DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

他人事では済ませられない高齢者の事故

2016-12-06 23:31:24 | 雑感

 最近、高齢者の運転による事故が連日報道されている。運転には自信があるし、まだまだと思う気持ちがまだ強い。しかし、確かに認知機能が低下しているのは否めないし、反射神経も大分鈍くなってきている。また、手足の動きも動作も昔に比べて不器用になってきている。私の場合、住環境からみて、車の必要性はあまりない。だから、運転するのも、妻を病院に連れて行くときと、妻を美容院に連れて行くときの月2回運転する程度で、ほとんど乗らないに等しい。以前は、田舎に住んでいて、タバコを買いに行くにも車が必要だったし、食料の調達も、車なしには考えられなかった。ああいう環境にいたら、車を運転できなくなったら、生活自体が成り立っていかないような状況だった。それを思うと、駅近くにマンションを購入していたのは、ラッキーと言える。

 しかし、事故は何も車の運転に限られてことではない。今日、危うく大変のことになりそうだった。夕飯の用意をしていて、チンゲン菜とひき肉、厚揚げを中華風に煮たのだが、チンゲン菜を刻むとき、まず分厚い固い部分を笊に入れ、次に柔らかい葉の部分を刻んで近くにあった皿に入れた。ところが、その皿は、昨日、洗うときに、シンク内に立てていたビンが倒れ、皿の縁の部分が掛けてしまった。そこで、接着剤で付けようと、掛けた部分を中に入れておいたことをすっかり忘れ、そこに葉を入れてしまった。そして、固い部分を痛め、それから柔らかい部分を入れて痛め、最後に、厚揚げと中華スープを入れ、片栗粉でとろみを付けた。

 食事をはじめ、妻が突然、何か固いもの入っていたと言って吐き出した。材料に固いものなどないのに不思議なこともあったもんだと不思議に思った。妻は出したとき、何が固かったのかとフォークで探っていたが、何も見つからなかったようだった。そのときすぐには気付かなかったが、食べている途中で、チンゲン菜の柔らかい部分を入れた皿のことを思い出し、何食わぬ顔をして、流し台の上に置いていた皿を見ると、あったはずの欠片がなくなっていた。これはやばいことになった。破片は一平方センチメートルくらいの大きさで、欠けたので、先が尖っていた。もし、食べてしまっていたら、大変だ。まあ、胃や腸は傷つくことなく通過するだろうが、便と一緒に出るときに、肛門を傷つけてしまうかも知れない。内心、おろおろして落ち着けない状態になった。が、ここで騒いだら、妻のことだから、もっと大事になり、救急車を呼ぶような騒ぎになってしまう。その場は取り繕って、何食わぬ顔でやり過ごし、妻のトイレや歯磨きを済ませ、一段楽したところで、妻が吐き出し、ティッシュペーパーに包んだものを調べてみると、皿の欠片が出てきた。欠片は二つに割れていたが、二つを合わせると、元の欠片に復元できたので、ようやく一安心。ほっと胸をなでおろした。

 皿を割ってしまったことも、割れた欠片を料理の中に誤って入れてしまったことも、注意力が落ちていたことに他ならない。これも、たぶんに高齢化に伴うものの様にに思う。高齢者の事故はまさに他人事ではなく、自分の問題だと思う。

 丁度、NHKのクローズアップ現代で、高齢者の事故を取り上げて放送していたが、まさに他人事とは思えず、真剣に見入ってしまった。まさに私にとってタイムリーだった。これからは一層気オ付けていくことにしようと思う。

コメント
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