森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

戦争の賠償と平和憲法について

2014-07-26 10:27:21 | 国際政治・外交

2014年7月13日(日),中野産業振興センターで矢野久教授(慶応義塾経済学部)の「歴史学から問う 戦争責任追及-ドイツの補償請求運動の実態を正しく知るために」と題するご講演を拝聴した.日本では,慰安婦問題や強制労働などいろいろと複雑な問題が尾を引いている,ドイツには,西ドイツのヴァイツゼッカー大統領の敗戦40周年の「過去に目を閉ざすな」という有名な演説があり,ユダヤ人虐殺をはじめとする様々な残虐な行為に対する償いを明瞭に解決してきたと私は漠然と考えていた.しかしどうもそうではなく,日本と同じく今もっていろいろな問題を抱えていることが分かった.

では,日本の場合はどうだったのだろうか.日本は,ドイツのように自国内に住む他民族を皆殺しにするようなことはしなかった.しかし広くアジアへ出て行って何十万,何百万の人を殺し,家畜やその地に棲む様々の生物を殺し自然環境を破壊した.この戦争を,欧米の魔手から同胞アジア人を解放したのだとか,大陸へ出なければ日本も欧米の植民地になっておりやむを得なかったという意見もあるが,結果として,その戦争に負けて無条件降伏したのである.そして軍国日本に抗戦し勝った方にアジア諸国もいるのである.「一人の生命は地球より重い」と言う人がいるくらいである.私のような一般人ですら,この負け戦に対する賠償金が安い金額で済むはずがないことは直感的に分かる.戦時中の個別の問題については,人間の感情を無視した一律の機械的な対処でできようはずはないし,またその対処の仕方がこの戦争と人間に対する日本人の心を表すようにも思うが,種々の個別問題はここでは議論しない.

この戦の具体的な賠償金について矢野先生にお聞きした.矢野先生のお話では莫大な財貨の支払いのようなはっきりこれと分かる賠償はなく,被害を受けた各国との個別交渉によって経済援助・協力をもって賠償に代えるということであった.しかも矢野先生によれば,ドイツの場合の経済援助には非常に厳しい規制があったとのことである.つまり,その経済援助がもし自国(西ドイツ)に還流すれば賠償にはならないと,これを明確に否定した.一方日本では,中国を含むアジア諸国への経済援助が日本へ還流することを認めた.分かり易く言えば,日本の援助金で日本の製品を買ったり,日本企業が事業を行うことを妨げなかったのである.つまり,日本は西ドイツとは違ってアジア諸国民の生命に対して償われた財貨をもって,その破壊と死をもたらした当事者の日本が再び立ち上がってアジアを,そして世界を導いてくれることを期待したのだと帰結された.

なぜ,そんなことが可能だったのだろうか?

日本とドイツは敗戦国としては同じであるが,戦後の“この国のかたち”に非常に大きい違いがある.ドイツは戦争を放棄せず,一方日本は未来永劫に戦争を放棄したのである.人類が殺しあい破壊しあって物事を解決することはもはやできない.我々日本人はこの反省にたち,未来において二度と戦争をしないことを自ら信じる精霊と自らの良心に自らの意志で誓った.これが第九条を含む現在の平和憲法のもつ意味である.この憲法は伊達や酔狂で作られたのではない.その時の日本人は皆そう思い,二度と戦争はしないという強い意志を生き残った国民の誰もが共有した.以下に友人が教えてくださった小学校の校歌を示す.この小学校だけではない.この思いを,子どもから大人まで日本中の誰もが共有したのである.作詞はいずれも国文学者の藤村作(つくる)である. 

渋谷区立千駄ヶ谷小学校校歌

  世界の国に先駆けて 戦争捨てた憲法の こころは忘れずとりもって

  平和の日本の民となる これが我らの将来だ

世田谷区立烏山小学校校歌

  窓に見る 富士の高ねをそのままに 

  よろずの国にさきがけて あらゆる武器をうちすてた

  文化日本の国民(くにたみ)と 私たちはなるのです 

  万歳 烏山小学校 奮え 烏山小学校

これは人類史上の特記すべき出来事であり,人類はその名においてワンステップ“成長の階段”を昇ったように思う.そしてこのこと自体が, “平和の使徒”として人類を導くという日本人の意思表示それ自体が,親を殺され子どもを殺され家族を殺され憎しみに凍りついたアジアの人々の心を融かし,日本から奪うのではなく寧ろ日本の一日も早い復興を望み,それがこの日本固有の“この賠償のかたち”になったと帰結できる.我々がもつ現在の平和憲法がどれくらいの重みがあるのか,これでいくらかは分かって頂けるように思う.

日本国憲法は日本人のものである.他国にどうこう言われる筋合いはない.日本人の意志さえあれば自由に変えることもできるし捨てることもできる.友人である米国とのお付き合いで軍隊をもたざるを得なくなった,あるいはこの平和憲法を作ったときこそ日本人全部が異常な心理状態に支配されていたのであり,そろそろ戦争をする普通の国に戻るべきだという意見もあろう.しかしもし,その時の日本人の心理状態こそが異常であったとしそれを取り消すなら,その心理状態を前提に合意された“この賠償のかたち”も取り消されることになろう.

あれほどの惨禍を為したアジア諸国に対して,その償いのための賠償金は支払っていないも同然である.もし,あの時点,戦争直後,新憲法を作る時点において,軍隊ももち戦争もする普通の国に戻ることが前提なら,心が凍りついたアジア諸国民が自国へ還流する経済援助で合意するはずがないことは,いちいち明文化されていなくとも私のような素人さえ分かる.アジア諸国民は苦しみのなかで,世界に先駆けて戦争を放棄する新生日本に一筋の神々しい光を見たのだと思う.

もし日本が軍隊をもち戦争をする国になるなら,この特異な戦時賠償は言わば“食い逃げ”になってしまう.あの時とは事情が変わったのでこれからは戦争をする国に戻るというのであれば,賠償についてあらためて考え,支払うべきは支払い,過去の清算をきれいに終えて誰からも後ろ指を指されない堂々とした軍隊をもつべきであろう.日本民族は“食い逃げ”の民族とは,世界の誰からも言われたくない.日本人は自らの誇りを失い,気概を持てなくなるような卑怯な真似,姑息な真似はしない.支払うべきは1円のごまかしもしないと世界に示したい.

平和憲法の重さを,この視点からあらためて考えて欲しい.

私自身は,日本の憲法は日本人が決めるものであり,もし日本人の総意が戦争する国に戻るというのであればやむを得ないと思う.しかし我が日本が,人類史に他のどの国にも先駆けて特記すべきエポックを記したのである.“人類史”における階段を1段昇ったのである.これを大きな誇りに思う.安倍首相も靖国には行かないという意思表示を中国にしたと7月13日の新聞に出ていた.これは,戦争直後の新生日本に立ち返り,人間としてアジアの同胞と共に手を携えたいという意志が心の奥底にはあるからこそと思う.外交というものは難しいことも沢山あろうが,日本人も,アジア人も,欧米も,アフリカも,人類それ自体が要は同じ一つの人間である.嫌いあい殺しあう方向ではなく,交流を拡げ友情を育て,人間らしい絆を深めあう方向で進めてもらいたいと思う.

この論考は,矢野久教授が事前に目を通してくださりコメントを寄せてくださった.厚く御礼申し上げる.

クリックお願いします.

         

拙著「プルトニウム消滅!」核兵器の廃絶,原発,経済学,公共哲学,生物学を統合した分かり易い総合論です.是非お手に取ってみてください.


コメント