ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2010年9月13日、江田駅

2020年01月10日 00時00分00秒 | まち歩き

 最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。

 第452回:「東急田園都市線途中下車(17) 江田駅(その1)」(2011年11月19日〜26日掲載)

 第453回:「東急田園都市線途中下車(17) 江田駅(その2)」(2011年11月26日〜12月3日掲載)

 いずれも、写真撮影日は2010年9月13日です。誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。

 

 8月、或る経緯により、ソニーのデジタル一眼カメラ"α"のNEX-5Dを入手しました。昨年の秋に購入したばかりのDSC-W380は、勿論、これからも使っていきます。何といっても、NEX-5Dは一眼カメラであるだけに、普段からカバンの中に入れておくという訳にいきません。そのため、一眼カメラを多用できないのですが、せっかく入手したものですから、何かの用がある時にはNEX-5Dを持って出ようと考えています。そのため、このコーナーについては、DSC-W380による写真を基本としつつ、NEX-5Dによる写真も掲載していきます。また、DSC-L1も復帰しましたので、3台をどう使っていくかが悩むところです。

 さて、今回はNEX-5Dを持ち、田園都市線の下り電車に乗りました。長らく愛用している吉田カバンのブレイン(東急ハンズとのコラボ製品)に入れると、それなりに重くなります。小さなカメラではないからです。それだけに、どのような写真を撮影できるか、楽しみです。

 各駅停車が江田駅の2番線に到着しました。ここで降り、少しばかり歩いてみることとします。

 江田駅は、横浜市青葉区に入って3つ目の駅で、急行も準急(平日朝の上りのみ)も通過します。渋谷から下りの急行に乗ると、鷺沼、たまプラーザ、あざみ野と連続停車し、江田、市が尾、藤が丘は通過します。2002年のダイヤ改正時までは、江田の隣のあざみ野も急行通過駅でした。上の写真は、下りホームの1番線・2番線から上りホームの3番線・4番線を撮影してみたものです。

 写真でおわかりのように、この駅の名称を漢字で書くと2文字、平仮名でも2文字、ローマ字で3文字で、東急では最も短い駅名です。漢字2文字の駅名は多く、田園都市線であれば渋谷、用賀、高津、鷺沼、田奈、東横線であれば渋谷、日吉、綱島、菊名、白楽、反町、横浜、というようになるのですが、平仮名2文字となると、他には田園都市線の田奈しかありません。その田奈はローマ字で4文字となりますので、江田が東急で最も短い駅名ということになります。

 江田駅の東口に出ました。急行通過駅ということもあり、利用客はそれほど多くありませんが、撮影したのは平日の午後、夕方のラッシュ時が始まる前です。

 田園都市線の溝の口~中央林間は、多摩田園都市というニュータウン計画の一環として建設された区間です、そのため、たまプラーザ、あざみ野、藤が丘、青葉台などのように、いかにも開発によって誕生した街らしく、新しく付けられた地名などにちなむような駅名も多いのです。しかし、青葉区内にある駅の中で、この江田駅と市が尾駅、そして田奈駅は開業前から存在する地名によっています。

 ホームから東口を撮影してみました。バスターミナルがあります。港北ニュータウンの入口の一つでもあるため、横浜市営地下鉄グリーンライン開業後もバス路線の拠点の一つとなっています。ここから東急バスと横浜市営バスが発着しており、東急バスであれば綱島駅行があります。

 目の前の高架橋は東名高速道路で、田園都市線に最も接近する所の一つがこの江田駅なのです。少し離れていますが東名江田バス停もあります(但し、あざみ野駅のほうが近いので注意を要します)。

 バスターミナルから、東名高速道路の高架橋を眺めてみました。高架橋には防音壁も備えられています。バスターミナルには、何故か一般の自動車も止まっています。奥のほうに信号がありますが、それが国道246号線です。ここは自動車を運転する者にとって有名な場所です。曜日と時間帯によっては渋滞が激しいからです。また、以前は公開取締りもよく行われていました。

 実は、私にとって、江田駅は電車でよりも車でのほうがなじみがあります。幼い頃から車でよく通っていたからです。自分で運転するようになってからも同様で、江田駅前をよく通るのです。

 江田駅周辺には昔の面影が残っている箇所が少なくありません。東名高速道路のすぐそばに、御覧のような木々が残っています。1980年代の前半までは、横浜市とは思えない風景がこの辺りにたくさん残されていました。

 この交差点が、よく渋滞が発生するところです。今は車の流れもスムースですが、ここから1キロメートルほど、車の列がつながっていることは珍しくありません。

 上の写真で、右側手前から左側奥へ伸びるのが国道246号線です。溝口では大山街道と言うのが普通ですが、厚木街道という別称もあります。右側手前のほうは青葉台、長津田、厚木方面、左側奥のほうは新石川、溝口、渋谷方面です。ここから少し離れた所で旧道と分かれます。付け替えがよく行われたのも国道ならではでしょう。

 一方、左側手前から右側奥へ伸びる道路ですが、こちらは港北ニュータウンへの道路となっています。右側奥へのほうへ進むと、荏田高校、仲町台駅、新横浜駅へ向かうことができます。また、左側手前のほうへ進むと、あざみ野駅、たまプラーザ駅、そして川崎市宮前区へ向かいます。

 あざみ野駅のほうへ向かいます。

 

 江田記念病院があります。2004年に開業したとのことです。東名高速道路のすぐそばというのは、病院の位置としてはどうなのかという疑問もありますが、利便性が高いということだけは間違いがないでしょう。左側の道路を見ても「随分と変わってしまったなあ」ということしか思い浮かびません。ただ、何となく記憶しているのは、この辺りはもっと「山の中」という感じが強く、この道の勾配も今より急であったような気がするのです。幅も狭かったはずです。

 田園都市線の車窓については、1980年代の前半から大きく変わった、と言えます。或る事情があって、中学生であった1980年代の一時期、私はよく溝の口駅から下り電車に乗って藤が丘へ行きました。当然、江田駅を通ります。電車が江田駅に止まる前にトンネルがあり、そのトンネルに入る前、どこの地方かと思うような光景が、一瞬ですが広がっていました。曲がりくねった道は、ようやく車が1台通ることができるかどうかという狭さで、そばには田畑が広がっていました。電柱と送電線はあるものの、民家はなく、街灯もないので、夜に通ると殊のほか暗かったのでした。しかし、1980年代後半に開発が進み、トンネルは撤去されてしまいました。

 

 江田駅周辺を歩いています。自動車でよく通る所ですが、駅を利用したのはほんの数回程度で、周辺を歩いたこともありません。そこで、少しばかりは駅の周りを歩いてみようと思いました。

 東口から西口へ歩こうとしています。東名高速道路の下を通り、田園都市線の高架の下を抜けようとしています。

 電信柱に必ずといってよいほど付けられている番地表示です。御覧のように「荏田町」と書かれており、「江田」とは書かれておりません。横浜市は「荏田」を正式の表記としています。駅名は「江田」で町名と異なっていますが、これは「荏」が当用漢字でなかったためです。また、この辺りは江田小次郎という豪族が支配していており、地名も彼の名前に拠っています。その意味では駅名が歴史を語っているということでもあります。何故「江田」から「荏田」に変わったのかはわかりません。

 江田駅の所在地は横浜市青葉区荏田町2360番地です。田園都市線の駅で、所在地が●丁目となっていない所は少なく、この駅の他には梶が谷駅、市が尾駅、および田奈駅だけです。東急線全体では、代官山駅、新丸子駅、白楽駅、東白楽駅(以上、東横線)、沼部駅(東急多摩川線)、御嶽山駅(池上線)、こどもの国駅(正確には横浜高速鉄道こどもの国線)があげられます。ちなみに、武蔵小杉駅の所在地は中原区小杉町3丁目ですが、住居表示が導入されていません。

 田園都市線は旧大山街道に沿っています。溝口はその宿場町でしたが、荏田も宿場町でした。但し、駅の周辺には宿場町の面影が全くありません。国道246号線を東京方面に向かうと旧道がありますが、その旧道沿いが宿場町の跡のようです。溝口と違い、宿場町であったことを大々的に宣伝していないのが勿体無いところでもあります。

 昔からここに住んでおられる方の住居でしょうか。庭にたくさんの木が植えられています。また、剪定作業が行われているらしく、はしごも見えます。今、このような住宅も少なくなりました。世田谷区では植木屋を見かけるのですが、他の地域ではなかなか見られません。

 江田駅4番線の真下を抜けました。つい10年ほど前まで、ここから東武伊勢崎線・日光線まで乗り換えなしで行くことができるようになるとは、思ってもいないことでした。1990年代、ここから乗り換えなしで行けるのは半蔵門線の水天宮前まででした。今でも、田園都市線内で東武の車両を見たり、行き先が久喜、南栗橋、東武動物公園、北春日部、北越谷となっている電車を見たりすると、違和感を覚えることがあります。

 西口に出ました。こちらにもバスターミナルがあります。こちらは主に横浜市営バスが発着するようですが、東急バスも発着します。人通りの少ない、夕方ラッシュ時の前のひとコマです。

 江田駅から青葉区役所方面へ抜ける道路で、市が尾駅方面への裏道のような役割も果たします。国道246号線は江田駅付近で渋滞することが多く、それが市が尾駅付近までつながることがあります。状況により、この道路を使うこともあります。もっとも最近では青葉台駅から桜台、成合、寺家、鉄町を通ってすすき野や美しが丘西へ抜けることが多くなりました。

 こちらは先ほどと同じ道路で、反対側に向かって撮影しています。あまり走ったことのない道路なので自信はありませんが、いかにも新興住宅地らしく、しかも高級感のあふれる雰囲気の街となっています。この江田駅の辺りも完全な住宅街となっており、店舗はそれほど多くありません。そういえば、江田駅前には以前からパチンコ屋などがありません。

 江田駅の1番線を急行が通過します。いつの頃からか、1番線と3番線にはフェンスが張られ、乗降ができなくなりました。そのため、ホームにも1番線と3番線の表示はありません。どちらも通過列車のためのホームで、各駅停車は2番線と4番線に停車します。また、平日朝のラッシュ時には急行・準急の通過待ちも行われます。なお、電車が通過する前には放送が流れ、電子音が連続して鳴ります(東急の駅に共通しています)。

1番線の柵です。

3番線にも、御覧のように柵があります。急行および準急はこちらを通過していきます。

 駅からあざみ野方面を撮影してみました。奥に橋が架かっていますが、その辺りが、以前はトンネルであったところです。前回にも記しましたが、私は、中学生時代の一時期、溝の口駅から藤が丘までよく利用していました。まだ急行がなく、快速であった時代です。当然、江田も通ります。あざみ野を出た電車は、ここが横浜市かと目を疑うような風景の中を走り、トンネルに入り、出るとすぐに江田に着いたのです。

 今でこそ田園都市線を通勤路線としてよく利用しておりますが、実は、小学生時代まで、私はあまり田園都市線を利用していません。中学生になってからも、利用していたのは前述の一時期だけです。よく使うようになったのは高校生になってからで、とくに半蔵門線が三越前まで延長されて溝の口から神保町まで乗り換えなしで行けるようになってから、利用頻度が高くなりました。早稲田大学大学院法学研究科に通った5年間は、渋谷に寄りやすいこと、永田町を利用できること(国会図書館に行きやすいということです)、神保町に寄りやすいこと(九段下駅から歩いて行けます)、三軒茶屋に寄りやすいこと(太子堂4丁目に太雅堂という古本屋がありましたし、三宿交差点のそばには江口書店があります)、これらが決め手となって、田園都市線・半蔵門線を通学路線としていました。そして、2010年4月から、今度は通勤路線として使っています(半蔵門線も時々使います)。

 田園都市線途中下車シリーズは、まだまだ続きます。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水利地益税の課税団体(3) | トップ | 2011年9月13日、市が尾駅 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まち歩き」カテゴリの最新記事