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新選組史跡踏査
河合耆三郎出生の地
2010-09-29 / 播磨
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河合耆三郎は、播磨高砂の裕福な米問屋の息子。 新選組では、算術を活かして「勘定方」として活躍。 池田屋事件においては報奨金をもらっているようであり、まさに「戦う勘定方」か。
その死については悲劇的なものだったとされており、子母澤寛の『新選組始末記』には、帳簿のミスの責任をとって切腹した、と書かれている。
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発見難易度 ★★★★★
出生の跡地を示すものは何も残っていません。 書籍の「高砂今津町」というデータを頼りに行ってみました。
現地で会った地元の人は、「全盛期は、この辺り(今津町)まで河合さんのとこだったと思うけど、屋敷は運河(船着き場)の向こうだったから、廃れちゃったんだよね~」とおっしゃっていました。
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高砂今津町から見えた運河の向こうは、現在工場になっています。
ちなみに、四番組長の松原忠司も播磨の出身であり、「新選組!」では、2人が地元ネタで盛り上がるシーンもありましたね。
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