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pride and vainglory -澪標のpostmortem(ブリッジ用語です)-

初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

インタールード 手記⓮

2020-08-19 08:37:09 | 「夢の回廊・現の碑」
 1909年の春、充分に休養を取った余は、レヴィンスキー氏とクラコウ・ルブリン・ワルシャワとイズラエル一族の旅路をたどり、最終的に文書がアメリカに渡った事を確認した。
 ワルシャワでの別れの際、レヴィンスキー氏は餞別を余にくれた。
 「門の転写が終わった以上もう我等に必要ないものとなったが、レヴィンスキー家の当主には門の守護者が暴走を始めた時にそれを強制的に押しとどめる呪文が伝わっている。何かの折に役に立つやも知れぬ。【オンマリミターユ。テイゼイカロン】これをあなたへの餞としたい。それともう一つ【知の体系】を生み出す場と素質は限られたものとは限らない事を憶えていて欲しい。ではさらば。」

 レヴィンスキー氏と別れた余は、かねての約束に従いロンドンに渡り、オックスフォードに滞在中のジェイムス教授を訪れた。
 心臓の発作と最近の著作の不評の故もあってか、ジェイムス教授の衰えぶりは、傍目からもすぐわかるほどであった。
 しかし、知的好奇心にはまったく衰えは見られず、余を見るといなや「探索行はどうなっておる。」と待ちかねたように口を開いた。
 一瞥以来の出来事および文書の性格及び行方についての説明を終えると、教授は「そんな所かの」と一言言った後30分ほど考えた後ゆっくりと話し始めた。
「かの文書の行方については約束をはたしておるぞ、もし文書があるならアイヴィーのどこかじゃ。
 先年スタンフォードにて授業を行った際、かの地にはない事を確認いたしたし、シカゴについてもスタンフォードよりの帰途立ち寄って確認済みじゃ。ランドグラントは実学の立ち上げ中心で、あのようなものにかまけている余裕は無いし、保守的な南部の大学は興味を持つ可能性は皆無と言ってよい。消去法で結論は決まったようなものじゃ。あの忌々しいバチカンがこちらで文書を手にいれたと言う情報は聞いて居らぬゆえ、アイヴィーのどこかにある事はまず間違いあるまい。 
 今ひとつの文書については、もしも残っているならば恐らくバチカンの焚書図書館かジェズイットの修道院のどこかにあるであろう。ドミニカンやヤンセニスト、カルヴァン派の手に渡っていたならば、とうに焼き払われているであろう。
 さすがによる年波で体のあちこちが言う事を聞かぬので、複数の仕事はこなせぬ。来年夏までは書き上げねばならぬ著作があるので、来秋にアメリカを訪れては如何かな。
 来秋ならば全面的に協力出来ようと言うもの、それまではイタリアとフランスにてジェズイット会の歴史を攫って見ては如何かな。そちらの方は貴兄のグランゼコールの肩書きで充分じゃろう。」

 「それでは来年秋お会いしましょう。」 余はジェイムス教授の助言に従い、フランスとイタリアのジェズイット会修道院を尋ね「魅惑の言葉絵」の探索に一年を過ごした。
 17世紀ボヘミヤのルドルフ2世のもとでは数種の驚異の書が知られていた事。少なくともその一つがアタナシウス・キルヒャーの手を経てジェズイット会長の書庫に入った事。 キルヒャーによるその「驚異の書」についての描写からみてその書が、「混沌の言葉絵の写本」ではなく「魅惑の言葉絵」の可能性が高い事などがわかった。
 しかしながら18世紀末のジェズイット会解散令の後の行方は「19世紀のジェズイット会再興の際返還されたのか、バチカンに収納されたままだったのか、それとも歴史の闇に消えたのか」ようとしてわからなかった。 
 ヨーロッパでの調査を切り上げアメリカに渡った余をまっていたのは、ジェームス教授死去の知らせだった。
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