先日、東急ストア高津店で「のるるんナボナ8500系」を購入したことは、このブログでも記しました。1枚のコレクションカードが入っていたので、今回はこれを紹介します。現在、私が所持している現税塾こと『税金のすべてがわかる現代税法入門塾』の第10版に挟み込まれています。
このコレクションカードには撮影日、撮影場所などが書かれていませんが、8500系は1975年にデビューしていますので、その頃ではないかと思われます。1975年当時、東急田園都市線の起点は渋谷駅ではなく大井町駅で、終点はすずかけ台駅でした。田園都市線ほど起点および終点が度々変更された路線もそう多くはないでしょうが、1976年には終点がつきみ野駅となり、1979年には大井町駅から二子玉川駅(当時は二子玉川園駅)までの区間が大井町線となったために田園都市線の起点は二子玉川駅となりました。1984年には終点が中央林間駅となります。そして、渋谷駅から二子玉川駅までの新玉川線が田園都市線に統合されたのは2000年8月6日のことで、同時に田園都市線の起点が渋谷駅となりました。
田園都市線には快速が走っていましたが、この写真にある快速大井町行きが走っていたのは大井町線の分離の前までです。以前にも記したように上りのみの運転で、停車駅はつきみ野駅から長津田駅までの各駅、青葉台駅、たまプラーザ駅、鷺沼駅、溝の口駅、二子玉川駅に停車し、現在の大井町線の部分では各駅に停車していました。その後、快速は田園都市線と新玉川線、さらに半蔵門線を走る種別となり、1996年まで存在していました。大学院生時代に通学用路線として利用していた当時の記憶では、長津田駅〜中央林間駅では快速が運転されておらず、渋谷駅〜長津田駅の区間の停車駅は渋谷駅から二子玉川駅までの各駅、溝の口駅、鷺沼駅、たまプラーザ駅、青葉台駅、長津田駅でした(あざみ野駅が通過駅であったことを除けば現在の準急と同じです)。ついでに記すならば、半蔵門線内は各駅に停車していました(この点は現在の急行および準急とも共通します)。
大学院生時代は快速に乗ることがほとんどなく、急行か各駅停車に乗っていました。とくに、帰宅時には、電車の中で読書をしたいということで、九段下駅から、桜新町駅で急行の通過待ちをする各駅停車を敢えて選び、洋書などを読んでいたことを、今も思い出します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます