ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

町村総会が復活か

2017年05月01日 23時45分00秒 | 国際・政治

 今日の3時付で、毎日新聞社が「高知・大川 村議会を廃止、『町村総会』設置検討を開始」(https://mainichi.jp/articles/20170501/k00/00m/010/109000c)として報じていました。或る意味で興味深い話であるとともに、過疎の深刻さがうかがわれるニュースともなっています。

 高知県の北部に大川村があります。北側が愛媛県との県境となっており、同村の公式サイトによれば、2016年10月31日現在の人口は406人(男199人、女207人、世帯数は228)です(http://www.vill.okawa.kochi.jp)。これは、離島地域を除けば日本全国で最も人口が少ない普通地方公共団体であることを意味します。

 〔離島も含めれば、日本で最も人口が少ない普通地方公共団体は東京都青ヶ島村で、同村の公式サイトによれば2010年4月1日現在の人口が165人(98世帯)であるとのことです(http://www.vill.aogashima.tokyo.jp/office/outline.html)。〕

 高知県大川村には早明浦(さめうら)ダムがあります。実は、このダムが建設されることにより、当時の中心集落が水没することとなりました。ここに人口減少の原因の一つを求めることができるでしょう。1972年には白滝鉱山が閉山しました。これは相当に大きな痛手であったはずで、村の人口は急減します。

 21世紀に入り、平成の大合併の嵐が吹き荒れます。当時、大分大学教育福祉科学部に勤務していた私は、大分県の市町村合併を観察し、体験することとなりましたが(それが、同大学時代に市町村合併に関する論考をいくつか発表したことにつながります)、四国でも例外ではありません。大川村についても、隣接する土佐町などとの合併の動きがあったのですが、土佐町において行われた住民投票で反対票が多かったことにより、終わりました。ちなみに、大川村は、設置当初から一度も合併も分割も行われたことがない市町村の一つであるとのことです。

 合併せずに現在まで存続しているとはいえ、人口減少は続いています。また、高齢化が深刻です。村議会を廃止し、町村議会を設置するという案が検討されることとなったのは、まさしく高齢化のためです。しかも、毎日新聞の記事によれば、町村議会の設置の話は今回初めて出たものではなく、2013年および2014年にも出ていました。

 やはり記事によると、現在、大川村議会には6人の議員がいますが、その平均年齢は70.8歳であり、3人は後期高齢者です。選挙は再来年に予定されているのですが、何人かの議員が引退の意向を示しています。しかし、問題は新人候補が出そうにないということです。これまた記事によると、同村の有権者は350人程ですが、村議会議員に立候補できる25歳以上の者で65歳未満の者はさらに少なくなり、公務員などで選挙に立候補できない者を除いていくと100人くらいしかいないというのです(もっとも、厳密に言えば、公務員であっても村議会議員に立候補できなくはないのですが、立候補によって当然に失職します)。これでは、議員定数が6人、またはそれより少なくするとしても、立候補しようとする人はいないでしょう。近年では、国、地方を問わず、議員選挙をしようとしたら立候補者が定数を超えず、無投票で決まってしまう例が少なくないのですが(我が高津区でも、2015年4月の神奈川県議会議員選挙で無投票となりました)、それでも議員候補へのなり手がいないのです。大川村については「村づくりに積極的な若者も多いものの、人口減のため青年団や消防団、祭りの実行委員などの掛け持ちが増えたことに加え、月額報酬約15万円で引退後の保障もない議員活動に手を挙げる人はほとんどいない」というのです(上記毎日新聞記事)。

 議員候補へのなり手がいないようであれば、いっそうのこと、議会を廃止して町村総会を置こうという話になるのは理解できます。ただ、問題が無い訳ではありません。大川村も、御多分に漏れず、公共交通機関が貧弱です。元々鉄道路線が通っていませんし、路線バスがあるものの、1日3往復であるとのことです(詳細は書かれていません)。自家用車がなければ移動に困るという地域であることは簡単に推測できます。また、高齢者が多いとなると、自動車の運転ができなくなるということもあるでしょうし、村内または村外の病院へ通院する人も多いでしょう。高齢者福祉施設に入所する人もいます。このように考えると、町村総会に出席すること自体が難しくなるということもあるでしょう。

 もっとも、町村総会については、例えば議会のように何処か一箇所に定められた所で行わなければならないということでもないと思われます。開催時期などにもよりますが、各集落を巡回するというような方法があるでしょう。例えば、1年に4回行うとして、3月にはA集落で、6月にはB集落で、9月にはC集落で、12月にはD集落で開催する、ということは可能ではないかと考えられるのです。但し、集落に全有権者が集合できるだけの場所なり施設なりは必要となります。

 または、施設、設備、費用の問題があるとはいえ、全有権者が一箇所に集合するのではなく、集落毎に集合場所を設け、通信回線で各集落をつなぐことも考えられます。遠隔会議と考えればよいでしょう。

 大川村では、今後、町村総会の設置について検討を進めることとしていますが、後に記すようにほとんど実例がなく、記録となるとさらに少ない(ほとんど残っていないようです)だけに、手探りに近い状態で話を進めなければならないでしょう。しかし、議会を維持し続けることが困難であるとすれば、町村総会を実現する必要性はあります。

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 ここで、町村総会について、もう少し一般的なことを記しておきます。

 地方自治法第89条は「普通地方公共団体に議会を置く」と定めています。この規定から明らかであるように、日本においては、どの都道府県であれ市町村であれ、議事機関として議会を置くことが原則となっています。

 その例外が町村議会です。地方自治法第94条は「町村は、条例で、第八十九条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」と定められていまする。明文には示されていないものの、人口が少ない町村が想定されています。選挙権を有する住民が集まることによって構成される議事機関であるため、議員を選出する必要が無い訳です(町村総会の議事などについては、地方自治法第95条により、議会に関する規定が準用されます。松本英昭『新版逐条地方自治法』〔第九次改訂版〕(2015年、学陽書房)358頁も参照)。

 人口が少ない町村といいますが、具体的にどの程度の規模が想定されているかは不明です。ただ、これまで、人口が100人を超える町村については、少なくとも現行の地方自治法の下においては実例がありません。先に記したように、現在、日本で最も人口が少ない普通地方公共団体は東京都青ヶ島村ですが、同村には議会があり、議員の定数は6人です(青ヶ島村議会議員定数条例http://www.vill.aogashima.tokyo.jp/office/reiki_int/reiki_honbun/g163RG00000009.html)。

 歴史をひもといてみても、町村議会の実例は僅少です。第一の例は、大日本帝国憲法が施行されていた時代のことで、神奈川県足柄下郡にあった芦之湯村に町村総会が置かれていましたが、1947年4月以降には議会が設置されました(その後、1954年に他の町村と合併し、箱根町の一部となっています)。

 第二の例が、日本国憲法が施行されてからのもの、つまり、地方自治法が施行されてからのもので(日本国憲法と地方自治法は1947年5月3日に施行されています)、東京都の八丈小島(八丈支庁管内)にあった宇津木村です。この村は地方自治法の施行により、八丈小島に設置された村の一つで、人口は61人でした(詳細は不明ですが、松本・前掲書358頁に書かれています)。1955年、宇津木村は八丈村(現在の八丈町)に編入合併されました。その後、八丈小島は無人島となっています。

 8年程しか存続しなかった宇津木村ですが、最初から町村議会が設置されていた訳ではないようです。名古屋学院大学大学論集社会科学篇47巻3号(2011年1月)93頁以下に掲載されている、榎澤幸広氏による「地方自治法下の村民総会の具体的運営と問題点—八丈小島・宇津木村の事例から—」という論文(http://www2.ngu.ac.jp/uri/syakai/pdf/syakai_vol4703_06.pdf)によれば、宇津木村にも当初は議会が置かれていました。しかし、定員4名を充足することも困難であったようで、この村では当時から住民の転出が多く見られ、議員選挙を行うにも適任者が少なくなっている(誰が適任者であると判断するのかが問題ですが)、などということで町村総会が設けられたとのことです。何しろ、榎澤氏の論文によれば、宇津木村の人口があまりに少ないため、村長が監査委員を兼ねていたり、町村総会会長が教育委員会委員長を兼ねていたりしていたというのです。また、八丈小島の宇津木村および鳥打村(やはり現在は八丈町の一部)では、地方自治法が施行されるまで名主制が存続していました(八丈島と青ヶ島においても、1940年3月まで名主制が存続していました)。宇津木村の町村総会は、名主制が存続していたからこその産物とも言える可能性があり、その意味では非常に特殊な事例であると言えます。実際に設置されていた期間も短く、残された記録も少ないということですから、これから町村総会の設置を検討しようとする町村は、ほとんど一から制度を設計しなければならない、とも言えます。


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