メルロ=ポンティ入門 (ちくま新書) 船木 亨 (著)を読んで(その3)
最終回。「自由」について。
メルロ=ポンティは自由について、こう語っている。
「わたしの自由は、他人のためにも同じ自由を要求する」
わたしたちが、自由にしようとすれば、通常はだれかが不自由になったりするものであるが、相手を自由にすることを通じてしか、自分自身が自由になれないという場合がある…いや、その場合の方がすてきな気がする。そのような人間関係のことをわれわれは総じて、男女間に限らず、「愛」と呼んできた。
しょぼいことを言うと、例えば、自分が浮気をするのならば、相手も浮気をすることを認める…みたいなことから、さらに突っ込んで、相手が何をしようとも、許容し、受容することにこそ、自由がある。
本当に好きならば、相手を信頼し、裏切られても、信じ続ける。自分の思うように相手をコントロールすることは自由ではない。よく聞くが「あなたのためを思って…」というセンテンスは、自分の思うように相手をコントロールしたいと言う意思表示のだ。「あなたのため」という言葉はすり替えにすぎない。
信じることは、自らを自由にしている。
「わたしの自由は、他人のためにも同じ自由を要求する」
最終回。「自由」について。
メルロ=ポンティは自由について、こう語っている。
「わたしの自由は、他人のためにも同じ自由を要求する」
わたしたちが、自由にしようとすれば、通常はだれかが不自由になったりするものであるが、相手を自由にすることを通じてしか、自分自身が自由になれないという場合がある…いや、その場合の方がすてきな気がする。そのような人間関係のことをわれわれは総じて、男女間に限らず、「愛」と呼んできた。
しょぼいことを言うと、例えば、自分が浮気をするのならば、相手も浮気をすることを認める…みたいなことから、さらに突っ込んで、相手が何をしようとも、許容し、受容することにこそ、自由がある。
本当に好きならば、相手を信頼し、裏切られても、信じ続ける。自分の思うように相手をコントロールすることは自由ではない。よく聞くが「あなたのためを思って…」というセンテンスは、自分の思うように相手をコントロールしたいと言う意思表示のだ。「あなたのため」という言葉はすり替えにすぎない。
信じることは、自らを自由にしている。
「わたしの自由は、他人のためにも同じ自由を要求する」