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pride and vainglory -澪標のpostmortem(ブリッジ用語です)-

初歩の文書分析と論理学モドキ(メモ)

世説巷談⑥概念翻訳の困難性❶WIKIPEDIA

2019-12-16 18:34:13 | 莫須有
 翻訳の不可能性と言えば、クワインの「ことばと対象」とそれに纏わる種々の論考が有名ですが、今回はもう少し簡単なものです。<主権ー主権国家体制>と<SovereigntyーSovereign state>
 日英版のWikipediaの当該項目を参照すると、面白い事に気づきます。
 de jure /de factoに関する記述が日本語にないことです。

 簡単に日本語で説明します。
 ❶公知の一定領域において主権高権を、他者の介入を一意に排除の上行使するものが主権者です(自然人も法人もあり)。
 *公知の一定領域なる概念自体、大きな問題含みであることは、ユーゴスラビアの解体経緯が示しています。<チェコとスロバキア、現在進行形のカタロニア、バスク、スコットランドetc.も同型です。>
 ❷平時においては主権者は法的<de jure>にも、事実上<de facto>でもその正当性が担保されます。
 しかし、公知の一定領域なる概念自体が挑戦の対象(分離独立戦争)となったり、公知の一定領域における主権者に対する公然たる挑戦が現実化<内なる挑戦者:革命、外なる挑戦者:侵略>した際には、de jureの主権者とde factoの主権者が分離したり、そのどちらかもしくは両方について国際法的了解が存在しなくなることが発生します。
 *第二次大戦中・直後のポーランド、ユーゴスラビア解体過程などが顕著な例ですが、その他枚挙にいとまありません。

 中華文明の文脈で語られる正閏論とは、似て非なる概念です。マルキストないしウルトラなどのLegitimacy概念は正閏論に通底する部分があるためにややこしくなります。Agambenの日本語翻訳の難解さの一因かとも思います。
 

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