかも、といったいでたちで、あとはボディペインティング、さすがはブラジルである。
この露出度はキューバもかなわない。

さんざん見て疲れたので23時頃、帰る事にする。
帰り道の横道で何か音がするので足を向けてみると、打楽器隊がサンバを演奏していた。
打楽器と歌のみのサンバがとてもお祭りっぽい。その演奏に乗って次々とパレードが通る。
トリオエレトリコの大音量で疲れた耳に、生の打楽器の音が心地よい。

この2日間で本当に色々なものを見た。もう帰ってもいいやっていうくらいのものである。
この先、まだまだ続くブラジル見聞がますます楽しみになってきた。

藤田浩司-koji fujita-
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フェイラ・ジ・サンタナ市へ 22 abril 2006

2006-04-22 | Brasil
早朝6時半に青木宅をおいとまする。
重ね重ねながら、大切なライブの当日に朝早く起こしてしまう事の申し訳なさよ。
かと、言って黙って立ち去るのも礼儀の問題、鍵の開け閉めの問題等あり出来ぬ事・・・。
別れを惜しみつつ、タクシーで国内線専用のコンゴーニャス空港へと向かう。

7時頃には空港へと到着し、早々にチェックインを済ませる。
そのチェックインは非常にスムーズであった。

8:57発のTAM JJ3216便は各駅停車であった。
まず10時にミナスジェライス州の州都、ベロオリゾンテ市へと降りる。

この街もミナス派の本拠地として音楽が面白いらしい。
また近くにはオウロプレットという世界遺産の街がある。
時間が許せば、これらにも是非寄りたかったのですが。

その後ようやくサルバドールへ。
12時ちょうど着。
涼かったサンパウロから、いきなり熱帯へとやって来た事をじっとりとにじむ汗に感じる。

空港のツーリストインフォメーションでホドビアリア(長距離バスターミナル)へ向かうバスの停留所を聞き出し、言われたとおりに空港一般駐車場裏の停留所でサンジョアキン行きのバスを待つ。
しばらく待っていると、他の旅行者から声がかかった。
誘われるがままにタクシーに相乗りする。
ホドビアリアまで一人15ヘアイス。
ちなみにサルバドールの空港は、市街地までやたらと遠いので気を付けた方がよい。

ホドビアリアで次の目的地、フェイラ・ジ・サンタナ市への切符を買ってバスに乗り込む。
12ヘアイス。フェイラ・ジ・サンタナ市へのバスは頻繁に出ているようだ。

フェイラ・ジ・サンタナ市の事を知るものは少ないと思うが、当市はバイーア州の中で州都サルバドールに続いて二番目に大きい。
そして4月のカーニバル「ミカレタ」は、この時期のカーニバルとしてはブラジル最大のもので、知る人ぞ知る大イベントなのだ。
私はそれを当市のインターネットサイトで知った。
ただし、ブラジル到着時と日程が重なる事もあって、当初来訪する事を半ば諦めていたのだが、カナさんの強い勧めもあり思い切って強行日程を組んで、ここへと来る事にしたものである。運良く思い立った翌々日の航空券も取れた。
これは何か巡り合わせがあるに違いない。

2時間かけてフェイラ・ジ・サンタナ市へと向かう間、雨に降られてちょっと天気が心配になったが、着いてみれば当地、フェイラ・ジ・サンタナ市の天候は晴れ。

ここでの宿情報はまったく持っていなかったので、ホドビアリア周辺にある宿の一つに泊まる事にする。
1泊30ヘアイスでバス、トイレの他、テレビ、エアコン付き。ただし蛾等の虫が多いので、それらが苦手な女性が泊まるには適さないであろう。目の前にカーニバルの会場が見える。

そういうわけでホドビアリア付近が当地のカーニバル「ミカレタ」のメイン会場なので、すぐに宿を飛び出してカーニバル見物へと向かう。
ものすごく、それこそ日本で言えば、空港連絡バスよりも大きいトラックにしつらえたステージにバンドをのせて、車体にマウントされた巨大スピーカーからその演奏する音をまき散らしながらトラックは会場の道路をゆっくりと進む。
トリオエレトリコである。
ものすごい音量だ。この車に目の前を通り抜けられるとその瞬間、鼓膜が破れそうになる。

トリオエレトリコ
トリオエレトリコ.jpg

トリオエレトリコの楽器群
トリオエレトリコの楽器群.jpg



パレードする楽団の音楽は、レゲエやロックからご当地音楽までバラエティに富んでいる。

当地の音楽はサンバと同じように、スルドーのオフビート感覚がベースになっている。
ただし、ドラムセットやコンガ、ティンバレスも入って、サンバよりはずっとビートのキツい音楽をかたち作っている。
その他の特徴としては、いわゆるブラジリアンクラーベや3:2のソンクラーベ、あるいはルンバクラーベがピックアップされる事であろうか。
ドラムセットのハイハットは基本的には16ビートを刻み、またスルドーは複数個セットアップされていて、中にはオンビートを刻むものもある。
ベーシストもいる。エレキギター、時にはサックスなどもまじえながら、その上にボーカルが乗る。

ところでブラジル音楽を支えるこのサンバ系二拍子感覚は、一体どこから来たものであろうか。
一説にはアンゴラ系とも言われているが、同じアンゴラ系でもキューバのカラバリなどは徹底して6/8拍子を守り、サンバとはかけ離れたリズムフィーリングを持っている。


この日、なぜかサッカーブラジルナショナルチームのユニフォームにミニスカートをはいた男性(!!!!)があちらこちらに集団でたむろしていて、私は彼らの目にはモロ外国人に映り目立つから、彼らオカマに何度も囲まれては胴上げされ、またダンスを強要され、ちょっと参った。

オカマ
オカマ.jpg


道の途中でイスラエルから来た若者二人に声をかけられる。
カメラを持っていないので、写真を撮ってあとでメールで送ってくれとの事。
もちろん快く引き受ける。

延々とやって来るトリオエレトリコのパレードを適当に見て回った後、街中の薬局へ蚊取り線香と殺虫剤を買いに行く。
今回泊まった宿には窓ガラスがなかったので、蚊やら何やらの虫類に部屋へと進入されるのが心配だったからだ。
窓にガラスが無いというと、ひどい宿のように想像されるかもしれませんが、中南米の民家では日本に建つ民家の窓に見られるようなガラスサッシはなく、木製のブラインドになっているところが多いのである。

その後、一度宿へと戻ったが、辺りが暗くなる頃再び街へ出てみると、のんびりとしていた昼間からはまったく想像出来なかった人混み。普通に歩く事などとても不可能な程の密度で、人の波がどこまでも続く。

会場には二階建てになっている、メイン観覧席のようなものもあり、ひょんな事からそこにしばらくの間お邪魔させてもらう事が出来た。

ここから(二階席の高さ)からだと、トラックの上で演奏しているバンドがちょうど目の高さに来て、迫力が増す感じがする。

たくさんのバンドが通った中でもボディペインティングに羽根飾り、インディアンみたいな格好をしたチンバラーダには特に会場が盛り上がっていた。その時、隣にいた売り子のお姉ちゃんが、商売を忘れて踊り狂っているのを間近に見る。

Timbaladaのトラック
Timbaladaのトラック.jpg


宿に帰った夜半過ぎとなっても、今見たばかりの会場の様子をテレビで生中継していた。
いったいいつまで続くのだろう。

本当にこのミカレタを見に来てよかった。
大満足の一日である。

まだ序章に過ぎないブラジル音楽紀行が益々楽しみになってきた。

藤田浩司-koji fujita-
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サンパウロにて 21 abril 2006

2006-04-21 | Brasil
本日、遅い朝を迎え、カナさんの作ってくれたご飯を、ご主人と昨日のバンドメンバーと一緒に頂く。
ありがたや。

午後、DVDを見たりCDを聴いたりして過ごす。
ブラジル音楽の貴重な映像を現地ブラジルで、それをよく知る人たちの解説付きで拝見、拝聴出来たのは大変有り難かった。
こうして色々と観ていると、ブラジルはギターの国だな、と感じる。

その後CDショップへ行き、いくつか買うべきアルバムをカナさんに推薦してもらう。

本日、ブラジル独立の英雄、チラデンテスの祝日。それにより楽器店が閉まっていたのが痛かった。

夜は昨晩に続き、再びビラ・マダレーナへと行きシュハスコを御馳走になる。(やっぱタカリだ・・・)
ここではショッピ(生ビール)が飲める。
銘柄はベネズエラ修業時代にグルーポ・マデラのスタジオからの帰り道によく飲んだ「ブラーマ」。
渋い。大人の味のする、まさに苦み走ったビールである。
淡色ピルスナーの「クラーロ」、褐色の「カリオカ」、黒ビールの「オスクーロ」(とはいえシュバルツではなく、スタウトだったかも)

の3種類。
私にはピルスナーが一番良かった。昨日飲んだ「ボエミア」とはまったく違うテイストではあるが。

寝る前にカナさんが持っている、既に廃盤となってしまった貴重な音資料をMP3化して私のプレーヤーに詰め込んで頂く。
明日、大切なライブがあるのに、本当申し訳なく思います。

少しだけ日本とのメールのやりとりをして就寝。

後3時間半しか眠る時間はないけれど、なんだか元気でいられそうな予感。

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