女性管制官がアメリカで医者になった場合ーアメリカンドリーム

アメリカでアメリカンドリームを達成するには?
マーティンもと子(旧姓多尾もと子)の場合は?

ニアミスの悪夢

2010-11-03 14:23:29 | Weblog
私は、日本初の女性管制官として1990年に運輸省(現国土交通省)に入省し、1991年に退職するまで、管制の現場で実際にマイクを握っていました。
現場にいる間は日々の緊張からニアミスの悪夢にうなされたことが何度もありました。

夢なら覚めてほしいと夢の中で叫んでいた私・・・

自分の出した指示のために航空機が・・・

満席の大型ジェット同士がぶつかったら、500人+500人で最低限1000人の犠牲者がでます。
そして平均一人につき4人の家族がいたとして、ざっと4000人の人がさらに悲しむ・・・というような単純計算をよくして自分のなかの緊張度をさらに高めていたものです。

ちょうど2年ほど前、ようやく日本語でパソコンが使えるようになった頃、「女性管制管」で検索しましたら、偶然にも最近話題になった2001年に静岡県上空で起きたニアミスケースが出てきました。

私は、また、これは悪夢か!?と一瞬たじろぎ、もしかしてこれ、わ た しのこと?? 
私にも後輩の訓練をウォッチしたことは何度もありますしね。

そう、昔見た悪夢が蘇ってきたからなんですね。

はっきり言って緊張しないで仕事をしている管制官はいません

(【宮川光治裁判官の補足意見】今回の事故は2人が管制官として緊張感を持って意識を集中していれば、起こりえなかった。)

緊張していても間違えることがあるのが人間なのです。
人間の声による通信に頼る航空管制に聞き違えやいい違いはつきものです。
その人間の通信による管制の世界で個人の注意力によって安全を維持することを期待するには限界がありませんか?

医療の現場でも同じこと。
緊張して全力を尽くしたとしても、不幸にして間違いは起こりうるし、それが医療事故につながることはあり得ます。
日本では医療事故でもアメリカと違って刑事責任を優先させるようなそんな風潮がありますよね。
そんな中、医療関係者が萎縮していく、もう医者はできない、と一瞬でも思ったことのない方は少くないかも・・・と想像します。

幸か不幸か、私は人命を預かるという意味では共通のものがある航空と医療の世界でプロフェッショナルです。
なかなかできない二つの大きな職業を経験してみてこそ言えることでもあります。

個人の刑事責任をどうしても優先しがちな日本の法システムに疑問を持ちますね。
もちろんいい間違いが今回のニアミスのきっかけになった事実、それによってたくさんの方々が負傷されたことを否定しているわけではありません。

でも・・・

もっと注意していれば、
もっと緊張していれば、
もっと根性があれば、
もっとガッツを入れていれば・・・ということ?

ほんとうにほんとうにそれだけ???

ただただ日本の空の安全対策を個人の刑事責任より優先していただきたかったと残念でなりません。

日航機ニアミス事故、最高裁決定要旨
2010年10月28日22時58分

 日航機ニアミス事故で、管制官2人の上告を棄却した26日付の最高裁決定要旨は以下の通り。

 【多数意見】蜂谷秀樹被告が言い間違いで907便に降下指示を出した結果、空中衝突防止装置(TCAS)の指示で降下する958便と衝突する高度の危険性があった。蜂谷被告の訓練の監督者だった籾井康子被告が是正しなかったことも過失行為にあたる。

 907便の機長がTCASの上昇指示に従わず降下を続けた事情はあるが、異常操作とは言えず、管制官の降下指示を受けたことに大きく影響されたもので、誤指示とニアミスには因果関係がある。

 管制官2人は警報で異常接近を認識しており、TCASが958便に降下指示を出すことは十分予見可能だった。2機が降下を続けて異常接近し、衝突を回避するため急降下などの措置を余儀なくされ、乗客らが負傷する結果が生じることも予見できた。

 ニアミス発生の要因として、管制官の指示とTCASの指示が反した場合の優先順位が規定されておらず、航空機の性能が907便の機長に周知されていなかった(そのため、失速をおそれて降下を続けた)事情も認められるが、それは責任のすべてを2人に負わせるのが相当でないことを意味するに過ぎず、業務上過失傷害罪の成否を左右しない。

 【宮川光治裁判官の補足意見】今回の事故は2人が管制官として緊張感を持って意識を集中していれば、起こりえなかった。切迫した状況下では、管制官には平時にもまして冷静沈着に誤りなき指示を出すことが求められる。2人は907便から復唱があっても誤りに気づかず、不注意が重なっている。大惨事は間一髪で回避できたが、結果は重大で2人の行為を看過することは相当でない。

ヒューマンエラーを事故に結びつけないシステムの工夫が十分でなかったことは確かだが、情状として考慮しうるにとどまる。事故調査機関と捜査機関の協力関係には検討すべき課題があるが、刑事責任を問わないことが事故調査を有効に機能させ、安全性の向上に資するという議論は現代社会における国民の常識にかなうとは考えがたい。

 【桜井龍子裁判官の反対意見】誤指示が職務上の義務に反する不適切な行為であり、ニアミスのきっかけになったことを否定はしない。しかし、事故当時、TCASがいつ、どういう指示を出すか管制官に提供されるシステムではなかったことに照らすと、2人は指示の具体的内容を知ることはできなかった。

 TCASの指示に反することは極めて危険な行為で、907便がそれに反して降下を続けたのは、管制官にとって予想外の異常事態であった。従って、過失犯として処罰するほどの予見可能性は認められない。

 機長が降下を続けたのは、907便の航空性能情報が機長らに周知されていなかったことや、TCASの指示に反する操作の危険性に対する教育・訓練が不十分だった事情がある。機長の判断は客観的には誤っており、誤指示とニアミスの因果関係は認められない。

 航空機の運航のように複雑な機械とそれを操作する人間の共同作業が不可欠な現代の高度システムにおいて、誰でも起こしがちな小さなミスが重大事故につながる可能性は常にある。だからこそ、二重、三重の安全装置を備えることが肝要だ。弁護側は、今回のようなミスで刑事責任を問えば、将来の刑事責任をおそれてミスやその原因を隠す萎縮(いしゅく)効果が生じ、システム全体の安全性に支障を来すと主張するが、今後検討すべき重要な問題提起だ。