南宋初期の軍人であった岳飛父子を謀反の疑いで投獄・処刑した当時の南宋宰相秦檜がその理由を問いただされて答として発した言葉とされています。「其事體莫須有」《宋史·岳飛傳》
古来、謀反を疑いが冤罪であったことを、秦檜が承知していた事を示す証拠として有名であり、「あったかもしれない、ないとは言えない。」と言う意味として解釈・使用されるのが一般的です。昨日のエントリーで使用したのもこの歴史的コンテキストに従ったものです。
しかし、もう少し詰めて考えてみると不思議な表現でして、中国語版Wikipediaの当該項目の冒頭は、歴史的な成句の成立を含め、その辺りをとてもうまく表現しています。
”莫須有為南宋時期中古漢語的口語,原意「或許有」(李敖解釋為「難道沒有」、「應該有」),以秦檜誣害岳飛之詞“該事體莫須有”而聞名,于今漸成成語,後人以之借代「誣陷的冤罪」,常說“莫須有的罪名”,有“欲加之罪、何患無辭”之意。”
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%8E%AB%E9%A0%88%E6%9C%89
簡単に言えば秦檜側に同情的な解釈の余地を残す絶妙の用語でもあると言う事です。
広い意味での漢字文化圏に属する我が国の伝統的言語世界は、万華鏡的な表現が可能であると同時に万華鏡的解釈の余地を排除することが困難だ考えています。
しかも一旦Vain Gloryに駆られたものが解釈敷衍すると、党派的色彩を帯びて増殖・変成して行きます。
原典に即し、時系列を確認し続けることが特に必要となる所以です。
上の文節は万華鏡となるよう、意識して書いてあります(笑)。脱線ついでに書きますが、京都学派(特に田邊元)の文章が難解なのは、厳密性を求めようとして漢字の万華鏡に陥ってしまった結果だと考えています。更に始末が悪いのは彼らの文章が、同様の教養圏(漢学・漢詩の教養とカント、ドイツ観念論の並存)に属する人間にとっては極めて明快であったことです。
古来、謀反を疑いが冤罪であったことを、秦檜が承知していた事を示す証拠として有名であり、「あったかもしれない、ないとは言えない。」と言う意味として解釈・使用されるのが一般的です。昨日のエントリーで使用したのもこの歴史的コンテキストに従ったものです。
しかし、もう少し詰めて考えてみると不思議な表現でして、中国語版Wikipediaの当該項目の冒頭は、歴史的な成句の成立を含め、その辺りをとてもうまく表現しています。
”莫須有為南宋時期中古漢語的口語,原意「或許有」(李敖解釋為「難道沒有」、「應該有」),以秦檜誣害岳飛之詞“該事體莫須有”而聞名,于今漸成成語,後人以之借代「誣陷的冤罪」,常說“莫須有的罪名”,有“欲加之罪、何患無辭”之意。”
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%8E%AB%E9%A0%88%E6%9C%89
簡単に言えば秦檜側に同情的な解釈の余地を残す絶妙の用語でもあると言う事です。
広い意味での漢字文化圏に属する我が国の伝統的言語世界は、万華鏡的な表現が可能であると同時に万華鏡的解釈の余地を排除することが困難だ考えています。
しかも一旦Vain Gloryに駆られたものが解釈敷衍すると、党派的色彩を帯びて増殖・変成して行きます。
原典に即し、時系列を確認し続けることが特に必要となる所以です。
上の文節は万華鏡となるよう、意識して書いてあります(笑)。脱線ついでに書きますが、京都学派(特に田邊元)の文章が難解なのは、厳密性を求めようとして漢字の万華鏡に陥ってしまった結果だと考えています。更に始末が悪いのは彼らの文章が、同様の教養圏(漢学・漢詩の教養とカント、ドイツ観念論の並存)に属する人間にとっては極めて明快であったことです。
しばらくご無沙汰しておりました。私のほうは、モグラ王国の深淵部を彷徨って、帰れなくなりそうになっていました。ようやく見通しがついてきたところですが、まだお見せできる形にはならない感じです。
かなり紆余曲折がありましたが、「自然魔術と完全言語」第一部取り敢えず終点に辿り着きました。
今回の思いがけない発見(多分よくご存じの方も多いのでしょうが)は近代暗号の成立過程に完全言語の夢が絡んでいたことです。第二部・第三部に取り掛かる前にその辺りの文献の紹介をいたしたいと考えています。