河合耆三郎出生の地


河合耆三郎は、播磨高砂の裕福な米問屋の息子。 新選組では、算術を活かして「勘定方」として活躍。 池田屋事件においては報奨金をもらっているようであり、まさに「戦う勘定方」か。
その死については悲劇的なものだったとされており、子母澤寛の『新選組始末記』には、帳簿のミスの責任をとって切腹した、と書かれている。

発見難易度 ★★★★★
出生の跡地を示すものは何も残っていません。 書籍の「高砂今津町」というデータを頼りに行ってみました。
現地で会った地元の人は、「全盛期は、この辺り(今津町)まで河合さんのとこだったと思うけど、屋敷は運河(船着き場)の向こうだったから、廃れちゃったんだよね~」とおっしゃっていました。


高砂今津町から見えた運河の向こうは、現在工場になっています。

ちなみに、四番組長の松原忠司も播磨の出身であり、「新選組!」では、2人が地元ネタで盛り上がるシーンもありましたね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 大阪まんぷく... 亀山本徳寺 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。