どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ312

2008-10-10 23:28:32 | 剥離人
 仕事に慣れているS社のチームは、段取りもサクサクと進行している。

 それに引き換え、初心者二人を抱える我がR社は、佐野の手伝いがあって、どうにかこうにかS社のスピードに追いつくのが精一杯だった。
 今回の工事では、1,000m2のガラスフレークライニング(塗料中に鱗片状のガラスフレークを多量に混入した塗料:鋼材の腐蝕を防止する目的で使用する)を五日間で剥離しなければならない。ハスキー(超高圧ポンプ)一台で一日に剥離できる面積は、平均で80m2~100m2(ガラスフレークの場合)である。
 従って、S社のハスキーに応援を頼まなければ、五日間で1,000m2を剥離することは難しいのだ。

「ガロォオオオん!」
 二台のハスキーのエンジンが始動し、ハルと正木がカッパに着替える。
「うひょひょひょ、木田さん、ちゃんと教えてあげないと駄目だよ」
「大丈夫ですよ、僕がきっちりと教えますから。まず、ガンの持ち方はこうだからね!」
 私は、この仕事を始めた時にS社の伊沢から教えて貰った、両脚を大股に開き、斜め上に向けて大仰にガンを構える、かなり大袈裟な姿勢を作って見せた。
「うひゃひゃひゃ!いいねぇ、その足の開き具合が最高だよ」
 ハルが爆笑しながら、私の滑稽な姿勢を見て笑っている。
「気をつけないと、ハルさんも直ぐに追い抜かれちゃいますよ」
「うひょひょひょ、出来ればそうなって、俺も楽をさせて貰いたいよ」
「うはははは、それまではお願いしますね」
「いつになるんだかね…」
 ハルは笑いながらブツブツと言うと、エアラインマスクを持って、階段を上がり始める。
「正木さん、行きますか?」
「ああ、ちょっと待ってね」
 正木に声を掛けると、正木は頭に日本手拭を被ろうとしている。
「東京都中央卸売市場?」
 正木の手拭には、その文字が書かれている。
「ああ、昔ちょっと働いていた事があるんだよね」
 てっきり正木が元漁師かと思っていた私は、かなり意外だと思ったが、職人の経歴は詮索しない主義なので、黙っていた。

 地上40mの吸収塔の最上部に入ると、正木にガンの撃ち方をレクチャーする。
「うん、うん、なるほどね、ちょっとイイかな?」
 正木は私からガンを受け取ると、トリガーを引く。
「バシュぅううううう!」
 ガンのノズルが回転し、ジェットが噴射される。
「ザシュ、ザシュ、ザシュっ!」
 正木が私の見本を真似てノズルを回転させるが、ノズルのオフセットが離れすぎている。
「正木さん、ノズルと剥離面の距離が離れすぎ!」
 大声とジェスチャーで、エアラインマスクと耳栓越しの正木に伝える。
「ああ、もっと近づけるのね」
 再び正木は、ガンを撃ち始める。ややノズルを回すスピードが速いものの、中々筋が良い方だ。塗装業者として、サンドブラスト(圧縮空気に桂砂やガーネット等の研掃材を乗せ、剥離対象物に衝突させて剥離する工法)の経験があるのが活きている様だ。
「正木さん、こういう剥離残しも、きっちりと撃ち直して下さいね」
「ああ、こういうのも綺麗にするのね、了解!」
 四十分ほど正木の作業を観察して、いくつかのアドバイスと指示を出した私は、ハルとS社の職人二人の作業を確認しに行く。
 すでに塔内はガンから出たミストが充満し、カッパの中も汗でじっとりとして来る。エアラインマスクを被っている方が、新鮮なエアーがヘルメット内に供給される分、まだ快適に感じるはずだ。

「キュォオオオオン、バシュぅううううう!」
 さすがにこの三人はそれなりに場数を踏んでいるだけあって、見ていても安定感がある。
「あ、ちょっと…」
 私はS社の職人の肩に手を置き、細かい指示を出す。
「こういう所も、綺麗に剥離してもらいたいんですよ」
「これ?この白っぽい部分?」
「そうそう、細かくあちこちに残っちゃっているんで、こういうのもお願いしますね」
「はいよ」
 凶暴な松阪大輔の様な顔をした職人は、頷くと素直に作業を再開する。
 そして、ハルに至っては、いつも見ても彼の信条である、『仕事キッチリ』が剥離面にも表れている。
「ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ、シュバぁああああ、ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ…」
 仕事が上手い職人は、やはり何の作業を行っても、リズムが良い。音だけでもその仕事の出来が伝わって来る。
「どうなの、正木さんは!?」
 ハルが足場板の振動で私が来たのを感じたのか、ガンを止めて私に声を掛けて来る。
「そこそこ使えると思いますよ、中々筋はイイ感じですね」
「あ、そう!」
 ハルはエアラインマスクの目ガラス(四角い覗き窓)の中で、安心した様な笑顔を見せた。
「問題は、あの堂本君ですよ」
「うひゃひゃひゃひゃ!木田さん頼むよ、本当にぃ!」
 ハルは体を揺すりながら笑うと、再び作業を開始した。

 地上の作業用コンテナの前に戻った私は、怪しい挙動でウロウロとしている堂本を見て、何とも言えない不安な気持ちに襲われた。そして、この不安は的中する事になるのだった。

 
 


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