甲州街道沿い、調布市菊野台交番周辺に妙円という尼僧についての解説があった。
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江戸時代の話。
妙円は、若くして嫁いだが、恵まれない境遇のうえに両眼を失明、その後尼僧となり、寿量妙円と号する。
そして、村人の為に毎日、路傍で鉦をたたき、念仏を唱え続け、多くの人びとから受けた浄財をもとに、1805年、菊野台に懇願の地蔵菩薩像を建立。
その後も妙円は菩薩像のそばで念仏三昧の日々をおくり、村人に頼まれては加持祈祷を行った。
妙円は、自分の死ぬ日を予告していたが、実際には1日遅れて1817年安らかな往生をとげた。
妙円の墓は深大寺にあり、
鉦は調布市郷土資料館にある。
地蔵菩薩像は頭部欠損していたがその後、修復された。
この地蔵像の前に立ち、思いを馳せる。
妙円の不遇な境遇、その後の祈りに捧げた生き方を見るとき、「傷ついた癒し人」を思う。
同時に、妙円は、失明して見えず、この場所で生活をしていたことを思うとき、思わず抱きしめたくなる。
妙円。
その意思を継ぐものとして、自分もありたいと思います。
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江戸時代の話。
妙円は、若くして嫁いだが、恵まれない境遇のうえに両眼を失明、その後尼僧となり、寿量妙円と号する。
そして、村人の為に毎日、路傍で鉦をたたき、念仏を唱え続け、多くの人びとから受けた浄財をもとに、1805年、菊野台に懇願の地蔵菩薩像を建立。
その後も妙円は菩薩像のそばで念仏三昧の日々をおくり、村人に頼まれては加持祈祷を行った。
妙円は、自分の死ぬ日を予告していたが、実際には1日遅れて1817年安らかな往生をとげた。
妙円の墓は深大寺にあり、
鉦は調布市郷土資料館にある。
地蔵菩薩像は頭部欠損していたがその後、修復された。
この地蔵像の前に立ち、思いを馳せる。
妙円の不遇な境遇、その後の祈りに捧げた生き方を見るとき、「傷ついた癒し人」を思う。
同時に、妙円は、失明して見えず、この場所で生活をしていたことを思うとき、思わず抱きしめたくなる。
妙円。
その意思を継ぐものとして、自分もありたいと思います。