思い出すこと
金澤ひろあき
3月11日になりました。あの大震災から、9年が経ったのですね。
私が鮮明に思い出すのは、震災の翌年、2012年7月のことなのです。私が顧問をしていた高校の放送部が、その年NHK放送コンテストの全国大会へ出場できました。震災と原発事故の影響でしょうか、東京への旅行客が少なく、品川駅前のホテルが安く宿泊できました。
私の高校は決勝に進めませんでしたが、決勝の見学をNHKホールでしました。
その時、ラジオドキュメント部門で、岩手県の高校の作品でしたが、2011年3月12日の日記を朗読していたのです。
日記を書いた人は高い所に住んでいて、津波の被害を受けなかったのですが、海岸の方に住んでいた祖父母のことが心配になり、自転車で祖父母の安否を確かめに行く。その途中見たものを淡々と伝える。そんなドラマ(朗読)でした。淡々としていたのですが、事実を伝える言葉が重かったのです。
あのドラマを作った高校生は今、20代後半。その後、どういう人生を送っているのだろうか。なぜか、そんなことを思っています。
三月十一日 消えない虹を描きたい ひろあき
金澤ひろあき
3月11日になりました。あの大震災から、9年が経ったのですね。
私が鮮明に思い出すのは、震災の翌年、2012年7月のことなのです。私が顧問をしていた高校の放送部が、その年NHK放送コンテストの全国大会へ出場できました。震災と原発事故の影響でしょうか、東京への旅行客が少なく、品川駅前のホテルが安く宿泊できました。
私の高校は決勝に進めませんでしたが、決勝の見学をNHKホールでしました。
その時、ラジオドキュメント部門で、岩手県の高校の作品でしたが、2011年3月12日の日記を朗読していたのです。
日記を書いた人は高い所に住んでいて、津波の被害を受けなかったのですが、海岸の方に住んでいた祖父母のことが心配になり、自転車で祖父母の安否を確かめに行く。その途中見たものを淡々と伝える。そんなドラマ(朗読)でした。淡々としていたのですが、事実を伝える言葉が重かったのです。
あのドラマを作った高校生は今、20代後半。その後、どういう人生を送っているのだろうか。なぜか、そんなことを思っています。
三月十一日 消えない虹を描きたい ひろあき