妙教寺


鳥羽・伏見の戦いでは戦闘に巻き込まれ、大きな被害を受けた。 境内には「戊辰役砲弾貫通跡」の碑(写真左)があり、旧幕府軍の砲弾が貫通した柱(原則非公開)も現存する。 山門をくぐった右手には、榎本武揚の書で「戊辰之役東軍戦死者之碑」と刻まれた碑(写真右)もある。

  
左の写真の碑には「淀古城址」とも刻まれてます。 この辺りにあった「淀城」は、豊臣秀吉が側室茶々のために築いた城であり、こちらは「淀古城」と呼び、近世「淀城」と区別しています。

発見難易度 ★★★★☆
山門に続く細い道の発見がなかなか難しいです。 山門手前まで車で行けるのですが、注意しないと、我々のように、この細い道の前を何度も通り過ぎてしまうことになります(笑)。
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