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pride and vainglory -澪標のpostmortem(ブリッジ用語です)-

初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

学的争闘:大脱線❷薔薇の名前

2022-02-08 07:16:45 | Vainglory
 ウンベルト・エーコによる「薔薇の名前」の掉尾。<過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ>*がヨハン・ホイジンガ「中世の秋」第Ⅺ章にある12世紀中期のクリューニ会修道士バーナード・オブ・モーレーの詩の末尾”きのうのばらはただその名のみ、むなしきその名をわれらは手にする。”**から採られた可能性が高い事はかなり知られています。
 「薔薇の名前」のその前のページに、バーナード・オブ・モーレーの詩の冒頭とヴィヨンのバラッド「いにしえの美女のバラッド」中のあまりにも有名な一節”さはれさはれ、去年の雪、いまは何処”***が組み合わされた独白がある事から中世の秋台Ⅺ章死のイメージの当該箇所を下敷きとしている事は間違いないと思います。
 *薔薇の名前(下)383P:東京創元社1990
 **中世の秋(上)274P:中公文庫2014(23刷)
 ***ibid. 276P

 ところで、この”名前のみ残る薔薇”とは何か、発表当時から種々の意見が述べられています。❶普遍論争における唯名論的象徴、❷不在の神としての象徴、❸神の不意なる顕現としての薔薇❹エロティクな覚醒・法悦の顕現としての少女などなど。
 しかし下敷きとされた中世の秋のテキストに即して読めば全く違った解釈も可能です。””知的ペダントリー”。
 勿論ボルヘス的テキストなので、万華鏡のような多重解釈こそ至当だと思います。ならばその一つに上記””知的ペダントリー”=”衒いの幻術”とその向こうに不在のヨアヒムのフィオーレそれにバホメット・アンチクライスト・末日のメサイアたるフェデリコ二世の織り成す幻像としてのベガンを透かし見ることも可能と考えています。
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