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森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

ウクライナにおける人間の盾から人類が戦争をやめる方法を思いつく

2022-08-17 16:17:02 | 人類の未来

ロシアとウクライナの戦争は今もって続いています。
日本も中国と戦争になるのではないかと、とても不安な気持ちです。

来年の市民シンポジウムでは、「人類は戦争を廃止することができるのか?」と言ったタイトルで、人類が未来永劫に戦争を廃止する方法について論じたいと思っています。

以下の内容はそれを論じたものです。
私のアイディアの半分ですが、先般のアムネスティー・インターナショナルの報告でそのヒントを得ました。

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毎日新聞がこの8月上旬に、ウクライナ軍が住宅地に軍拠点を置いていることは国際法違反だとして、アムネスティー・イターナショナルがウクライナ軍を批判する報告書を出したと、報道しました。
https://mainichi.jp/articles/20220806/k00/00m/030/027000c

ウクライナは自国の一般市民を盾に使っていると、数ヶ月現地を見てきたアムネスティーの人が感じたようです。

ウクライナ軍とロシア軍が殺し合いをする。
ウクライナ軍は自国での殺し合いだから自国の市民の中に混じり込むことができる。ロシア軍が撃とうとすると、ウクライナ軍は一般市民の中に混じり込む。

「ロシア軍よ!どうだこれでも我々を撃てるか!」と言ったところでしょう。
これを現地でつぶさに観察してきたアムネスティーの人が、これじゃウクライナ市民は、ウクライナ軍のためのロシア軍に対する盾だと感じたのでしょう。

戦争は殺し合いです。
相手がこちらを殺そうと銃撃してくるのに、相手がいるところに一般市民が混じっているからロシア軍は撃てない。
双方対等の殺し合いではなく、一方が不利な殺し合いになります。
これではロシア軍はたまったものではないから、結局は市民がいても撃ちます。
これで殺し合いとしては対等ですが、ロシア軍は一方的に極悪非道になります。
なぜならロシア軍は一般市民を撃っているからです。
普通の人間なら誰もがそう思い、ロシア軍は許せない!となります。
確かにロシア軍は極悪非道ですが、ウクライナ軍もロシア軍を撃っているくせに、自分達は一般市民を盾にしてロシア軍の良心に訴えて、撃たせないようにしています。

人間は本来、心の底に優しさや他人に対する暖かさ、いわゆる良心を持っています。兵士がいくら心を鬼にするように訓練されても、その心の奥底の人間らしさを失ってはいないでしょう。だからPTSDになるのでしょう。
ウクライナ軍は、自分は撃っているのに、ロシア軍には心の奥底の人間らしさを利用して撃たせないようにしているのです。それでも撃てば、今度は真の人でなし!鬼になります。
これってどちらが悪どいでしょうか。

世界中の誰もがロシア軍を悪くいう。しかし現地にいたアムネスティーはウクライナ軍が自国市民を人間の盾に使って、ロシア軍を鬼にしていることを感じ取ったのです。
ゼレンスキー大統領は、ロシア軍の極悪非道の上を行く存在だと思います。
アムネスティー・インターナショナルの報告書はそれを言っているのでしょう。
ゼレンスキー大統領の怒りに押されて言葉を濁してしまいましたが、報告書は撤回しませんでした。

私は、プーチン大統領やロシア軍の極悪非道さ、さらにその上を行くゼレンスキー大統領やウクライナ軍の極悪非道さを言いたいのではありません。

戦争とは、一度始まってしまったら、人を鬼にするものだということを言いたいのです。

この報告書が出て、アムネスティーウクライナ代表がこの報告書はロシアに利するとして、代表を辞めてしまいました。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022080600530&g=int

もしこの報告書が全くの間違いだとか、嘘だとかいうのであればこの代表者は絶対に辞めないでしょう。アムネスティーの代表者になるくらいの方です。強い意志と人間愛、信念を持った方でしょう。徹底的にこの報告書の撤回を求めて闘うはずです。

辞めるというのは、それについて自分は何も出来ないから、その責務から降りるということ、逃げてしまうことです。
これは、この報告書が真実を語っていることを意味します。そして、ウクライナ代表は、だからと言って今まさに自国とロシアが殺し合っていて、ロシア軍に利することなど言えない。人間個人の能力を超えるから、個人ではどうにもできないから、辞めざるを得ないのです。

私も、このロシア・ウクライナ戦争がどういう結末になるか、未来を見通すことができません。全くわかりません。

戦争が始まってしまったらもう遅い。人間には、始まってしまった戦争に適正に対処する能力がないのです。

「戦争とは、その種蒔きがあって、蒔かれたその種が芽を出し、育ち、そして戦争という死の花が咲く」のです。戦争という死の花が咲いてしまったら、どちらが悪いと上から目線のジャッジをしても解決しない。
種のうち、芽のうちに摘み取ってしまうのです。それなら人間の個人の持つ能力でやれることがたくさんあります。

私は、安倍元首相の国葬にロシアを呼ばないとの政府の揚げたアドバルーンを耳にしました。日本がロシアに対して、「お前は俺たちの仲間じゃないので来るな!」と言っています。悪意を含んだ意地悪です。それを察知してプーチン大統領は、日本に通告される前に、私は行かないと言った。日本が蒔こうとした戦争の種を、蒔かせなかったのです。

広島市民は、原爆の追悼である広島平和記念式典にロシアを呼びませんでした。広島市民は、ロシア人は原爆で死んだ人のために祈る必要はない。来るな!と言っています。なんということでしょう。それを事前に察したロシアは、広島平和記念公園で献花し原爆での死者とその後遺症に苦しんでいる広島市民及び他の被曝者のために祈りを捧げました。
どちらが戦争の種を蒔き、どちらが戦争の芽を摘もうとしたのでしょうか?

このような時点でのことなら、我々一般市民も声を上げたり、行為を止めたり、反省を促したり、個人レベルで対応ができるのです。こういった戦争の種蒔きに敏感に対応すること、こまめに戦争の芽を摘むこと、これこそが人類が未来永劫に戦争を廃止するための我々一般市民がなしうる行為だと思います。
戦争が始まってから、上から目線で一方的にジャッジし退け!退け!と言っても遅いと思います。

日本が戦争をするとすれば、相手は中国、ロシア、北朝鮮です。今からはそれらの国と信義と友好を心がけ、少なくとも同じ人間としての礼節を保ち、戦争の種を蒔かないようにすることが一番重要であるし、またそれは一市民の個人の能力でできることです。

我々は、できないこと、人間の能力を超えることをやるのではなく、人間の能力の範囲内にあることやるのです。それだけで戦争をなくすることは十分できると思います。

始まってからでは、その適正な対処は、もはや個人というより人間の能力それ自体を超えていると私は思います。

 


ザリガニの鳴くところ

2022-06-06 17:59:24 | 人類の未来

昨日、推理小説『ザリガニの鳴くところ』を読み終えました。

全米では700万部突破! 日本では2021年本屋大賞1位・・・500ページを越す大著。
https://mimipon5.blog.fc2.com/blog-entry-116.html

今年夏に映画にもなるようです。
https://kirakiraperry.com/movie/wherethecrowdadssing/

湿地の少女カイヤ。元々は両親と兄弟のいる家族でした。しかし父親が戦争で負傷して帰り、それから酒と暴力・・。まず母が家を出、その後年上の兄弟から次々と。最後は父とカイヤだけ。その父もどこかへ・・。
カイヤは貝や魚を採って町に行き、たった一人親切にしてくれる黒人の雑貨屋に、それを売って暮らします。
教育委員会が学校へ通えと・・。蔑まれ笑いものにされ、たった1日だけ、2度と学校へはいきません。野生の少女カイヤも思春期を迎え、大人になります。町に住む人気者、ラグビーの名手チェイスが湿地に住む女のことを聞きつけ・・、そして純真なカイヤは・・。

暫くしてチェイスは深夜にヤグラの上から落ちて怪死。事故か事件か!カイヤに容疑がかかります。カイヤにはその動機があります。そして状況証拠も。しかしカイヤにはアリバイがあります。
カイヤは出版社から招かれてその日は長距離バス、目撃者もいます。その完璧なアリバイが・・・
裁判での検察官と弁護士の息もつかせぬ戦い・・第1級の推理小説です。

でもこの本の真の論点は、そこにはありません。

著者は米国の著名な動物行動学者。
クジャク美しい翼が性選択によるものであることは広く知られています。

では、メスギツネが我が子を見捨てること、カマキリは交尾中にメスがオスを食べてしまうこと、ホタルが発光シグナルの速度を変えて別種のホタルを誘き寄せ食べてしまうことは・・。
生物の生殖に関わる興味深い行動の進化がいくつも出てきます。
このホタルの行為が、人間の怖さを表しています。蛍も騙すなら人も騙す・・。この怖さ・・この物語の一番怖い部分です。

そして、P498(訳本)・・いよいよ最後の部分です。
ここで著者は「人間の愛には、湿地の生物が繰り広げる奇怪な交尾競争以上の何かがある」と述べています。
この物語の真髄はこの言葉にあります。
著者は生物学者です。現代の進化理論を尊重しています。

でも最後に彼女は、人間には、生物の宿命である生殖を超えた何かがあると主張します。
人間は、生物の持つ宿命を超えています。今年の市民シンポジウムは人間の利己性と利他性、生物の宿命を超える何か・・まさにこれがテーマでした。
来年4月の市民シンポジウムでは、さらにこの点をもっとクリアーにしたいと思います。

素晴らしい本に出会いました。

 


利他性ー自然科学と社会科学の架け橋として

2022-03-27 21:27:03 | 人類の未来

今年2022年4月2日に午後1時から市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」をZoomにて行います。

テーマ:利他性ー自然科学と社会科学の架け橋として

私は真の利他性(純粋の利他性)、つまり自分の利益を動機としない利他性が、現代以降つまり人新世において人類を導くと考えます。

昨年は、「真の利他性とは天動説である」と言うお話がありました。つまり本当は利己性に基づいてあらゆる生物はこの世に存在できるのだけれど、真の利他性があるように見えるから、あるいはあると思いたいから、それがあると人は考えるのだと、そう言うお話しと受け取りました。
以下の文章は、私の講演要旨の冒頭の部分です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ヒトは生き物である。宗教や生活習慣など特定の制約のない限りヒトは魚や牛や鶏を食べるが、もし魚や牛や鶏の身動きが自由であれば逃げるであろう。すなわちヒトは、自分個人の生存と繁殖のために嫌がるものを力づくで捕らえ殺して食べる。そうしなければ生物個体として存在し得ない。ヒト以外の動物もまた植物も、何らかの手段を用いて自己を存続させ、また自個体の遺伝子を未来に繋ぐことが必須である。でなければ、この世に存在できない。ゆえに地球上の生物はその100%が必然的に利己性をもつ。
これは生物がこの世にあるための原理と言い得る。
平易な言葉に変えれば“生き物は私欲で成り立っている”。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人間は論理的です。ですから、上記の文章が正しいと直感的にわかっていただけると思います。自分の利益をどんどん捨てて他人に与えていけば自分自身も自分の子孫も生存し得ない・・。論理的にそうなるでしょう。
しかし、果たしてそうか?
昨年の市民シンポジウムから丸1年が経ち、人間の持つ真の利他性とは本当にそのようなものか・・と考え続けて、1年後のこの市民シンポジウムにつながりました。昨年と同じような話になるかどうか。自然科学と社会科学の架け橋になるかどうか、私は最大限の努力を尽くすつもりです。
2022年2月24日、ロシアがウクライナに攻め入り戦争が始まりました。私がこの趣旨説明を書いている時点(3月27日)で、ロシアとウクライナの戦争終結に向けた会談はすでに何度も行われていますが、まだ奏功しておらず戦争は継続しています。先般もこの戦争に関する大きなシンポジウムに参加しましたが、ここでこの戦争について議論するつもりはありません。
私が大きな論点としてここで取り上げるのは、ロシアがウクライナへ派兵した大きな理由が、少数のロシア人を守るためということでした。ウクライナではロシア人は少数です。民主主義の原理は多数決にあります。多数決で物事を決めれば、少数者は常に不利になります。集団における人数の多い少ないが、この世に生きていくことの難易を決めます。集団 vs 集団、「俺たち」と「あいつら」。こうなると多数決は罪なものです。ある人たちを不幸に陥れます。実際に、この戦争の原因になっています。人間はこの矛盾を乗り越えることができないのでしょうか。利他性は集団内でしか働かないのでしょうか。集団を越えることができないのでしょうか。真の利他性とは一体何なのでしょうか。
・ハミルトンの方程式以外に、生物の存在における普遍的な原理は存在しないのか?
・人類は“集団”という壁を越えることができないのか?

今回の市民シンポジウムではこういう広い視点から問題提起をし、よく考え、自然科学と社会科学の架け橋になればと思います。

講演:
森中 定治(日本生物地理学会会長)利他性ー自然科学と社会科学の架け橋として
小林 佳世子(南山大学経済学部准教授)経済学における利己と利他
論評:
大門 高子(作家(児童文学)、作詞家、演出家)
大槻 久(総合研究大学院大学先導科学研究科准教授)
奥田 太郎(南山大学社会倫理研究所教授)
川上 祐美(上智大学、立教大学講師)
川西 諭(上智大学経済学部教授)
土畑 重人(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
クロージングアドレス:
悠木 そのま(キャリアデザインフォーラム代表理事)

ポスター
https://biogeography.iinaa.net/image/22poster.jpg
講演要旨(日本生物地理学会HP)
https://biogeography.iinaa.net/index.html

参加費無料

参加申し込みは、お名前と年齢を明記して学会事務局 (delias@kjd.biglobe.ne.jp)へ

 

 

 


沖縄の未来・人類の未来

2021-12-14 09:08:12 | 人類の未来

 りゅうちぇるの『こんな世の中で生きていくしかないなら』を読んだ。りゅうちぇるは1995年生まれの26歳、TVタレントでおバカキャラらしいが私はTVを見ないのでわからない。表紙と巻頭に何枚もの本人の顔と容姿の写真がついているが、私の第一印象はジェンダーレス。本人は、そう呼ばれることを好まない。ジェンダーレスを気取っているのではない。何か別の目的のためにそうしているわけでもない。ただ自分が思うように生きているだけ。生まれたばかりの子どもがいるが、男は青、女はピンクという色分けをしないで育てる。男がピンクの服を着たっていいし、女が男を守ってもいい。
 高校生の時のツイッターでフォロワーは2万人を超えた。沖縄出身だが戦争を知らない世代。飛行機が爆音を響かせて飛ぶのが当たり前の中で生まれ、育った。
 そんな若者が「危険と隣り合わせだ」と実感したのは、2004年ヘリが沖縄国際大学に落ちた時。小学校3年だった。ヘリが上空で旋回するのを見ていたら、急に止まって垂直に落ちた・・・。
 沖縄では、戦争や基地について何も思わないほうが不思議。罪のない人同士が殺し、殺されるのは残酷だ・・・

 米国議会の諮問機関である「米中経済安全保障調査委員会」の11月17日の報告書は、台湾有事において米国が軍事介入の動きを見せた場合、グアムと沖縄の米軍基地が核兵器の先制攻撃の標的になる可能性があると指摘した。

 米国が日本の領土である沖縄まできて、中国に武力攻撃をかけようとする。中国政府が自国民を殺すための攻撃施設を無効にしようとするだろうことは、米国の報告書を待たなくても容易に想像できる。結局一番酷い目に合うのは沖縄だ。アベ元首相が右翼の集会で台湾有事の時は米国と一緒に台湾を助ける旨の発言をし、さらに尖閣は日本のものだと再三再四言ったらしい。これを聞いた台湾野党の国民党は怒り政局になりかねないという。
 尖閣は那覇から410km、東京からは1950km、一方台北からは280km、台湾も自国に所属する諸島だと主張している。

 先の大戦の後、カイロ合意に至る過程でルーズベルトは蒋介石に「アメリカと共に日本を爆撃することに協力すれば、日本の敗戦の後に琉球群島を与える」と誘い込んだが蒋介石はその申し出を断った。この事実は秘密にされていたが当時の部下の外交部長によって皆の知るところとなった。こういう経緯があって、台湾は「釣魚台(尖閣諸島)は台湾のものだ」と主張するようになり、米国は、沖縄の日本への返還にあたり、「(尖閣の)領有権に関しては米国は関わらない」と言い続けるようになったのだ。
 筑波大学名誉教授の遠藤誉という中国専門家が、このように解説しているようだ。
 さらにこうも書いていると言う。
 たいへん残念なことに、日本のマスコミや中国研究者、あるいは国際政治学者、さらには元外交官までが、元首相の発言が、「台湾の領土主権を侵犯する言葉を発したに等しく」、「台湾を侮辱したに等しい」という認識を持つ事ができないままだと。

 蒋介石が、沖縄をくれるという米国の言葉を遮って台湾からの日本の本土爆撃を断ったことで、日本は大きな恩を受けたような気がする。日本軍の台湾統治が礼節を保って好印象だったからかもしれないし、蒋介石が他国の人々を大量死させる爆撃を自国からはさせないという尊敬に値する信念を持っていたのかもしれない。いずれにせよ、台湾は日本本土爆撃の米軍基地にはならなかった。一方ベトナム戦争では、沖縄はベトナム爆撃の基地になった。ベトナムでは北の方に悪魔の島があり、そこから爆弾の雨を降らせる飛行機が飛んでくるというベトナム人の話を私も過去に聞いている。
 今度は沖縄が、中国に爆弾の雨を降らせる基地になるのだろうか。
 沖縄の人はそれを望むのだろうか・・。

 私は、さらにすごい話を聞いたことがある。先の大戦で沖縄は酷い目にあった。日本は戦争に負け、2度と武力で事を解決しないと誓い、平和憲法を建てて軍備を捨てた。これを喜んだのは日本本土の人ばかりではない。沖縄の人こそが心から喜び歓迎したのだ。佐藤栄作元総理が沖縄の本土並み復帰を成し遂げ、ノーベル平和賞に輝いた。私は沖縄の著名な新聞社の相応の地位ある方から聞いた。沖縄が日本への復帰を望んだのは、無論様々の理由がありそのうちの一つではあるが、日本の平和憲法、2度と戦争をしない、他国を攻撃する武力を持たないという日本独自の憲法があるからこそ、日本への復帰を望んだのだ。
 先の戦争で一番過酷な運命に弄ばれた沖縄だからこそ・・・この気持ちは人間として私にはとてもよくわかる。

 こういった沖縄の血塗られた歴史を考えてみると、私は沖縄は独立してもいいんじゃないかという気がした。無論それは沖縄の人々が考え決断することであるが、私個人として戦争時からの経緯を頭に浮かべると、ふっとそんな選択肢の一つが心を掠めた。独立国家となって日本や米国の武力基地を置かない。無論中国の基地も置かない。沖縄は中国も台湾も米国も日本も、どの国にもどの地域にも爆弾の雨を降らせはしない。人間の大量殺戮には加担しない永世中立の国家となる・・。
 私には、琉球群島をやると言われても「我々は他国の爆撃基地にはならない」とその誘いを断った蒋介石が重なる。

 来年参院選を経て与党が多数となり、憲法が改正される可能性がある。再軍備が公式に可能となる・・。
 2度と戦争のために武器を持たないという日本の志が消える。この時、沖縄は日本との訣別を可能とする最大の大義が生まれる。
 右翼にとっては長い間耐え忍んだ念願、他国を武力攻撃する権利を手に入れたという思いで心が満ちただろう。沖縄に対して財力で締め付けるような意地悪や、顔を隠して後ろから殴るような卑劣な暴力、コソコソした嫌がらせ、そういうことは一切やめ「ここで道は別れるが平和を願う心はどちらも同じだ。沖縄よ、達者でな」と堂々と祝福したらどうか。右翼も念願達成だ。沖縄が今まで沖縄人のためではなく日本人のために味わった苦しみを理解してやれ。

 欧州ではスイス・・永世中立国。米大陸ではコスタリカ・・軍隊を捨てた国・・。そしてアジアでは沖縄。いずれも小国で歩んできた歴史も違い、そこに住む人も違う。でも欧州に一つ、米大陸に一つ、アジアに一つ。人類の未来に続く道を指し示す同じ標識に燈が灯った。日本は普通の国になったが、その時同時に沖縄は、世界を照らす標識灯となった。

 りゅうちぇるのような若者。性に関わる表面的な縛りにとらわれない若者。
 男の子にピンクの服を与え、女の子が男の子を守ってもいい現代。
 こういう時代にこそ人類の選択肢が現れるのではないだろうか。


4枚カード問題

2021-09-24 13:49:11 | 人類の未来

2021年7月20日に前のブログを書いたから、それからはや2ヶ月が過ぎました。前回は、私は人間の持つ利他性について今年4月の市民シンポジウム以来ずっと考えてきて、8月26日の生物学基礎論研究会で、それを発表するつもりで研究会に要旨も送っていたので、その関連でブログを作成しました。


私が『プルトニウム消滅!』という本を書いていることもあり、「プルトニムをこの世から完全に消してしまう技術があるのか」という問いが元になって、銀座の交詢社で講演をすることになりました。プルトニウムはミサイルで他国に打ち込めば核兵器の使用となって世界の大ごとになりますが、世界の大ごとにしないで同じくらい恐ろしい使い方があります。1ミクロン以下の粉末にして空に撒くのです。空気中を漂い、1度撒かれたらもはや集めようがありません。その空気中を漂う微粒子1粒が呼吸で鼻から肺に入ったら・・。白血病や奇形児を生み出す劣化ウランの19万倍の力を持っていて、その地は2万年死の地になります。銀座や新宿の空で撒かれたらと思うととても恐ろしいです。他国と殺し合いなどしておれません。これはダーティーボム(汚い爆弾)と呼ばれ、以前からよく知られています。オバマ大統領なども講演で警告を発しています。日本ではなぜか話題にならず、私には大変不思議です。このようなプルトニムの怖さや具体的にどのように消滅させるのかを話そうと思いました。8月21日午後、講演1時間半、その後2時間質疑応答で午後丸半日の企画です。1時間半の講演は長すぎるので、人間の利他性についての話を半分加えたいとお願いしたら、OKになりました。私は、8月26日の生物学基礎論研究会のリハーサルを兼ねることができて、とてもよかったです。


前後しますが、歌では8月7日にポピュレールシャンソンコンクール・セミファイナルが神戸であって、神戸へ行って歌いました。残念ながら落ちました。8月24日には日本シャンソン・カンツォーネ振興協会(JCC)のコンクール東京大会があり、そこでは勝ちました。9月28日が国際声楽コンクール東京の歌曲部門です。これは埼玉予選を勝ち上がってのセミファイナルなのですが、ここで勝つと全国大会で日本歌曲を加えて3曲歌わねばなりません。負ければ無論それで終わりですが、勝った場合でも今歌っている「ああ愛する人の」というイタリア歌曲、日本歌曲の「落葉松」の他、自信を持って歌えるもう1曲がないので今年はそこで止めるつもりでした。ところが久しぶりにレッスンをいただいた新座の岩崎先生が「勝ったらなぜ止めるんだ!もう1曲くらいなんだっていい。いい経験だからぜひ参加したら」というので、気分が変わりました。あなたにぴったりだと言って、トスティの「暁は光から」を薦めてくださいました。
https://www.youtube.com/watch?v=va5Je7rmiFI
確かに私にあっている歌で伸び伸びと気持ちよく歌えそうですが、この頃かなりシャンソンにシフトしているので、初めての歌ではなく歌い慣れた他の歌を探します。それから9月30日が、JCCのシャンソン・カンツォーネコンクール全国大会です。これは是非、がんばりたいです。
こんなことをしていたら、あっという間に2ヶ月が過ぎてしまいました。


人間の持つ真の利他性について、少し記述があるので最近『最後通牒ゲームの謎』という本を読みました。ゲーム理論や、4枚カード問題は以前から知っていましたが、とても新鮮に興味深く読むことができました。
今朝の毎日新聞に菅首相の「まず自助」という言葉についてオピニオンとして3人の主張が出ています。竹中平蔵氏は「公助のためには、自助できる人が税金を納めていなければならない」と書いています。私のような年金暮らしの老人でも税金は納めています。自分自身が自助の立場にいることを改めて認識しました。宮本太郎氏は「コロナ下のこの1年間で日本は、自助は難しく、共助も瓦解しつつあり、公助も成り立っていない、言わば『無助社会』に近づいたのではないか」と書いています。北村年子氏は「助けが必要な人の口を塞ぐ最悪のメッセージだった」と書いています。そしてDaiGo氏の動画にも触れています。宮本氏に近い立場だと思います。公助とは何なのか?竹中氏と、宮本氏・北村氏でその認識が真逆であると感じました。
どうしてこのようになるのでしょうか。


先に述べた『最後通牒ゲームの謎』に、興味深いひとつの「4枚カード問題」があるのでご紹介いたします。ドイツのコンスタンツ大学での実験です。
(ルール)
 ある企業で企業年金をもらうには、10年以上の勤続がその資格である。
(カード)
カード1 年金をもらっている
カード2 年金をもらっていない
カード3 勤続10年以上
カード4 勤続10年未満
(質問)
企業年金の有無と退職者の勤続年数が記されたカードがあります。あなたはどの2枚を選べばそれがわかると思いますか?
(答)
あなたが企業の損得を重視する経営者であればカード1とカード4、あなたが働く人の利益を重視する労働組合の委員長であればカード2とカード3です。これって、どちらも間違っていないのです。立場によって真逆になるんですね。どちらも自分こそが正しい、相手が間違っていると確信しています。でもどちらもルールは単なる建前と化しています。仲間と敵、双方がルールそっちのけで闘うのです。
毎日新聞の竹中氏と宮本氏・北村氏の主張・・、私の中でこの4枚のカードと重なりました。


およそ600万年前に人類が初めて樹上から地上に降り立ちました。地上には肉食動物がいるので、暴力によって喰い殺され孤立していては到底生きていけません。自分だって同じことをしたでしょう。魚や鳥や自分より弱い動物がいれば殺して食べたでしょう。それがそもそも人間というか、生物の始まりです。その関係の中で、うまく機能するグループを作った人が、その後生き残りました。グループとは言葉を変えれば仲間のことです。そのうちにそのグループ同士が争い、暴力で相手の食糧などを奪うようになりました。そしてその後はより強いグループが残っていったのでしょう。仲間内には利他(善)、それがそのまま仲間外(敵)には利己(悪)になります。これは利他と利己が仲間か仲間外かで単に裏表になっているだけです。仲間の生命を守ることと敵の生命を奪うことが同じになります。もはや相手は同じ人間ではありません。これは真の利他ではありません。仲間はとても大事です。仲間がいなければ、肉食動物から人間は逃れることができず消滅していたでしょう。しかしその仲間それ自体が、仲間外を生み出します。先程の4枚カードと同じです。立場つまり仲間か仲間外かで確信が真逆になります。『最後通牒ゲームの謎』では「脱人間化」という恐ろしい言葉が出てきます。仲間外の人に対して「脱人間化」が生じている可能性が指摘されています。仲間外についてはもはや人間と見ていないということです。でもそんなことを口に出せば大ごとになりますから、もちろん口には出しません。入管で亡くなったセイロンのウィシュマさん、先般のアフガニスタンで10人もの民間人が亡くなったドローン攻撃・・、脱人間化が起こっているのではないかとの予感がします。
早く人間の持つ真の利他性についての論文を、世に出したいと思います。


「情けは人のためならず」に思う

2021-07-20 14:50:19 | 人類の未来

リタイア後、趣味で声楽を一所懸命やってきました。愛好家部門ですがコンクールで、オペレッタでは1昨年1位、オペラでは昨年2位になりました。昨年からシャンソンを歌うようになり、今年はシャンソン・コンクールの参加をいくつか予定しています。でも明日7月21日は、第1回国際声楽コンクール東京があって、愛好家部門ではなく音大生、声楽家を含む一般の歌曲部門に出てO del mio amato benを歌います。埼玉予選で川口市リリア音楽ホールで夜7時30分ですが、正直合格か不合格か半々と思っています。

生物学では、カザリシロチョウを使った分子系統研究から種問題に発展し、さらに関連して「人間の持つ利己性と利他性」について思考を深めてきました。今年4月の市民シンポジウムでこのテーマを扱ったのは、私にとってはとても大きなプラスとなりました。6月17日に毎日新聞のコラム「くらしの明日」で、近藤克則千葉大学教授の随筆“人に情けを掛ける意味”が掲載されました(添付記事)。

「情けは人のためならず」の意味を尋ねると(ア)人に情けをかけると巡り巡って結局は自分のためになる、が45.8%、(イ)人に情けをかけて助けることは結局はその人のためにならない、が45.7%でほぼ同じとのことです。(イ)が、国語文法上の誤りだと以前から指摘されていますが、この近藤教授は実際場面からそれを示しました。つまり、9万人の高齢者を3年間追跡して色々調べ、ボランティアなどで情けを受けた人は認知症発生率が低くなることを指摘しています。

これはこれでとても興味深いです。でも私の視点はそこではなく、情けをかけることは(ア)しかないのか?という点にあります。言葉を変えれば、人に情けをかけることつまり利他は、結局は自分に返ってくるつまり利己なのかという点です。何もかも全て自分のためなのか?自分の得にならない無償の行為つまり純粋利他は、この世に存在し得ないのでしょうか?

この問題を考えるにあたって、まずハミルトンの包括適応度方程式に突き当たりました。
Fi = Fd + B x r - C
Fiは包括適応度、すなわち未来に生命をつなぐ可能性を示します。Fdは当事者の適応度、Bは他人(の適応度)です。今ある人が、自分の適応度(例えば自分の持つ財力、エネルギーなど)Cを、他人Bに注ぎ込んだとします。つまり利他をすれば、それだけ自分個人は未来に生命をつなぐつまり遺伝子を残す可能性を失うわけです。ところがBも自分と同類の遺伝子を持っています。Bの同類遺伝子の頻度率をrとします。ハミルトンは、B x r > Cの場合のみ、利他は進化する(生き残る)と言ったのです。Cを他人に与えます。自分自身はCだけ、未来に生命をつなぐ可能性を失います。しかし、Cを与えられた他人も自分と同類遺伝子を持っています。この世で利他が存在できるのは、利他のために自分が失った適応度CよりもB x rがより大きい場合のみだと、ハミルトンは断言したのです。この発見で彼は、京都賞を受賞しました。

この方程式は、見れば見るほどすごい方程式です。この世の総ての生き物の存在可能性、つまり生命のあり方を表しています。この地球における生命の仕組みそのものを式に表したといってもいいでしょう。言葉を変えれば、この式は生命方程式と言えるでしょう。また、リチャード・ドーキンスの有名な著作『利己的な遺伝子(The selfish gene)』にある“利己的な遺伝子”は、この世に存在しないことがわかります。生物が持つ利己性とは、単体の遺伝子、あるいは遺伝子の複合による部分的作用ではなくて、生命の仕組みそのものだからです。

こういうと多くの人が反発するでしょう。
「総ての利他は、自分の得のために、自己利益のためにやっているのか!そんなバカな話はない。無償の愛、無償の行為を人は美しいと感じ、感動し、涙した。いつの世でもそうだった。文学を見ろ!歴史を見ろ!それがすべて自分の利益のためにやっていた???自分のためにやっていたのなら、そんな行為に誰も感動などしない!涙など流さない!!」
これを“天動説”といいます。そうありたいから、そう見えるから、人がそう願うから、そう望むからそう見えるのです。“天動説”とは、はっきり言えば間違い、錯覚のことです。なんという話でしょう。全ては自分のためだったなんて・・!人間は、錯覚に感動し、涙してきたのでしょうか。
そうであれば、あまりにも悲しいと、人類の存在価値はどこにあるのか!とすら、私は思います。

ボウルズ&ギンタスが『A cooperative species(協力する種)』という本を上梓しました。上梓は2011年、日本語訳は2017年に出ました。ボウルズもギンタスもハーバード大学で学位をとった著名な経済学者です。両人とも分厚い専門書を何冊も出版した、社会に功なり名をなした方です。その二人がなぜ、70歳を過ぎてからわざわざ利己と利他という専門外の生物学に関わるような本を出版するのでしょうか。

彼らの主張は、ハミルトンの包括適応度方程式が示す人間の利他性は利己の範囲内、ではないと言いたいのです。この考え方に我慢がならないのです。それを言うために、やはり方程式を持ち出し、今度はプライスの方程式ですが、それを用いて利他性が利己を超えて人類に広く広がることを示しました。さまざまの人類社会の事例なども加えた大変な労作です。
70歳を過ぎてのこの心意気は、私はとても高く評価しますが、残念なことに着想がちょっと筋が悪い・・、彼らの主張はこの本の訳者自身すら・・、否定的な解説をしています。
ハミルトンの包括適応度方程式は絶対です。間違いはありません。でも、ボウルズ&ギンタスの心もよく分かります。なぜなら、私と同じ気持ちだからです。彼らの気持ちはよくわかります。人類に対して気概を持つ人間なら誰だってそう思うのじゃないでしょうか。

この人の世に存在する利他性は、全て利己性に基づくものなのでしょうか?では人類が長い間かかって思索を積み重ね見出してきた、善、仁、徳といったものは初めからないものねだりなのでしょうか?ソクラテス、プラトン、孔子・・・、近代ではカント、日本では『善の研究』で著名な西田哲学、それらの全ては人類が最初から持ってもいない夢、幻を追いかけてきたのでしょうか?

この生物学の定説を、覆したいと私は思います。
8月に生物学基礎論(生物哲学)研究会、来年4月に開催予定の市民シンポジウムでこれにチャレンジしたいと思います。

 


2021年市民シンポジウムを終えて

2021-05-22 20:24:00 | 人類の未来

相模原障害者殺傷事件を切り口にして、人間の持つ利己と利他に切り込もうとしました。残念ながら私の主張はあまりご理解いただけなかったように感じました。でも、集団遺伝学を基盤にした進化心理学(生物学:小田亮先生、岡ノ谷一夫先生)、社会科学からの利他についての言及(心理学:藤井聡先生、社会学:宮台真司先生、経済学:松尾匡先生)、私の主張(生物学)、これらが合わさった場はおそらく初めてであり、初めての試みがスムーズに行い得たことはまずはよかったと思います。

人間がチンパンジーと袂を分かって600万年、樹上から地上に降りました。地上には肉食獣など強力な外敵がいるため、より強力な集団を作った人々が生き残りました。進化心理学はこの600万年を射程としているように思いました。外敵に伍して生き残り、強くなった集団。その集団同士が争い弱ければ食糧を奪われ、時には全滅・・。自集団の内には「利他」、外の集団にはそれが裏返って「利己」となる・・。「俺たち」と「あいつら」。所詮、利己と利他はこのようなものであって、純粋利他は存在しない。岡ノ谷先生が映画『鬼滅の刃』の感想で仰った「鬼の殺しすぎじゃないか・・」、この言葉に、私にはまさに進化心理学の射程、「俺たち」と「あいつら」の区別が如実に出ていると感じました。小田先生も同じです。純粋利他は天動説であって、そうあって欲しいという願いから出てくる夢まぼろしである。でもその夢まぼろしが集団同士の争いを防ぎ、戦争を防ぐ道具になっている・・。
つまり600万年の射程では、集団同士が争うことになってしまい、利他は役に立たず、ゆえに夢まぼろしの純粋利他をいみじくも小田先生は望んでいると感じました。
有性生殖は5億年の歴史を持ちます。600万年ではありません。他人の遺伝子を育てる。その個人がどう考えようと関係ありません。利他は人間が生きていくための仕組みです。少なくとも集団の内外から出てくる損得バーターの利他ではありません。有性生殖生物は、無関係の他個体の遺伝子を育てねば存続ができません。

ハミルトンの方程式から出てくる利他、人間は生物として実在します。実在するためには自己の遺伝子を増やさねばならない。無関係の他人に、無思慮にエネルギーを与えていれば、自分自身が実在できなくなります。それは38億年前の生命の誕生以来です。5億年前に有性生殖生物が出現した。この時に、無関係の(同種内の)他個体の遺伝子を育てねば自分自身が実在しえなくなった。原初の方程式に、新しい変化が生じたのです。38億年前に生まれた方程式を、600万年前以降の人間活動に当てはめるのが進化心理学と理解しました。5億年前に生まれた仕組みが抜け落ちています。

また機会があれば、この利己と利他に関わるシンポジウムをやってみたいと思います。

なお、当日の状況は以下の通りYoutubeに上げました。
ご関心のある方はご覧ください。

また、私の歌もYoutubeにあげています。
これは市民シンポジウムとは無関係です。
ご関心のある方はご覧ください。

市民シンポジウム
相模原障害者殺傷事件について
雨宮処凛(作家・活動家)、インタビュアー(幾島淑美)
https://youtu.be/aRwVqz3ryNw

人類の道
森中定治(日本生物地理学会会長)
https://www.youtube.com/watch?v=fsOmHS0pzzk

論評
藤井聡(京都大学教授)
https://youtu.be/0ENN5UbvWbs

論評
小田亮(名古屋工業大学教授)
https://youtu.be/J5YVUA3XyKk

論評
斎藤環(精神科医・筑波大学教授)
https://youtu.be/ksbv_zFW8rg

論評
松尾匡(立命館大学教授)
https://youtu.be/Rhx5uPzV81k

歌唱(オペレッタ・市民シンポジウムとは無関係)
https://www.youtube.com/watch?v=UvfKreXEDD0


2021年市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」

2021-03-25 11:36:09 | 人類の未来

4月10日(土)午後、Zoomにて公開シンポジウムを行います。市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」(無料)
『種問題(生物学)から見える人類の道』 
(利他が人類を救うー相模原障害者殺傷事件を発端に、鬼滅の刃を切り口に)

大量の死傷者を出した相模原障害者殺傷事件を発端に、昨年末に映画史上に残る大ヒットをしたアニメ映画『鬼滅の刃』を引用し、
種問題(生物学)の視点から人間の持つ利他性について述べます。そしてそれが現代人類にとって階段を一段昇った新しい道となることを述べます。

総合司会:蒲生 康重(進化生物学研究所、日本生物地理学会庶務幹事長) 
お話(インタビュー):雨宮 処凛(作家、活動家) 
インタビュアー:幾島 淑美(全国浄化槽フォーラム理事) 
人類の道説明:森中 定治(日本生物地理学会会長) 
コメント:小田 亮(名古屋工業大学教授)、斎藤 環(筑波大学教授、精神科医)、篠田 博之(月刊『創』編集長)、藤井 聡(京都大学教授)、松尾 匡(立命館大学教授)、宮台 真司(東京都立大学教授)、森 達也(映画監督、作家) クロージングアドレス:岡ノ谷 一夫(東京大学教授)

なお、弊学会のHPにこのポスターとともに私の以下の資料を添付しています。
https://biogeography.iinaa.net/index.html

趣旨説明:森中
添付資料1 雨宮処凛著『相模原事件・傍聴記』を拝読して(森中、2020年11月)
添付資料2 映画「鬼滅の刃」と利他性について思う (森中、2020年12月) 
登壇者略歴(あいうえお順、敬称略) 

ご参加の場合は、必ず10日市民シンポジウム参加希望と明記してください。


潜在意識が顕在意識に変わる時

2021-02-04 17:31:27 | 人類の未来

トランプ米大統領は、2021年1月20日に大統領職を辞した。
死刑囚リサ・モンゴメリー(52歳、見出しの写真)は、トランプ大統領辞任の直前、2021年1月13日に刑が執行された。

2004年、リサ・モンゴメリーは妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、自分の子どものように扱っていた。その妊婦は死亡。彼女の弁護士は、心神喪失によってリサ・モンゴメリーの無罪を主張した。しかし陪審は5時間足らずで有罪の評決に至り、彼女には死刑判決が言い渡された。死刑執行の日は、2021年1月12日と決められた。

事件に至るまでのリサ・モンゴメリーの凄惨な人生を弁護チームが調べ始めたのは、判決が下された後だった。新たな弁護チームは度重なる面会を経て、何十年にも及ぶ虐待、レイプ、凄惨な拷問の事実が突き止められた。
一言で言えば、彼女は少女の頃から、自分の母親によって支払いの対象とされてきた。分かりやすく言えば、ものを買ったり、家を修理したりすれば当然ながらその支払いが生じる。その支払いとして、リサ・モンゴメリーの身体が与えられた。逆らえば折檻、虐待、少女が母親や継父にあがらう術はなかった。

このような事実が明らかになって、死刑囚リサ・モンゴメリーにインディアナ州の連邦地裁が、死刑執行の前日2021年1月11日に執行延期の判決を出した。

私がこのことを知ったのは、毎日新聞がこのニュースを報じたからだ。
そのニュースはすでに消えてしまったが、Yahooニュースにも出た。
トランプ大統領は、米国において過去60年間の死刑執行の3倍以上を執行し、「急ピッチの連続執行」と呼ばれた。しかし米国の一地方の単なる一人の死刑執行が、わざわざ日本の新聞に掲載され、インターネット(Yahoo)にも掲載されるとは、私には不思議であった。
なぜこの死刑囚ばかりが掲載されるのだろうか??

インディアナ州の連邦地裁が、2021年1月11日死刑執行延期の判決を出したために、1月12日の死刑執行は取り止めになった。
まさに滑り込みセーフだった。
しかし連邦最高裁は、連邦地裁の死刑執行停止を取り消し、翌1月13日、人々に考える間を与えず、あっという間に刑を執行した。
このことも、毎日新聞のみならず、インターネットにも、朝日にも、日経にも、読売にも掲載された。
一体、米国の一地方の一女性死刑囚の刑執行がなぜ日本の大手新聞の総てに掲載されるのだろうか・・。

私は、毎日新聞でこの死刑執行の記事を読んだ時、トランプ政権に対して憤りを覚えた。
政治問題や人間の生き様について議論するMLで、先の米国大統領選挙について議論していたとき、この選挙には大きな不正が行われたと主張するトランプ大統領の応援者から、トランプは敬虔なクリスチャンだという主張があった。
この“敬虔なクリスチャン”という言葉が、死刑台の露と消えたリサ・モンゴメリーのことを、私に思い出させた。

私は以下のような内容の主張をこのMLに送った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私はトランプとも、この死刑囚とも、何の私的な関係ももたない。全く無関係の、赤の他人だ。でもこの人は死刑にならなければよいと思った。
インディアナ州の連邦地裁が彼女の精神障害から執行延期の判決を出して、ちょっと心が安らいだ。
それをトランプはあっという間に刑を執行した。
キリストは人の生命を奪えと教えているのか? 
敬虔なクリスチャンとは連邦地裁の判決などへのかっぱ、さっさと殺してしまえと言う人たちのグループなのか?
自分の味方をした人や、あろうことか自分自身にさえ恩赦を出すというのに。
一人の女の生命など知ったことではないというのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これに対して幾多のやりとりを経て、別の方から、以下のような反論が来た。

>トランプさんは神様ではないので、今回の選挙を含む大きな軍事作戦で手一杯で、残念ですがリサさんの不幸に向き合う余裕が持てなかったのではないかと思います。

これに対して以下のような再反論を送った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この主張には、私は納得できません。
死刑囚リサ・モンゴメリーには、インディアナ州の連邦地裁が死刑延期の判決を出していたのです。だからトランプ大統領が選挙を含む大きな軍事作戦で手一杯でリサさんの不幸に向き合う余裕がなかったのなら、その地域の連邦地裁といえば権威があるわけですから、その地裁の判決に従ったでしょう。
その地裁の判決をひっくり返して、退任直前にわざわざ殺したのですから、「この女はバイデンに生命の救いを求めているようだから、そんなやつは最後の最後に俺が殺してやる」とその女性に最後まで生命の期待を持たせてその上で殺したのだと私は感じています。残虐だと感じています。
きっとトランプは、自分を追い落とす憎いバイデンにせめて最後の一太刀をと言う気持ちだったのではないかと感じています。一太刀を浴びせるならバイデンに直接すべきだったと思います。自らの力では自分の生命を救うことができない50代の一人の死刑囚、バイデンに対してではなく、自分の生命すらどうにもできない無力の女性に世界最大の力を持った男が剣を振るったのです。
これは、大統領の職務を遂行したのではなく・・、その職務にかこつけて一人の女性の生命を弄んだのだと私は思います。
言葉がありません・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

赤の他人の、他国の一死刑囚に対して、私はなぜこんなにも憤ったのか。MLでメールのやりとりをするうちに、私の憤りはどんどんと強くなった。
なぜインターネットや3大新聞、他が、他国のたった一人の死刑囚に対してこれほど書くのか。しかも一々写真付きの記事として。

さらに刑が執行されて10日近くも経った1月22日に『レイプ・虐待被害の女性に死刑執行 「おきて破り」認めた裁判官は誰か』と題して後追い記事が出た。

さらに、2月3日に『女性死刑囚の刑執行をめぐる悲劇、虐待とトラウマと精神疾患』と題して後追い記事が出た(これらの記事は早晩消えてしまうので、PDFで保持)。

他国のたった一人の死刑執行に、なぜこんなに後追いが出るのか。この扱いは一体何だろうか!

この女性は、妊婦の腹を裂いた時は狂っていたのだと思う。でも、それから刑務所で何年もの年月を過ごすうちに自分を取り戻したのだろう。バイデンは死刑執行をしない人だと噂に聞いたのだろう。だから、大統領が変わる日を指折り待っていたのだろうと私は推察する。

彼女の目的は生命への憧れ。すでに罪を犯し死刑を宣告、自分ではどうにもできない自分の生命・・。でも、生命への憧れはある。自分自身を取り戻したのなら、それはなおさら強くなった・・。ここに赤の他人のことが、まるで自分のことのように心を掴まれる仕組みがある。
これは、人間の誰もが心の底に持つ真の利他性である。そんな気がした。

 

 

 


相模原障害者殺傷事件 植松聖被告に死刑判決へのコメント

2020-03-17 10:04:42 | 人類の未来

昨日、2020年3月16日、横浜地方裁判所は多くの障害者を殺傷した植松聖に死刑を言い渡した。

NHKニュース

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200316/k10012333681000.html?fbclid=IwAR2D1Apc7Le0pP3z9MMwvf4O38Z28ygwTnRaC9hBBuS1hJJhMpZmzp_SR4U

この記事の最後に、この事件に深く関わった8名の人たちのコメントが出てくる。特に4名は社会的にも知名度の高い有識者である。

私が取り組んできた種問題がこの事件と深く関わり、解決への方向を示す一つの答えがあるので、ここでこの事件についてコメントをしておきたい。4月18日の市民シンポジウムの趣旨説明でお話をさせていただく予定であったが、コロナウィルス収束の見込みがなく、今年の市民シンポジウムは中止となったので、特にここでコメントしておきたい。

NHKニュースの、記事の最後に付記された森監督のコメントにあるように「被告は僕らの矛盾をついた」と言う点である。これは他の有識者も同様の視点を持っているように感じられるが、ではそれがどういう矛盾なのか、誰にもわかるよう具体的にはほとんど誰も指摘していない。

その点について、私は2017年11月に放送大学文京SCで機会をいただいて講演した。問題点は明確である。トランプはメキシコ国境に巨大な壁を作った。ベルリンを東西両陣営に分断した壁は30年前に打ち壊されたが、現代はその6倍にも及ぶ通行防止柵が空爆地域からの難民流入を防ぐために作られた。

なぜ、それらが作られたのか?

貧しい移民や難民を国に入れれば、国費(国民の税金)で食べさせねばならないからである。難民を排除するという政策を掲げたポピュリスト政党が欧州で台頭している。既に政権与党になった国すらある。日本でも同じ流れがある。若者が苦しい生活のなか、なぜ何の関係もない赤の他人の食い詰め老人を食べさせなければならないのかという声を聞いた。70歳以上の老人に対する生活保護や弱者への福祉を一切やめるべきだという声を私は聞いた。助けたいと思う人が助ければよい。私は嫌だという声を聞いた。もちろん自分自身の財力で生きている人は別である。しかし、お金のない人、自分自身で生きていけない赤の他人をなぜ俺たちのお金で食わさねばならないのかという素朴な疑問を聞いた。この疑問が世界の巷に溢れ出てきている。自分たちの考えだけが絶対に正しいという盲信が、このような異質の声を排除してしまい、それゆえにその対策をとることができないのである。

植松聖は、自分自身を救世主と言った。日本を含む、世界中にこのような考え方が溢れ出し、今や濁流となって世界を飲み込もうとしている。

植松聖の行為は、その濁流から目に見える形で吹き出した一つのあぶくである。植松聖のこの考え方が一方的であること、その意味で誤りであることを、彼に認めさせないまま彼をあの世に送ったら、彼の逃げ切りだろう。彼の考え方に賛同する人は、今や世界を席巻する濁流となっている。言うまでもなく日本にもたくさんいる。植松聖は、その人たちのその考え方を背負って、その人たちの救世主として、異教徒から死刑に追い込まれたジャンヌダルクとなって死んでいくことになる。それでは彼をあの世に送った我々の敗北だろう。NHKニュースが記事の最後に列記した有識者は、そのことがなんとなくわかっているのだろう。

彼は、一方しか見ていない。しかし一面で正鵠を突いている。だから難しいのである。

人間はそれぞれが独立しそれぞれ固有の意志を持つ個人である。しかしもう一方で、種として一つの存在である。こちらの視点が完全に欠けている。こちらの視点を持つ者もまた、一方的に自分だけが正しいと盲信し、もう一方の視点を意に介さない。実際にはこの両方が現存する。生物学で議論されてきた種とは何かという「種問題」は、新しい実在論を伴って現在の人類が飲み込まれようとする濁流を止める一つの盾となる。自然科学から派生した問題であるが今人類にそれが求められていると私は考える。

植松聖の考えが一方的であることを彼に理解させることができれば、その濁流に与する人たちの考え方を変える嚆矢となる。現代は、一方的な濁流とともに、それを止める手立ても一緒にやってきたと私は考える。