明日へのヒント by シキシマ博士

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「妖怪人間ベム」 あらかじめ失われた主題

2006年08月18日 00時54分11秒 | 明日のためのテレビ(ドラマ以外)
TVアニメ「妖怪人間ベム」の旧作が初めて放送されたのは1968年。
今年、38年の時を経てリメイク版の放送が開始されました。
4月から始まったアニマックスでの放送は我が家では視聴することが出来なかったのですが、7月からTOKYO MXでも放送が始まっていた(火曜18時30分~)ことをこのほど知り、試しに観てみました。

まず感じたのは、画が今風になっていて旧作のような得体の知れない不気味さが無いこと。
でも、それはまぁ、目を瞑ります。
観ていくと、旧作と設定が変えられているところが幾つかあり、私にはあまり受け入れられないものでした。
旧作について簡単に説明すると、

人にも怪物にもなれなかった〝妖怪人間〟のベム・ベラ・ベロの3人。
彼らは、善の心を持ち続けることでやがて真の人間になれると信じ、各地を放浪しながら悪い妖怪を退治していくというお話。
この放浪する街というのが無国籍風で、それが、観る者に不気味さや不安を与えるのに効果的だった。
普段は人間の姿をしているベム・ベラ・ベロも、闘うときに晒す正体は、おぞましい姿。
むしろ相手となる妖怪のほうが、外見は美しかったりする。
〝本当に価値あるものは外見ではない〟〝本当の人間らしさとは何か?〟
当時子供の私も、子供なりに毎回そんな思考を巡らせながら観ていた。
また、ベロは、行く先々で同じ年頃の子供たちと友達になろうとする。そのたびに、自分の(妖怪人間の証である)3本指に気付かれまいと、そっとその手を背中に隠したりする。その姿が悲しくいじらしかった。
彼らは、命をかけて助けた人間からも謂われ無き差別を受け、追われるようにその街を去って行く。そんな繰り返しだ。
この不条理さは、子供心に深く刻まれた。そして思った。
人間の本当の価値は姿かたちではない。いかなる紛いごとにも人としての心を見失ってはいけないと…。
学ぶことの多い作品だった。

ところが新作では、

ベム・ベラ・ベロが人間の姿をしている時の指の数が5本になっている。(旧作では3本)
各方面から差別として取り上げられることへの、あらかじめの配慮なのだろう。
また、ベロの醜い正体をも差別せず受け入れてくれる少女を、レギュラーのキャラとして登場させている。
妖怪人間の心の闇と別に、少女とベロの心の交流を描こうとしているらしい。
その設定のため、旧作では街から街へ流浪していた3人が、新作ではひとつの街に留まって妖怪退治をしていくという話に変わっているらしい。

これって、どうなんでしょう?
差別問題を引き起こさないための配慮のつもりなのでしょうが、これでは本来の主題があらかじめ損なわれてしまっている気がします。
ベロの指が3本しかないこと。
理解してくれる者がいないこと。
彼らに安住の地がないこと。
これらを隠さず描いていたからこそ、旧作当時の子供たち(視聴者)は、自分こそがベロの友達(差別しない人間)になろうと思ったのではないでしょうか。
自らの問題としてしっかり受け止めたのではないでしょうか。
その役割を登場キャラに委ねてしまうのは違うと思います。
私は少女キャラは不要だったと思いますが…。

各エピソードは真面目に作られている感じなので、ちょっともったいない気がします。


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