ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2011年1月28日、溝の口駅

2020年01月03日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第406回:「東急田園都市線途中下車(8) 溝の口駅(その3)」(2011年1月28日撮影。2011年3月4日〜11日掲載)

 誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 田園都市線溝の口駅には南口があります。高津区役所や洗足学園大学などに近いほうです。しかし、表現はよくないのですが、完全に裏口という感じのするところです。実際、再開発の前にはJR武蔵溝ノ口駅に南口はなく、南武線に乗るなら長く待たされかねない踏切を渡るか、田園都市線の高架のすぐ脇にある歩道橋を使うか、という選択をせざるを得なかったのです。これに対し、田園都市線の溝の口駅のほうは、再開発の前から南口がありました。ただ、いつから南口があるのかはわかりません。

 田園都市線の駅で改札口が2か所以上ある駅は意外に少ないのですが、その中の代表が溝の口駅です。それは当然でしょう。この駅は、田園都市線が二子玉川~中央林間であった時代には乗降客数第1位でしたし、渋谷~中央林間である現在では第2位です(第1位は、もちろん渋谷です)。

 こちらが南口です。再開発に伴い、この辺りもかなり変わりました。駅の構造も変化しています。現在は、上の写真にあるエスカレーターを使って少し上がると改札口があり、文教堂書店の支店もあります。以前は、改札口が現在とは違って東側(上の写真で言えば右側)のほうにありました。

 写真の右側にある道路は、現在でこそ駅前の細道になっていますが、再開発の前はこちらがバス通り、もっと言うならば県道鶴見溝ノ口線の一部でした。とにかく交通量が多く、朝はいつも渋滞しており、洗足学園付近の南武線の踏切からこの場所に来るのに、自動車であれば何十分もかかることを覚悟していなければならなかったのです。

 現在は南側に新しい道路ができ、そちらが県道鶴見溝ノ口線の一部となっています。

 新設されたJR武蔵溝ノ口駅南口です。北口とは構造が異なりますが、ペデストリアンデッキが設けられており、やはり田園都市線溝の口駅につながっていますので(但し、北口とは違い、完全につながっている訳ではありません)、こちら側でも乗り換えは可能です。JR武蔵溝ノ口駅のほうは改札口が一箇所しかないのですが、場所は手前または奥の階段を昇り、橋の上にあります。かつては貨物取り扱いが行われており、日本通運の事務所もありましたが、現在はその辺りがホテルメッツになっています。また、かつてのバス通りが少しばかり変えられています。

 JR武蔵溝ノ口駅は南武線の重要な駅の一つでもあります。乗降客数では武蔵小杉駅に劣りますが、それでも南武線内では5本の指に入る乗降客数ではないかと思います。運転士などが使用する仕業表には、武蔵小杉は書かれておりませんが武蔵溝ノ口は書かれております。この駅に留置線があるからでしょう。また、1972(昭和47)年まで、武蔵溝ノ口~立川は単線だったという話を聞いたことがあります。そのためもあるのか、現在でもこの駅止まりの電車が何本か設定されています。

 溝の口駅の近くにも、大山街道の名残があります。その一つが、南口からほんの少しばかり離れた交差点の近くにある庚申塔です。この辺りも再開発などで相当に変えられているだけに、よくぞ残されたという感じがしなくもないのですが、多くの人々に気付かれていないのかいるのか、ひっそりと立っています。

 説明標にもあるように、「見ざる、聞かざる、言わざる」で知られているのが庚申講です。庚申は、干支で57番目の「かのえさる」で、この「かのえさる」の日、人の体にいるという三尸の虫が体を抜けて天帝(青面金剛、帝釈天、猿田彦の神とも)にその人の悪事を告げるので、それを防ぐためにこの日の夜は村人や縁者が集まり、眠らなかったということです。庚申講は全国的に存在したようで、川崎市にも所々に庚申塔が残されています。

 その庚申塔のすぐそばを通る大山街道で、現在は県道鶴見溝ノ口線の一部です。奥に踏切が見えます。JR南武線の踏切で、ここも大山街道踏切と言います。道の右側は溝口2丁目、左側は下作延(しもさくのべ)です。

 大山街道踏切を渡ってすぐ右に曲がると、西口商店街があります。溝の口駅中央口への近道であるとともに、昔の闇市の雰囲気を残す、非常に貴重な場所でもあります。私は一度も食べたことがないのですが、以前から西口商店街には焼き鳥屋が何軒かあり、夕方になると立ち飲み、座り飲みのお客でにぎわいます。しかも、おそらく日本でもここくらいしか例がないと思われるのですが、焼き鳥屋を兼ねている八百屋さんもあります。再開発、その数年後に生じた火災の影響で、西口商店街は随分縮小されてしまいましたが、何故か懐かしさも感じる、なかなか良い雰囲気の場所でもあります。


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