ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

東急大井町線途中下車(14) 大井町駅 その2

2015年09月15日 09時35分45秒 | まち歩き

 日本で最初の鉄道は、1869(明治2)年に開通した北海道の茅沼炭鉱軌道と言われています。しかし、これは今で言うトロッコのようなもので、名称の通り石炭を運搬するための手段でした。しかも、人力や牛馬を用いていたということです。

 また、茅沼炭鉱軌道は、他の鉄道線と連絡しておらず、1931(昭和6)年に廃止されています。そもそも、路線が敷かれた地域と歴史を考えれば、孤立路線であったことは当然でしょう。蒸気機関車が導入されたのは1927(昭和2)年に入ってからのことであるそうです。

 こうなると、現在のJR路線網などにつながるという意味で本格的な最初の鉄道は、やはり1872(明治5)年に新橋(汐留)から横浜(初代。現在の桜木町駅)まで開業した、現在の東海道本線ということになります。こちらは最初から蒸気機関車が運行されましたし、旅客運送もなされました。一般的にこちらが日本最初の鉄道と言われるのも当然のことでしょう。ちなみに、品川駅も1872年に開業していますが、同年の仮開業区間は品川駅~桜木町駅であったそうです。また、川崎駅および鶴見駅の開業も同年です。

 その後、1876(明治9)年には大森駅が開業します。日本で最初に発掘調査が行われた大森貝塚は、大森駅の近くにあります。また、同駅は、日本で最初に乗客が死亡する鉄道事故が発生した場所でもあります。

 さて、日本で最初の鉄道駅の一つでもある品川駅と、その4年後に開業した大森駅との間にある大井町駅ですが、明治時代には設置されておらず、1914(大正3)年にようやく開業しました。品川駅は現在の品川区ではなく、港区高輪にありますので、何故「品川」と名付けられたのかと気になります(高輪が東京市の芝区に入ったのは、鉄道開業よりも後のことです)。 

 上の写真からでもわかりにくいかもしれませんが、大井町線の大井町駅は開業時から高架駅です。私が立っているのは階段で、ここからJRの駅に向かって下り坂になっています。

 東急大井町線の大井町駅が開業したのは、1927(昭和2)年7月6日です。この日、当時の目黒蒲田電鉄の支線として大井町~大岡山が開業しました。それから遅れて1929(昭和4)年11月1日に自由が丘~二子玉川が開業し、同年12月25日に大岡山~自由が丘が開業し、現在の大井町線が完成します。

 現在、大井町線の電車は溝の口まで走りますが、二子玉川~溝の口は、元々が玉川電気鉄道の玉川線であり、1927年7月15日に開業しました。しかし、戦時輸送の一環として、同区間は軌間(レールの幅)を1372ミリメートルから1067ミリメートルに変更され、玉電に変わって大井町線の電車が走ることとなります。溝の口駅周辺に軍需工場が多かったためです(現在もミツトヨの本社、富士通ゼネラルの本社などがあります)。

 1963(昭和38)年10月11日、大井町線は田園都市線と改称されます。ここから、大井町駅が田園都市線の起点になるとともに、同線の歴史が本格的に始まり、しかも区間の変遷を重ねることとなります。1966(昭和41)年4月1日には溝の口~長津田が開業し、さらにつくし野、すずかけ台、つきみ野と延長していきます。

 しかし、1977(昭和52)年6月7日に渋谷~二子玉川(当時は二子玉川圓)の新玉川線が開業したことにより、乗客の流れが変わりました。そこで、1979(昭和54)年8月12日、大井町~二子玉川が田園都市線から切り離され、再び大井町線を名乗ることとなりました。これは、田園都市線~新玉川線~半蔵門線(当時は渋谷~青山一丁目)の完全直通運転が始められた日と同じです。

 それから30年ほど、大井町線は大井町~二子玉川の路線でしたが、田園都市線二子玉川~溝の口の複々線化が完了し、大井町線が溝の口に戻ってきました。2009年7月11日のことです。但し、大井町線の正式の区間は大井町~二子玉川のままであり、大井町~溝の口は営業上の区間ということになります。

 大井町には阪急があります。阪急大井町ガーデン、アワーズイン阪急(ホテル)です。阪急大井町ガーデンは真ん中にあり、アワーズイン阪急が左右の高層ビルにあります。

 この街に阪急の店舗があるのも不思議に思われるかもしれませんが、ここが阪急百貨店の首都圏第1号で、長らく大井阪急と言われていました。私も一度だけですが大井阪急時代に、LPを探しに入り、購入したことがあります(大井町には中古レコード屋のハンターもありました)。百貨店という業務形態は衰退する傾向にあったためでしょうか、2000年に百貨店からショッピングセンターに転換しました。その後、再開発が行われ、現在の形態となった訳です。運営している会社は大井開発です。

 1階には阪急百貨店大井食品館、コンビニエンスストアの他に種々の飲食店が入居しており、2階にも飲食店などが入居しています。そして、3階には「おふろの王様」などが入居しています。青葉台東急スクエアや玉川高島屋南館のような構造で、百貨店とショッピングモールが一体となっているのです。

 なお、大井町には阪急の系列の店がもう一つあります。首都圏でもおなじみのブックファーストですが、大井町ガーデンにではなく、東急大井町駅構内に入居しています。

 首都圏の阪急と言えば、有楽町にある阪急メンズ東京、都筑阪急も有名です。どちらも阪急百貨店ですが、阪急メンズ東京のほうは有楽町阪急であったものを紳士服など男性向けに特化させており、都筑阪急のほうはモザイクモール港北の中核として位置づけられるとともに、実質的には大井町と同様に食品に特化させたようなものとなっています。

 また、阪急ということでは、東京宝塚劇場を忘れてはいけません。阪急宝塚線の乗客を増やすために歌劇団が設立されたという歴史は有名で、私も講義で時折話すことがあります。

 それにしても、阪急が大井町に最初の店舗を構えた理由を知りたいものです。

 こちらはJR大井町駅の中央口にあるアトレです。首都圏にある大規模のJR駅にある施設なので、御存知の方も多いでしょう。この駅の他に、恵比寿、目黒、四谷、吉祥寺、川崎、大森、品川、秋葉原、上野、松戸、亀戸および新浦安にあります。また、アトレヴィが信濃町や五反田などにあります。

 アトレは恵比寿に本社を構えるJR東日本の系列企業で、駅ビルの共同開発や管理・運営を行っています。同社の公式サイトによれば、1990年に東京圏駅ビル開発株式会社として創立され、その年に第1号の四谷店を開業させます。1993年には新浦安店、JR信濃町ビル(大東文化大学大学院法務研究科が入居)、そして大井町店がオープンしました。

 JR東日本では、このアトレがある改札口を中央口と言い、大井町線と直接乗り換えられる改札口を西口、そこから少し東側へ向かうとある改札口を東口と称しています。

 中央口にこれだけの大きな駅ビルがありながら、京浜東北線しか止まらないのが不思議な感じもしなくはないのですが、東海道本線のまさしく本線筋では品川区で唯一の駅というだけあります。駅前のバスターミナルにもバスがひっきりなしに来ます。

 JR東日本は乗降客数ではなく乗車人員数を発表していますが、大井町駅は2014年度で38位、10万1246人となっています。10万人を超えるのはこの駅までで、39位の松戸は9万8076人です。隣の大森駅は43位で9万3103人、品川駅は6位で34万2475人でした。

 大井町駅西口から光学通りが伸びています。ニコンの大井製作所まで続くためにこの名が付けられています。1キロメートルほどあり、大井製作所を過ぎると道幅が狭くなります。さらに進めば西大井駅です(この駅から歩くほうが近いのですが、開業したのは1980年です)。

 ニコンは、現在でこそ正式な社名となっていますが、元々は日本光学工業という会社の商品名でした。同社の公式サイトによると(表現を拝借しています)、日本光学工業が設立されたのは1917(大正6)年で、東京計器製作所の光学計器部門と岩城硝子製作所の反射鏡部門を統合し、三菱合資会社の社長であった岩崎小彌太が出資して誕生しました。すぐ後に藤井レンズ製造所を合併しています。1918(大正7)年に大井第一工場として出発したのが、大井製作所です。それ以来、様々な名機が誕生しましたし、カメラ以外の光学製品、例えば顕微鏡や望遠鏡も産み出されています。現在、同社は半導体露光装置、顕微鏡、測定器、測量機など、数多くの精密機械を製品として送り出しています。

 大井町駅の中央口東側を、西口から見てみました。ヤマダ電機の店舗が目立ちます。大井競馬場へ向かうバスは東側のバスターミナルから出ます。また、都営バスは東側のみです。今回は、いや今回も歩いていないので、詳しいことはよくわかりません。JR大井町駅は大井町線との乗り換えのためにしか利用したことがないのです。

 また、この駅から無料バスが運行されるので大井競馬場の最寄り駅という印象が強いかもしれませんが、地図を見る限り、大森駅のほうが近いと思われます。実際に、大森駅からの無料バスも運行されています。勿論、一番近いのは東京モノレールの大井競馬場前駅で、モノレールからすぐ目の前にコースが見えます。次に近いのは京浜急行の立会川駅でしょう(距離的には大森海岸駅からでも近いようです)。

 なお、私は、生まれてから今まで、一度も競馬をやったことがありません。川崎市に生まれ育ち、学部生時代には南武線を利用して通学し、東京競馬場がある府中本町を通っていたにもかかわらず。そもそも、南武線は武蔵野線などとともにギャンブル路線という通称を与えられておりまして、起点の川崎駅の近くに川崎競馬場と川崎競輪場が、南多摩駅と府中本町駅との間に多摩川競艇場が、府中本町駅の目の前に東京競馬場が、終点の立川駅の近くに立川競輪場が、そして稲田堤で京王相模原線に乗り換えて次の京王多摩川駅で降りると京王閣競輪場があります。よくぞ染まらなかったものです。大分大学時代にサテライト日田問題に取り組みましたが、競輪をやったこともありません。

 さて、大井町線の駅がある西口から東海道本線の上を通り、東側へ少しばかり歩いてみようと思います。歩道の部分のみにアーケードがある、「いかにも」という感じの商店街です。ちょうど昼食時間にさしかかろうとする頃であったためか、人通りはかなり多く、歩道の幅が広くないので少々難儀をしました。或る意味ではこの辺りこそが大井町の中の大井町という感じもするくらいで、同じ大井町線でも大岡山、自由が丘や二子玉川などとは空気が全く違います。似ている所を一つあげるとすれば、大井町線の営業上の終点である溝の口でしょうか。


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