スポーツドクターSのざっくばらん

スポーツ障害専門カイロプラクターによる奮戦記。

痛いけど痛くない

2013-04-18 11:52:11 | 想うこと

物事を客観視することは、なかなか難しい。

例えば、肉体に現れる痛み。これを客観視できている場合、「痛いけど痛くない」という状態が現れる。

もう少し、わかりやすく表現すると、「肉体は痛いが心は痛くない」ということだ。

肉体に痛みとして認識されているのだが、その痛みを完全に客観視できている場合、心の反応が止まっている。

それに対し、痛みを客観視出来ていない場合、心が反応(主観)しているため、それを苦痛と感じてしまう。

だから、痛みから逃げようとすればするほど、(この時点で心が反応しているため)痛みはどんどん増幅していくのだ。泥沼でもがけばもがくほど、どんどん抜けられなくなるかのように。

痛みから逃げず、どっぷりと味わって(観察して)やろうという「覚悟」が決まると、心の反応がピタリと止まり、既述した「痛いけど痛くない」という状態を経験する。

瞑想を始めた当初、座ってから30分経過した頃、必ず右股関節に痛みを感じた。その痛みは、時間の経過とともに増幅していき、最終的には激痛のために脂汗が流れ始め、体が震えだし、已む無く姿勢を崩すということを繰り返していた。60分同じ姿勢を維持できなかったのだ。

ある日、覚悟を決め、どんなに激痛でも60分間絶対に姿勢を崩さないと覚悟を決めて座った。すると、案の定、30分経過したころ右股関節の痛みがやってきた。さらに5分ほどで激痛へと変化。

「痛みから逃げず、どっぷり浸かってやろう」、「徹底的に痛みを観察してやろう」、「痛みに完全に身を委ねてやろう」という心の姿勢を貫徹。すると、肉体の痛みに対する心の反応が止まった。

「確かに肉体は痛みを感じている。しかし、心はそれに反応していない。だから苦ではない」という状態に至った。

しかし、一たび、集中力が途切れそうになると、心が反応し始め、苦(激痛)を味わうことになる。まるで綱渡りをしているかのような状況だった。

そして、気づいてみると全く姿勢を崩さず1時間座り続けることができていた。

さらに、その後の瞑想では、右股関節が痛くなることは、二度となくなっていた。

13年前、インドのアシュラムでの最初の気づきだった。

 

 

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