ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

ここが文教大学付属溝の口幼稚園・小学校跡地

2018年01月05日 13時51分14秒 | まち歩き

 このブログでも書いたことがありますが(「5月の溝口緑地」)、現在は高津図書館および溝口緑地となっている場所に、文教大学付属小学校がありました。その隣が川崎市立高津小学校ですので、2つの小学校が並んでいたこととなります。

 私は、時折ですが通勤ルートなどとして溝口緑地を歩くことがありますが、今日(2018年1月5日)の午前中、買い物の帰りに、下の写真にある碑に気づきました。

 何時できたのかわかりませんが、簡単に歴史が書かれています。旧大山街道から溝口緑地に入ってすぐの場所に設置されていました。おそらく昨年の12月ではないかと思われます。

 文中にある「旧川崎市立高津高等女学校」は現在の川崎市立高津高校のことで、当初はここに校舎などが置かれていました。戦時中に現在の末長一丁目に移転、戦後の昭和29年に現在の久本三丁目の地に移転しています。

 当初、この溝口四丁目の旧大山街道沿いには立正学園の高等女学校が設置されたそうですが、すぐに移転し(おそらく品川区旗の台でしょう)、次に中学校が置かれますがこれも程なく移転し(おそらくはやはり旗の台でしょう)、小学校が設置されます。当初は玉川小学校という名称で、1年後に溝の口小学校となります。しかし、1985年3月、大田区東雪谷にある石川台校舎の小学校に統合される形で(ということになるのでしょうか)、溝の口小学校は閉校となりました。

 ここで少し疑問なのは「溝の口小学校」という表記ですが、実際にこのように書かれていたのかもしれません。現在の正式な地名は「溝口」ですが、「溝ノ口」とも「溝の口」とも記されており、JR南武線の駅は「武蔵溝ノ口」、東急田園都市線の駅は「溝の口」です。

 地名の表記は脇に置いて、上の碑によれば34年間、ここに文教大学付属溝の口小学校があったということになります。私はこの小学校に通ったこともなければ入ったこともなく、この近所に生まれ育った訳でもないので全く事情を知らないのですが、小学校で34年間、高等女学校時代から通算しても39年半という期間は、決して長くありません。むしろ短いという印象を受けます。おそらくは学校法人の方針なり戦略なりに基づくものでしょう。現在、学校法人文教大学学園が設置している学校は幼稚園から大学までありますが、幼稚園、中学校および高校は旗の台、小学校は東雪谷と、近隣にまとめられています。ただ、大学は品川区にも大田区にもなく、埼玉県越谷市と神奈川県茅ヶ崎市に設置されています(本部は越谷)。

 閉校してから33年が経過しようとしています。現在の溝口南公園(溝口三丁目)にあった高津図書館がこの小学校の跡地に移転し、現在に至っています。


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