言葉の大切さ
またまた。東京新聞ネタである。
昨日の書評にて横尾和博(文芸評論家)氏が「リトル・ピープルの時代[著者]宇野 常寛 幻冬舎/ 2310円」の書評をしていた。この本自体は、読んでいただくとして横尾氏の書評の冒頭文章は以下のものだ。
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3・11以降、批評に問われているのはイマジネーションを獲得し、私たちの日常の虚を突く邪悪な厄災をいかに言語に置き換えるか、豊かな言葉を駆使していまを語り得るか、である。
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これは興味深い。
批評に限らず、私たちの日常於いて、まず、イマジネーションを獲得。
そして
「私たちの日常の虚を突く邪悪な厄災をいかに言語に置き換えるか」
と
「豊かな言葉を駆使していまを語り得るか」
ということは3.11以降、生きていく上で命題と言える。
前者は…本当に、邪悪な厄災は人的・公的・自然的に、日々起こり得る、または、起こっている。
これを自らの言葉で置き換える作業により、承認することができる。すると、次のステップにつながると考えられる。立ち向かうなり、逃げるなり、無視するなり…その展開は個々人に委ねられる。
後者は…どれだけの言葉を駆使して、そのような現状を語り部のように語るか、ということである。
例えば、今日は雨が降っている。放射能を含んでいるだろう。
この厄災を、自己で理解しうる言葉を駆使して、表現し、かつ、他者に伝えるか。
3.11以降、私たちには、それが求められていると思う。
まとめ。
邪悪な厄災を言葉に置換え理解する。その対応策を検討する。そして、それをどのように後世に紡いでいくのか。
それには、想像力は不可欠なのだ。
みなさま、少なくとも、隣の人には、思いやりを持ちましょう。
自分も今日1日の目標にします。
またまた。東京新聞ネタである。
昨日の書評にて横尾和博(文芸評論家)氏が「リトル・ピープルの時代[著者]宇野 常寛 幻冬舎/ 2310円」の書評をしていた。この本自体は、読んでいただくとして横尾氏の書評の冒頭文章は以下のものだ。
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3・11以降、批評に問われているのはイマジネーションを獲得し、私たちの日常の虚を突く邪悪な厄災をいかに言語に置き換えるか、豊かな言葉を駆使していまを語り得るか、である。
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これは興味深い。
批評に限らず、私たちの日常於いて、まず、イマジネーションを獲得。
そして
「私たちの日常の虚を突く邪悪な厄災をいかに言語に置き換えるか」
と
「豊かな言葉を駆使していまを語り得るか」
ということは3.11以降、生きていく上で命題と言える。
前者は…本当に、邪悪な厄災は人的・公的・自然的に、日々起こり得る、または、起こっている。
これを自らの言葉で置き換える作業により、承認することができる。すると、次のステップにつながると考えられる。立ち向かうなり、逃げるなり、無視するなり…その展開は個々人に委ねられる。
後者は…どれだけの言葉を駆使して、そのような現状を語り部のように語るか、ということである。
例えば、今日は雨が降っている。放射能を含んでいるだろう。
この厄災を、自己で理解しうる言葉を駆使して、表現し、かつ、他者に伝えるか。
3.11以降、私たちには、それが求められていると思う。
まとめ。
邪悪な厄災を言葉に置換え理解する。その対応策を検討する。そして、それをどのように後世に紡いでいくのか。
それには、想像力は不可欠なのだ。
みなさま、少なくとも、隣の人には、思いやりを持ちましょう。
自分も今日1日の目標にします。