松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳
金澤ひろあき
三 旅日記について
そもそも旅の日記というものは、紀貫之、鴨長明、阿仏尼が文を奮い立たせ、旅情を述べつくして以来、その他は印象が似通っていて、同じパターンを改めることができていない。まして私のような浅い智恵で劣った才能の筆では及ぶはずもない。
その日は雨が降り、昼より晴れて、そこに松があり、かしこに何とかという川が流れているなどということは、誰でも言うように思われますが、黄山谷の詩の奇抜さと蘇東坡の詩の新しさのようでなければ言うな。そうではあるが、その所々の風景が心に残り、山中や野中の宿の苦しい悩みも一方では話の種となり、風や雲のような旅の便りともなるかと期待して、忘れぬ所々をまとまりもなく書き集めました。全く酔った者のたわごとに等しく、眠っている人がうわ言を言うたぐいに見なして、読む人もまたいい加減に聞き流せ。
金澤ひろあき
三 旅日記について
そもそも旅の日記というものは、紀貫之、鴨長明、阿仏尼が文を奮い立たせ、旅情を述べつくして以来、その他は印象が似通っていて、同じパターンを改めることができていない。まして私のような浅い智恵で劣った才能の筆では及ぶはずもない。
その日は雨が降り、昼より晴れて、そこに松があり、かしこに何とかという川が流れているなどということは、誰でも言うように思われますが、黄山谷の詩の奇抜さと蘇東坡の詩の新しさのようでなければ言うな。そうではあるが、その所々の風景が心に残り、山中や野中の宿の苦しい悩みも一方では話の種となり、風や雲のような旅の便りともなるかと期待して、忘れぬ所々をまとまりもなく書き集めました。全く酔った者のたわごとに等しく、眠っている人がうわ言を言うたぐいに見なして、読む人もまたいい加減に聞き流せ。
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