ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

千葉県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線

2023年04月21日 00時00分00秒 | 社会・経済

 このブログで何度か鉄道敷設法(大正時代の法律)について記しています。現在、一部区間の存廃問題が浮上している久留里線も、鉄道敷設法別表第48号として掲げられた予定線の一部でした。

 既に、「神奈川県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線」(2014年11月29日16時40分26秒付)、「東京都内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線」(2018年5月23日1時4分25秒付)および「埼玉県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線」(2019年3月29日7時0分0秒付)において、それぞれの都県における予定線を取り上げています。首都圏あるいは南関東でまだ記していないのが千葉県ですので、今回は千葉県を取り上げます。なお、漢字は現在のものを使うこととします(令和4年版鉄道六法を参照しているため)。

 ▲「三十九ノ二 茨城県鹿島ヨリ千葉県佐原ニ至ル鉄道」

 第39号ノ2は、枝番号が付されていることからおわかりのように後から追加された号です。令和4年版鉄道六法には何時追加されたのかについて記されていませんが、第39号にいう「茨城県水戸ヨリ鉾田ヲ経テ鹿島ニ至ル鉄道」の延長であることは明らかです。但し、第39号の予定線が国鉄の路線としては開業しなかったのに対し、第39号ノ2の予定線は1970年に成田線香取駅から鹿島サッカースタジアム駅(当時は北鹿島駅)までの鹿島線として開業しました〔第39号は鹿島臨海鉄道大洗鹿島線(水戸駅から鹿島サッカースタジアム駅までの路線)として開業しています〕。

 鹿島線と言えば、東京駅から鹿島神宮駅までの特急あやめ号が運行されていました。しかし、モータリゼイションの進行によって高速路線バスが優位に立ち、現在は特急などの優等列車は定期運行されていません。

 ▲「四十六 千葉県佐原ヨリ小見川ヲ経テ松岸ニ至ル鉄道及小見川ヨリ分岐シテ八日市場ニ至ル鉄道」

 第46号に示される予定線のうち、佐原駅から松岸駅までは成田線として開業しています。松岸駅は総武本線に所属する駅で、銚子駅の一つ手前です。

 一方、成田線小見川駅から総武本線八日市場駅までの区間は開業していません。建設もされていなかったものと思われます。1944年に休止され、1946年に廃止された成田鉄道多古線(成田駅〜八日市場駅)と、何らかの関係があるものとも思われるのですが、その点はわかりません。そもそも、小見川駅から八日市場駅までの区間を建設しようとした理由も不明です。

 ▲「四十七 千葉県八幡宿ヨリ大多喜ヲ経テ小湊ニ至ル鉄道」

 第47号は房総半島横断鉄道の構想を示しています。八幡宿は内房線八幡宿駅、小湊は外房線の安房小湊駅のことでしょう。大多喜は、いすみ鉄道いすみ線(旧国鉄木原線)の大多喜駅をいうものと考えられます。

 この予定線に近いルートと考えられるのが、内房線の五井駅からいすみ線上総中野駅までの小湊鉄道線です。五井駅は八幡宿駅の隣の駅であることなどからすれば、小湊鉄道線が第47号の予定線の一部を実現したと考えてよいでしょう。そもそも、小湊鉄道という名称そのものが、安房小湊駅までの開業を目指していたことを意味しています。

 しかし、小湊鉄道線およびいすみ線の大多喜駅を経由するとなると、安房小湊駅までは遠回りとなってしまう上に、訳のわからないルートとなります。地図を見た上で考えるならば、小湊鉄道線の上総鶴舞駅から大多喜駅までは小湊鉄道線と全く異なるルートとなるはずであったのでしょう。また、大多喜駅から安房小湊駅までの区間の一部は第48号に予定された路線と重複するのかもしれません(そのように考えるほうが自然でしょう)。

 ▲「四十八 千葉県木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ大原ニ至ル鉄道」

 この第48号については「いよいよ、久留里線の一部区間の廃線も視野に?」(2023年3月9日7時0分0秒付)において言及しました。木更津駅から上総亀山駅までの区間が久留里線、大原駅から上総中野駅までの区間がいすみ鉄道いすみ線(旧国鉄木原線)です。上総亀山駅から上総中野駅までの区間が未開業のままに終わりましたが、仮に全線が開業したとしても1980年代に特定地方交通線に選定される可能性はあったのではないでしょうか(木原線は第一次特定地方交通線に選ばれています)。

 ▲「四十九 千葉県上総湊ヨリ鴨川ニ至ル鉄道」

 第49号も房総半島横断鉄道の構想を示しています。上総湊駅は内房線にあり、かつては富津市の代表駅とされていました。そこから外房線の終点にして内房線の終点でもある安房鴨川駅までの路線であるということになります。途中の経由地が一切書かれていませんが、現在の内房線は大正時代までに部分開業を重ねていましたので、第49号に予定された路線が館山駅および千倉駅を経由しないルートの路線であることは明らかです。

 第49号の予定線は、結局、全線未開業に終わりました。おそらく建設への着手もなされていなかったのでしょう。

 ▲「四十九ノ二 千葉県船橋ヨリ小金ニ至ル鉄道」

 明らかに後から追加されたことがわかる第49号ノ2ですが、これは武蔵野線として実現しました。もっとも、第49号ノ2に示された船橋駅ではなく西船橋駅からの路線となっておりますし、黄金は松戸市にある地名で常磐線の北小金駅の所在地にして水戸街道の宿場町であった場所ですから、武蔵野線は予定よりも少しばかり違う所を走っていることになりますが、このような話は鉄道敷設法によくあるものです。ちなみに、武蔵野線の西船橋駅から新松戸駅までの区間は、当初、小金線という名称が与えられていました。

 ▲「五十 千葉県船橋ヨリ佐倉ニ至ル鉄道」

 船橋駅も佐倉駅も総武本線にありますが、明治時代に開業していますので、第50号の予定線は総武本線と全く異なる経路の路線であることは明白です。千葉駅を経由しないルートであるとするならば、まずは京成本線の京成船橋駅から京成佐倉駅までの区間が該当します。次に、佐倉駅までは届かないものの、東葉高速鉄道東葉高速線の西船橋駅から東葉勝田台駅までの区間も該当します(東葉勝田台駅は京成の勝田台駅との乗換駅でもあります)。第50号には経由地が一切書かれていないので、京成本線、東葉高速線のどちらも考えられます。

 ▲「五十ノ二 千葉県我孫子ヨリ埼玉県大宮ニ至ル鉄道」

 「埼玉県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線」で述べたように、実際に我孫子駅から大宮駅まで建設された路線はありません。「埼玉県内の、鉄道敷設法別表に掲載された予定線」においては「敢えて記せば、武蔵野線の新松戸駅から南浦和駅までの区間が該当すると言えそうです」と記しましたが、これは「五十ノ三 埼玉県与野ヨリ東京府立川ニ至ル鉄道」と結びつけて考えたためです。鉄道敷設法別表には、第49号ノ2と第50条ノ3とを結びつけるような路線が示されておらず、間接的ながら結びつける路線とすれば第50号ノ2しかありません。この点について、Wikipediaの「鉄道敷設法別表一覧」には「並行して走る開業路線として」東武野田線の大宮駅から柏駅までの区間があげられており、「現在の武蔵野線より条文の我孫子 - 大宮に近い」とも書かれています。確かに、我孫子駅から新松戸駅までとなればかなり離れていますが、我孫子駅から柏駅までであれば途中に北柏駅を挟むだけです。野田線の大宮駅から柏駅までの区間は北総鉄道(後に総武鉄道に改称し、東武鉄道に吸収合併される。現在の北総鉄道とは無関係)により開業していますが、野田線の柏駅がスイッチバック構造となっていることを含めて、鉄道敷設法別表第50号ノ2と何らかの関係があるかもしれません。

 以上、多くの推測を交えて記しました。国会図書館には鉄道省による「鉄道敷設法予定線路説明」という文献が所蔵されており、少なくとも国会図書館の中であればデジタル化されたものを参照することができます。私も少しばかり読んだことがありますが、ほんの一部を目にしたにすぎません。今後、時間を見つけて読んでみようかと思っています。


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