自分を守るためにウソをつく人々が多くいる。
ウソをついても真実は変らない。真実とは本当のこと。本当のこととはウソでない
こと。堂々巡りである。
旧橋本派の日歯連の1億円献金の裁判でどっちが正しいことを言っているか解らな
い。争いではどちらかウソをついている。
特に証拠がない言葉では顕著である。言った、聞いていないの争いは不毛な議論。
議論にもならない。
こんなことに国民の税金が使われていること知ってますか?
麻原の裁判でも国選弁護人に支払った報酬を皆さん知ってますか?国は公表して下
さい。そもそも誰がこの費用を支払う人は誰でしょう。小国民の私には解りませ
ん。
誰か知っている人教えてください。たぶん裁判だから法務省が手続きしているのか
な~と推測するしかない。
人の争いで報酬を得ている人々は?弁護士である。争いが起きると両者に弁護人が
つくこととなる。当事者に関係なく自分が依頼された人のために全力を尽くす。
全力とは報酬である。多くの報酬を得ることに奔走する。
私はこれを経験した。
これによって私は弁護士と言う人は怪しい人々であると思っている。日本の政党で
も弁護士の党首が就任している。怪しい人である。彼女の弁護の履歴を見ると左側
の人々を弁護している。私の息子の暴力事件の弁護士も弱者を守る共産党系の女弁
護士であった。弱者を守ると言いながら弱者をよそった人であった。
これ以来弁護士は私は信用していない。
この世のなか争いは増えているが人の不幸を食い物にする人々は尊敬に値しない。
息子と娘に伝えている。絶対にやってはならない仕事は悪徳、政治屋、泥棒、弁護
士、医者、葬儀屋、お寺の坊主、詐欺師である。
一般的に親として安定したと願う仕事は本当に怪しい人々の集まりである。
ひょっとするとコンサルタントと称する私が一番怪しい仕事かもしれない。
怪しい人々の中に本物の人がいる。本物を目指したい。人として・・・・・
涙目の秋田の爺さん真実を感じ、青森の爺さんの聞いていないウソを感じる。
同じ東北の人の一人として恥ずかしい。
ウソをついても真実は変らない。真実とは本当のこと。本当のこととはウソでない
こと。堂々巡りである。
旧橋本派の日歯連の1億円献金の裁判でどっちが正しいことを言っているか解らな
い。争いではどちらかウソをついている。
特に証拠がない言葉では顕著である。言った、聞いていないの争いは不毛な議論。
議論にもならない。
こんなことに国民の税金が使われていること知ってますか?
麻原の裁判でも国選弁護人に支払った報酬を皆さん知ってますか?国は公表して下
さい。そもそも誰がこの費用を支払う人は誰でしょう。小国民の私には解りませ
ん。
誰か知っている人教えてください。たぶん裁判だから法務省が手続きしているのか
な~と推測するしかない。
人の争いで報酬を得ている人々は?弁護士である。争いが起きると両者に弁護人が
つくこととなる。当事者に関係なく自分が依頼された人のために全力を尽くす。
全力とは報酬である。多くの報酬を得ることに奔走する。
私はこれを経験した。
これによって私は弁護士と言う人は怪しい人々であると思っている。日本の政党で
も弁護士の党首が就任している。怪しい人である。彼女の弁護の履歴を見ると左側
の人々を弁護している。私の息子の暴力事件の弁護士も弱者を守る共産党系の女弁
護士であった。弱者を守ると言いながら弱者をよそった人であった。
これ以来弁護士は私は信用していない。
この世のなか争いは増えているが人の不幸を食い物にする人々は尊敬に値しない。
息子と娘に伝えている。絶対にやってはならない仕事は悪徳、政治屋、泥棒、弁護
士、医者、葬儀屋、お寺の坊主、詐欺師である。
一般的に親として安定したと願う仕事は本当に怪しい人々の集まりである。
ひょっとするとコンサルタントと称する私が一番怪しい仕事かもしれない。
怪しい人々の中に本物の人がいる。本物を目指したい。人として・・・・・
涙目の秋田の爺さん真実を感じ、青森の爺さんの聞いていないウソを感じる。
同じ東北の人の一人として恥ずかしい。