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自閉症児を抱えた医学生生活

2010-11-06 14:38:20 | Weblog
勉強勉強で追いまくられる医学生生活を長男の自閉症と向き合いながら送ったなんて言ったら、いったいどこまで信じてもらえることでしょうか。
ふつうは健常な子供を育てながらでもたいへんなものです。

ところが、私が実際に泣き言を言ったのは小児科の教授から「自閉症の疑いあり」と言われたときだけなんですよ。
そのあとはただただ前へ進みました。
辛いことはなかったといえばうそです。
長女(健常児)になかなか目が行かなかったことも事実です。
でも、私は泣きませんでした!

耐えられない試練が私に与えられているとは思えなかったから。



メディカルスクールの授業が3時過ぎに終わると、学生のラウンジのようなところへまっすぐ行って保育園のお迎えの6時半ぎりぎりまで勉強。
保育園から帰ったら夕飯をいっしょに食べ、少し遊んでお風呂にいっしょに入って寝かしつけながらそのまま私も休みました。
そして毎朝早く起きて、子供たちを起こす前に一生懸命勉強しました。

週末はよくマイアミビーチへ。
長男は、車の心地よい振動と、移り変わる窓の景色が大好きで お決まりのコースをドライブ。
車に乗っている間は、とってもうれしそうです。


コンチネンタルの機長さんご夫妻は、よくうちへ長女を借り出しにやってきました。
自閉症の息子を健常者と遊ばせると、自閉症児教育に効果があるから。

しかし、あまりに度がすぎるようになり、私たちが長女と接する時間がなくなるのを恐れて丁寧にお断りをしました。

また、Baudhuin Preschoolの年長組には一クラスだけ、高機能の自閉症児と健常児を半々に混ぜて教育するというクラスがありました。
私は、毎朝同じバスで学校に行ってくれ、放課後も同じバスで保育園へ行ってくれるという点で便利だったこともあって、長女をそのクラスに入れました。

すると、クリニカルのインストラクターの家庭医が、

「君、それはいかんよ!すぐに娘さんをそのクラスから抜きなさい!
もし、自閉症の子供の真似をし始めて娘さんをダメにしてしまってからでは遅いよ!」

といつにないきつい口調で私を責めたではありませんか。

で、一年長女の博子は自閉症児と過ごしましたが、結果は?
今現在彼女の自閉症児への理解度が誰よりも深いことは言うまでもありません。
先生のおっしゃった批判はまちがいだったことになりますね。
長女には高機能自閉症児の親友ができ、毎日いっしょによく遊びました。
今でもその子のこと、よく覚えているそうです。

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